the MY Pantai Timur telepraph

2018年11月08日

Nationalism ? 「自分の国に尽くすこと」、、という概念が生まれて250年ぐらい。まだまだ新しい思想で、カルト。それ以前はそんなもの無かったし、無くても全然困らなかったし、楽しく暮らせてたのだよ。

第49条
出生の届出は、十四日以内(国外で出生があつたときは、三箇月以内)にこれをしなければならない。
第135条
正当な理由がなくて期間内にすべき届出又は申請をしない者は、五万円以下の過料に処する。


私がなぜ日本人なのかというのは戸籍法第49条と135条で、「生まれたら14日以内に日本人にならないと5万円以下の罰金だぞ!」とあるからです。本当は、生まれたばかりの赤ちゃんなのでそんなこと知るわけないのですが、そういうことで日本人になりました。私の意向とか全然訊かれてません(泣くのが意思の表れとは思われてないし、赤ちゃんは泣くのが仕事というぐらい。ふー、生まれてからすぐ仕事かよ)。
だから、日本人云々といわれても、知らないまま日本人になっただけです(ほとんどの人の状況は同じだと思う)、それに両親にしたって、その時に他の選択肢なんて全然なかった。以上、掛け値なしの真実です。おわり。


、、では、あまりに短い。
なので、以下だらだらと「ナショナリズムとアイデンティティ」について考えてみました。

そもそも、ナショナリズムというのは近代の発想です。
なんとなく偶発的に始まったフランス革命に後々の青写真なんてありません。それを見越して周辺各国が干渉してきたことに対して、それまでフランス人は「外交なんて、そんなの王様が勝手にするんでしょ」と無関心だったのが、いきなり「うんにゃ、自分たちでやるしかない」となりました。ところが「自分たち」が千差万別で混乱を極め、戦争の主役のフランス軍は指導者や士官が貴族主体なので戦う気がないし、明白に敵の味方だったりするので連戦連敗。で、絶体絶命。フランス国内に外国軍がなだれ込み。もう既存のフランス軍は使えない!革命政府は「祖国危機宣言」つまり「フランスはもう終わりだ!誰でもいいから戦ってくれ!」呼びかけました。これ応じて市民義勇軍が集まります。やがて、義勇軍による戦闘がはじまり、「初の干渉戦争での勝利」がもたらされました。市民が誰かに命令されたわけでもなく自発的意思で国を救ったのです。これが、現代につづく近代的ナショナリズムの嚆矢とされています。

それからのフランス軍は連戦連勝。フランスへの干渉戦争が逆にフランスからの侵略戦争に様変わり。欧州各地に、新思想であるナショナリズムが輸出されました。カルトみたいなもんで、人々は熱狂しました。


ここまでは、いい。が、問題はここから先。
ナショナリズムを見ていた各国政府は思います、、「なんと!給与を払わなくても軍隊ができるのか」。それまで、軍隊はとてつもない高額給料で兵隊を雇って財政的にヘトヘトでした。兵隊は命と引き換えだから給料を高くふんだくるうえ、情報に通じて負けそうだったらさっさと脱走するのが常。空気に敏感で、貰うだけ貰ったうえで脱走慣れした兵隊が偉い。戦死する兵隊など、ドンクサイの極みだったのです。命あってこそだもん。

それが、金を払わなくても死んでくれる兵隊がいるとは驚き!これを採用しない手はありません。「人間は情熱の対象さえ与えれば、タダで喜んで死んでくれる」というのは史上驚くべき大発見。この発見を早速財政削減のために応用、傭兵や徴発による軍隊をやめて、国民皆兵に乗り出します。とーっても安い給料で死んでもらうためには、情熱を鼓舞する「お国のために死ね!」という教育をしなくてはなりません。そこで政府による義務教育や高等教育が始まります。この「教育から戦場まで」の一貫教育がナショナリズムで、これを支えるためのお題目は常に開発され、手がゆるまる暇もありません。そうして今日まで延々と「タダで喜んで死んでくれる安直なツール」であるナショナリズムが各国政府の財政活動を支えるために活発なわけです。ナショナリズムの先駆けのフランスでは、マルセーユからの義勇隊の歌をそのまま国歌にしてるという念の入れよう。さすが。

いまでは、軍隊以外の多種多様なところでナショナリズムが経済的に使われ、政府のみならず企業における企業戦士にも応用されています。もちろん安い給料で死ぬほど働いてくれるから。

えーっと、最近では何やら東京オリンピックで、ボランティアという名前でタダで必死で働いてくれる人を探しているようです。非常にプリミティブで250年前とほぼ同じ原型をとどめたところが、進歩の無さ復古主義、、えーっと、まあ芸の無いところです。


