the MY Pantai Timur telepraph

2017年09月20日

My town Chofu / Tenmondai dori 11 30メートル道路

To-hachi doro or 30m Road is the middle point of Tenmondai dori.

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自分がどのくらい老人度が高いかは、きっと「昔は、、」というのが多くなってきていることからわかります。そう、、天文台通りと交差する中間点、、というか、わたし的には終点(それ以上北には用がないから)の30メートル道路。別名は東八道路です。

立ち退き交渉が上手くいかず、ずーっと計画道路のままだった道路で、開通部分を30メートル道路って呼んでました。幅が30メートルあるんだったら片側3車線は当然だけど?当時から片側2車線だったり用地買収が難しいところにあったら1車線だったり、なんだか30メートル道路というわりには甲州街道と比べてもパッとしない道路、、、と思っていたのが、むかーしの話です。

ある日、突然、30メートル道路を誰かが「東八道路」って呼んでて、なんだろう、どの道路のことか?とか思ってましたが、ふーむ、、、今では東八道路というのが一般的な名前になってしまった。そうか、私はもう老人度が相当に高いのだ、、、こんな道路の呼び名ひとつでこだわっているようでは若いとはいえません。

道路の幅ですが、広い歩道と自転車専用道路ができて、やっぱり車線は片側2車線(場所によっては3車線だったり)のまま。昔は広い道路幅があるのに変?、、とか思っていて、歩道の拡張とか自転車道路とか、考えたこともなかった。そんな「人にやさしい」道路なんていうものがあるなんて、知らなかった。多くの人も当時はあるといいなとは思いつつ、実現なんて想像もしてなかったと思う。道路なんて幅が広ければ、そのまま「車道の車線が増える」もんだと思ってた。歩行者なんて路側帯に追いやられるのが普通と思ってた。

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やっぱり時代は変わり、昔の発想はどんどん時代遅れになっていく。それは正解だと思う。「あればいいな」がどんどん実現する社会は嬉しい。でも、最近は昔の遅れた発想がリバイバルしてきたり、発想の変化が少なくなってきたような気がするけど、気のせいだろうか。

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2017年09月19日

My town Chofu / Tenmondai Dori 10 調布基地再考

Return to former "Chofu Base". Why Chofu Base was an agricaltural village ?

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天文台まで北上したのだけど、考えなおしてちょっと南下。調布基地再考です。米軍の調布基地は基本は農地。ただしオリンピック関連で渋谷の米軍家族施設ワシントンハイツが移転してきて農地は無くなったか縮小されたようです。まあ、別に基地だけに限らず、調布は今だって田舎くさいところです。私の家の周りはキャベツ臭い。

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ともあれ、終戦の機に都内では208箇所が米軍に接収され基地化されていますが、順次返還。戦争が終わったのは1945年、ワシントンハイツが移転してきたのが東京オリンピックがあった1964年だからそのちょっと前か(1962-3年ぐらい?)。だから、20年ぐらいは農地目的として使われたようです。

調布基地は隣接している府中基地との混同が激しくて、東京都都市整備局のHPだと「関東村住宅地および調布飛行場」と「府中空軍施設」は別です。が、基地当時はほぼ一緒くたになっていたと思います。調布基地と府中基地の土地利用についても、それぞれ別ですが、内部ではつながっていたようだし、まあ混同もしかたない。

、、、とはいえ、ふん!調布と府中を一緒にするなんざ、とんでもない!知らない人には一緒に見えるかもしれないけど(知ってる人も一緒に見えるけど)調布と府中は全然別物!地元民の意地で言いますが、調布はマンガ「NANA ナナ」の舞台で、府中はマンガ「ちはやふる」の舞台です。ほら、全然ちがうでしょ。(?)

