ポルトガルとオランダの戦い、Battle of Malaka (1641)について詳しいのは下のURL。海戦が主要な部分だったようです。
https://www.wikiwand.com/en/Battle_of_Malacca_(1641)
ともあれ、戦い終わり、マラッカのポルトガルの世は終わりました。
アッパーテンはともかく、アフリカ系ポルトガル人、インド系ポルトガル人、貧しい白系ポルトガル人はよくわかりませんが、いろいろと苦労したのでしょう。この人たちの子孫が現在当地で「ポルトガル人」(正しくはKristangだけど)と呼ばれる人たちです。現代になって、マラッカのあちこちに住んで漁師をしていた「ポルトガル人」は、今のポルトガル人居留区、Portuguese Settlementに集められ、ある意味保護されました。うーん、オランアスリ(アボリジニ)がやはり居留区をもらったのと同じような時期だと思うので、少数民族保護の一連の流れかもしれません。
で、やっぱり生業は漁業です。
Portuguese Settlementの突き当り、広場になっているところの手前の居留区事務所みたいなところの掲示番、、
漁船の番号の正しい書き方、、、
ああ、これね。
あまりに、そこらへんのマレーの漁村との違いの無さにちょっとびっくりするぐらい。たしかにオランアスリの村といわれても、そこらへんのマレーの村とひとつも違いが無かったのとおんなじ。むしろ生活者として何百年もこの地に生きているのだから、違わないほうがあたりまえか。
海岸で岩牡蠣をとるポルトガル人おばさん、、
そのまんま、ふつうのマレーシア人のおばさんにしか見えないし、、、いや、そのまんま青森の八戸の市場に立たせても、全く違和感がありません。
マラッカのポルトガル人、、ポルトガル人の子孫とは何だろう、、などと期待しても、普通の漁師さん。オランアスリと似たようなもので、保護区にいて、いまなお漁師さんをやっている人たちです。
でも、それだけじゃあ生活が良くならない。そこで考えた。
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ラベル:マレーシア