The Redang Telegraph

2010年05月26日

職業選択の自由 1

人は生きてるもんだし、労働たって会社より人が大切だと思います。少なくとも、人=自分 だったら、会社より大事だって思うはずです。

経済が進んで、日本の経済のけん引役が、昔は繊維製品>今は自動車のように変わって、今や繊維製品は国内産より外国産のほうが、ずーーーーーーっと多いです。誰もが知っているとおりです。今後、随分たって、自動車だって国産車より外車のほうが、ずーーーーーーっと多い、という時代だって来るはずです。そのころには、経済のけん引役が何になっているか?なんだろうね?

ある経済学の本に、国際的な住み分けがあって、日本は日本の得意なものに特化して、労働集約的なものは外国から輸入すればいい…という話が載ってました。別に珍しくありません、それどころか、世の中そういう論であふれてます。

たとえばラジオみたいな簡単なものを日本でつくると手間ばかりかかって、その上、価格も高くなって価格競争力が無くなる、で、日本で作らないほうがいい。それで、日本では最先端の技術の結集xxxを作れば、高く売れる。技術力も向上するから常に先端を狙うべきだ。それが市場理論だろう。という類の話です。

そら、そーゆう理論があるのはわかります。でもねー、問題はそこじゃないんだよ。

人、人、人がみんな先端な人じゃない。知力あふれて、難しいものを作る人、も、いるけど、全然そうじゃない人だって多い。ある程度、自分がそういった先端技術に追いつかない人だと気が付いたら、どうすればいいんだろう。

年越し派遣村に集まった人に向かって、「人手が無い農村にいって畑仕事でもすれば」って言う人も少なからず居た。ふざけすぎ、農村の仕事が誰でもできる、頭の使わない仕事だと勘違いしている。農業は、あれは結構頭も使うし、共同体との社会性もないと難しかったりする、大変な仕事です。農業を見下してる人が多いのにがっかりです。
世の中、誰でも、何でもできるわけじゃないです。いくらやる気があったって、消防局のレンジャーには私はなれません。

職業選択の自由…
昔に比べて、職業選択の幅が随分と狭くなってきたと思います。だいたい職業そのものが減ってきたからかなあ。外国との通信だって、昔は誰かが書いたものを、タイピストが打って、それをテレックスパンチャーが打ってって、何人もの手がかかったのに、今は全部自分でやらなければならない。もちろん、キーボードを打つなんて昔は専門職だったものも、自分でやらないといけない。

個人がそれだけ時代に先端化して、しかも省力化されているわけだから、「仕事の能力がある人」だけが少人数必要とされる時代ってところですね。

でも、職業選択の自由を奪ってないかな?選ぶほどの職場がない、選ぶほどの能力がない人。できるかどうかは、自分自身。政府のエリート養成への余念の無さと、それ以外へのほったらかし…。これは大問題だと思います。

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