The Redang Telegraph

2017年08月23日

三浦瑠麗の大嘘 3

三浦氏の東京新聞の記事について多くの人が反論していますが、その反面、氏の発言を支持している人も少なからずいます。私がこの記事について反論を書こうか迷ったのですが、最近の明らかに真実でない発言を厚顔無恥で巻き散らかしている政治家が多い中、よりによって研究者がこれほど(つまり小学生レベル)の間違いを堂々と行い、平然としているのは看過できませんでした。。。史学を学んだものとしての義務さえ感じました。

「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

このたった2行の中で「それ以前は経済的に比較的恵まれ」というのがどれほど間違いであるかと述べました。反論する中で気が付くのですが、ともかく、三浦氏の発言は曖昧すぎます。

1)せいぜい2年ほど:明確さに欠ける。
2)それ以前:それ以前とは具体的にいつの時期か?私はそれ以前の20年間と常識的に仮定していますが、それ以前とは縄文時代のことであると言われても文脈上成り立ちます。

3)比較的恵まれ:何と比較するのか?この時期の50年ほどと比較するのが常識的かもしれませんが、三浦氏が「いや、1943〜1945年と比較して」とあらば論外です。空襲により国土が焦土と化し、日本人310万人が亡くなった大戦とその後の飢餓に比べたら、比較的恵まれているかもしれませんが比較する意味がありません。自然災害や恐慌は人を苦しめるために発生するのではありませんが、戦争は明確に人を殺し苦しめるために発生しますので、比較にならないでしょう。さらに恵まれているの基準はなんでしょうか?「恵まれている」とは感覚的な言葉で、本人がそう思えばどんな状況でも「恵まれている」です。

4)いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる:実名も上げず不明確。誰のことだか想像もつきません。この時代世界的な視野をもった高橋是清などは国賊呼ばわりされ凶弾に倒れています。もし世界的な広い視野を持った人がいたとしたら、そもそも敗戦の惨禍をみることがなかったはずです。
それに「いまより」とありますが、今がそんなに視野の狭いものばかりなのでしょうか?三浦氏の周辺はそうなのでしょうが、ネット時代ですし一般的に今の人の世界的視野は1943年以上に広いと思います。ただし、政治家については何とも言えません。この一文は全く意味不明です。

5)ある種の豊かな国家:なにが「ある種」なのか曖昧で見当がつきません。国体護持の精神的豊かさなことでしょうか?でも、この文は「経済的に比較的恵まれ、(中略)ある種の豊かな国家だ」と経済的とはっきり明記して豊かさを指しています。どこが「豊か」と理解できたのか知りたいところです。
6)そもそも「恵まれ」も「豊かさ」にも基準はありません。この2つほど感覚的な言葉づかいはないでしょう。「比較的恵まれ」「ある種の豊かさ」。浅学で具体的に言えないのを、なんとなく分かったように言い換えるテクニックですが、文字にして何度も見ると、いったい何を言いたいのか不明。もちろん、これは虚言であることは既に述べたとおりです。本人も分かっていっていると思います。

7)と考えてます:なーんだ、ここに書いたのは単なる雑感で資料の上になりたった論理ではないということです。考えるだけなら、どれだけ妄想しようが自由です。しかし、研究者としては失格です。

たった2行なのに、これだけ書いても、まだこの方は持論にしがみつくでしょうね。それは研究者としてよりも、信仰者としてです。ですが、自分の戦前への信仰を他人にさも事実のように開陳するのはやめてほしいものです。研究者もやめて、妄想を信じ信仰者として生きるのであればまだその自由は憲法が保障しています。

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