ありがとう、、
ありがとう、、
ありがとう、、とってもいい響きのことばで好きです。
この言葉の語源は、、?
語源由来辞典を参考にしました。「有り難く」のウ音便化だそうです。
http://gogen-allguide.com/a/arigatou.html
有るのが、難しい、、ので、「滅多にないこと」「珍しくて貴重だ」というのがもともとの意味です。
でも、いま普通に「ありがとう」と言っていることに、わざわざ「滅多にないこと」という元々の意味を思い浮かべて言う人はいません。
でも、こういう風に思う外国人だっているのです。特に日本語を勉強し始めたばかりの人ですが、ありがとう、、って言うと「特に滅多にないことではありません」。ひねくれているのか?ちょっと日本語を知っていると自慢したいのか?(ついでに「薔薇」って漢字を書けると自慢する外国人も多い、つまらん。それを大仰に感心してみせる人も多い、だから何?ぐらい言ってやれよ)、ただの受け売りなのか?
、、、ただただ、変な人だと思っていました。まともに、指摘する気にもならない。なんの意味もないこと。
で、本当に日本語を良く知っている外国人で、ありがとうの由来を云々する人なんていません。
おんなじことが、インシャーアッラー、人によってインシャラーとか、インシャアラーとかいろんなかき方する人が居るけど、どこかで聞きかじったような、
「あれはね、もし神様の思し召しがあれば、意味なんだよ、てきとうで、いいかげんだよね、、」
呆れてものも言えない。
イン シャー アッラーフ を直訳すると確かに、もしアッラーが望めばと訳せないことはないけど、インシャーアッラーって言う人が、わざわざ、そんなこと思って言っているわけではない。ふつうの人の普通の会話で、インシャーアッラーというのは「わかりました」って訳すの!!!
スンナでは、(現在より未来にあることがらの)約束をするときは、インシャーアッラーという言葉を使うのが正しい礼儀にかなった一番の方法であると書かれているので、インシャーアッラー。
しかも、「インシャーラーというのはね、もし神様が、、」と言い出す人はだいたいアラビア語の読み書きも大してできない初学者か、全然できない人の聞きかじりか、又聞きか、だいたい相場が決まってます。
日常会話のありがとうを、「滅多にないこと」由来だと、外国人が指摘するのは、滑稽なこと。
日常会話のインシャーアッラーを、「もし神様の思し召しがあれば」と、いかにも私はわかってます、、、って顔で解説するのも、同じぐらい滑稽なこと。
インシャーアッラーというのは、ふつうの人には単なる礼儀正しい慣用句の「わかりました」で、語源や意味を云々するのはイスラム学徒に任せればいいだけの話です。ましてや、非イスラム教徒にとっては、さらさら意味がないこと。それを語るなど、、、見ていてイタイです。
<ん?思い出した。大昔、カイロ日本人会の会報におんなじこと書いた記憶があるぞ、、何十年たっても同じこといってる。>
その約束が守られるかどうかは、インシャーアッラーという言葉とは全く関係ありません。
●
2011年09月29日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック