the Gn. Muria telepraph

2019年04月25日

Double cropping (4) お米のほうは業者に任せて、田んぼのほうが大切。ぎりぎりまで植え付けるから、かなり崩れやすいはず。ま、いっか。まずは苗代づくり

making a nursery

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あぜ道をあるくおじさんの写真。ふむ、、おじさんは長い竿を持って歩いているけど、、どうしてだか?それは、田んぼに落ちないように、バランスをとるためのステッキみたいなもの、、、と、そこまでで終わると、、ふーん。で、終わり。なんだけど、そこまででは終わりません。
あぜ道がね、、とっても狭いんです。本当にあしの幅ぐらいしかない。まるで、綱渡りのように歩くしかない、、どうしてそうなったかというと、「ギリギリまで圃面を広げるので、とうぜんあぜ道も削って苗を植える」というわけです。

すごい、いじましいというか、、、、なんというか、大変だなあと思う。

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とはいえ、苗代は作んなきゃ、、

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だいたい稲刈りから田植えまでが1週間ぐらい。苗代は稲刈り直後からつくるし、稲刈り前から作るところもあります。他の田んぼで作ってもらって、田植えに合わせて持ってきてもらうこともあります。

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一方のお米のほうは、こうやって市場に出荷、、、

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Malaysia short stay again マレーシアに数日滞在中。しかも、ホテルは懐かしの定宿。場所はダタランムルディカなのだ。

Staying in M'sia city center

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用があって、インドネシアからマレーシアに旅行中。直行便はあるが、いろいろ苦い思いも多いエアアジアというのが玉に瑕。でもね、直行便はエアアジアしかないんだよ、、他の選択肢はない。フライトは2時間ぐらいで楽。ただし時差は1時間。

今回のミッションの一つが、マレーシアに残してきた銀行口座をきちんとメンテナンスすること。長い間使ってなかったりすると、勝手に停止されてたりするし、ATMカードが使えなかったりするので、書類一式もちこんで銀行窓口でいろいろ質問攻めにして、不具合があると直してもらう。しかも、電話番号も変わったし、、新しくマレーシア専用のスマホも買ったし、やるき満々。前回の訪問時には時間切れでうまくいかなかったけど、今回は完全にミッション成功。

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インドネシアの携帯が2つ、マレーシアの携帯が1つ、、、、けっこう重い、、、が、まあいいでしょう。アプリの整備ができてなかったりするけど、それは仕方ない。

そして、もう一つのミッション、、、それは、GPS購入。

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インドネシアには無いのか?と聞かれたら、ジャカルタまで行けばあるかも、、というレベルの、オートバイ用のナビです。日本でもオートバイ用使っていて手放せないし、マレーシアで使っていた車用のナビをインドネシアでも使っている。去年スマトラに行ったときのインドネシア地図が入っているから、全然問題ない、、、のだが、、

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道が悪すぎて、、ガタガタのショックで、首は傾くし、穴があれば飛び跳ねた勢いでカーナビも吹っ飛んでしまう、、、というありさま。

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これは、本当にいかんともしがたい、、、でも、ナビがないと道に迷う。時々見る、、じゃなくて、割と頻繁に見てるから大問題。

ということで、ちゃんとしたナビが欲しい。。しかし、高い。しかも、マレーシアの地図しかなくて、インドネシアの地図はなんだか別にオーダーしなければならないそうだ。。。困った。さらに、昨今は携帯をナビ替わりに使うのが9割で昔ながらの独立ナビ使っている人なんて滅多にいないのだ。だから、時代の波に乗るべきなのか、、よくわからないので一晩寝て考えることにしました。

とりあえず、久しぶりのKLエリア。

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やっぱりPJとは違います。懐かしのマスジドジャメ駅

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町の中で飛行機を見つけて、ちょっとびっくり。やっぱり変わったところもあるんだね。

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Motorcycle with box インドネシアに行ってからずっと思ってた箱無し、、、なバイクたち。マレーシアのバイクは箱付きがほぼ標準。

Difference between Indonesian and Malaysian Motorcycles.

