今回10日ほどサウジにいて、またマレーシアに戻ってきました。
こんな短期滞在は別にして、15年ほど慣れ親しんだサウジ生活から離れて再来月で1年になります。
サウジを離れたことを考えるのに、この10日間のサウジ滞在はとても有効。そして、結果としてサウジを離れたことはとても良かったと思えるようになりました。
「ぬるま湯のような生活からの脱却」
慣性で生活しているのは、生きているのではないと思う。
慣れ親しんだ生活は居心地が良いし、そもそもそこを離れる理由なんて見つからない。今の生活のどこが悪いの?友達も食生活も自分の部屋も、本当にかけがえのないものだし、これが生きていることなんだ、、と実感するような生活は気持ちいいです。引き換えに失っているものなど考え付きません。
サウジの生活がぬるま湯のような生活だった?と不思議に思う人はほっといて、私にとってサウジは気持ちのいい場所で、私を知る人は「NAOKIはサウジを離れることになれば、今の仕事をやめてサウジの会社に就職するのではないか」と思ったようです。なぜ、気持ちのいいサウジを潔く離れることができたかというと、以前にやはり居心地のよいエジプト生活を泣く泣く離れた経験があったからです。あんなに気持ちの良い場所(エジプト)から離れることは自分で決めたこととはいえ、かなりつらかったのですが、後から考えるとやっぱり出エジプトで正解だったと納得できたことが下敷きになっています。
おそらく、とても気持ちがよくて、都合の悪いことなど一つも思い浮かべない、、というのは思考停止の一種なんだと思う。ぬるま湯のような生活はよくわからないけど、きっと何かをひとつづつ失って成り立っているのだろう。少なくても、新しい飛躍という試みを失っているのは間違いない。
今のマレーシア生活が始まるとは、サウジを出たときには全く想像もしなかったけれど、今、ここに落ち着くと、「心機一転」とジャンプする気になります。おそらく、それが生きているということだと思えます。
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2014年07月24日
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