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まあ、いいか。ともかく住宅地になる前の20年間、農地だったということ

誰もが知っているように終戦後の日本といえば食料難の時代。原因は一つではなくて、いろいろな事情が重なったからです。が、まあ、食糧難の原因はともかく、みーんな、食べるのが最大の課題です。日本でこの時期は食料配給制だし、それでも間に合わず餓死者もでています。

、、でもって、指摘する人は少ないのだけど、日本の敗戦後に相当な数の進駐軍がやってきました。いったいどのぐらいの数か?米軍20万人、英軍4万人その他ソ連軍などでおそらく20-25万人だと思います。が、彼らは何を食べてたのか?日本には食料生産余力がないのでそれぞれの国や近隣からの輸入だと思いますが、傷みの早い野菜といった生鮮食料品はどうしても日本で入手する必要があり、市場に余剰が皆無な以上、自分たちでなんとかしないと生きていけない。まさか、戦勝国で占領のためにやってきた進駐軍が、日本人同様に食べ物で苦労するわけにはいきません。

おそらく、文脈上、ここで調布基地がでてくるんじゃないかなあ。もっと調べると違うかもしれないけれど、進駐軍の食料自給を考えると米軍だって当初は懸命な食料増産。しかし、農業市場は地域によるけれど戦後の10年目頃で全国的に問題無しの状況。で、オリンピックのはるか前に日本の食料事情は好転しているのでもはや米軍農地は不要になった、、じゃあ空き地同然なので都心の米軍住宅を移転しようか、、ということになったんじゃないかな。もっとも、米軍住宅も移転後10年ぐらいで日本に返還されていますので、そのころになると進駐軍人口も敗戦直後と比べると激減していたわけです。だから、ますます農地は不要になっていたわけだ。

終戦後の進駐軍の食料自活事情というテーマは非常に興味をそそります。

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2017年09月17日

My town Chofu / Tenmondai Dori 9 反骨の府?

Naozo Ichinohe was a researcher who died only 42 years old.

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いっぱいある博物館のような展示室を周っても、個人の業績とか有名人の肖像画とかありません(たぶん)。が、たった一人だけ、人物と業績が紹介されていました。本当に彼だけだと思う。じゃあ、相当に天文台に貢献した人?

パネルの説明を読んでもいいんだけど、Wikiではこういった説明になってる。
「当時麻布にあった東京天文台を赤城山の山頂に移転する等の主張をしたため当時の東京天文台長・寺尾寿と対立した。1911年11月退官して現代之科学社を設立し学術雑誌『現代之科学』を発行した。この雑誌は英国の『ネイチャー』、米国の『サイエンス』にならったもので、単なる科学雑誌ではなかった。だが一般読者には難しい内容だったため経営的には苦難の連続で、過労のため結核を発病し、42歳で死去した。一戸にちなんだ小惑星 (5532) 一戸 がある。」


つまり、一戸さんは、当時まだ東京大学の付属設備であった天文台(当時は東京天文臺)

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を麻布から三鷹に移転するのに、強硬に反対!天文台の偉い人とガチで衝突して天文台に「おまえのとこなんてやめてやる」と辞表をたたきつけ。そもそも、一戸さんは、民間の天文台の必要性が持論!つまり、、、三鷹にある国立天文台を真っ向から反対した人です。

、、えらいと思うのは、そういう天文台にとっては天敵のような学者を今ここで賞賛しているということ。他に一杯、偉い人達のパネルがあって、そのうちの一人、、じゃなくて、他はまーったくなくて、唯一ある人物紹介パネルがここの天文台の存在に反対した人、、というのが、すごいじゃないか。なんか、ちょっと感動。

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それに、休憩室には、みごとな切り絵の展示。ちょっと切り絵に見えないぐらい迫力満点。どんな有名な人の作品?、、、と思ってみていくと、なんとこの国立天文台の司書の方の作品だった。小栗順子さんと言われる方の作品で、うーむ、切り絵というのはこんなに綺麗なものなのか!とか、こんな表現方法ってあるのか!とか、なんだろう目から鱗が落ちるとはこのこと。星空にちなんだ作品も多かったし、まわりの風景とも合ってるし、これは一見の価値あり。小栗さんの作品は日本中いろんな場所で発表されているみたいだし、なんか、すごい、、、才能ある人ってこういう人なんだろうね、、と思った。

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この天文台に、この切り絵を見るだけのために来る価値はある。

それに、社員の作品をきちんと評価して展示している天文台も、また偉い。なんだか「弊社の弊社員の弊作品を展示して、お粗末でございます」とかみたいな訳のわからん、謙遜だか卑下みたいな感じになるところだって多いのに、きちんと評価して、きちんと展示して、なんか胸がすく思い。

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一戸さんといい、小栗さんといい、なんか、天文台。ナイスだよ。

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My town Chofu / Tenmondai dori 8 観測ドームがいっぱい!