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インドネシアとマレーシアの差異について述べる人は多いと思うけど、、、こういうことは自分も浸っている人じゃないときっと見落としているということがあります。それが、バイクの好みの差。

マレーシア人はJIVIの箱を荷台に載せているのが標準といっても過言じゃないほどポピュラーです。町中に箱屋があります。が、、インドネシアで箱を載せているバイクなんて、滅多にいません。本当だよ、、、どうして、ここまで対照的な、、と思うぐらいに箱の好みが違います。マレーシアでは箱はヘルメットを入れるところ、、インドネシアはヘルメットはサイドミラーに引っ掛けるもの。

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マレーシアでは、ヘルメットが盗まれたらどうする?というのがあるけど、インドネシアはヘルメットを盗まない不文律があるのか?ともかく、ヘルメットはサイドミラー。よって、マレーシアではミラー欠の整備不良バイクをよく見かけるけど、インドネシアではミラー欠は滅多に見ません。まあ、いろんな理由が考えられるけど、「ミラーがなかったらヘルメットを掛ける場所がないでしょ?」。

まあ、インドネシアではボックスが無い代わりに、もっとヘビーなものをつけて走っている人は多い、、

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それと、マレーシアではジャケットを後ろ前に着て、腕だけ通して走っている(まあ、みっともない)バイカーが珍しくないです。まあ、あれは虫除け、雨除けとして役に立つし、背中がスカスカで汗がたまらないうえに、風圧でシャツがめくれないという長所もある、、ことにはあるが、、みっともない。逆に、インドネシア人は、、クソ暑いのに厚手のジャンパー(メッシュとかじゃないよ)をしっかり首までジッパーを上げて、着ている人多し。長袖だし、、よく暑くないよなあ、、とか感心します。すくなくとも、マレーシア風の後ろ前ジャケットは、まず見ません。

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バイクから見ると、、マレーシアのほうが実用的。インドネシアは生活的。どう違うのかと聞かれると、、困るけど、、まあまあ、ここで書いたようなこと。


2019年04月23日

Double cropping (3) 収穫したら、脱穀、乾燥。特に乾燥に関しては収穫した農家がやるより、専門の乾燥業者がいるみたい、、

After harvest

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稲刈りしたあと、、、は、2つの工程に分かれます。一つは田んぼの方。速攻で苗代をつくって、田起こしして、代掻きして、田植え。だいたい、稲刈りから田植えまで1週間です。いろいろと見たけど、やっぱり1週間。でもって、もう一つの工程は、お米のほう。脱穀して、乾燥させて、袋詰めして、業者に売る、、という流れ。田んぼとお米。まずは、お米のほう。

脱穀は最初の記事に書いたけど、センバコギと唐箕みたいなローテク利用がひとつ、そして脱穀機を使う方法。さらには、コンバインで稲刈りしながら脱穀もする方法。コンバインはあんまり見ませんが、全然見ないわけじゃないです。ときどき見ます。

そして、それが終わると、、?籾の乾燥。乾燥機にかけるのもあるみたいです、、、というか乾燥工場も見ましたので、あることはあるのですが、9割は天日で乾燥。それも、稲作農家が自力で乾燥をやっているかというと、そうでもなさそう。

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この時期、まだ雨期が終わったわけではないので突然雨が降る可能性があって、天日干しだと誰かがずっとついていないといけません。でも、農家は稲刈りが終わった田んぼの後始末をすぐにしないと、刈った後からまた芽ぶいてしまって手間がかかるし、、

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田んぼの田起こしはけっこう家族総出なので、誰かがじーっと乾燥を見守っているほどの暇がありません。きっと、それが原因なんだと思いますが、乾燥はそういうことを専門にやってくれる人に頼むことになるのかな。小規模で一人で乾燥している人もいるし、事業所のように大規模にやっているところもある。籾が干されているのをみると、まるで黄金の波のよう。すっごい豪華な気分になります。

