昨日、どうしても小学校の川中島の歌を思い出そうとして眠れませんでした。
それで、グーグルで川中島の歌、、、?
あれは、騎馬戦?そう、騎馬戦だけど、川中島だよね?
今、調べてわかりました。普通の人は、騎馬戦を川中島と呼ぶことも、ましてはあれに歌があることも知らないってこと、、、を私は生まれて初めて知りました。北九州以外にも騎馬戦を川中島と呼ぶところはいくつもあるようですが、歌までついているのは北九州地方ぐらいのようです。
発言小町のトピック
「川中島(騎馬戦)ってご存じですか?」
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2005/0521/041172.htm?o=0&p=1
コメント中に歌詞があったので、再録させていただきます。私が歌ったのはこのバージョンです。
上杉謙信方(赤) 武田信玄方(白)
いでこのたびは信玄を いざ来い来たれ謙信を
討ち果たさんと越後より 討ち果たさんと甲斐路より
信濃に出でし謙信が 越後路さして信玄が
率いる勢は八千騎 率いる勢は二万余
勇める人馬堂々と 勇める人馬整斉と
犀川近く来るとき 千曲の川辺に来たるとき
東天高く明け染めて 秋の日は早や暮れ果てて
次第に晴れるる四方の霧 水の音のみいと高し
(両軍斉唱)
ああ敵衆よ、好敵手
汝と雌雄を決っせんと
百年以来研ぎおきし
刀の味を今ぞ知れ・・・
「いでこの旅、、」と覚えているかたもいらっしゃるようですが、「いでこの度、、」がもともとらしいです。ともかく、この曲はバリエーションが多いのですが、出だしの「いでこのたびは、、」同じみたいです。
川中島(騎馬戦)の歌ついに発見
http://kitunedon.blog13.fc2.com/blog-entry-346.html
こちらのブログは、国立(くにたち)音大までわざわざ譜面を探しにいかれた方のとっても秀逸な記事です。この努力に頭が下がります。
(引用はじめ)それはマイクロフイッシュと言って縮小した写真版だったのです。国語読本80ページにあの懐かしい歌が出ていました。本当は相当長い歌だったのです。でも確かに「いでこのたびは謙信を打ちはたさんと」で始まるあれでした。出典は明治35年国語読本とあります。これには歌詞と音符が載っています。(引用おわり)
「騎馬戦川中島再考」
http://kitunedon.blog13.fc2.com/blog-entry-38.html
先ほどの記事のフォローをされています。北九州地方に残る理由として小倉師範学校付属小学校との関係を推測されています。脱帽です。私のように夜眠れなかった(?)北九州地方出身者の多くが胸をなでおろしていることと思います。
「川中島戦いの歌の真相」
http://kitunedon.blog13.fc2.com/blog-entry-353.html
こちらでは、全11番まである歌詞!ダイジェスト版でかかれてます。脱帽の上に脱帽です。
発言小町に乗っていた歌詞より、随分長く、きっと、馬が疲れて戦いにならないので端折ったのでしょうね。
Wikipedia 川中島(騎馬戦)によると。
(引用はじめ)なぜ、北九州市一帯にだけ伝来するのかという疑問については詳細は不明である。小倉藩主の小笠原氏の出自が甲斐国であることに由来しているという話もあるが、推測の域を出ない。なお、福岡県内の資料には1900年代に川中島という呼び名が登場している。当時は全国的に騎馬戦を源平合戦になぞらえることが多かったが、北九州市は平家が滅びた壇ノ浦に近くて思い入れが強すぎ、また川中島の戦いは決着がつかなかった点で公平な事などから川中島になったという意見がある(引用おわり)
それだったら、運動会の「紅白」とは源平の赤旗白旗にちなむので、ちょっと違うと思う。明治時代の国語で全国区となった「川中島の戦い」という歌は、小倉師範学校によって生き延びたほうが私的には理解できるかな。大体、平家は壇ノ浦で滅びたけど、それだったら福原とかそっちのほうが本家じゃない?