さて、それで、えーっと、ナショナリズムというのは国家によるやりがい搾取というか、詐欺です。真っ当に考えるとこんなのはありえないです、、利益を得るのは政府ばかりの片利だし。でも、カルトに脳が支配されると、もういけない。カルトから抜け出ることは罪悪だと思い、カルトの外にいる人は売国奴としか思えない。

国民は政府に奉仕するから保護が得られるのだという封建的発想もよく援用されていますが、フランス革命以前、つまり近代ナショナリズムが始まる前はどうだった?全然問題なかっただろう?「納税の義務と政府の保護」は機能してました。だから、そんなナショナリズムのおかげで今の社会があるのだと思う必要はありません、そう思わせるのがナショナリズムのカルト性です。本来ならば高くつくものをタダ同然に手に入れることができるのだから、政府も必死。とはいえ、カルトはシンプル。250年前とあまりかわらず、

1 外国が攻めてくる!
2 だから、みんなで立ち上がろう。お金が云々、仕事が云々という奴は下劣な奴だ
3 (お前らに払うはずだった金で俺たちが潤うのさ、ありがとう)

ふー、、ということで、ナショナリズムに乗せられる必要はないし、そんなカルトに埋没する必要もないし、ましてやナショナリズムを広める必要もアイデンティティにする必要もないです。そうしたがっているのは、政府でありそれで儲けている人だけで、もう、お腹いっぱい。

世の中にはナショナリズムで儲けてないというか、搾取される側なのに、ナショナリズムを声高に叫ぶ人が少なくありません。
えーっと、もうカルト信者なんで、こっちの身に火の粉を振りかけないのなら、ほっとくに限る。カルトで洗脳されている人は、どうせ、何をいっても聞く耳ないですし、、、、


2018年11月07日

Launguage group ? 日本人を英語で言うとジャパニーズ。日本語を英語でいうとジャパニーズ。おんなじなのは訳がある。つまり、荒っぽく言うと民族とは言語なのさ。

categolizing "language group" is as same action as "skin color group".

主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、
「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、
おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を
乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に
人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。
主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
(創世記11:6−9)


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旧約聖書にある有名なバベルの塔のお話は、結末で人々は別言語に分けられ、別々の場所に暮らし始めた、、という民族の起源とつながります。この話の興味深い点は、言葉が民族の基本であり、言葉が違うため協力できなくなった、、、という点。国籍は18世紀頃民族国家の概念ができてからのもので、長い歴史からみれば新しい概念といえるでしょう。パスポートをもって人々が旅行するもの、ほんの100年程度のできごとです。それ以前はふつうに言語や宗教でおおざっぱに民族がわかれてるだけ。民族を大きなカテゴリーで分けるとき、「xx語族」といういいかたもあるとおり、民族=言語とは切っても切り離せません。

でもって、日本人あるいはJapanease Speaker。ある人が私は「日本語を話す人」、あなたは「インドネシア語を話す人」、そっちの人は「ウルドゥー語を話す人」とカテゴリー分けしたらきりがない。さらに、「いえ、私は表面上ウルドゥー語を話す人だけど、本当はパターン人でパシトゥーンを話す人です、ウルドゥー語は国のきめた公用語です」、と、より細分化されることになります。さらなる、分断化。さらなるメリットの無さ。いやあ、ほんとうに、言葉で持って人にレッテルを張るメリットというのは何?
イスラームは、神の前において平等なひとつの自由な個人であり、共同体や民族や言語による属性の差、つまりカテゴリーを否定することが基本です。レッテル張りはイスラーム的なの?

じゃあ、私たちは客観的に日本語を話すムスリム、、Japanese Speaking Muslimで、なんの属性もない、ただの事実。しかも、日本人というより、国境や人種の壁をとっぱらった感があってよくみえる。でもね、

おなじように肌の色が白い人が集まって、White Skin Muslimと言ったとします。それでもって「我々は今後<白い肌ムスリム>カテゴリーと称します」とか言い出したら、きっとボコボコにされるでしょうね。そこで、「なんで我々はボコボコにされるのだ、、我々の肌の色が白いのは客観的事実だし、ありのままの姿だし、あなただって私の肌の色が白く見えるでしょう?神様が私をそのように作ったのです、しかも国境の壁も民族の違いもとっぱらった民主的な<白い肌ムスリム>じゃないか!」とか言ったら、、

そうですね、それは客観的事実がどうであろうと、<肌の色でカテゴリーを作ること>そのものが許されてないからです


有名な予言者ムハンマドの別れの説教の一部は、

「全人類はアダムとイブの末裔です。アラブ人が非アラブ人(アジャム:非アラビア語話者のこと)に、
非アラブ人がアラブ人に優る
などということはなく、白い者が黒い者に、また黒い者が白い者に優る、などということも
ありません。敬虔さと善行を除けば、誰かが誰かに優る、などということはないのです。
全てのムスリムは全ムスリムの同胞であり、ムスリムが同胞愛を構成することを知りなさい。」


ألقاها الرسول
أيها الناس إن ربكم واحد وإن أباكم واحد كلكم لآدم وآدم من تراب أكرمكم عند الله اتقاكم، وليس لعربي على عجمي فضل إلا بالتقوى – ألا هل بلغت....اللهم فاشهد قالوا نعم – قال فليبلغ الشاهد الغائب

〇 Ajam (عجم) is an Arabic word that refers to someone who's mother tongue is not Arabic.
〇「アラブ人」という概念は人種的存在とは言えない。むしろセム語(アラビア語)という言語を共有する人々としてであったり、聖書に窺える、ある人物を始祖とするという共通概念で規定される。

ということで、言葉によるカテゴリー性(民族性)云々の否定、肌の色云々の否定は、並んで書かれること。だから、むしろ、本当にイスラームがアイデンティティなら、日本人性の否定があっても不思議じゃない。「私はムスリムです。ただそれだけです。日本人であるというアイデンティティはありません、それはハラームです」と、かって私の敬愛する先生が言ってました。

ああ、日本語をはなす人というカテゴリーのおかしさはいっぱいあるけど、ここまでくればもうおなか一杯だよね。たとえば、日本語ができない日本人は何なの?英語と日本語両方を普通にあやつる人は半分だけなの?そして習得の段階にあって、ネイティブがカテゴリーの上位にたち、カタコトしか話せない人は下位となるというカテゴリー内の優劣性。

、、でもって、「日本語を話す人は日本が好きなはず、すくなくとも日本に関心を持つべきだという錯覚」。
フランス領であるアルザス地方は歴史的なフランスとドイツの間の紛争の地。アルザスの住民は一般的にフランス好きで、フランスを愛する(同時にドイツが嫌い)傾向があり、ドーテの作品「最後の授業」でアメル先生は最後に黒板に「フランス万歳」と大きく書きます。。が、アルザス人はドイツ語を話します。ドイツ側からみると、ドイツ語を話すアルザス地方はフランスの異端児で、言語を共有するドイツと一緒になったほうが幸せになるに違いない、、という理論があるから住民の意志を訊かずに「ドイツ語を話す人」カテゴリー分けして自国領にいれたがります。そういうことで、どれだけ戦争が繰り返されたことか。

人は話し言葉でカテゴリー分けされるほど単純ではないし、好き嫌いは一概にいえない。むしろ、その日の気分でアイデンティティがかわれば、好き嫌いも変わるし、人はただの人。ただそれだけです。むしろ、人々が協力して一つの目標に「向かわないように」、言葉を分断化したバベルの塔の話は、人々が言葉の差を乗り越えれば、一致協力できることを暗示しています。



All mankind is from Adam and Eve, an Arab has no superiority over a non-Arab nor a non-Arab has any superiority over an Arab; also a white has no superiority over black nor a black has any superiority over white except by piety (taqwa) and good action. Learn that every Muslim is a brother to every Muslim and that the Muslims constitute one brotherhood. Nothing shall be legitimate to a Muslim which belongs to a fellow Muslim unless it was given freely and willingly. Do not, therefore, do injustice to yourselves

(Reference: See Al-Bukhari, Hadith 1623, 1626, 6361) Sahih of Imam Muslim also refers to this sermon in Hadith number 98. Imam al-Tirmidhi has mentioned this sermon in Hadith nos. 1628, 2046, 2085. Imam Ahmed bin Hanbal has given us the longest and perhaps the most complete version of this sermon in his Masnud, Hadith no. 19774.)


88 mosques of pilgrimage by motorcycle モスク八十八か所巡り (3) 3番札所 八王子モスク (マスジドタウヒード)。数少ない、、というかモスク空白地帯というべき東京多摩地区のモスク。それだけでも貴重だよ。

3rd Mosque is "Hachioji Mosque (Masjid Al Tawheed)"

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東京にあるモスクはだいたい都心に集中。しかも、下町も多い。が、三多摩と呼ばれる23区以外の東京は、あんがいモスクはありません。というか、八王子モスクだけかもしれない。モスクのリストをみると、他は町田にあるらしいけど、よくわからん。そのうち行きたいけど。

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2番札所の伊勢崎モスクがみんなで寄付を集めて建てたモスクだとしたら、3番札所の八王子モスクは現代版の神戸モスクで、私の記憶(ものすごくいい加減だったりする)では、サウジ人の富豪が建てた、、というか土地を買ったんじゃなかったっけ?と記憶しています。あるいみ、日本のモスクとしては歴史的にオーソドックスな経緯でたった、、わけですが、時は一ノ割モスク>伊勢崎モスクと続く「みんなで呼びかけて寄付募集型」が主流になっていくので、オーソドックス型の最終期かもしれない。

