
マラッカでの独立記念日パレード。パレードの前にいくつかの詩の朗読、音楽、ダンスなどがあったのですが、その一つ。マレーシアを構成するいろんな民族の踊り
マレーシアのイベントではありがちな、「1つのマレーシア」の旗印の下、いろんな民族服をきた人たちが踊ったりするもの、、だいたいは、マレー系、華人系、インド系、アボリジニ系、ボルネオ諸族系なのですが、、まんなかに黄色いシャツに黒いジャケットの体格のよい男性が、、?
かれらが海峡華人Baba Nyonyaと共にマラッカで有名なPortugueseポルトガル人の子孫です。
日本でいう室町時代にマラッカを支配していたポルトガル人は後発のオランダ人と血みどろの植民地奪取戦を繰り広げます。単に支配者がポルトガル人からオランダ人に代わった、、という言葉では言い切れないほどの戦いでした。結果、オランダ人がマラッカを支配することになって、降伏ポルトガル人は悲惨な目に遭います。
、、、で、ポルトガル人の子孫??500年前の?まだいたの?という質問をマラッカの友達に矢継ぎ早に質問です。
「もちろん、ポルトガル人の子孫はいるよ。彼らは大切なマラッカの観光資源だしね」
「おいおい、資源とか言っていいの?観光客向けのダンスとかを世界遺産広場とかでしてるんだよね」
「そうそう」
「500年もいれば土地に同化して、見た目もマレー人じゃないの」
「いや、そんなことはない、彼らは真っ黒だからすぐわかる」
は?ポルトガル人はいわゆる白人だから黒くはないだろう??それに彼らは何しているの?海峡華人は大勢の中国人がマレー移民してくる前から交易を主にしていた人たちで、先住の利を生かして今ではマレーシアのエスタブリッシュメント。すんごいお金持ちとか、いわゆるセレブの人たちが一杯います、、で、ポルトガル人の子孫はさぞや似たようなお金持ち?
「いや、そんなことはない。彼らはだいたい漁師だよ」
は?ポルトガル人の子孫はマレーシアで漁師?固まって暮らしおさかなを取って生計を立ててる??なんだかイメージと全然違います。友達はふつうの市民で、そんなに詳しく知っているとも思えないし、さっそくネットで検索したところ、、(下の写真はウエブ上にあった写真)

おお、確かに肌の色は黒い、、もちろん若干白い人(パレードの男の子みたい)もいるけど、黒いというのはそのとおり。そして、思い当たったのが、当時ポルトガル人が連れてきていた奴隷とか使用人とか言われる人たち。
Wikiから織田信長に献上された黒人の弥助について
(引用はじめ)弥助の出自については、フランソワ・ソリエが1627年に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。イエズス会のイタリア人巡察師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際、インドから連れてきた召使で、出身地はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)であると記されている。ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークに寄港した。(引用おわり)
日本にも連れてこられたぐらいなので、マラッカにも一杯アフリカ系の人たちがポルトガル人に連れてこられたわけだろうし、オランダ人とポルトガル人の戦いの後、白人系ポルトガル人と黒人系ポルトガル人使用人は別々の運命をたどったのかもしれません。オランダ人が黒人を徹底的に駆り出したとかなさそうだし、逃げるに任せた末、、現在は漁師となっている、、のだと思います。平家の落ち武者というか、隠れ里というか、、。もちろん、彼らは地元マレー人からはポルトガル人と呼ばれながら。
、、、で、気が付くとこのマラッカパレードの各民族の中にオランダ人やイギリス人が含まれてません。あくまでもポルトガル人だけ。なんでだろう、、?
オランダが植民地にして奴隷や使用人を駆り集めたのはインドネシア。私は南アフリカのケープタウンのインドネシア系の人たちに会ったことがあります。南米のスリナムとかガイアナとかでムスリムの割合が高いのはインドネシア系の人たちがオランダ人と一緒に入ってきたからと聞いたことがあります。で、マラッカにもオランダ人はインドネシア人を連れてきたのかもしれませんが、なにせマレー系とインドネシア系はほぼ同じ、、そうでなくても普通にマレー半島とインドネシア諸島の間で交易などが盛んなので、誰が一体マレー人で誰がインドネシア人なのかわかるはずもありません。だから、それらの子孫は自然とマレー社会と同化してわからなくなったというべきなのでしょう。
オランダ人を駆逐して血みどろの戦いの末マラッカを占領したのがイギリスで、彼らの使用人はインド人。それに香港を窓口とした中国人。連れてこられたばかりじゃなくて、交易や移民としてどんどんやってきました。うーーん、これはわかりやすい。いまも一杯いるしね。
つまり、ポルトガル人がアンゴラやモザンビークから連れてきたアフリカ系の人たちが、その後のインドネシア人(同化してしまった)と、インド人と中国人(今も普通に一杯いる)とくらべて数奇な運命をたどったというのでしょうね。ちょっとびっくり。
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