The Redang Telegraph

2016年12月14日

Portuguese settlement in Melaka 1 マラッカのポルトガル人街

Visited Portuguese settlement in Melaka.

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以前、パレードで会ったマラッカのポルトガル人(現地ではKristangと呼ばれてる)を見て、マラッカのポルトガル人というブログ記事を書きました。が、なんたること、私はマラッカのポルトガル人居留区 Portuguese Settlementを見ずに書いてしまってた。なんたること、実証が無いじゃないか。ということで、マラッカに行ってきました。

(WikiによるKristangの説明はこちら。歴史、現在、命名、言語、多岐に渡った説明です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kristang_people

ポルトガルがマラッカ植民地をオランダに明け渡したのは1641年。

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もちろん、マラッカの世界遺産にこのポルトガルのお城は指定されているし、世界遺産区画にはポルトガル関係の史跡もそこそこありますが、とりあえずそれはしょっちゅう見ているのでもうお腹いっぱい。今回はパス(といいながら、道路からは見ている)。マラッカの博物館にはこのときのポルトガル人とオランダ人の戦いの油絵が何枚も飾ってあります。総じて、ちょうちんブルマのほうがポルトガル側だと思うけど、ちょうちんブルマと長ズボンの戦いで、けっこう城は破壊され、みんな血だらけになってます。

その後、ポルトガル人は辛い目に遭いますが、もちろん世間はカネ次第。ポルトガル人の中でもアッパーテンと呼ばれる(きっと上位1割ということだと思うけど)人たちは、その後のオランダ人ともよろしくやって、その後にきたイギリス人ともよろしくやっています。きっと白人同士とかいろいろあるのでしょうが、こういう植民地の目的は交易で、やっぱりその世界ではお金儲けの上手い人が偉い人なのです。

で、アッパーテンの人たちは、マレーシアが独立するときにイギリス人とかと一緒にどっかにいったりしてますが、残された、、、つまり、ローワーナインティ?の人たちはどこに行ったのかというのが、このマラッカのポルトガル人のトピック。

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ラベル:マレーシア
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