the MY Pantai Timur telepraph

2017年04月06日

虫の”声”が聞こえる日本人 2

経産省のクールジャパンにある、「虫の”声”が聞こえる日本人」をどう改善するか?

素のままでは、再読に耐えられない間違いだらけの文章です、が、虫の声を愛でる習慣を否定することはありません。虫の鳴き声で癒されたり、季節を感じたりする感性はあると思いますし、それを海外に印象つけたいとするのは悪い試みではありません。

問題は、、「どうだ!日本人はすごいんだ。おまえらとは違うんだ」という文面。ケンカを売って印象を悪くするなど下策すぎ。それだけじゃなくて、虫の声が聞こえる?、ふん、で、それがどうした?で終わり。虫の声を聞いて、、どうしたいの?どう思うの?というのが全くない。上に「虫の鳴き声で癒される」「季節を感じる」と書いたけど、ひとこともそんな話はでてきません。虫の声が聞こえたら、えらいの?得するの?すごいの?意味がわかるの?虫と会話できるの?

もう一度、経産省の文面を書き出します。

(引用はじめ)日本語には自然に対する形容詞や擬態語・擬音語が多数存在し、日本人の自然観を表す豊かな言語表現を生み出している。これは世界でも類を見ないほど母音を多く使う言語である日本語を話すことで、自然界の音を、まるで言語を聞くかのように処理する脳構造になっているからだ。たとえば「虫の音」を音楽や機械音、雑音などと同じように右脳で聴く外国人に対し、日本語話者は左脳で聞く。音ではなく「声」としてとらえる独特の脳構造が、自然の変化に耳を傾けさせ、豊かな表現につながった。(引用おわり)

まず、「世界で類をみない」、、これは止めましょう。そのあとに続く言葉は、世界のことを調べたわけでもないのに思い込みで書いているだけで、根拠がないだけでなく、「いや、私の言語のほうが母音も多いし、」という反論をくらうだけで、相手を不快にさせてどうする。マーケティングの基礎もできてないんだと宣伝しているようなもの。

だから、世界では、、とか、日本では、、とか比較するのはなし。わざとらしく疑似科学をもってきても無理。間違った理論のうえに、「虫の声を聞く」情緒を言いたいわけだから、ここは情緒に的を絞ってつまんないこと言い出さないこと。

書くべきは、「今の日本人がどのように虫の音を愛しているか」ということに尽きます。絶滅した風習や、大昔のできごとなど、今の日本に投資したい人を振り向かせることはできません。逆に「クールジャパンに日本人が虫の声が聞こえる書いてあったけど、来てみたらそんなのどこにもなかった。」と言われるだけです。嘘つき呼ばわりされるかもしれません。

だから、具体的に日本人が虫の声を、いつ聞いているのか、どこで聞いているのか、どうやって聞いているのか、どうして虫の声を聞いているとわかるのか、そもそも虫の声が好きなのか?(声が聞こえるというだけで、それが愛されているとか、好まれているとか一行も書いてない。声が聞こえるが、気味が悪いと思われているという可能性だってある。それでいいの?)が書いてないといけません。べつに箇条書きにする必要はありません。

具体的な虫の声をきくプロジェクトやイベントがあればそれを最初に紹介して、こういうふうに聞いているのだ、そして最終的に「虫の声が好きなのだ」、、という情緒に集約されなければ意味がないでしょう。いくつかのイベントがあれば、検索して訪問できるようにすれば、具体性は増すし、「じゃあ、ちょっと虫の声をきいてみようか」というふうにもつながるでしょう。

どこの広告代理店を使ったかしらないけど、こんなマーケティングのイロハもしらないようなところに、どうせ税金をジャブジャブはらってるのだろうし、迂回融資というか賄賂ですね。まったく、国民をバカにしている。そして文面で外国人をバカにしている。百害あって一利なし。

posted by NAOKI at 09:52| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | History 歴史と外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする