The Redang Telegraph

2017年11月14日

Introduction for BUDO? 武道のすすめ、、か?

I read an article of Introduction for Budo. But, too,, what can I say, old concept too old dated. Budo must be hilighted in new aspect in this modern age...not idea of 100 years ago.

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武道のすすめ、、という文を書いたのは元中央教育審議会会長という人です。内容は、、なんかつっこみどころ満載すぎて、どこから突っ込んでいいことやら。こういう武道のように「伝統がある」といえば、聞こえはいいけど、わかりやすく「古臭いもの」をやるということが現代的にどういう意味があるのかということを広く安易な言葉で知らしめるのが教育なのに全然伝えてない。
武道は一般的なスポーツと違って、こういういいところがあるのだよ!というのもあるはずだけど、それが全然書かれてないということは、ちょっと信じられない。ちゃんとやっている人なら、それぞれのアクティビティのもつ良い所はきちんと説明できるはずなのに、、残念にもほどがある。

いきなり最初から、「立派な人になりなさい」。まず、何をもって立派というのか?世のため人のためといいつつ、武器を売り戦争をしかけてる「立派な」と言われる人も多いものです。
でもって、仏教の教えを持ってきて、、。まあ、いいけど、教育の初っ端に宗教をいきなりぶつけてくるなんだけど、内容もすごい。人間として生まれるのは難しいけど(?)、生まれたからには立派な人になりましょう。おお、いきなり何かと物議のある六道輪廻ですね。この説を持ってくると、先祖は何かに生まれ変わっているから(すでに先祖の霊に似たものは無くなっている)、ご先祖様が見守っているとかはないよ、、ってやつですね。まあ、いいでしょう。

そもそも、世のため人のためになる人になりなさいという常識的なことを言うために、わざわざ六道輪廻説を持ってくる必要があるのだろうか?しかも仏教徒限定の理論だし。なるほど、最近の教育はなんかネジが外れているといわれてるけど、ついに現場を見てしまった気分。

その次の人間は試練と闘う運命、、云々というのは、もういい。いちいちつっこんだら収拾がつかなくなる。「人間は試練と闘う運命」というのは大仰で悲観主義なあんたの運命論であって、いちいちつまらん運命論なんてもってくるな。「人間は楽しむために生きている」という主張のほうがよっぽど世の中を明るくするよ。

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つっこむ前に予め言っておくと、私の親族に学校の必修武道科目で受傷して寝たきりになった子がいます。まるで定番のようですが学校側はなんの責任もとりません。こういう話は良く聞くでしょう、ありふれているかもしれません。でもね、子供も家族にとっても「ありふれた話」で済ますわけにはいかない、本当に人生そのものの大問題なのです。怪我の危険が予測できる「武道を学校教育に必修にする」ついては敵意丸出しです。
武道そのものを否定するつもりはない(実際私は学校のクラブ活動でやってた)、けれど絶対に選択制あるいは課外クラブ活動にするべきだと思っています。

武道はいろいろなことを教えてくれます。。。と書いている?内容を読むと別に武道じゃなくても構わないじゃないか。
1)体を鍛えるなら、普通にジョギングしたほうがいい。体力をつけるなら水泳がいい。歩く走るは人間の動作の基本で体の動く限りやらないといけない動作です。武道にくらべて怪我も少ないうえ生活に役に立つし正しく行えば体幹から鍛えることができる。
2)精神を鍛える?ところで精神てなにものですか?いろいろと調べたけど、「精神」をきちんと説明できているところはありません。例えば忍耐力、例えば挑戦、こういった言葉で言い換えが可能です。もし、言い換えが不可能であれば、実際のところそれが何であるか、説明できないし、さらにそれを鍛えるなんて無理でしょう。武道であれば精神が鍛えられるということはありません。武道をしていない世界中の多くの人はこれが鍛えられることがないということかな。

「精神的に強いランナー7つの特徴」という記事があり、長中距離ランナーがいかに精神的に鍛えられるかということが書かれています。べつに、精神というものがあっても、武道じゃなければ鍛えることができるわけじゃない。
http://sekatyu.blog.jp/archives/26092710.html

3)心を強靭にしてくれます?ああ、エジプトのカイロで3年ほどエジプト人に混じって生活すれば、別にそれだけで心は強靭になります。特に運動なんてする必要もないです。格闘技?へん!カイロの生活は「実戦」だよ、お遊びの練習とかとはわけが違う。いきなり大家に追い出されるとか普通すぎる。もう毎日実戦でへとへと、、毎日闘って、闘って、闘って、そらあもう、、武道?なんじゃそりゃ、、というレベルでより高度な実際レベルの「心の強靭さ」を身に着けることは確約です。

以下は略。べつにどのスポーツでも、スポーツでなくても身に着けられるのもばかり列記して、いったい武道でなければいけないことなんて何一つ書いてない。私が書くならただ一つ、「痛みを知ることができる」。武道も含めた格闘技は相手に直接的な痛みを与える行為です。これは他のスポーツにはありません。痛みを感じることで、相手の痛みもわかるし、肉体的な痛みを通じて精神的な痛みも想像できるようになり、痛みを思いやる心が育つことかな。でも、武道に限定しません。

別に武道が好きな人は続ければいいし、はじめたい人はともかくやってみればいい。ただ、必須という名の強制は止めて欲しい。

武道のすすめというのであれば、「自発的に武道をやりたい人は応援するし、武道をやらない人にも尊敬の心を忘れない、これが武道の教えです」ぐらい言えばよかったのに。

ただそれだけのこと。学校武道必修みたいなバカげたことを考えるのは、本当は武道なんてやったことない人なんじゃないかな。

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