NAOJ, there are a lot of Observation domes in the site.

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天文台とは何をするところか?星の観察をするところ!、、という天文台もあるけど、それはむしろ少数かもしれない。天文台の歴史は古く、律令制に定められた陰陽寮の時代から、江戸時代の開成所に至るまでやってたことはただ一つ(と思うけど)!それは、暦を作ること

「(Wikiからの引用)古代以来の天文学の重要な役割に、天体観測によって正確な時刻を確定し正確な暦を作るという目的がある。このためには天体の会合や出没・南中時刻などを地球上の同一の地点から継続的に観測する必要がある。」

そう!為政者は正しい暦を作って国民に周知すること。そりゃそうだ、みんなが勝手に今日は何月何日とか決めてたら困るし、暦がないと農事も上手くいかない。それに、例祭も適当にするわけにはいかないし、年号も定められない。

これは子午儀だと思うけど、、自信はない。しかもアンティーック。赤道儀と目盛環があるらしいが、どこにあるのかわからん。「なんか、古い望遠鏡みたいなやつ」というのが私に分かった唯一のこと。

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国立天文台には、子午線を測るための設備がぎーっしり。それが、いろんなドームにある。そう、天文台といえば天測のドームだけど、ひとつじゃなくて、うじゃうじゃある。

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やみくもに一杯ある。

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アインシュタインが発表した学説が正しいかどうかを検証するために作ったドーム。やみくもに人が言ったことを信用せず、自分で確かめてみて確認する、、という科学的な態度。えらい。

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で、中身はいろいろ。見学者用に公開されているのは、もはや稼働していない、ふるーーーーい望遠鏡ばかり。もちろん、この天文台は「理科年表」というのを毎年作っているので最新式のものはあるのだけど、それは見学ルートにはないんだと思う。理科年表には「1年は365.256898日」とかが載ってるらしい。

理科年表のオフィシャルサイト
https://www.rikanenpyo.jp/index.html

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平日に行けば、しーんと静まりかえったドーム。で、蝉の鳴き声がうるさいぐらい。

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ものすごく神秘的。もう、ヘトヘトになるまで歩いて、公開されているドームを走破。

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もう、どれをみても一緒にしか見えない、、

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ふーっ、これで公開されているのは全部かなあ。

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My town Chofu / Tenmondai Dori 7 国立天文台 1 生協に行こう!

Tenmondai, or National Astronomical Observatory is the most famous place after Chofu Airport along this street. Visited Co-op shop, not museum shop because this is the "alive" research center not a museum.

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空港を過ぎて、天文台通りを北上していくと左手に見えるのが、、天文台。ちょっと小高いところにあるのがいかにも天文台らしいです。でも、ちょっとだけです。”登る”、、というイメージはありません。”上がった”ところ、、というのがちょうどよい表現。

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そして、いざ行かん、お土産屋さん?ミュージアムショップ?、、いえいえ、生協です。ここには、カレーうどんをはじめ、学生食堂にありがちな、あーんな食事、こーんな食事が気楽にできる生協があります。

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そして、その隣には、タバコも缶コーヒーもアイスクリームも買える生協購買部。その中に、なーんと天文台お土産コーナーがあるのです。

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ほーら、見て驚け!私は驚いた。なんだろう、この肩の力の抜けた、脱力系お土産屋さん。学生食堂の隣の購買部のお土産。。。。そう、この天文台は職員の多い、現役の天文台です。博物館ではありません。研究所なのです。だから、ミュージアムショップはありません。あるのは、大学生協。

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ここは国立になる前は、東京大学の天文台でした。東京大学といえば、もとは幕府の開成所(洋学教育研究機関)で、開成所の前は洋書調所で、その前の名前は蕃書調所(1856年)という名です。でもって、蕃書調所の前は、洋学所。そして、その前は「天文台蛮書和解御用掛」(1811年)です。わあ、東京大学の源流の一つがまさしく「天文台」。由緒正しい洋学のルーツ。権威が「時を制する」のが中国古来からの重要なことで、時間の正統を保つことが何より一番大事な研究だったのです。

