The Redang Telegraph

2016年05月23日

長崎県西海市崎戸町蠣浦郷

正確には、、長崎県西彼杵郡崎戸村蛎浦郷です。
この住所は私の曽祖父と祖父が明治時代に住んでいた、、と戸籍に残っています。

なぜ?なぜ?
曽祖父、高祖父、5代前も佐賀県神埼市城原というところに生まれています。転居の自由のなかった江戸時代のことですから先祖代々この場所だったのでしょう。高祖父の時代に戸籍制度ができたので、高祖父の父(文政生まれ!!)である5代前から戸籍に名前が載ってますが、曽祖父母は長男(祖父)をつれて、今の長崎県西彼杵郡崎戸村蛎浦郷に引越し。そして、どれぐらい蛎浦に住んでいたかわかりませんが、その後に今の北九州市八幡東区に移り住み、父の代は八幡生まれです。きっと製鉄所ができたので来たのでしょう。ほとんど疑問の余地はありませんし、それ以外の理由は思いつきません。

ところが、なぜか、曽祖父は住みなれた神埼から西彼杵郡崎戸村蛎浦郷に引っ越し?

今日、はじめて西彼杵郡崎戸村蛎浦郷を検索しました。番地もあるのでかなり正確な場所が一発ででてきます。そうしてでてきたのが、、蛎浦島

崎戸炭鉱

まさしく、炭鉱のあった場所そのものでした。うーーん、曽祖父はいったいなんで炭鉱なんかに?時代は明治のはじめか半ば、、わからん。炭鉱が盛んになったのは、むしろご先祖が炭鉱を離れた後のことです。炭鉱の非常に初期の頃に住んでたというわけです。

ブログで見つけました。「廃墟賛歌」というブログです。
http://haikyo.crap.jp/s/279.html

ブログをみると、曽祖父の時代じゃなくて、昭和当時の炭鉱は「1に高島、2に端島(軍艦島)、3に崎戸の鬼が島」と劣悪な環境で恐れられたということです。わからん。ひいおじいさん、わからんです。その後、八幡に移ってからは親戚から話をいろいろ聞いているのですが、長崎時代がわからないです。

いつかチャンスがあれば、蛎浦島に行ってみたいです。
最近は、廃墟ブームというのがあって、曽祖父のいた崎戸炭鉱も廃墟ブームの地になっているそうです。軍艦島が世界遺産であれば、崎戸炭鉱も世界遺産だったらよかったのに。

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