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1階が、集会所と事務所、、、

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事務所が閉まっていても外階段から2階のモスクに行けます。ただ、礼拝時間以外はバス停正面のインタホンで連絡するのが礼儀かも(私は最初知らなかった、、)。

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2階とたぶんその上の階は、居住区とかいろいろあると思う。ビル全体はナジドビルというらしい。

たとえば、五反田モスクは事務所が閉まっている時間はモスクも閉まっているので、あらかじめ事務所の開館状況を調べてから礼拝に行かないといけないという辛さがありますが、八王子モスクには専従のイマームもいらっしゃるようなので、お祈り時間が閉館の割合は少ないと思います。

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八王子モスクの良いところは、モスクの真ん前がバス停。平岡町というバス停で、降りたら真ん前。八王子はむやみに大きな市ですが、モスクがあるのは駅からでも(無理すれば)歩いていける範囲内で、八王子駅と西八王子駅の中間です。周囲も開けた市街地でゴミゴミしてなくて明るく、モスクが立つには絶妙な立地といえるでしょう。ただ、モスクに駐車スペースは1台分。ほぼほぼ駐車は無理と考えたほうが良いかもしれません。

私にとっては高速を使えば混雑してないので時間的には近いので、便利。ただ、三多摩にモスクが他にないのはムスリム人口がそんなに多くないからだともいえます。まあ、八王子は大学のキャンパスが多いので、ムスリムの学生さんにはいいかも。

お役立ち情報ですね、えーっと、トイレの数も多くて和式です。アジア一般しゃがむ式が好まれる地域から来た人は、けっこう重宝するかも。モスクは日当たりがよくて、カフェにすればいいのに?と思うほど雰囲気はいいです。明るい色のカーペットと日当たりの良さ、ともかく「明るい」がキーワードでしょう。

五反田モスクは日本人が多め、伊勢崎モスクはパキスタン人が多め、、という意味では、八王子モスクはアラブ人が多めというべきなのかな?まあ、イスラームは国籍も人種も気にしないので、単なるそんなもん、、ぐらいですが。


2018年11月05日

88 mosques of pilgrimage by Motorcycle モスク八十八か所巡礼 (2)  2番札所 伊勢崎モスク(伊勢崎ジャーミアモスク)日本のイスラムの流れを徹底的に変えたモスク。

2nd Mosque is "Isesaki Jamia Mosque"

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モスク2番札所は伊勢崎モスク。えーっとちなみに、番号はてきとうです。重要性順とかでも、私が訪問した順でもなく、ただ、「私がブログに書いた順」。でも、今の日本のイスラームのバックボーン的五反田モスクに続いては、伊勢崎モスクしかないでしょう。

このモスクが建てられた頃をよく知ってます。
うーむ、このへんが亀の甲より年の劫かもしれない。。

それまでモスクというと、代々木上原でずっと閉鎖中だったモスク(今の東京ジャーミィができる前)、サウジ大使館の付属のマアハド、それに世田谷大原のイスラミックセンターぐらいしか東京になくて、いや、日本全国でもあとは神戸モスクぐらいでした。当時のムスリムにとって、モスクとはとうてい手がだせないもの(だって、代々木上原のモスクだって再建の目途が付かなかったし)、神戸モスクのような豪商がたてたものか、サウジやトルコが国威で建てるもの、、というのが正直ふつうの日本のムスリムの発想だったし、ましてや自分たちでモスクを建てるなんて夢物語。

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だから、外国から日本に来たムスリムが、、モスクを作ろうとしたとき、、あるムスリムは「はあ?お金を稼ぎに来た人達に余分なお金なんてないでしょ?しかも、東京とか横浜とかならいざ知らず、辺鄙な田舎に何を?」といって笑ったものです。まったく恥ずべきことに、援助するとかじゃなくて、笑ってたのです。何かの金を集めるサギかもしれないという話だってあったのです。えっと、あるムスリムとは私です。でも、当時は大なり小なりそういう空気があったと思う。

最初にできたのは、一ノ割モスク。あまりに妙な話だったけど、そのあと何個か地方にモスクが立つという話があって、まあ、よくわからん、、とか思ってました。決定的にイメージを変えたのは群馬の伊勢崎にできた、ここ伊勢崎モスク。
これはもう、不可逆的な潮流と呼ぶしかない。日本のモスクはこうやって建っていくのだ、、これからも、これから先も、、という決定打。賢い人は最初の一ノ割モスクで気がついたのかもしれないけど、鈍い私はここに及んで初めて、外国から日本に来た人達のモスクにかける真剣度に打ちのめされ、それまで笑っていた自分の不明を大いに恥じました。サウジとか湾岸産油国に援助してもらってできるモスクという発想から、自分たちでモスクをつくるという発想を理解するまでに時間がかかったわけですが、理解に時間がかかるくらいモスクを建てるのは「夢物語だという信念」があったわけです。あるいは、「できっこないという信念」というべきか。

