バイオリンのレッスンの時、毎回、必ず言われること、、、もっと感情を込めるように!
そもそも、「感情を入れてはいけない」というのが学校卒業以降、ずーっと学んできたことでした。小、中、高校には、音楽、ダンス、絵画、習字といった感情を込める授業があったけど、それは忘れるぐらい遥かな昔のこと。社会にでると、、ずーっと、どこでも、「感情的」であれば注意され、矯正され、嘲笑され、「感情的にならないこと」が社会人の本分であるように言われたものです。もはや、普通の感情ではなく、論理的という名の感情だけを使うようにいわれてきたのに、、、ここに来て、急に感情を入れるように言われても、、、

ジャスティンから、音楽のコミュニケーションってわかる?と聞かれて、えーっと奏者と観客の意志の疎通だよね、、と無難に答えると、、「そう、でも楽器を通じてね」。
楽器を通じた会話?って? ほら、こないだのエグザムでも3つの評価基準の一つだったじゃない、、と、いわれて慌ててエグザムの結果を取り出し、、なるほど、ある。
自分の出す音に、自分の気持ちを込めて、観客に届けなくちゃ、、って、それってプロの人に求められることだけど、へたっぴビギナーの私でも、やんなくちゃいけないことなのか?本当に楽譜どおり正確に弾くことだって難しくて、目を皿にして譜面にくぎ付けなのに、、感情ね。相手を驚かすような音を出したらいけないし、優しい音には優しい気持ちを込めて、、、むずかしい!
評価欄に Communication & Interpretation てあるけど、まず解釈。どういう曲でどういう、どういう気持ちを込めるのか。でもって、その気持ちを観客に伝えるということ。やみくもじゃなくて、ちゃんと解釈しなければならないんですね。
でも、その昔、石器時代のご先祖でも、縄文時代のご先祖でも、みーんな感情が優先だったはず。なんで、子孫である私が上手くできないのだろう、、ご先祖さま、ごめんなさい。これも、「感情的」を戒めている社会の所為です、、って言い訳したい。感情をきちんと表すこと、感情的である訓練、感情を学ぶこと、こういった勉強が、なんで社会にないのだろう?
生まれてきたときは目も見えず聞こえず、かろうじて息をしたり心臓を動かしたり、寝たり食べたり(飲んだりか)できるけど、身動きもとれない。そんなときに、有り余るほどあるのが「感情」。神様からの誕生プレゼント。赤ちゃんの唯一のツールで、会話も感情で行います。今だって使っているのに、上手な使い方なんて習ってない!
たとえば、拍子の4/4と2/2の違いは何?あるのは表現の違い、感情の出し方の違い、ほかはまるっきり同じなのに、2/2は4/4にはならない。
音楽を始めて良かった、、と思うことの一つは人生が豊になったこと。
そうじゃなきゃ、「感情的であること」を学ぼうとか、どう「感情的であろう」とか思うことは無かった、、社会の大勢に飲み込まれて、、「大人は感情的になっては恥ずかしい」とか馬鹿なことを言ってたはずです。
本当は、喜怒哀楽、感情的なものが人生の富なのに、、気が付かなくてお金みたいな道具が宝と勘違いしてしまうところだった。感情こそ、まさに賢者の石。
もっと、感情的でありたい。(じゃないと、ジャスティンにまた言われるし)
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