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蛮書和解御用掛の前は幕府の天文方(1685年)にさかのぼります。とりあえず、国立天文台のご先祖筋としては、幕府の天文方が初代となります。その前は、幕府じゃなくて公家の土御門家の「陰陽寮」があるのですが、天文を調べて「呪術」に生かすことがメインの業務なので、ちょっと違う。

まあ、いいでしょう。こうして、楽しい天文台見学が始まり。もちろん、現役の研究機関だから立ち入り禁止の場所も多いけれど、、うーん、歴史の宝庫だよね。

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My town Chofu / Tenmondai Dori 6 近藤勇の生家

Isami Kondo is a famous Samurai in the history, born in my town. He was one of the defeated (Shogunate - old resume) side armed force leader in Meiji Revolution.

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調布市の生んだ有名人というのは、聞きませんね。いや、正直にいいます。ほぼ皆無です。そして、”ほぼ”であって、全滅ではないのは、たった一人だけ全国区的に有名人がいるからです。新選組局長近藤勇さん、NHK大河ドラマでも主役級の人物です。

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彼が生まれた宮川家というのは調布飛行場の続きに位置する場所。で、今はその生家が残ってないのは戦時中に飛行場滑走路延長に邪魔!ということで取り壊されたからです。なんともったいない!今だったら、大変な保存活動や抗議活動があったはずですが、いかんせん戦時中。貴重な歴史的建物でも、「おまえ!こんな家を残すことで、御国のために邪魔になっていいのか!」となれば、逆らえません。

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離着陸に邪魔といわれて近藤勇の生家をつぶして滑走路を延長したところで、、、、終戦時には戦闘機は特攻に駆り出されて飛行場はガラガラ。なんも飛んでないうえに、戦争にも負けてしまった。これじゃあ、宮川家はいったいなんで取り壊されたのか意味ないじゃないか。今、宮川家が残っていたら?そらあ、観光地としてすごいことになっていたはず。近くの野川公園も、アメリカンスクールもなくて、「史跡近藤勇生家(宮川家)記念公園(たぶん)」という名前で観光地の駐車場やお土産屋さんになっていたはず。

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いまあるのは、生まれた場所だよ!という表示と「産湯の井戸」というわずかな空間が残されています。まあ、それだけでも何にも残らないよりかはましか。

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この史跡周辺には車を停めるところがありません。うーん、すぐ近くの野川公園に駐車するしかないのかな。しかし、駐車しても、見るものがこの写真だけ。おそらく5分も見れば十分なはず。「見て回る」じゃなくて、「見る」だけです。「回る」面積は全くありません。まあ、しかたない。

そういえば、調布にアメリカンスクールがあるのは、米軍の調布基地利用末期に渋谷にあった米軍家族住宅がオリンピックで返還され、調布に移転してきた名残でしょう。

ユーミンの歌う中央フリーウェイの「調布基地」。跡地で一番大きくて知名度があるのが「味の素スタジアム」としたら、まるで基地の遺産のように現在も残るのが「アメリカンスクール」。さてさて、新選組局長!お宅の生家の跡地にアメリカンスクールが立っているの見て感想はいかに?と聞いてみたいです。

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My town Chofu / Tenmondai Dori 5 深大寺

Jindaiji Temple is a famous tourist point amongst local people.

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調布で最も有名な観光地!といえば、深大寺。東京都では浅草寺に次ぐ古刹、天平5年ー733年開基だそうです。そして、もうひとつ!おめでとうございます。昨日付け(9月15日)で、深大寺の銅造釈迦如来倚像は国宝に指定されました!!!!

だから、天文台通りからちょっと脇道に入るけど、深大寺にGO!

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天平時代といえば、唐招提寺や国分寺が建てられ、東大寺を中心とした「天平文化」が花開きます。それまでに何度も出した遣唐使がもたらした文化の集大成。唐の高僧、鑑真の招聘は超国家プロジェクトで日本側でも吉備真備や阿倍仲麻呂といった有名人が関わっていますが、、、すごい。鑑真が何度も来日に失敗する原因の多くは、渡海の危険を心配するあまり弟子が官憲にデマを流して出航を実力阻止されたこと。
ふーむ、これってもしかしたらイエスとユダの関係にも当てはまるのかもしれない?真意のわかってない弟子というのは、、とーーっても厄介な存在ですね。

