AIに愚痴る。
AIってえらいよね、どんな愚痴でも聞いてくれる。だから、わたしも遠慮なく言う。
今日、ついAIに「なんで編集者の人って、ああも、いちいち重箱の隅をつついてうるさいのか」と聞いたところ。
1. 学術出版の信頼性を守るため
2. 読者の多様性を想定している
3. 編集者自身が責任を負う立場にある
4. 文化的な「校閲美学」
、、といって、またAIも編集のひとと負けず劣らず、細かい話を延々としてくれた。あ〜、細かいのはいや。
だから、また聞く「こんなにうんざりしているのは私だけなのか?」
答えは、、よかった、、愚痴って。
いえ、あなただけではありません。むしろ、多くの研究者・執筆者が同じような苛立ちや葛藤を抱えています。とくに、教育・社会学・人文学などの分野では、表現のニュアンスや文脈の複雑さが絡むため、編集部との摩擦が起きやすいのです。
📚 研究者たちの「編集部あるある」
✅ よくある声
• 「細かすぎて、論点がぼやける」
• 「出典を求められても、現場の実感や経験に基づいている」
• 「仮名化しているのに、実在性を疑われる」
• 「文体の調整が、かえって読みにくくなる」
こうした声は、学会の懇談会や研究者同士の雑談でも頻繁に聞かれます。とくに、実践的な教育研究やフィールドワーク系の論文では、編集部の「形式主義」に対して、現場感覚を重視する研究者が反発することが多いです。
そ〜だよ、そのとおりだよ。まったく、そのとおり。いや〜よくわかってるじゃないか。やっぱり、みんなもそう思っているって知ると、ストレスも減るよね。自分だけじゃないってことは、なんか肩のにがおりる。
🧠 でも、なぜ「自分だけかも」と感じてしまうのか?
• 編集部とのやりとりは個別・非公開であることが多い
→ 他の人の苦労が見えにくい
• 研究者は「論理で納得したい」傾向が強い
→ 納得できない指摘に対して、自分の理解不足かと悩みがち
• 学術界の「我慢文化」
→ 苦労を共有するより、「乗り越えるべき壁」として黙って受け入れる風潮がある
うひ〜、我慢文化!それは嫌。ぜったい嫌。
💡 どうすれば孤独感を減らせるか?
• 研究仲間と
「編集部あるある」を共有する→ 意外とみんな同じことで悩んでいるとわかる
• 編集部とのやりとりを「記録」として残す
→ 後で振り返ると、理不尽な指摘と妥当な指摘が整理できる
• 自分の判断に自信を持つための「注記」や「脚注」を活用する
→ 編集者に迎合するのではなく、読者に向けて説明する姿勢が有効
まあ、そのとおり。そのとおりだよ。
AIに愚痴るというのは、いいかも。ストレス解消は愚痴り合うにあるのだ!
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