The Redang Telegraph

2010年09月09日

自立していないということ

ワークライフバランスは、口で説明して、頭で理解しても、結局その人の生き様そのものが問われる問題です。

ワークだけが生活になった人々。自立できていない人は、指示や業務の流れに身をまかせて生きる楽さから会社によりかかった生き方を選びます。
「会社の命は永遠です。私達はその永遠のために奉仕すべきです」といって自殺したのは日商岩井(現双日)常務です。ロッキード・グラマン・ダグラス事件はもはや歴史といっていいほど昔の話ですが、子供だった私には全く理解できない話でしたし、今も理解できない話です。詳しい背景で資料を探したのですが、さすがに少ないですね。

大義とは何か――遺書でたどる昭和史決定版 鵜飼哲夫(うかいてつお 読売新聞記者)http://www.bunshun.co.jp/yonda/0910ukai/index.htm

会社のため自殺した常務は昔の異常なケースではないです。休日や残業の無理な勤務条件で、うつにかかる、あるいは自殺するという事件を日常的に耳にするのは、会社の大義に殉じた自殺とどれどほど差があるのでしょう。人生をワークで終えたとすれば、とても悲しいです。

ライフで自立できてない生き方は一杯あります。どうしても寄りかかりたい生き方…失業者(あるいは会社には寄りかかりたくない)の中にはネトウヨになって「日本」に寄りかかった生き方をする人もいます。会社によりかかった場合、まだ給与が支払われますが、日本に寄りかかった場合、持ち出ししかありませんから先鋭的になりがちです。そこまでして寄りかかることもないと普通の人はおもうのでしょうが、寄りかかることに意義を感じている人には何を言っても無駄かもしれません。

自立しているということは、ワークライフバランスが取れているといことです。多くの人はバランスの取れた生き方をしています。これが自立できていない人々には「理解できるが出来ない」分野であることは間違いありません。

解決策はダイバーシティ(多様性:性、年齢、国籍、信条、ハンディキャップを持つ人、その他あらゆる差)を取り入れるしかありません。もちろん、個人の本質的なところが脅かされるわけですから、会社人間もネトウヨも本能的に多様性を忌み嫌います。これが、どこまで崩れるかは、強制的な多様性の導入しかないでしょう。


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