The Redang Telegraph

2011年06月26日

砂漠の孤城1 カスル・アーリ

このブログには「飽くの枢軸」という言葉があって、私が飽きている3つの言葉をさします。1石油 2砂漠 3ラクダ。あー、つまらん。まるで富士山と芸者しか日本にはない時代錯誤で、アラビアはこの3つ?誰が口開いても、この3つ?面白くもなんともない!!

このブログでは、ぜーったい、石油も砂漠もラクダも出さないことを誓いました。

が、今日はその封印を開いて、砂漠です。私が住んでいるのは、メッカの巡礼起点ミーカートのひとつジュフファというところです。ど田舎ですが、歴史的にも現代的にも宗教的な意味合いのある町で、人々は東西南北の4つのうちどこかの起点までに巡礼服に着替えて斎戒をしてメッカを目指します。

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そういうと、ほー、メッカを中心に同心円上に東西南北4つの起点があるのだな、、と、普通は思うでしょう?が、メッカは山の中なので正確には4本の街道のいい加減なところに基点があるのです。ジュフファは西の基点ですが、正確には北西です。しかも、メッカから一番遠い起点で、メッカから一番近い南の基点の3倍か4倍ぐらい遠いと思います。一番割りのあわない起点です。

昔は、舗装道路なんてないから、砂漠をえっちら、おっちら歩きます。

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ジュフファはメッカ巡礼起点になる1430年以上昔の、そのまた昔から人が住んでました。3千年前からジュフファに人がいたという話があります。が、見た人はいません。まあ、途方も無く昔から人がいたのは、美味しい水がここにあるからです。本当、いまでも水は有名です。預言者ムハンマドの従兄弟で後のカリフのアリーが、このジュフファの泉でなんとかしたという言い伝えが残っています。

今は、そこに200年ぐらい前のオスマントルコ時代の城が残っています。道路から城が見えるまで車で20分ぐらい、しんどい砂漠を越える必要があります。歩いたほうがマシかもしれん、と思います。
カスル・アーリ(高い城)です。普通、砦形式の城だとカルアかヒサール(英語で言うキャッスル)というのですが、ここは宮殿様式だったのかカスル(英語でいうパレス)です。4輪駆動の車でもスタックするふわふわの砂を乗り越えて、すすむ、、歩くのと同じぐらいのスピードだけど。

私のシボレー・トレールブレーザーだと絶対に砂に埋まるので、トヨタ・ハイラックスサーフ4輪駆動です。

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すると、カスル・アーリが見えました。面倒なのでジュフファ城と呼びます。

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つれてきてくれたのは、いつもの兼業農家ムハンマドさん(仮名)です。ありがとう。

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オスマントルコ以前からも、ここにはメッカ巡礼の宿営地があり、名誉あるミーカート管理の代官の居城であったわけです。王朝はつぎつぎと変わり、最後はオスマントルコのお城が今も残っているというわけです。

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ちなみにサウド王家は、ジュフファを30キロぐらい南に移動させ舗装道路とおっきな駐車場と巡礼グッズ屋がある場所を宿営地としています。こちらは道路標識もあります。が、城跡の歴史的ジュフファのほうは何にも目印がありません。

つづく

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