ともあれ、私は厄介ごとは嫌い。好きなのは美味しいもの。深大寺といえば、深大寺そば。

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しかし???調布や三鷹の市民にとって深大寺といえば、地元の誇る観光地。でも、地元民以外の人は、そもそも深大寺を知っているのかしらん?あまりにも地元では有名だから、当然!全国区でも超有名!と思いきや、地元民以外は、まーーーったく知らない、、というのも、少なくないです。だから、深大寺が有名なのは間違いない!という私の信念には間違いはないのだろうか?ちょっと不安。

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しかし、国宝指定もうけたことだし、これからはどんどん知名度は広がって欲しい。ここは私の故郷のひとつだし(お蕎麦屋だけじゃなくて、植物園とかも含めて)、もちろん、今だって心のどこかで結びついている場所。ここに来ると、、来るじゃなくて、ただいま!って気持ちになります。

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2017年09月14日

My Town Chofu / Tenmondai Dori 4 プロペラカフェ

Propeller Cafe is a cafe located in the airport site, but not boarding terminal.

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空港のターミナルにカフェがあって、、、というのならわかり易いです。が、調布空港のターミナルには飲み物とお土産の自販機しか置いてありません。売店はゼロ。ゼロ。自販機のみです。未だかってこんなに飲食に貧相な飛行場は世界中でも見たことないです。あの貧相だった改修前のクアンタン空港だって、売店があって食べ物(カップラーメンとお湯)がありました。カップラーメンが空港の最低だと思ってたのですが、この調布飛行場の潔さ。自販機のみ。

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しかし、空港ターミナルから歩いて数十分。ターミナルから歩くと辛いぐらい離れたところに、プロペラカフェがあります。同じ滑走路に面しているとはいえ、滑走路は長さが1kmあるから、遠く感じる。

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もちろん空港とは運営が違います。航空写真とかその手のサービスの建物が滑走路側にならんでいるのですが、その一区画にプロペラカフェがあります。運営はマリブクラブという飛行クラブということです。すばらしい。その飛行クラブの飛行機が格納庫にあって、、、というか、カフェが格納庫の中にあって飛行機との密接度はとても高い、、

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雰囲気は最高!本当にこんなに感じのいいところがあるのですね、、すごい、なんかセレブになった気分。飛行機を眺めながらのお茶は最高。ちなみに私は飛行機は小さければ小さいほど偉いという根拠のない信念があって、ここの飛行機は私ごのみです。

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なんで小さい飛行機がいいかというと?大きい飛行機、、つまり何百人も乗れる飛行機なんて貧乏人用だからです。大人数を1機で運ぶとそれだけ個人には値段が安くなるし、飛行機会社も儲けはでやすい。わあ、貧乏臭い。もちろん、私は貧乏人用の飛行機「しか」乗ったことがありません。くやしいなあ。

それに、人数が多いということは、各種の理由で「乗り遅れる人」を待ったり(人数が多ければそれだけ遅れる人も増える)、「自分の荷物が出てくるのを延々と」待ったり、乗客トラブルも起こりやすいし、飛行機も遅れがち。中には超大型機に乗って喜んでいる人もいますが、私にはわからん。偉い人は、ビジネス機つまり20人ぐらいしか乗らないゴージャス飛行機とか、一般的な自家用機つまり6−7人ぐらいしか乗れないような空飛ぶロールスロイスとか。つまり、「小さいほど偉い」のです。たとえ、プロペラの音がうるさいとか、揺れるとか言う声があったとしても、いいです。小さいほど偉いというのは私の信念だし、夢です。

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飛行機には夢がつまってるし、夢なら貧乏人用のでかい飛行機じゃなくて、こういう小さいのがいい。

おっと。ここはカフェ。乗るのじゃなくて飲んだり食べたりの場所。もちろん、この、格納庫というかカフェから大きく開いた窓の外は滑走路。親子連れが飛行機をみて喜んだり、とっても和やか。こういう雰囲気はいいですね、大人から子供までみんなが楽しめる場所。

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調布市民ならでは、、カフェに気軽に来れるし、スナックをぱくついたり、飲み物でまったりしたり、、いい感じ。ターミナルの素っ気なさとは対照的です。空港ターミナルもここの10分の1ぐらい雰囲気があればいいのに、、

天文台通りを通るときは、(何もない空港ははずせても)このプロペラカフェは外せません。

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2017年09月13日

My town Chofu / Tenmondai Dori 3 調布飛行場

Right of "Tenmondai Dori" avenue is almost all Airport site. Tokyo has only two airport, Haneda and Chofu. Narita is not a part of Tokyo (actually, Chiba area).

