The Redang Telegraph

2015年12月20日

Olang Asli アボリジニ3

Olang Asli Museum at Gambok, 2nd floor. History of militant.

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アボリジニ博物館の牧歌的1階と違い、2階は政治色の強いコーナーです。
特に目に引いたのは、「共産主義者の反乱」。現代マレーシア史最大の危機です。

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マレーシアの現代史をおさらいすると、1800年代の初めからマレーシアに植民地を作り続けた英国が、1800年代の終わりには今のマレーシアをほぼ掌握します。この過程で、隣国タイと国境画定でもめます。

もともとタイ南部はパタニ王国というマレー系王国があり、タイが攻めてきて勝敗を繰り返し結局パタニ王国はタイ領となりました。イギリスがマレーシアに進出して来た際、マレー人には「タイから旧パタニ領を取り返してあげるから」という口約束をして、結局なんだかんだといって旧パタニ領から、南部のクランタン、トレンガヌ、クダの諸州を取り返します。ですが、パタニ、ヤラ、ナラティワーの北部はタイ領に残ったかたちになり、分割統治の英国のいやらしさ全開です。

マレーシアに日本が攻め入った時、当時のマレーシアは英国を憎んており日本を歓迎したか?
よく、理解の浅い歴史主観だとそうなっていますし、現在のマレーシアの親日ぶりをみるとそう思われてもしかたないですが、実際はそうとばかりは言えませんでした。マレーシアの華人系には日本の中国で行われていた非道が良く知れ渡ってました。マレー系にとっては何百年の悲願であったパタニ王国の再帰属どころか、日本軍政府はなんとイギリスがもぎとった南部パタニをあっさりとタイに返してしまう愚行で激怒されてしまいます。

反日的なムードがマレーシアを覆い、広範囲な対日戦争の一つとして中国の影響をうけた地元の共産軍ができ、日本が負けた後も組織は残り、イギリスの再征服にも抵抗して独立を目指します。当時はアジアアフリカ各地で王政が倒れたり、社会主義革命で独立したりした国が相次いでいた時代ですから、時代のひとつなのかもしれません。その中で、政府の保護外にあったようなアボリジニを取り込んだのが上の写真の説明の背景です。マラヤ共産党の武装解除が行われたのが1989年ですから、ほんの少し前といってもいいぐらいです。両陣営が山岳戦のため、アボリジニの取り込みに力をいれました。

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結局、この「共産主義者の反乱」により、イギリス植民地政府もマレーシア政府も、アボリジニの権利をいかに無視していたか気づかされることになり、以降はアボリジニの人権を認めるようにすすんでいます。

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