The Redang Telegraph

2018年04月11日

Fake Photos フェイクニュースにフェイク写真。もう、いったい、何を信じていいのか、そうとうな読み解く力が必要な時代になったもんだ。でも、、世間は逆方向。

There is a lot of not-proper photos nowadays.

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この数年、、偽写真や偽ニュースといった偽の情報が世間に飛び回って、もはやうっかり信じようものなら偉い目にあいます。大手の配信するニュースからSNSでよく知った友達の情報まで、混沌としてる、、なんだか、すっかり滅入りそう。

私は(現)米大統領はちっとも好きじゃないので、(前)大統領の就任式に集まった人数と比べてはるかに人数が少なくても「ああ、そうでしょう、人望無いし。」と全然気にしなかった。でもって、比較した写真が出回って、わざわざ180万人と25万人の差があるとバカにされていました。そんなに大差あるなら、そもそも選挙に勝てないだろう?という気もしましたが、(現)は嫌いなのでどうでもいいや、、とか思ってた。


この比較写真をみた(現)が猛然と反論して、25万人じゃなくて150万人はいるようだった、マスコミは嘘をついている!といつもの持論を振り回していたので、「やっぱり(現)はバカだよなあ、人数は一目瞭然なのになんで見え透いた嘘をつくんだろう」的なコメントがまたまたSNSを駆け回ってました。

でも、後で動画を調べると、、25万じゃなくて本当に100万人越えはしているぐらいの数はいる。どうやら、25万人とキャプションのついた画像は(現)の反対者が会場をブロックして中に人が入れなかったときの写真だったらしい。それを比べるか?それも撮影した時間も違ったらしい。

もちろん偽造された写真ではないのだけど、切り取った写真を発表して「これは事実だ」というのはどうだろう。偽でなければ真なんだろうか?まあ、この話題は周回遅れの私にふさわしい古いものだけど、、

、、、この手の偽でないけど真とも言えない写真、、写偽、、写不明、、なものは、SNS上で日を追って多くなるばかり。私もうっかり騙されたものもある。もう、なにがなんやら、どれを信じていいのか本当にわからない時代になったので、逆にほとんどどれも信じないようになってしまった。

あとは自分の写したものだけ。Seeing is believingというけど、自分の目で見たものだって、うかうかと本当に信じていいものかどうかはよくわからないです。こういうフェイク文化がこれからもますます盛んになるのは間違いないだろうし、後世の人が「21世紀の最初の数十年は偽造と疑心暗鬼の時代だった」というのでしょうね。

これに対して、たとえばマスコミは全く嘘、でたらめという人もでてきて、いや、でてきてるだけじゃなくてかなりの勢力になっているのだけど、それもまた極端すぎる。全部が偽じゃない。もちろん、正しいことのほうが割合としては多いのだけど、羹に懲りて膾を吹くような人がこれまた極端を切り取ってしまうのも、またフェイク。

もはや国民にはこの事態を対処するため「読解力、論理学」が必須なのですが、、現日本政府の高等教育方針は「技術系重視、文系軽視」ということらしいです。こうやって、ますますフェイクがはびこるんだろうな。

こまった、こまった。

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