「えびす」に対して、漢字では恵比寿、恵比須、蛭子などたくさんの感じが当てられていますが、「夷、戎、胡」と言った漢字は、あずまえびす(東夷)、えぞ(蝦夷)といった言葉に当てはめられているように、「外国人、異邦人、渡来した人」意味を持ち、海にかこまれた日本としては時に漂着した物もさすことがありました。えびす信仰を調べた方の論文によると、いくつかのえびすを祭った神社のご神体として漂着物(漂流している像、打ち上げられた石など)があり、毎年海底の石を拾ってご神体とする例もあるようです。
えびすが、海の神で、豊漁や航海安全をつかさどる神というのも、えびすというのは海の向こう、あるいは海にいるという考えがあるのも、文脈上ぜんぜん不都合なところはありません。そして、えびすは人々に富をもたらすことが知られているし、人々はそう願います。古代版サンタクロースというところでしょうか。
えびすは何をもたらしてくれるのか?
一番よく知られていた(が、今は全然知られてない)のは、クジラです。クジラはえびすの使い、あるいはえびすそのもので、地域によってはクジラのことをえびすと呼んでいました。今でも年に数度はニュースになるものとして、鯨類(クジラやイルカ)の浜への集団擱座、ストランディングがあります。ストランディングは通常数匹から数十匹、多いと百匹単位が確認されています。
パタゴニアでクジラが謎の大量死(ナショナルジオグラフィック)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/112500335/
浜の人にとっては、ある日、とつぜん、クジラが浜に押し寄せ、そのまま浜に乗り上げて息絶えるのをみて、人々はえびすに感謝してクジラを分け合い富を喜びました。えびす=漂着物という信仰の基本から考えると、クジラは泳ぐものでなく、打ち上げられるものであるという発想で、とても今の人には思いつかないでしょう。ストランディングだけでなく遺骸の漂着も「宝の山」であることには違いはありません、鯨油がもっとも貴重な部位でした。
こうして得られたクジラが、日本の伝統的な鯨食、あるいは鯨油やその他部位の加工品としての利用、の伝統的な姿です。
近世までの鯨食は、ほとんどが積極的捕鯨によるものとは言えない。
あの大きな鯨を人力でとるには多くの経験と道具と人手が必要で、古代の貧弱な船の構造や組織力では、大きな鯨をとることは難しいです。Wikipediaの捕鯨の説明は、古代からモリ着き漁による積極的捕鯨という見方に偏って編集されているので参考にはなりません(あきらかに間違いも含まれているし)が、常識で考えれば古代から中世にかけて、ひとびとはえびすの到来を待っていた、、祈っていたと考えるのが無理はありません。そして度々ストランディングという実利があったからこそ信仰となりえたのです。
中世終わり頃から近世になって組織だった捕鯨が日本で始まるのですが、捕鯨組織がある拠点は多くなく、基本的に漁村は通常の漁業を継続し、えびすの到来を待ちました。えびすがもたらす富はクジラのストランディングだけではなく、相対的関連は認識できるものの理由ははっきりしませんが、クジラとカツオといったいくつかの種類の魚群の同時出現の傾向があり、クジラが来ることはその他のさかなの豊漁も予想されたからです。
こうして一般漁民の多くは、えびす信仰を持っているのですが、とうぜんのなりゆきで、捕鯨には悪感情をもっています。くじらは神様(あるいはクジラは神様の使い)、、、という信仰。神様を殺す人たちに対して、良いイメージを持ちようがありません。一般漁民も鯨食をしますが、それはあくまでも富としてえびすから授けられたストランディングによってということで、わざわざクジラを殺すなんてなんと罰あたりなと考えます。それだけじゃなくて、クジラと共存しているカツオといった魚群を、捕鯨組織が乱してしまい、こういった一般漁民と捕鯨組織の漁場争いなどで対立は先鋭化してしまい、いくつかの藩では訴訟があった記録が残っています。
こういった訴訟で勝つのはだいたい捕鯨組織側。なんといっても捕鯨組織は大企業で、小規模である漁民とは格が違うほど鯨油その他で資金があったのです。鯨油は水田の害虫駆除に効果があり、大変な高値で売買され藩財政の一助となっていました。幕藩体制においてどこでも政権は財政難なので、常日頃からの捕鯨組織からの献上や納税は非常にありがたく、贈収賄なんてふつう(今のお中元やお歳暮のイメージ)でしたので、裁定はいつも大企業有利。
残念なのは、こういった政権と大企業の癒着によって政権側に捕鯨側中心の記録が残されて、小企業と大企業の紛争など裁判記録以外ほとんど残ってないということです。
、、そして、今。多くの人が過去の記録としてこういった幕藩時代の書類を調べ、「ほら、昔から人々は捕鯨を支持していた」とか「捕鯨に熱心であった」捕鯨論を論じているのはちょっと違うと感じています。偏った見方というのは昔からあり、、というか、今より昔のほうがずっとひどかったわけですが、江戸時代の捕鯨については、割り引いて考える必要があります。漁業従事者の人口的多数は反捕鯨であったということ。
昔から捕鯨が行われていたから、昔の人は捕鯨を支持していたのだという思い込み
ましてや、現在においても、過去の鯨食と捕鯨は分けて考える、、という方法についてはほとんど考慮されていないのは残念なことです。これにも、政治がからんでいるのは周知のとおり、まずは結論ありきの議論だからです。権利権益賄賂と捕鯨というのは、親和性の長い歴史があるわけです。
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ラベル:捕鯨