
部屋にもどって、転倒したときにおもいっきりぶつけて腕ベルト部分が壊れたG−SHOCKの時計。腕が汗まみれになるから腰のベルトにつけてたので、転倒時に擦れて、削れて、傷だらけ、、新品なのに。しかし、それでもちゃんと時計は動いているから、さすがG−SHOCKといいたい!腕ベルト部分はジェッダに持ち帰れば修理可能と判断。ふーーー

携帯電話をみると、ちゃんとオマーンの電話会社にローミングしていたんだ。なるほど、、

夜中なのに寝付けず、ぼーーーっと考え込む。
よく考えたら、この旅行中、晩御飯を食べたことは一度もないのだ。ほとんど1日1食だった気がする。バイクの旅行で土地の名物料理を食べて、、というのは日本の話、いや私以外のすべての人の話かもしれない。その1食だってポテトチッブスとヨーグルト、、という組み合わせだったりしたから、おいしい料理なんて全然目にもしてない。ドバイで日本食を食べようという話もあったけど、私のスケジュールではとても無理な話。ドバイで私が食べたのは、ツナサンドイッチとコーヒーとバナナとチキンカレーとリンゴと、あとなんだっけ。
これから紅海に面した田舎町の我が家まで帰る。我が家はとおく、3000キロ先、、稚内から石垣島と同じ距離です。はるか、かなた。もう、戻れる気がしない、、だめだ、、
ここからが、本章です。この旅のメインはすべてこの帰路にあるといっても過言ではない。これまでの話は全部、まえがきというもの。エベレスト登頂に成功しても帰路で遭難した人は多い。極地探検でもそう。すべての旅のエッセンスは帰路にあるといえるでしょう。オデッセイの話が何千年も語り継がれてきているのは、あれが帰路だからに違いないです。帰心矢の如しというけれど、早く帰りたい。もう、バイクに乗るのは嫌だ。
そういうことで、帰路は写真が少ないです。余裕がないというか、もう、行きと同じ風景だし、、ということもあるのかもしれない。あの、熱い熱いアラビアの砂漠を1m、1m、1m、進むしかないです。
はーー、ドバイからホフーフまでが最初の旅。あの道か、、、悪魔のような砂嵐にあおられ、国境で揉め、そして走るのか、、、うーん。もう、出発前にはどうやって帰る気力を持つか、、、もう嫌だということはどっかに捨てるべきなのだけど、
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