やっぱり現地に行かないとわからなかったこともあります。もちろん、調べれば現地に行かなくてもわかることなんでしょうが、「知らなことを知らない」のでやっぱり現地に行ってみる価値はあります。
まず、橋はクワイ川(クウェー川というのが正しい読み方だそうですが、面倒なのでクワイ川と呼びます)にはかかってなかったということ。この川はMae klongメークロン川というこの地域で有数の大河です。河口は宿泊したホテルのあるSamut Songkhramにあり、そういえば来るときに大きな橋を渡りましたが、あれがメークロン川だったのですね。
もちろん橋をかけた日本軍もそれがMae Klong川だったと知ってました。日本軍のつけた橋の名称は「メクロン河永久橋」。じゃあ、クワイ川というのは何?
クワイ川は下の地図でみる左下から中央部にかけて流れてメークロン川に合流する支流の名前です。これが本来のクワイ川で地図にあるDeath Bridgeにはかすりもしません。

とはいえ、あまりにもクワイ川マーチが有名になってしまい、観光客が「メークロン川にかかる橋」では、違う!!違う橋だ!と大騒ぎになってしまったので、1960年代に橋のあるメークロン川をクワイ川に名称変更しました。なにごとも、ビジネスだもん、観光客が喜んでお金を落としてくれるなら名前を変えるぐらいどってことない。
ただし、本来のクワイ川と区別するため、本来のクワイ川は小クワイ川(クウェーノイ)、名前を変えた方を大クワイ川(クウェーヤイ)としています。だからといって、大河メークロンの名前全体を変えてしまうと下流に至るまでのすべての地名が大混乱するので、大小クワイ川合流点から下はメークロン川のままで変更なし。
こうして、メークロン本流も、合流点から上流はクワイ川です。なんか、まあ、こんなもんでしょう。
クワイ川にかかる橋、、というのはどっからきた話?よくわかりませんが、この映画から来てるのは間違いない。映画には原作があってフランス人小説家ピエールブールの Le Pont de la Riviere Kwaiです。
この時にはすでにクワイ川というのが小説のタイトルになってます。よってピエールの間違いでしょう。ちなみに、ピエールブールはなんといっても、「猿の惑星」の作家として知られています。どっちかというと、「猿の惑星」の方が、戦場に架ける橋の10倍は有名です。私も小学生時代に猿の惑星の小説を読んで大熱狂した記憶があります(映画は小説のあとだった)。

フランス人ピエールブールは、マレーシアでゴム園の監督をしていたけど、第二次世界大戦がはじまってベトナムとカンボジアの仏印でフランス軍徴兵。フランスがドイツに降伏し親独政権ができたあおりを受けて自由フランス軍に加わりますが、いろいろあって日本軍の捕虜になります。でもって、日本軍からフランス親独政権側ベトナム政府に身柄が引き渡されます。フランス本国がノルマンディー上陸作戦後開放されつつあるなか、フランスも親独政権と親連合国側で微妙な雰囲気。ベトナムの親独側も、「こりゃ、フランスが連合国によって開放されたら、親独側の俺たちはえらい目にあうだろうな」と判断。ベトナム刑務所の親独フランス刑務官が戦後の自分たちの立場を考えたら、ここで囚人の自由フランス軍関係者と面倒な関係になりたくないし、なんか囚人を勝手に開放してしまえ、、という空気になってピエールブールは「脱走」(本当は適当に行ってしまえといわれた)。戦後もしばらくはマレーシアにいたけれど、パリにもどってインドシナの経験をもとに「戦場にかける橋」と「猿の惑星」を書いた、、らしい。戦場にかける橋は、まだいい、、、
猿の惑星、、が、マレーシア、ベトナム、カンボジア生活と日本軍抑留の経験をもとに書かれた、、、なんか、おい、サルというのは俺らのことか?(映画も小説も主人公は猿の囚人になる。囚人記である)という気がするけど、まあ、いいや。
、、、、ともかく、失礼な小説を書いたピエールは、お前だって橋の名前間違ってんじゃないか、、というのがこの記事の主題だよね。
でも、日本軍がつけた橋の名前が「メクロン川永久橋」。ちょとまって、永久橋って?
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