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こうして乾燥した籾は袋詰めされて、倉庫に保管か、、市場に売りにいくためにトラックに載せられます。

Double cropping (2) 稲の成熟はこんな感じ。きっと農家の人は、、こんなのあたりまえ、、とか思うんだけど、私は生まれも育ちも町の子なので、こういう田んぼなんて興味津々。あたりまえのことを書いてるだけなんだと思うけど、、

How rice grows,

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上の画像はWikiのカリンガ王朝時代の地図。6−7世紀でジュパラのシーマ女王の頃のものです。で、これをみると、ジュパラのあるムリア山の下あたりが、「古代の海岸線」って灰色になっているところがあります。今はもちろん陸地ですが、ここが大平原。
この大平原の南にちょびっと網の目のようになっている大きな川があります。これが有名なソロ川、、ブンガワンソロ、、という歌でもしられています。この地域がジャワの誇る最大の稲作地帯です。

まあ、いいでしょう。
稲作って、私にとっては珍しいものです。え?日本人なのに?ですが、町の子だったので、田んぼ自体が珍しかったり憧れたりしたものだし、いまもちょっと田んぼには憧れがあります。

この写真が3月8日のもの。ありがたいことに映像には情報が含まれるデジタルのおかげ。
家の前なので定点観測的に撮影しました。青々として、全然お米ができてる風はないのですが、

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たった、10日後の3月18日にはこんな感じ、、

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近くによると、、、、、、本当かなあ、たった10日間で?という気がするぐらい、でも撮影日をみるとそうだし、、

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そして、4月10日でこんな感じ。上の写真から22日後です、、

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Double cropping (1) インドネシアの二期作。ちょうど今が端境期、、なので、稲刈りと田植えをみてみよう、、手仕事中心だけど、機械も入ることもある。

Cropping of rice

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ジャワ島中部にある中部ジャワ州、、が私の住んでいるところですが、とっても稲作で有名でジャワ島の穀倉地帯と呼ばれています。さらに、そのまた中部ジャワ州の中央部は稲作の中心地。とっても広い平野が広がります、、

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それというのも、このあたりは昔、、海でした。7世紀ころの地図をみるとムリア山が「島」で、中部ジャワ南部とは遠浅の海で隔てられていました、、だから、平たいのも当然。大阪湾とか東京湾とかも、7世紀ころと今では海岸線が全く違うものになっていますが、そんな感じ。

そして、今や収穫のシーズン。稲刈り中はあちこちで藁の野焼きをしていますが、まずは蚊よけ、虫よけ。そして藁の処理、、そして、灰をつくること。灰は田起こしのときに漉き込んで肥料となります。

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稲刈り最中の休息、、ここはすべて人力です。

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ムリア山と南部の山の間の旧海底だった平野だけじゃなくて、南北の山間では棚田、、、

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稲刈りの写真、、

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稲の丈の低い田植えと違って収穫時はそこそこ稲の高さがあるから、人は隠れてよくみえないことも多いです。

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ほとんどのところでは稲刈りは人力で行われていますが、、コンバインが入っている田んぼも見かけました。だから、いくら貧しいところとはいえ、機械力が皆無、、、ってことはないです。トラックに割と大き目のコンバインが積まれているところも見かけましたが、そういうリース会社があるみたい。

収穫時期の用水の水はきれい、、とくに山間はきれい。とはいえ、二期作で稲刈りと田植えが同時に行われていたりするので興味深いことが多いです。

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稲刈りが終わったら、、脱穀。動力のついた機械を使っているところもあるし、、、

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人力機械の唐箕を手回ししているのもみました。それに、ドラム缶にバシバシたたいて脱穀している非常に人力的なところも、、、多い。

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稲刈り、、は稲作農家のビッグイベント、、、のひとつ。

2019年04月14日

Three Heroins in Jepara (3) Queen Kalinyamat ところでこの女王はどういう人なんでしょうか?というのは知りたいところ。この女王が資料のあらわれるのは、なんとポルトガルの書物です。そして彼女の最後の戦いが、現在のジョグジャカルタのスルタン家創設の遠因となっている。

Who is Ratu Kalinyamat ?