Wikipedia 川中島(騎馬戦)の歌詞(便宜上:若松バージョン)
(白)いでこの度は信玄を (紅)いでこの度は謙信を
(白)打ちはたさんと甲斐路より (紅)打ちはたさんと越後より
(白)信濃に出でし謙信の (紅)信濃に出でし信玄の
(白)率いる兵は八千騎 (紅)率いる兵は二万余騎
(白)隊伍正々堂々と (紅)川中島に出でし時
(白)秋の日は早暮れ果てて (紅)水の音のみいや高し
(両軍)水の音のみいや高し
うーん、最初の信玄と謙信が逆の気がする。とはいえ私の分類した「敵衆」の無いバージョンです。バリエーションは地域ごとにあるのですが、大きく分けて「敵衆」バージョンと「敵衆無し」バージョンがあります。
「敵衆」バージョンでも、「百年研ぎし」だったり「十年研ぎし」だったり細かいバージョンもあります。さらに「八千騎」バージョンの他に「三千騎」バージョンもあります。
もちろん、競技そのものもWikipediaにある<入場曲>式(若松バージョン)、私のところのように<花いちもんめ>式(八幡バージョン)だったりさまざまです。
「川中島の歌詞」
http://blog.livedoor.jp/mynameiseggy/archives/25382588.html
上杉謙信方(赤) 武田信玄方(白)
いでこのたびは信玄を いでこのたびは謙信を
討ち果たさんと越後より 討ち果たさんと甲斐路より
信濃に出でし謙信が 信濃に出でし信玄が
率いる勢は八千騎 率いる勢は二万余
軍馬正々堂々と 正々堂々犀川の
東に武威を轟かす 西に武威を轟かす
川中島に至る時 汝と勝負 決戦と(ぞ)
十年以来留め置きし 力の味を今ぞ知れ
力の味を今ぞ知れ
こちらも「敵衆」無しバージョンです。共に歌う部分が先ほどのものより長く勇ましくなっています。最後が「百年」でなく「十年」のバージョンのほうですね。歌詞的には10年のほうが合っているような気がします。もう一つ、最後が「力」となってますが、ここがポイントで「刀」と「力」の両方の系統があります。最初は誤字だったと思うのですが、ここまで成長するとどっちも意味がわかるだけにすごいですね。
川中島は、北九州市全域、遠賀、中間、宗像、福津ぐらいまでは間違いなくあります。調べると福岡市のほうでも断片的にあるようですが、粕谷では無かったりします。大雑把に福津・古賀ラインが境目のような気もします。御存知のかたがいらしたらぜひ教えてください。
下は歌じゃなくて、ラッパが鳴っている!とても鉢巻をとる騎馬戦とは思えません、、それに迷彩服のズボンだし。ある意味、正統派?
第一空挺団・第一普通科大隊の騎馬戦
http://www.youtube.com/watch?v=skprtbgLnTU&feature=player_embedded
○
2011年07月08日
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両軍が歌いながら入場して来て(この部分の歌詞は覚えていません)、
斉唱の部分の最初の一行が、「正々堂々 正堂々」だった気がします。
歌が終わると同時に、「イヤァーーーッ」とときの声をあげて突撃しました。
帽子どころではなく、つかみあって相手を落とします。
5,6年の男子のみ参加の、運動会の大フィナーレでした。
子供心に、とり肌が立つほどカッコ良かったですね。
懐かしい記事を、どうも有り難うございました。
コメントありがとうございます。
飯塚にもあるんですね。それではきっと宮若、鞍手、直方といった間の地域にもありそうですね。情報ありがとうございます。
歌われた、斉唱の「正々堂々、正堂々」バージョンも確かにあります。そういう私も「ああ敵衆」バージョンの他に、この「正々堂々」バージョンも歌った記憶があるのです。年によって変わるものでなし、福岡県北部という狭い地域に思いのほかバラエティが多様に広がって不思議ですね。
私も運動会の最後に、大将が長い鉢巻して堂々としているのがあこがれでした。川中島が終わると、「ああ、今年の運動会もおわったなあ」と思ったものです。ある意味、それ以前の競技は前座のような、、
私は万年、「馬」でしたが、馬同士蹴りあいをやったような記憶もあります。今から考えると、おおらかというか、乱暴というか(笑
また、ぜひ、いらしてください。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
最近でも川中島はまだやっているところはあるようです。が、種目から消えていったところも多いようです。
私も大将のりりしさには憧れました!、が、現実の私は、(大将ではない)うまの足でした。でも、チャンスがあれば、やってみたいです。