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初期のモスク、、というか今でもそうだけど、とりあえず土地建物をかって、それをそのままモスクとして使って、お金があれば改装し、さらにお金があれば、新築するというながれです。おかげで、伊勢崎モスクもなんどか手が加わり、今の姿になっています。が、たぶん、これから先もどんどん変わっていくことでしょう。

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私の恐るべき間違った固執を解いてくれた伊勢崎モスク。堂々2番札所で取り上げることができてよかった(たまたまかもしれないけど)。

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伊勢崎モスクができてからすでに二十数年たってます。伊勢崎市には今、このモスクの他に2つ別のモスクがあり、1つの市にモスクが3箇所あるユニークな場所になっています。伊勢崎モスクがたって、ムスリムがこの周囲に集まり、やがて、大所帯となり別のモスクが少し離れたところに立つというながれ。こんな土地は他にないし(たぶん)、やっぱり、伊勢崎モスクの金字塔的意義は深いと思う。

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こちらのモスクのお役たち情報は、えーっと、さすがに歴史があるだけあって、目立った不足は見当たりません。コンパクトに良くまとまっています。交通の便があんまりよくないかもしれませんが、モスクの地上階は駐車場(兼金曜礼拝の拡大礼拝部分)で車でもOK。土曜日の夜は集まって食事があります。町工場が連なる一区画なので、、なんでこんなところに?という感はあるけれど、まあ、そんなものだと思う。お洒落感は、、、まあ、期待しないほうが良いかも、その分、手作りさが満載。

また来たいね、、と思わせるアットホームさが魅力的です。

2018年10月31日

88 mosques of pilgrimage by Motorcycle モスク88箇所巡礼(1) 1番札所 五反田モスク(日本イスラーム文化交流会館)手っ取り早く言うと、日本ムスリム協会だ。

Starting 88 Mosques of pilgrimage by motorcycle, 1st stop was "Gotanda Mosque".

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せっかく日本にいるのだし、バイクに乗りたいし、えーっと行先は、、ということで唐突に決めたのが「日本中のモスクを訪問する」こと。しかも、バイクで。きっと一石八八鳥ぐらいの御利益はあるでしょう。ちなみに、今日現在ですでに日本のモスクの数は軽く100を超えてます。だから、88箇所というのには、なんにも意味がありません。でも、八は末広がりで縁起が良いし、8はバイクの教習所で練習する形だし(?)まあ、いいでしょう。

1番札所は、やはり日本ムスリム協会のモスクです。正式には日本イスラーム文化交流会館という建物で、その2階に事務所を構えるのが運営している日本ムスリム協会で、3階がモスク。ちなみに1階はサラームという名前のサロンになっています。五反田モスクという言い方はしませんが、ブログのタイトルとして、これから先のモスクのめんどくさい名前のことを考えると「地名+モスク」で統一。

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せっかくだから、モスクのお役立ち情報も入れておきましょう。
まず、新しいし、設備も清潔で綺麗。もともと、日本人中心の日本ムスリム協会の、、ということで、参拝者は日本人ムスリム率が高いです。だから、日本人のムスリムに会いたいなら、まず、ここですね。説教台がアクリル製で透明というのが、お洒落なところ。駅からも近いし、しかも山手線だし、いいかんじ。事務所にいくと、高い確率でお菓子がおいてあります。勝手にたべます。ありがとう。

しかーし!問題もないわけじゃない。なんといっても、トイレの数が少ない。各階に1個しかない。シャワートイレというのは高ポイントだとしても、これは少ない。もともと、そんなに礼拝に来る人は多くないと思ったのかもしれないけど、金曜礼拝とかはけっこういる。うじゃっといる。手足を洗うところは3つあるから、手足洗いは良いとしても、トイレが少ないので金曜礼拝に行くのなら、まずトイレは駅やコンビニで済ませてから、行きましょう。

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みてのとおり、駐車場は皆無です。そもそも道路の幅も狭いので路駐したら数分でアウト!という土地柄。バイクだって、冷や冷やもの。アクセスは「駅から徒歩」のほぼ一択。「車ならがんばって駐車場を探してね」というレベルです。



2018年10月26日

Fake News in 1867 (3) 八戸事件、、この事件って今の時代にドラマ化するといいのだけど。西郷とかの征韓論ももとはといえば八戸事件が遠因となってるし。

Fake news in 1867.