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カリニャマット女王は、ドゥマ王国の開祖 ラーデン・パタハのお孫さんにあたります。このパタハ国王については資料がいっぱいある。マジャパヒト帝国の治める領土の一部、、、ジャワ中部北岸の豪族だったのが勢力を伸ばして1475年に自立しスルタンを名乗ります。ドゥマ王国の誕生。ただ、いちおうはマジャパヒト帝国と対立せず、名目上の宗主とする、、という感じの関係を結びました。。。。首都はドゥマにあって場所はジュパラの隣です。

この女王のお爺さんは1455年生まれ、だから、室町時代の後半、、戦国時代の初めにあたります。このパタハ国王が有名なのは、ジャワ島にイスラームを導入した9人の伝道師と深くかかわりあいがあって、9聖人の中心であるスナンアンペルはパタハ国王の教師。こうして、ジャワ島のイスラーム化にはドゥマ王国とパタハ王が欠かせません。

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で、ドゥマ王国は後継者が息子さんのトレンガナ王。女王の父です。このお父さんはお爺さんほどパッとはしてませんが、まあ2代目。そしてカリニャマットお姫様は、ドゥマ王国の隣の、ジュパラ公国のスルタン・ハドリリンに嫁ぎます。。うーん、ここでやっとジュパラがでてきた。でも、夫婦の間に子はなく、養子を迎えるけれど、夫が死後(あとででるけど政敵に暗殺されたんだよ)、女王に即位します。こうしてカリニャマット女王が誕生。

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カリニャマット女王は生年不詳で、没年もだいたい1575年といわれてます。織田信長とかと同時代の人。1575年といえば日本では長篠の戦いがあった年。カリニャマット女王はなぜ有名なのかというと、ポルトガルの資料に名前が残っているからです。その割に肖像画は一切なし。織田信長だってあるのに、、(、、祖父も父も肖像がある)。

Portuguese historical record "Da Asia" written by De Couto praised Queen Kalinyamat as "Senhora Rainha de Jepara ponderosa e rica"; which means 'the Queen of Jepara', a rich woman and has great power. Her reign marked by her overseas campaigns in the year 1550 and 1574, against Portuguese in Malacca.

ジェパラの女王は大変な金持ちで、実力もあり、1550年と1574年の2度にわたりポルトガル支配下のマラッカに遠征をおこなった。



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遠征前にもポルトガルと争ってますので、なかなか鼻息の荒い女王様だったようです。えーっと遠征ですが、敗退したそうです。

こうして、歴史に名が残るカリニャマット女王ですが、ドゥマ王国はまだ彼女が存命のうちに滅びてます。衰退の原因であるカリニャマット女王の兄のペナンサン王子がドゥマ王国の主権を握った後、弟のスナン・プラワタを暗殺。末妹のカリニャマットはワリソンゴの一人クドゥスに住むスナン・クドゥスに兄弟暗殺の裁判を願いますが聞き入れられず、夫のスルタンハドリリンとともに領地に帰る途中、返り討ちにあってスルタンハドリリンは殺害され、カリニャマット女王はかろうじて生き残ります。ふーー、どっこも王家とか金持ちとか大変だよ、、

兄が暗殺され、夫も暗殺され、、、復讐に燃えたカリニャマット女王は親戚一同に打倒ペナンサン王子を呼びかけ、結果追い詰められたペナンサン王子は殺害された。こうしてドゥマ王国は名実ともに滅びます。世代にして3世代しかつづかなかったわけか。歴史上には、ジャワにイスラームを定着させた王国として名前が残りました。その後のポルトガルへの襲撃を考えると、ジュパラ公国がドゥマ王国を吸収した??

