The Redang Telegraph

2009年07月08日

人とのふれあい 上

昨日の記事に書いたカタログ中、私の目をひときわ引いたのは、(タイトルと本文はカタログからの引用)

素人・THEお食事の時間」ー私といっしょに食べようよー
1万80円 DVD3枚セット
「今夜はどのコと食事する!?−ココロの隙間、お埋めします」
「ひとりで食べる食事は誰だってさみしいもの。そこで、そんな食事を応援する5人のむすめが個性豊かに語りかけ、いっしょにご飯をたべてくれます。あなたは絶対、彼女に話かける…。」
(引用おわり)

前後の商品ラインからみても、パッケージの写真から見ても、べつにアダルトではないようです。もう、ずばりカタログの文面そのままなんでしょう。どれぐらい売れるものなんだろうか?

でも、こんな商品があるぐらい、現在は「人とのふれあい」が少ない社会です。人が生まれ、育ち、老い、やがて死んでいく…といった人のプロセスを家庭や地域で見るチャンスが少なくなっていくのは、「命の価値を知る」という上でも非常に危険なことだと思います。よく、ゲームのリセットや、虚構であるテレビ番組の氾濫によって、人の大切さ、命の大切さがわからなくなっているといいますが、私は、人の生き、死にを間近に見たり体験することがなくなった社会が問題だと思っています。

決して大家族礼賛ではありません。しかし、家庭が積極的に人とのふれあいを持つようにしなければ、ふれあいが無ければ無いでなんとかなる世の中なのでずーっとその大切さに気がつかないことになります。

先日のパチンコ店放火の殺人犯は、「人付き合いが苦手だった」そうです。このところ、人目を引く犯罪のどれだけ多くに「人付き合いが苦手」という言葉が並べられてきたでしょうか?

世界で生徒の成績が何位だとか、どの大学に入るとか、言う前に、社会で通用するには「人とのふれあい」がどれだけ重要か忘れられていると思います。

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