清国や朝鮮は幕府から「八戸の寄稿など、全くのフェイクでありえません」という回答をもらっても、全然信用してません。
そもそも、清国は倭寇、朝鮮は秀吉の朝鮮侵略、、という実害をうけた歴史があって、日本ならやりかねんという潜在的な疑惑をもっていました。

当時の清国最高のインテリジェンスの一人、李鴻章は日本の西洋化をじっと見ていて、八戸事件の3年前に既に、「日本の動きをみると、今はてんでバラバラで、西洋化も途上だけど、ひとたび完成すれば、日本は欧米と並んで清国に押し寄せて戦いを吹っ掛けるに違いない。」ということを言ってます。清国の中では日本脅威論が頭をもたげているところに、この八戸寄稿があって、「やっぱりな」「こうなると思ってた」と疑惑を後押しするようなことになってしまいました。
ちなみに李鴻章が日本に疑惑をもったのが1864年のこと。その20年後に日清戦争の講和条約に引っ張り出された李鴻章としては、「20年前に日本はこういうことをする国だと言っておいたのに、なんの対策も打たないから清国はこうなるんだ」とさぞ無念だったでしょう。

Fake news in 1867 (2) 八戸事件は、文書偽造ではなく、ただの新聞寄稿記事。これがフェイクニュースだというのなら、昨今の寄稿なんてこの類が頻繁にあるし、太平洋戦争期の新聞発表なんて偽造とかねつ造とかとおりこして、妄想、虚構としかいいようがない。

Yabe Article in 1867 made trouble and continues

詳しいことはWikiに任せると言ったけど、Wiki以外にはウエブ上にはあんまり情報もないし、あっても、だいたいWikiのコピペに過ぎないのがほとんど。この八戸事件についてはいろいろな研究があるけれど、ウエブに載ってないものは、存在しないも同然という状況。これも、また、ひとつの情報の誤ったありかたなんでしょう。

ともあれ、そもそも八戸という人物がいたかどうか?というのは、日本側に当該人物に出会ったという人の伝聞があって(これもまた、直接会ったという情報じゃなくて、会ったという「伝聞」というのが怪しさを増加させている)、全然誰もいなかったというわけではなさそうです。つまり失われた一次資料については、ほぼほぼ存在していたという確からしさもあるし、八戸自身の存在についても(偽名の可能性はあっても)虚構の人でもなさそうです。この事件が起こった時期は、幕末、、つまり江戸時代。鎖国がおわり渡航が自由になるのが1866年なので、それ以前に香港に住んでいた日本人というのがすでに幕府のコントロール外。でも、もう、この頃は幕府の威光なんてないも同然なので、漂流民や意図的渡航者も中国や東南アジアにいろいろいたりするけれど、幕府に中国や朝鮮から「八戸」なる人物は誰だ?と聞かれても困ったと思う。

まあ、八戸については置いといて、その内容はざっくり「日本は鎖国をやめて西洋化にまい進している。西洋化された軍隊を持ったうえで、諸侯をあつめて朝鮮侵略を合議している」というもの、ただ、当時はまだ徳川家が日本を治めている時代で、とてもじゃないけど朝鮮侵略なんてできないどころか、日本の一部である長州征伐だって失敗したぐらい。だから、Wikiを編集した人も、八戸の妄言と言い切ってるけど、、、ね、でも、振り返って歴史をみれば、むしろ、「八戸の予言」という慧眼なぐらい。

朝鮮から「八戸のこの記事の真偽はいかに?」と聞かれた幕府は「そんなもの全部嘘です、フェイクです」と回答。ついでに、この際、回答するだけじゃなくて、幕閣に回答書を持たせて朝鮮に外交ミッションとして送り込んで、朝鮮の様子も調べないか?という積極的な動きがあり、日米和親条約から後手後手に回っていた幕府が朝鮮を突破口にして、近隣外交、欧米列強にたいする外交アピールを画策します。なーんだ、何にもないとはいいながら、将来の布石を打とうとしてたじゃないか。

よく江戸時代は鎖国をしていたので外交は無いも同然と思っている人に出会いますが、とんでもない、鎖国なんてけっこう無茶な外交を継続するには、そうとうな外交能力が必要で、幕末の外交レベルはかなりのハイレベルです。こうして、外国奉行平山敬忠を長とする外交ミッションの朝鮮行きが発動するのですが、江戸から大阪まできたところでいわゆる幕末の動乱で、外交ミッションの一行がそれぞれの用で勝手に抜けてしまい、なんと自然消滅。そもそも大政奉還後の幕府に外交権があったのかあやしいけど、実態としての幕府もなくなってしまい、、、幕末のやる気まんまんの幕閣による外交がいきなり終焉です。

江戸時代はおわってしまいました。が、清国は政権が変わっただけでは容赦しません。


Fake news in 1867(1) 八戸事件、、という「フェイクニュース」が長きにわたって日本外交を揺るがせた重要な、しかし、知名度はいまひとつな事件があった。最終的に、フェイクニュースが成就されてしまい、フェイクではなくなったのがミソ。

Fake News issued from occupied Hong Kong in 1862. It made a lot of trouble for 3 countries, China, Korea and Japan.

八戸事件、、という幕末から明治の日本外交、特に中国、朝鮮、日本という3か国の外交関係をゆさぶる事件がありました。
一般的にはフェイクニュースで政府を揺るがせた案件として知られているけど、、知らない人は全く知らないと思う。しかも、フェイクというだけあって、事件の呼び名すら「はちのへじけん」なのか「やとじけん」あるいは「やべじけん」なのか正式な呼び名すら確定していないというありさまです。

ざっくり説明はWikiに任せます。Wikiこそがフェイクニュースの発信源とまでいわれるほど信ぴょう性には疑問を持つべきなのでしょうが、まあ、いいや、、めんどくさいし。(以下カッコ内がコピペです)。

「(引用はじめ)同治5年12月12日(グレゴリオ暦では1867年1月17日)、清国の広州(広東省)で発行されていた『中外新聞』という華字新聞に、イギリス領香港に在住する八戸順叔という日本人が「征韓論」めいた記事を寄稿した。日本(江戸幕府)は軍備を西洋化し、朝鮮を征討しようとしているとする記事である。清国の外交を担当する総理各国事務衙門(以下、総理衙門)は、外国人が開港場で発行する新聞の内容を上海の南洋通商大臣、天津の北洋通商大臣および各税務司に毎月報告させて情報源としており、この記事もただちに弁理五口通商事務大臣に届けられ、総理衙門へも報告された。総税務司ロバート・ハートからも詳細が報告されている。

これらの情報を受け、翌同治6年2月15日(1867年3月20日)、総理衙門主宰の恭親王が同治帝に、記事の内容とともに、礼部を通じて朝鮮に密咨を送り、実情を調査させるべき旨を密奏として上呈した。この上奏は直ちに裁可され、当時たまたま来清中だった朝鮮の冬至使に、さっそく礼部からの咨文が託された。この冬至使は翌月に朝鮮に帰国し、「征韓論」を伝える密咨が、朝鮮政府に届けられたのである。

該当記事の内容は、
日本は軍制を改革して、新型兵器・軍艦を購入・製造し、現在すでに火輪兵船(蒸気軍艦)80隻を所有している。また12歳から22歳までの優秀な若者14名を選抜してロンドンに派遣した。留学生らは西洋風の髪型にそろえてヨーロッパ式の軍服を着用し、英語にも精通している。また、江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を上海に派遣して火輪兵船を建造し、すでに帰国している。幕府は、国中の260名の諸侯を江戸に結集して、朝鮮を征討しようとしている。日本が朝鮮を征討しようとするのは、朝鮮が5年に1度実施していた朝貢をやめ、久しく廃止しているからだ。
というものであったという。次節で述べるように、この記事の内容のほとんどは誤情報から成り立っており、いたずらに外交摩擦を生じさせかねない文章となっている。田保橋潔が『近代日鮮関係の研究』で「朝鮮に関する部分は全然無根で、何故に彼がかかる流言を放ったか、理解するに苦しむものがある」と述べている通り、「八戸順叔」という人物がなぜこのような妄説を新聞に寄稿したのか、目的は全く不明である。(引用おわり)」

この八戸が寄稿した記事は、いまのところ1次資料としてはみつかっていません。一番最初の情報にさかのぼっても、弁理五口通商事務大臣(五口通商大臣)から総理各国事務衙門(清王朝の外務省)に届けられた報告が一番古い確実なものだそうです。ちなみに、五口通商大臣とは、南京条約で開港された5港(広州・福州・アモイ・寧波・上海)での対外通商と外交事務を担当する外務省の下部組織です。つまり、八戸寄稿は、清朝政府の公式なルートで採取され、上奏されたということで、てきとうにねつ造されたものでなくて、実際になんらかの記事として存在していたのは間違いありません。ゆうずうが利かない清朝末期の役人が公式政府トップまで報告する文書を偽造する理由なんてなにもないからです。

2018年10月22日

Fitness Tracker 最近は活動量計というらしい。あると、、、とーーーーっても、役に立つ、スマートウォッチの仲間。

Fitness Tracker gave me another chance for sliming.

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ずいぶん昔から、心拍計としてポラールのものを使っていたけど、そのあとガーミンになって、エプソンになって、そして今、またポラールに舞い戻り。しかも、代を重ねるたびにどんどん高機能化してすごいよね。

今は、活動量計 Fitness Trackerという名前です。いろんな体のことがわかって、すごい便利。
ちょっと前に読んだ記事では、心拍数が異常という警告がでたので、自覚症状はなかったけど病院にいったら手遅れになる一歩前の病気だってことがわかった、、活動量計のおかげで生きてられた、、というのがありました。

そこまでドラマチックな展開はないけど、睡眠量とか歩数(まあ、万歩計でもいいけど)、脈拍とかわかる。歩数と脈拍から、どのぐらいの運動をこなしてたかも考えてくれるし、このポラールの直前に使ってた無印中国製のものは血圧計機能まであった。
それって、スマホでも代用できる部分があるという人もいるけど、私は重いスマホはできるだけ持ち歩きたくないので、腕時計型は重宝します。

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デザイン的には、お洒落番長ことオバマ前米大統領御用達のものが、すっごくお洒落。いろんなメーカーから、いろんな形状のものがでてる。バラクさん、ほんとーーにお洒落。
これはね、、、、、、買いだよ。なんたって、命を救う可能性だってあるんだから。救命胴衣を腕につけてるようなもの。

2018年10月17日

Traditional Family Stracture いわゆる家制度。なんでこんな近世の遺物が、また、ことあるたびに口の端に上るのか。近世の「家」は今でいう「会社」のことだったんだけど、わかってない人は今の家庭に持ち込みたがる。

Traditional Family Stracture in Feudal age is still alive in Japan although Constitution denays it.

ほんとうに不思議なことに旧憲法の家制度を礼賛する声がいくつもあります。ほんとうに不思議なのは、この家制度は江戸時代の制度で、明治時代になってやめようとしたけど、人々の心に食い込んでたのでたやすくやめられず、結局緩和して旧憲法に残したけど、大正時代に「江戸時代生まれが少なくなった今こそ、家制度のやめ時」ということで改正されて、その後も改正をしつつ結果的に廃止するつもりだったもの。

戦争に負けて、現行憲法ができたときに旧来の家制度の名残はほとんど無くなった(全部じゃない)けれど、それはもともと旧憲法でも無くすつもりだったものの延長に過ぎない。。。。。だいたい、江戸時代の家制度に冷や飯を食わされて不満だった人たちが明治政府を作ったわけだから、家制度なんて親の仇みたいなもんだったはず。福沢諭吉なんて「門閥は親の仇」とか言ってるし。

、、ということで、旧憲法の家制度は旧制度のエスタブリッシュメント層への懐柔(なんといっても彼らは華族になって議員にもなってるし)もあって、作られたもので、本来全然やる気がなかったものなのです。

でもって、江戸時代の「家制度」とは何かというと、今で言うところの「会社制度」です。は?家と会社は違うだろう?と思うのは今の人の考えで、昔は「家」に産業がついたり、俸給や役職がついたりたりして、個人がお金をもらうのは庶民ばかり。そのため、家をつぶすのは会社をつぶすのと一緒で、家族や傭員が路頭に迷うことになってしまいます。家長は社長ですから、お金の算段をしなければいけないし、家族も傭員も養わなければなりません。家制度では家長(戸主)が家族を養う義務がある、、というのは、社長は従業員の生計を立てさせる義務があるのと一緒のこと。社長は従業員のために社会保険に入ったり、いろんな補償をしなくてはならないけれど、それに見合うことを江戸時代は家長がやってました。だから、いまでも、社長で家長的にふるまいたがる人は多いのはその名残。社員は家族だ!という人も同じこと。

赤穂浪士は浅野家の「お家取り潰し」からでたもの。取り潰されたのは「お家」。家制度の「お家」。そのおかげで、浪人という名の失業者がでて、、ということから、「お家」お取り潰しというのは会社倒産とおんなじなのがわかるけど、、これが家制度。

だから、時代劇でも、家を継がせるために養子をもらったり、出したりと大変なのは、血縁とは関係なく社長を(特に優秀な社長を)融通しあわなければ、企業として将来がないだろう!ということ。なんせ、家に家業や俸禄がついてまわるのだから、社員(家族と傭員)は一大事なのです。跡継ぎをめぐる争いとかも珍しくないけど、それは社長の後釜を狙うレースというわけです。つまり家制度における家長とは(できれば)優秀さを求められるけど、血縁はなくても無問題。実子がいても、養子をもらって家を継がせるというのだって、珍しくなかった。

、、で、家に家業や俸禄が付かない明治以降、、家制度とは単なる華族懐柔のための方便だったのだけど、、平成ももう終わるのに「夫婦別姓は日本の家制度が壊れる」というのは、そもそも家制度というのが何なのかわかってなくて、なんとなく家長制度だと誤解しているのに起因している。ちなみに、明治になって家に代わって会社というものができて、自営業は別として、「家で働くのではなく、会社で働く」というふうに制度が変わった時点で、家制度というのは崩壊しています。なにも、昭和の戦後になって、新しくなったコンセプトじゃないんだし。

明治以降の家制度というのは、今言ったように江戸時代の残滓で、当の政府自体がやめたがってたものだし、単なる「家父長が威張りたい」というだけの制度。これを、、家制度というのは、ちょっと違うよね。さらに、いまどきの「家制度が云々(でんでん)」というのは、何か勘違いしているとしか思えない。

不思議なこと、、