なんでこんなこと書きたくなったのか、というと、今の日本では以前に比べて、ずーーーーっと、職業選択の自由が無くなったと実感しているからです。
というか、もはや職業すら無くなったものも多いです。エレベーターガール、バス車掌(今やワンマンカーという言葉すら消滅)、電話交換手、キーパンチャー、タイピスト、旅客機のナビゲーター(航空士だっけ?)、それにもっと消滅した職業もいろいろあると思います。それに比べて、新しく増えた職業はそんなにありません。時代の先端のような職業だって、昔からあることにはあったです。
それが、「職業選択の自由1」
http://inlinedive.seesaa.net/article/151110223.html
私がこれからの社会に提案したいのは「労働集約的産業の発展」!つまり、もはや省力化の時代を完全に終わらせよう!ということです。
えー?えええ?日本はロボットや電子産業に力を入れて、ますます省力化を図っていこうとしているじゃないか、上海万博だって呼び物はロボットだよ!
うんにゃ。もう省力はいい。時代は変わったのだ。
省力化というカルトに憑かれて、人が余った。よくよく考えると、自らの首を絞めるものだったと、きっとリストラされた人は思っているはず。そして今、日本そのものが世界からリストラされようとしている。
リストラといわれて何十年、就職氷河期といわれて何十年(たまに景気の良い年もあったが例外)、人員整理、人員削減という文字の毎日のニュースに出ない日はなかった。大昔に沖電気で指名解雇闘争というものがあったが、今では指名解雇なんて日常すぎる。
そう、世界ランク20位の日本としては、もう「経済一流」「GDP世界で2位」なんて虚名に未練たらしくすがるのはやめよう、名なんてもうどうでもいい。
省力化によって、就労者の多くには難しいタスクが課せられ、そのレベルを仰ぎ見た一部のティーンエイジャーは「私には無理そう、社会でやっていける自信がない」…と、たとえば引きこもってしまう。誰でもができそうな、間口の広い就職の機会の提供。残念だけど政府、官僚、財界、教育界、どれをとっても老人で、柔軟な進路転換をとれない人たちばかりで、実現は難しそう。
労働集約的な産業の発展。自動車産業のような下請けの多い富士山的構造でない、産業であること。これが、格差社会の切り札。省力化は親の仇と思え…文字通りリストラで自殺した親をもつ子にとっては「仇」です。
産業ロボットを使って、労働者の数を減らす?外国に売って、質の良い外国製品が安く日本の経済を圧迫させる?もはや、産業ロボットがもてはやされた1980−90年代は、とっくに終わったんだよ。
国際競争力?いや、考えはある。
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2010年06月06日
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