このときペナンサン王子を殺害したのは、カリニャマット女王の親戚の養子のスタウィジャヤ。この人物はその後、新マタラム王国の開祖となります。なんと、、、この新マタラム王国は現代まで続き、インドネシア独立を助け、功績によってジョグジャカルタ自治州として領土を持ち、当主のハメンクブウォノ10世は現在も、ジョグジャカルタ自治州の知事であり、スルタンです。

なんと、女王の復讐戦から、現在のジョグジャカルタのスルタンが生まれたということか、、、なんと、、、なんと、興味深い。

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Three Heroins in Jepara (2) Queen Kalinyamat カリニャマト女王、、とお呼びすればよろしいのでしょうか。ジュパラ公国の血気盛んな女王。まずは、参詣したので、お墓から。。。

Visited Makam Ratu Kalinyamat

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ジュパラの三聖女のトップは、カリニャマト女王(という読み方でいいのかな?)。
お墓詣りは、ジィヤーラと呼ばれ、当地ではハッジに次ぐ地位の巡礼地となっています。

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ジュパラの市内から2キロほど南にお墓があって、バスでお詣りに来ている人たちもいる。

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こちらが、その一団だと思うけど、写真好き。。

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じつは、この女王の墓の場所がわからなくて、苦労していたらモスクであった親切な方が案内してくれて、ようやくわかりました。というか、わからないほうが頭おかしいというほど、わかりやすい場所にあって、いったい私は何を見ていたのだろう、、、まあいいや、この方とお墓に歩いていくと、この一団が記念撮影中。撮影が終わったので通りすぎようとしたら、案内してくれたかたが「こちらの人は日本人ムスリムで、わざわざお墓参りにきたのだ!(たぶんそういう意味だと思う)」と紹介したので、みんながプチパニック。どっと、私に挨拶に来て!一緒にセルフィー、、ということで、この全員と握手して、この全員と、、個別に一人づつセルフィーされて、アイドルもかくや?

まあ、みんながそれで幸せになってくれれば、私も幸せです。こちらの白い服の方が、親切な方です。ありがとう。

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ずんずん、参道を歩いていきます。もう墓域に入っているのでサンダルは脱いで、、

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ヒンズー様式の入り口。精霊崇拝の影響ともいわれている門。門がとっても大切なのです。

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ヒンズー様式とはいえ、彼女はムスリムで、イスラームをジャワに布教した9聖人(ワリソンゴ)たちと同世代。ワリソンゴとの交流もあります。ちなみに弟はスナン(イスラーム聖人)の称号がついているぐらいですので、彼女も熱心なイスラム教徒だったのかもしれませんが、いかんせん資料が少ない、、、時代は、日本では室町時代の人なので古代というよりは中世の人なのですが、それでも資料がない、、、

まあいい、、お墓、、、

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ずんずん進んでいくと突き当りにお墓があります。廟は現代ジャワ様式なので新しいのでしょう。

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中に入り切れないほどの善男善女がいて、

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けっこう、中に入るのが大変なのですが、ひんやりとした(というか外が暑すぎ)、廟堂です。

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門の外には狛犬というかスフィンクスのように守護しているのは、ナーガじゃないか!、、ヒンズー仏教文化圏でよく見かける聖獣ですが、まさかここにいるとは思わなかった。

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このあたりは、墓地が多く、女王の墓もその一区画、、ちょうど多磨霊園の中にお墓がある、、というような感じ。もちろん、門があって、そのなかでも特別扱いだけど、、、

で、この女王は、、誰なの?