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天文台通りを北上すると左右に住宅地が広がります。ざっくりと、右は三鷹市、左は調布市。その左手側の薄い住宅地や運動場の裏は大きな飛行場の滑走路。東京には民間空港が2つ。羽田と調布です。

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上の写真で飛行場にそって走る右の道路が天文台通りです。

この空港は首都防空拠点として陸軍の戦闘機がいたりしましたが、最終的には特攻でみんな出払ってしまい終戦時にはなんにも用をなさなかったようです。ふーむ、、

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ともあれ、いまでは都営の飛行場。伊豆七島向けの定期便で知られています。

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成田とか羽田とかしか知らない人、、驚くほどの小ささです。チェックインカウンター

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天文台通りを北上して、空港入口をすぎると、そろそろ滑走路もおわり。ここらで、一休み。もちろん、寄るのは、プロペラカフェ。知る人ぞ知る、滑走路の見えるカフェです。

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2017年09月12日

My town Chofu / Tenmondai Dori 2 Chofu Base 調布基地

US Chofu Base returned to Japan in 1973. Chofu Base was called "Kanto Village" beside it.

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中央高速は調布を東西に走っています。だから、ユーミンの中央フリーウェイでは、調布インター入口から上がった車の行く手は、、黄昏が フロント・グラスを染めて広がる、、と夕陽がちょうど正面を向きます、、
が、私がこれから辿る、天文台通り、、は、調布インター入口から90度逆、調布を南北に貫きます。ここからは北上、、

ともあれ、米軍の調布基地。
この名前からどんな基地を思い浮かべますか?軍の機密?弾薬庫?軍用機が飛び交う要所?要害の地?、、ぜんぶハズレです。調布基地にあったのは「はたけ」!え?何ですか?もう一度言ってください?わかりました、何度でも言いましょう。調布基地にあったのは米軍将兵家族のための食料生産「農地」だったのです。
えー!じゃあ、基地って?さあ?米軍の接収したところはみんな基地って呼ばれたから、まあ、ここも基地なんだろうけど、米軍用のはたけが広がる、、牧歌的な場所だったのです。

えーっと!調布飛行場があったはずじゃないか!軍用機はどうなった!と思うみなさん、安心してください。調布飛行場の舗装をひっぺがして農地になったところも多し。飛行場は補助飛行場として残りましたが、不時着とかトラブルとかがあった飛行機用の場所、、程度でほとんど使われてません。

調布基地は、、米軍内部では「関東村」と呼ばれてました。村です。内容から言っても、まさしく村と呼ぶにふさわしい、何度でも言いましょう、おまえは村だ村、村、村、村、農地の広がる村だ!基地なんておこがましい、お前は村だ!、、さあ、一緒に歌いましょう、中央フリーウェイ、関東村を追い越し山にむかって〜

もっとも、中央フリーウェイが歌われた時、すでに基地は日本に返還済。基地のだだっぴろい敷地は調布基地跡地利用協議会によってほとんどが運動場として利用されます。もっとも、調布市だけじゃなくて、この基地は府中市や三鷹市にもまたがってたため、事業組合式で活用されているところもあるようです。

天文台通りも、調布市と三鷹市の市境となっているため、我が町調布といえない場所もあるけど、気にしません。そもそも、十代からこの地に住み始めて、元気に飛び回ってたから武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市はどこも良く知ってるし、遊び場所。この4つの市域が私の町。

味の素スタジアムは調布基地の跡地としては一番知られた建物です。

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あんまり新しすぎて(最近できたわけじゃないけど、年をとると10年、20年前なんてつい最近)、馴染みは薄い。スタジアムの前はよく行くけど、中に入ったことはないです。案外、地元民というのはそういうものかもしれない。

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天文台通りを北上します。

posted by NAOKI at 23:45| クアラルンプール ☁| Comment(0) | Life in Japan 一時帰国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする