Iman Bonjol and Perang Padri Minangkabau War
新年はボンジョール!からはじまりました。このバイク旅は往復なので、前日北半球からせっかく南半球に降りてきた(標高差的にも降りてきた感あり)のに、また赤道を通過して北半球にもどります。今日の赤道は雨が降ってません。よかった、、朝早い時間帯は雨が少ないのはマレーシアもいっしょ。午前中にどこまで距離を稼げるかがキモになります。
またもや、赤道。ま、スルーします。せっかく雨が降ってなくても、前日に赤道を堪能したので十分。ボンジョル師にも挨拶して、さようなら。ゲートの奥で馬に乗っているのがボンジョル師です。
この方がお札に顔出しするようになったのは、対オランダ征服軍との闘いの功績ですが、事情はもっと複雑。これに関してはパドリ戦争というのがWikiに簡単に乗ってます(珍しく和文で)。
パドリ戦争 Perang Padri
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%89%E3%83%AA%E6%88%A6%E4%BA%89
その昔、西スマトラ州がミナンカバウと呼ばれていた頃、今のサウジアラビアのワッハーブ運動に影響を受けて戻ってきたインドネシア人のメッカ巡礼者ハジ・ミスキンら3人。ここから先は、ほとんど現在の社会にも通じるんだけど、、
、、当時のミナンカバウはイスラームとは名ばかりで全然宗教的じゃなかった、お酒もギャンブルも麻薬もなんでもありで、巡礼から帰ってきた3人は「こんなのイスラームじゃない!」と退廃追放運動をおこないます。
すると、ギャンブルやら賄賂やらで儲けていた土地の王侯は、うるせえ!お前らが騒ぐと俺たちが儲からない!と俄然対抗。改革は「パドリ派」と呼ばれていたため、パドリ戦争と呼ばれます。このパドリとは?語源的には今でも謎だそうで、なんでパドリって名がつけられたか今ではわかりません。
この3人の巡礼が勢力を伸ばし、王侯はスマトラ海岸地帯にしか影響力がなかったオランダ軍に応援を求めてパドリ派と闘うことにしました。まさしく、ミナンカバウ人自身がオランダ軍を呼び込んだわけだ。この戦いは何十年も続き、3人の巡礼の次の世代に活躍したのが、ボンジョル師やラオ師といった人達。
ラオ師の騎馬像。ラオ師はバタック人です。Tuanku Rao
どの角度からも、ラオ師の顔が見えないという不都合な配置。もっと、考えて設計すればいいのに、、
とりあえず、ラオ師はこんな感じでバタック人を教育したらしい、
地元でラオ師はボンジョル師(ボンジョル師はミナンカバウ人)と並び称されているけれど、パドリ戦争のWikiの中では名前もでてきません。ただ、Tuanku Raoの項目はありました。私の見たところバタック人とミナンカバウ人の差はほとんどないです。社会的にプロフェッショナル指向が強いところなんてほぼ同じ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tuanku_Rao
ナポレオン戦争が終わって混乱したオランダ本国からほどとおいミナンカバウでも一時はパドリとオランダの間で停戦ができたものの、すぐにオランダとの戦争は再開。
こうして、パドリ派の目的が世俗社会の浄化、社会改革から、オランダ軍による内陸部植民地化との戦いに内容が大きく変化して、ボンジョル師の立てこもったボンジョル砦は1832年に陥落。
それ以降ボンジョル師は遊撃に転じますがパッとせず、ラオ師は1833年に戦争の傷で死んでしまい、ボンジョル師は1837年にオランダ軍にとらえられ(その後スラウェシ島に流刑)。最後まで残ったダルダル砦も1838年に陥落してパドリ戦争は終結。結果として、オランダ軍のミナンカバウ(西スマトラ州)全域の植民地化ということになりました。
なんか、今も良く聞くけど、社会改革(パドリ派)と保守派(王侯派)の戦い、、が、結果的に第三者(オランダ軍)の利益になって前者の両者とも潰れてしまう、、という話。
赤道直下の昔の話。いまのボンジョル公園(赤道公園とは違う場所)は、平和な場所、、
朝ごはん食べて、、ナシゴレン、、元旦の朝は、、ナシゴレンが似合う(たぶん)。
だれもいない遊園地で暇そう、、200年前の戦争なんて思いうかべることだってできません。
ずっと平和でいてほしいです。パドリ派、つまり社会改革の伝統は色濃く残り、現在でもミナンカバウ人がインドネシア全体の社会改革の旗手になることが多いそうです。それに、西スマトラ州は今でもムハマディヤ系統の社会改革が盛んな土地として知られています。
ちなみにマレーシアのヌグリスンビラン州にはまとまったミナンカバウ人のコミュニティがあり、N9のマレーシア語にはミナンカバウ語の影響があるそうです。それに、ミナンカバウ人は「世界最大の母系社会」だそうです、、なんか興味津々。
●
2018年01月12日
この記事へのコメント
コメントを書く