何しろ、携帯電話が通じない所で待ち合わせ場所に待ち合わせ時間に到着することを念頭において、8時間の旅にでたのですが、うっかり、、、にも程があるけど、帰路についてはほとんど考慮してませんでした。どうせ行った道を帰ればいいのだし、、という落とし穴。
みんなと別れて、ひたすら広い道4055号線を帰るのだけど、どうもなんか変。検問所の兵隊さんに道を訊こう、、としたけど、はて?国境の町はなんて町だっけ?覚えてません。待ち合わせの場所周辺の地図はいっぱいプリントアウトしたけど、道中の地図はなし。ローミングサービスもないからGPSも見れない。えーっと、「マレーシア!」と叫ぶ。するとおもむろに来た道を指さす。つまりUターンしてひたすら戻れということか?
でもどこまで戻ればいいのかわからない。マレーシア側で使える車載GPSを取り出して装着。もちろん地図はないけれど、目的地の方向ということで矢印がでるので、その線を追っていくことにしました。でも、道は曲りくねり、、あらゆるコーナーで「マレーシア!」と叫ぶ。みんな親切に道を指さしてくれます。ありがとう。
道を知らなくて目的地を通りがかりの人に訊くことはよくあります。とはいえ、国名を叫ぶのは初めて。マレーシアはどっち?とタイで聞いて聞いて聞いて、マレーシアに戻るとはスケールの大きな話ですが、いかんせん必死で写真を撮る余裕もありません。途中で、4056線に乗ることができ、なんとなく国境の町の名前らしきものも行先案内で出てきたので少し安心。そして、無事国境を通過。
さて、、マレーシアに着いたから車載GPSにも道が出てくるよね。。と、思いきや、なんとGPSがフリーズしてました。再起動してもダメ。まあ、クランタン州を抜けて、トレンガヌ州を抜けて、パハンに入ればあとはどうにかなるだろう、、という甘い考えでスタート。そんな甘さをあざ笑うように、大雨が降り始めます。車載GPSから携帯GPSに切り替えていたけど、とうていこの雨に耐えられそうもなくしまい込みます。。。前がホワイトアウトの猛烈な雨。雨に濡れるのは構わないです。でも、路面が川のようになるのは怖いです、なぜって道路に穴が一杯開いていてそれを避けながら走るのに、泥水で冠水すると穴がまったく見えなくなる。
こうしてコタバル市内で3時間ほど道に迷うことになりました。タイと違って、マレーシアでは行先表示板は何となくついているだけで行先を表している訳ではないのです。あれは、何となくついているだけです。信じてはいけません。
もう、日は暮れて、雨が全く止まず前が見えず、冠水した道路の連続、見知らぬ場所、しかも道が合っているのかもわからない、、オデッセイと呼んでくれてもかまいません。こうして、帰路はなんと11時間かかって家に帰り着いたのでした。もちろん、ご飯を食べる余裕は皆無。11時間、休息も皆無、ガソリンスタンドで給油するときだけがシートを離れる時です。タイを3時にでて(タイ時間だと2時)、家に帰り着いたのが朝の2時過ぎ。全線、雨。途中、眠たくなった場所を、寝たら死ぬぞ(もちろんバイクを運転しているので寝たら死ぬしかないです)と叫びながら、ガソリンの心配もして林道を走る、、、修行もかくや。
ともあれ、帰宅。生きて帰れたという喜びと、あと4時間で会社に行く時間という別のプレッシャーで、遅刻する言い訳を5通り即座に考え付きました。(驚くなかれ、ちゃんと起きて遅刻せず会社に行けた)
朝3時前に家をでて、朝2時過ぎに帰宅。ほぼ24時間。そのうち19時間はバイクを走らせています。
この旅の途中でゲージは1万マイルを突破!この日の走行距離は629マイル=1007キロ。千キロ越えだ!友達といろんな話もできたし、バイクにもおつりが来るぐらい乗ったし、国境を越えた山道も、いまとなっては懐かしい(まだ体力は回復してないけど)。
やれば、けっこうやれるもんだ。限界をつくるのは自分のイメージの貧困なせいなんだ、、ということをつくづく思い知らされました。
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