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2019年04月12日

Three Heroins in Jepara (1) ジュパラの三女神、、違うか、、みんな実在の人物だしね、、三聖女、、これはそうかもしれない。ともかく、ジュパラが輩出した歴史上の人物は三人とも女性だった。扱い方をみると、三聖女、、的。

There are three Heroins or three saints,, in Jepara.
RA Kartini,, Queen Shima,, and Queen Kalinyamat

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中部ジャワ州ジュパラ県。ほんとうに、半農半漁残り家具、、という田舎です。ですが、周りがもっと田舎なので周囲の評価では都会ということになっています。人口が100万人の県。この町の中心には、三聖女像、、があります。

正直、三女神と言ってもいいのだけど、とりあえず三聖女にしときます。いや、ほんとうは三貴婦人で、聖女でもないけど、人々の扱いが聖女並みだしね。この三人の墓詣はジィヤーラ扱いです。

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年代的に一番古いのはQueen Shimaです。7世紀のカリンガ王国の女王で、彼女は乱れていた国内の風紀をヒンズー仏教的法規で規律したという中興の祖のような人。時代的には聖徳太子とそんなにかわらない時代の人ですね、ということは日本に仏教が入ってきたのとだいたい同じということか、、、ちなみにこの女性のひ孫はジャワに覇をとなえた古マタラム王国の祖サンジャイ王です。ジョグジャカルタの世界遺産ボロブドゥール遺跡は、この古マタラム王国のものです。

次が、Queen Kalinyamat, (Ratu Kalinyamat) で、16世紀の人。この時代、ジュパラはジャワ中に知らぬもののない(当社比)、ジュパラの歴史上最大版図を広げたジュパラ公国の王妃で、のち女王となりました。そうとうに鼻息の荒い時代で、ポルトガルとたびたび戦争を起こし、特に1550年と1557年には我がジュパラから艦隊を率いてポルトガル領マラッカまで遠征にでかけました(負けたけど)。そう、日本では織田信長とかの戦国時代。日本にもポルトガルの波に洗われたけど、ここも、やっぱりそうなのか。ちなみに、弟はSunan Prawotoといって、ジャワのイスラーム聖人の一人です(、、が、ワリソンゴの中には入ってない)。

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最後は、RA Kartini ざっくり100年ぐらい前の人で、女性の地位向上を目指したということで現在170人弱いるインドネシア国家英雄の一人に認定済。ちなみに前の二人の女王は英雄認定から落ちてます。ちょうど、今、カルティニ記念日が来るということでジェパラでは毎日パレード。実質、ジェパラの守護聖人と化してます。。。

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Suburb branch of Saudara わが田舎町にエスカレーターがあった!もう、これは事件と呼べるレベル。エスカレーターだよ、、あるとは思わなかった。

First time I found it in my town, Jepara

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ジュパラ最大にして唯一のデパート、SAIDARAには小さな市内店と大きい郊外店があります。
じつのところ、店頭から消えたアボガドが旬の終わりなのか、、それとも探せば、あるところにはあるのか、、ということで、デパートの生鮮食料品売り場をチェック、、、

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いつもの市内店だとない可能性があるので、スマランに行く途中にある郊外店のほうにGO。

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ここは、市内店の倍ぐらい大きくて、見た目もきれい。
しかも、この町にあるなんて思わなかったけど、エスカレーターがあるんだよ。エスカレーター、、なんか、頭がクラクラするほどの文明な響き、、、、エスカレーター、、、なんと偉大なものが、、この町にあったとは、、超びっくりです。

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エスカレーターってあるところにはあるんだね、、この町にも文明が押し寄せていることをひしひしと感じます。
しかも、アボガドもあっさり見つかった、、、

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うーむ、値段は高いし、しかも鋼鉄のように硬いアボガドだけど、たしかにアボガド。うーむ、旬が終わったわけでもなかったのか??
わからん、、、。

ともあれ、この町にエスカレーターがあるのもわかったし、アボガドもあるところにはあることがわかったので良かったです。

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