The Redang Telegraph

2012年01月10日

「福島を除外」つまり無かったことにする

全国の患者調査から福島を除外/「被ばく隠しでは」/県民から疑念の声
東京新聞 2012.01.07 朝刊 「こちら特報部」

(引用はじめ)全国の病院や診療所で三年に一度行われる「患者調査」に、福島第一原発事故や大震災が影を落としている。調査は昨年秋に行われ、結果は早ければ今年十二月にも公表されるが、福島県の全域が除外されていた。この“福島外し”に十分な説明はなく、県民らからは「被ばく隠しでは」との疑念の声も聞かれる。調査は一体どのような理由で見送られたのか。 (小坂井文彦、小倉貞俊)(引用おわり)

Web上の東京新聞の書き込みはここまでなので、本文は下のURL記事を参考にしました。とてもよくまとまっています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/875.html

現段階で調査しないことで将来の疾病増加報告があったばあい、「以前の調査結果がないので、増加かどうかはわからない。この疾病増加が原発事故によるものだとは断定できない」というたわごとを言うための準備です。

信じられないことですが、現時点で福島での全県的な健康調査は、まだおこなわれてないようです。そして、当分は「多忙」を理由に当分はおこなう予定も無いようです。多忙の理由のひとつに、医師が放射能を避けて逃げた、、というのもありますが、それならばなおさら健康調査をおこなうできでしょう。震災では同様に被害を受けた他の東北諸県では健康調査はおこなわれます。もうひとつ「異常値がでれば一人歩きする」という理由もありますが、一人歩きを恐れる!寝たきりを喜ぶ!まさしく現在の弊害の根源ですね。産んだのが親でも赤ちゃんが一人歩きをするのはとめられません。情報は徹底的な議論にさらされて、はじめて独り立ちできるものだという科学者の初歩の片鱗もない情けなさです。

ここまできて、事態を矮小化したいとか、無かったことにしたいとか、国の責任を問われたくないとか、とうてい信じられないです。経済や効率ばかり追い求めて、人としてあるべき姿だとか、いさぎよく責任を負うとかいう視点を極力社会からなくしていった報いを、いま受けているわけです。

「県民から疑念の声」じゃないでしょう、本当は「怒りの声」なはずです。健康調査だけでなく、正月の日本のTVでも、被災地というと岩手とか宮城とかで福島は微妙にはずされていたし、そのうち福島そのものがなかったことにされかねないです。

「人は理性的であるように」という呪文のおかげで、実際のところ「理性であるかのような」あるいは「理性といわれている無気力」あるいは単に「理性=効率」という都合の良いものに従わせられています。人が機械とは違うのは「感情」のおかげなのですが、「感情的である」というように今の日本では感情は良い意味には使われないようになってきました、「怒り」「泣き」「笑い」、、は、理性より一段低いものと見られています。人間中心のサウジでは、理性が感情を越えることなど考えられないです。

今の日本の神は「効率」でしょう。唯一神に近いと思います(少なくとも政府護持の宗教ですね、そのわりに政府の非効率は信仰と信者の行動が一致していないことにあたるのかな?)。日本がロボット工学で世界の先端をいくのは、効率を至上とする信仰と、他外国がそれほど「効率」を信仰していないのでロボット開発にもそれほど熱心でなかったというだけにすぎません。だいたい在外の日本人がその土地に不満があるのも「効率」というカテゴリーに含まれる場合も多いはずです。神=効率を信仰していない、異教徒への怒り?かもしれません。

きちんと怒ることができること。怒るときに怒らないのは、泣くべきところで泣けないのと同じように、笑うところで笑えないようなものです。記事も抑えた、疑念の声ではなくはっきり怒りの声とすべきでしょう。

でも、東京新聞は他紙の腰抜け同然の惨状にくらべて、まだましです。




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