マレーシアの中では金満な州として知られるトレンガヌ州。もちろん、石油がでるおかげです。
イスラーム色の強い州のひとつで、金曜日が休日。週休2日のところは、金曜日と土曜日が休みです。サウジやアラブ湾岸諸国と同じですね。
とはいえ、お休みの金曜日にイベントがあると、休日が日曜の州に住む私にとっては微妙に行きづらい所でもあります。まあ、しかたないです。産業は農水林業と石油。石油関連については、サウジで嫌というほど知っているけど、あまり地域住民にお金が落ちるシステムではありません、産業従事者も少ないし。だから、1次産業が庶民の生活の中心というのが、間違いのないところです。
博物館に行ってきたからよくわかる、トレンガヌの歴史。昔はなんにもないところで、現在はタイ領になっているパタニ王国の緩やかな支配下で、ちょうど南のパハン州がスマトラのアチェ王国の支配下だったので、錫の採掘をめぐるアチェとパタニの代理戦争に巻き込まれたりもしたようです。が、、、パタニ王国がアユタヤ朝タイに滅ぼされるとマラッカ王国の支配になり、マラッカがポルトガルに滅ぼされると、ジョホール王国の支配下になったり、、と、支配下歴史が延々と続きます。
でもって、17世紀か18世紀に、故パタニ王国の王族がタイの指示で、トレンガヌ入り。こうして、トレンガヌはスルタン国として独立して、そのまんまタイの自治国となります。だからタイ領、、というか、地元の人はどう思っているか知らないけど、タイ王国としてはタイ領と思っている時代が続きますが、イギリスがのさばってきたので、タイ=英国で国境を設定。

トレンガヌはここでタイの支配下を抜けて、イギリスの植民地の一部となります。が、庶民はどっちころんでも、あんまり関係ないです。ながいトレンガヌスルタン国の歴史で、大事件が油絵で博物館に飾られてましたが、、「大火があって町は焼け王宮も焼けた」と「王族の偉いなんとかいう人が決闘で何人か人殺しして、その後その人は逃げた」というのがメインイベントだったらしいです。当時は相当な悲劇だったと思いますが、国の歴史としてはあんまりパッとしないような気がします。でも、要するにみんな貧しくて、王族だって貧しくて、トレンガヌを支配する大国だって、「トレンガヌってどうよ?なんもない」みたいに支配に力入れてないし。
、、今のスルタン王家は昔のタイ系のままだと思います。まさか石油が出るとは!みたいな逆転劇がなかったら、ここは相変わらず貧しい土地のままだったのでしょうね。博物館にも飾るものが少なすぎて、今だって現代美術の企画展してスペースを埋めてたし。
、、ただ、住民は素朴。とってもいい感じにスレてません。トレンガヌはアラビア文字を使うジャーウィーが広く使われてますが、バイクウィークに来てたお兄ちゃんたちは読めません。
「普通の人はジャーウィー読めないのとちがうかなあ。学校で習うけど」
ということでしたが、それはあんたが読めないのであって、みんな、、にしないでほしい。という突っ込みがありそうです。ローマ字発音としては、Toreng - Ganuです。
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