The Redang Telegraph

2017年08月23日

三浦瑠麗の大嘘 2

1923年から1933年までは、関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、昭和三陸沖地震などで、国民の上から下まで経済的に苦しい時代がつづきます。大不況の時代、大倒産の時代ともよばれます。が、まかり間違っても「経済的に比較的恵まれ」た時代と呼ばれることはありません。三浦氏はいったい何をまかり間違ったのか皆目見当がつきません。

もっとも、本人は必ず曖昧な言葉でしか語りませんので、「、、、と考えています」であれば何でもアリです。どんな大不況でも、恐竜を絶滅に追いやった天変地異や氷河期に比べれば、「比較的恵まれた」と言えるでしょうし、どんな状況でも、、「と考えています」なら、事実を違うことだって考える自由はあるわけです。

「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

「それ以前」を1943年以前の20年間のうち10年の経済状態をみてきたわけですが、1931年には満州事変が勃発。戦争には必ず経済的疲弊が伴いますが、多くの人は戦果ばかりに注目して経済に注目する人は多くありません。さらに1931年には犬養首相=高橋蔵相コンビによる金の輸出再禁止となっています。金解禁は当時の日本の経済の話題の中心で、関東大震災、世界恐慌などを経て日本経済はフラフラと千鳥足で政策を一定できません。金の輸出再禁止によって多少は日本の企業を息を吹き返します。とはいえ、財閥に手厚く、庶民は塗炭の苦しみが続くこの犬養=高橋コンビは憎まれ、翌年1932年には昭和史に必ずでてくる五一五事件が発生しています。農民決死隊を含むこのグループは財閥に手厚い犬養首相を暗殺。

1933年は日本の国際連盟脱退の年。国際的な目はますます覆われ、視野を狭められていきます。関東大震災から10年。東京も農村も生活は苦しく、軍靴の音はけたたましく、一部財閥ばかりが金儲けに熱中している時代です。1934年は現代史でも必ず取り上げられる「昭和東北大飢饉」の年。1930年代前半は何度も冷害に襲われ農村は疲弊に疲弊を重ねていたのですが、1934年の凶作は小作農民を直撃。日本史上最後の飢饉となっています。1935年も凶作の影響はつづき、相沢事件にみられるような軍部内部の抗争が激化。この頃から経済が事件として取り上げられることが少なくなりますが、それは政治軍部の諸問題が余りにも大きくなりすぎて、経済など取り上げる余地がなくなったからです。戦争の時代とはいつでもそういうもので、国家予算とかGDPとかを気にしていたら戦争などできません。1936年は二二六事件が起こりましたが、クーデター失敗。金輸出再禁止の高橋蔵相は暗殺され、犬養=高橋の2名とも凶弾に倒れたことになります。この事件も、農村の窮状を救うというのが旗印の一つになっています。今の人にはわからないかもしれませんが、この時代の日本といえば一次産業中心で、ひとは農村とつながりがあるのが普通でした。

総務省統計局のデータです。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm
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1937年は盧溝橋事件から日中戦争に突入した年。このあと延々と中国での日本軍の戦争は続きます。戦争経済?そんなもの誰も気にしなくなっているほど感覚がマヒ。ちなみに、日本軍はアヘンを売りまくることで戦争を継続していきます。

あれだけの戦争をしたのですから相当なお金がかかったはずですが、それを問う声は少ないのは、アヘンが絡んでいて大声では言いにくいから。日本の外貨獲得の旗頭だった生糸が恐慌を境に壊滅。それに代わる産業がない状態です。アヘン経済に日本の「戦時中の国運」を任せていたのは別に秘密でもなんでもなく、国も認めてますから調べればすぐにわかること。
1930年代後半には、日本はついにヘロインとコカインの生産量世界一になりますが、国内消費用ではなく大切な外貨獲得手段。国内向けには覚せい剤が普通に出回りはじめます。

時代は疲弊した日本の農村を再興する代わりに、中国への植民を奨励するようになっています。
1938年以降、もはや戦争につぐ戦争。1939年はノモンハン事件があり、第二次世界大戦が勃発。1941年には日米開戦、緒戦の勝利に沸いたのもつかの間、開戦から6か月後のミッドウェーで日本は負け、さらにその2か月後にはガダルカナルで負け、その後ずっと負け続け。日本の経済?国家予算の9割が軍事予算で、前線はアヘン売り上げに頼った経済と略奪経済。もはや経済など無視。
1930年代後半のGDPは戦争に向けて増大していますが、個人消費は縮小の一途です。このGDPの増大をみて「比較的恵まれた」とするのは間違いです。経済指標は上昇しましたが財閥が儲け、国民は「恵まれた」とはいえないのが実情です。例えば今の中国はGDPで世界2位ですが、貧困は存在し経済成長の恩恵は偏在しています。

想像してみてください。疲弊した農村から出征した一家の稼ぎ手。残る家族は生計の立てようもなく、出征した兵士が戦病死すれば、もう家族には悲劇しか残されていません。これの何が「豊か」さなのでしょう?あるいは中国をはじめ世界中にアヘンを売って中毒者から巻き上げたお金で戦争していたのが「豊か」さなのでしょうか?

三浦氏の発言をもう一度。

「それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています」

それ以前の20年間。最初の10年間は震災、津波、冷害などの天変地異と金融恐慌、世界恐慌などの経済不安な時代で、誰がどう考えても恵まれた時代ではなかったですし、次の10年間は515事件、226事件が起こり、軍事独裁の道をひた走り、経済低迷を軍事力で打破するという暴挙による「戦争の時代」です。国民は戦場で死に、貧困の窮状は捨てられてしまいまい最初の10年よりも辛い状況ですが、これが豊かな国家のすることでしょうか?なるほど豊かな人達はいました。いわゆる戦争推進者で、高級官僚・軍人は血税を、財閥は死の商人として得たカネを、、、、毎日の料亭で使い果たしていましたが、三浦氏の目線はそこにあるのでしょう。

あえて取り上げませんでしたが、「いまよりも世界的な広い視野を持った人」とは戦争推進者ではないでしょうか。「豊かな国家」と言い切れず「ある種の豊かな国家」と言い換えているのは滑稽です。「ある種」が何なのか誰にもわかりません。曖昧な言葉で嘘をつき、逃げ道ばかりを考えたようなこのような三浦氏の発言は、全くの愚論で一顧だに値すべきものはありません。

むしろ、このような人物を持ち上げる時代の流れが、今の日本だということですね。

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