ときどき、車を運転しながら川中島の歌を歌ってます。カラオケにはないだろうなあ。あったら、いいのに。
私は庄内中で、昭和60年代に騎馬戦の入場の時流れてましたよ
「風林火山」と「毘沙門天」の「のぼり旗」も一緒に入場したと記憶してます
今は騎馬戦もやらないし、体育祭も初夏になったんですね
びっくりですw
昨日、体育祭が五月蝿くて部屋から逃げ出した飯塚市民でした
幟など小道具があって勇ましくて、いいですね。
騎馬戦は全国的に怪我とか責任問題とかあって淘汰されつつあるようです、時代の流れでしょうが、ちょっと寂しいです。
しかし私が体験した、30年ほど前(1984頃)の動画は見つけることができませんでした。
本サイトは当時を思い出すのに大変役立ちました。
私は北九州市立大蔵小学校で、歌詞は最後に掲載してあるものが、もっとも近い様に思います。紅白一緒に歌う最後の部分が、少し違ったような気もするのですが、思い出せません。
この歌を口ずさんでみるとと、懐かしくて涙がでました。
時代の流れから、この競技が消えていっていることは理解できますが、残念でなりません。
当時は、川中島こそが運動会のメインイベントで、男子の大きな見せ場だったと思います。
最後に、私の思い出した情報を記載させていただきます。
・2回戦の大将落としの時には、信玄側・謙信側が、それぞれの陣形を組んでいました。その陣形の名称は思い出せません。これも見せ場のひとつで、陣形についての説明を観客に向けてしていました。
・当時から、この競技が、喧嘩のようで乱暴だ(危険だ、とは少し意味合いが違う)という保護者の意向で、子供を参加させないことが認められていました。体が弱い訳ではない数人の男子は、参加していませんでした。
また”川中島”について情報があれば教えてください。楽しみにしています。
情報ありがとうございました。
最近は更新が滞りがちで拝見するのが遅くなりすみません(汗)
大蔵なんですね、懐かしいです。
川中島の歌詞はバリエーションが豊富、、というのを通り越して「学校ごとに歌詞が違う」という域まで達しています。一つ一つ学校を回って採譜すると楽しいのでしょうが、もはや川中島を廃止した学校もあり、時すでに遅しかもしれませんね。
私は熊西小学校の出身ですが、陣形は無かったです。適当に大将が指示してました。陣形まであるとは本格派ですね。うらやましいです。
通りすがりですが懐かしかったので、コメントさせて頂きます。
私は福岡市内の小学校でしたが、高学年花形競技の一つとして男女行われていまいした。
男女別、背の順グループ、だいたいみなさんと同じと思います。
川中島と呼んでいたどうかは忘れてしまいましたが、騎馬戦の事を川中島でも理解できるので恐らくそう呼んでいたのではないでしょうか。
大将は応援団長(紅白の頭)が務めるので、一番背の高いグループに入ってました。旗手も大将と常に一緒だった気がします。
私の小学校でも入場時歌を歌いました。
(白)いでこの度は信玄を
(赤)いでこの度は謙信を
(白)討ち果たさんと越後より
(赤)討ち果たさんと甲斐路より
(白)信濃に出でし謙信の
(赤)越後路さして信玄の
(白)率いる兵は八千騎
(赤)率いる兵は二万余騎
(白)隊伍正々堂々と
(赤)隊伍正々粛々と
(両軍)
川中島に至りつき ああ我が敵手好敵手
汝と雌雄決戦を 10年以来研ぎおきし 刃の味を今ぞ知れ
てな感じです。
しかしとても惹きこまれてしまう曲だったので、とても印象に残っています。
長文になってしまいました。すみませんでした。
しかし、このような競技をのちの世代に受け継いで欲しいと思います。
失礼しました。
川中島は懐かしいですよね。わたしも懐かしさからつい深入りしてしまいました。
小学校低学年にとって、大将は憧れでした。
歌詞はほんとうに、学校毎に違うといっても過言ではなさそうです。
それぞれの学校が、それぞれの歌を大切にしてくれたらうれしいですね。
はないちもんめ式の八幡です。あのじりじりと近づいていくのがたまらなくスリリングで、両手を握りしめて好きな男子を見守るのが運動会の醍醐味でした。
どうしてもあれが見たくてyoutube検索したんですけど、あのタイプはないんですよねぇ……
みたいなぁ。
うちでは「いでこのたびは謙信を」「このたびこそは信玄を」だった気がします。
はないちもんめ式はいいですよね、私も馴染みがある分、いちばんしっくりきます(というか、他にあることを知らなかったぐらい)。
いまどきの子は川中島やっているかどうかわからないけど、チャンスがあれば「はないちもんめ式」を記録に残したいです。