
最近、ツイッターで記事紹介をみたので、このブログを見に行ったら2年ぐらい前の記事。だから、この記事を書いた人は今でも記事どおりの考えなのかどうかはわからないです、、というか、2年ぐらいあれば変わっているのが普通。
記事についてだけいうと、、やれやれ、いるよね、こういう人。好きなように言いたい放題なんだけど、まあ、いいでしょう。誰が何を思おうが勝手です。でも、本当に何が「日本人ムスリムにありがちなこと」なのか全然わかってない。全然当てはまらない人も多いけれど、すくなくとも「日本人ムスリムにありがちなこと」とかを気にするような人に、、ありがちなのは、
「人からどう思われているか気にする。同じぐらい、他人がどうか気にする」
です。だいたい、日本人と外国のムスリムの違いなどない人類はみな兄弟姉妹である、、というのがイスラームの主義主張なんだけど?あの人この人、生まれつきムスリム、改宗したムスリム、変な髭を生やしてる、普通じゃない服装してる?区分ばっかり作って、見た目であれこれ、勝手に「普通とはこう」というのを作って、平等精神はどこにいった?
あんな格好して会社で上手くやっていけるのか?ふん、大きなお世話。なんだって、こう、また、ひとのことばっかり気にするのか?わからん。ムスリムは形から入っていく?その人のいったい何を知ってるというんだろう適当に邪推しているだけ。一から十まで、自分には関係なにのに、よけいなお世話。
私は滅多に「日本人だからとか、xx人だから」、、とかつまんないので言わないのですが、この「他人の目を気にする」のはほとんど日本の隅々まで蔓延している宿痾。せっかく「世間の目が基準」という閉塞感あふれた社会から、イスラームの「神様のいうことが基準」になったんだから、「私は私。あんたがなんて言おうが関係ない」、、とまい進すればいいのに。それだったら、おお、そうか、いけいけ、突っ張れよ、、となるのに。
アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。
関わりのない問題を放っておくことは、良きムスリムたることの一部である。
アッティルミズィーその他が伝えている優れた伝承である。(ナワウィー師の40のハディース)
たかだか、自分の周りの類は友を呼んだような連中をみて、「日本人ムスリムは」なんて少数を一般化するようなことしないで、自分は自分、自分の信仰を持っていればいいだけのはなし。じゃあ、なんで私がこの記事をスルーしなかったかというと、、「日本人ムスリム」というカテゴリーで係わり合いを持たされたから。
人はひとりづつユニークで貴重な存在。ひとつの独立した比類ないもの。誰かにカテゴリー分けなどされてたまるか(特に見た目とか国籍とか)。
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