
規則は守らなければならない、、というのは正しい。。。の?
ウエブで見る限り、なんだか今の日本では規則や法律が正義で、逆にいえば規則や法律の範囲内であれば何をやってもOKみたいな風潮があります。うーん、これも歴史に弱いからなのか?
国の成り立ちについて弥生時代にどうやって発生したのかメカニズムを追って、人が国に望むものを考えれば「国とはなんだろう?」というのが考えやすくなる、、というのは前にこのブログでも書いたことがあるけれど、、、規則や法律ね。
これも、どうやってできたか起源を考えればいいのじゃない?
そもそも、人がまばらにしか住んでない石器時代とかには法律も規則もないです。信仰が代替わりしてたかもしれないけれど、基本自由。なにやってもOKだけど、自然のルールから逸脱すると死んだりとんでもないことになるというだけです。こうして、知識の伝承として、ルールが生まれました。簡単な例だと、雪の日に濡れないでいると病気になりにくい、、だから、子供たちには雪の日には濡れないでいるところにいるように指示する、、といったものです。
だから、何?それと今日の社会の規則や義務や法律とどういう関係があるかって?もちろん、おおあり。今の社会を覆う規則というものの本質は、こういった石器時代と構造的には同じもの。ただし、それを破るとどうなるのか?学校の生徒手帳のように「ソックスは黒だけ。茶は違反」を破ったら死んでしまうの?ってことはないでしょう。「それを破ると、合理的にxxxxのような不具合が発生する」が明確でないものは規則ではありません。「名ばかり規則」。
夫婦別姓問題、、、これって選択性だから別に別姓にしなければならない理由が無い人は今までどおり夫婦で同じ姓を名乗ればいいだけの話。別姓でいたい人は、そうすればいい、、という話じゃない?それに反対する理由が見つからないのだけど、、わからん。
歴史的に言うと日本は夫婦別姓だった。、、というか、そもそも大多数の人は名乗るような姓すらなかった。姓なんて特権階級(とその没落した庶民)の占有物でご庶民には縁のないもの。。でもって
1)まずは平民も姓を名乗れ
2)そして夫婦は同じ姓にしろ
というのは明治になってどうやら欧米がそうしているので、見習え!というだけ。
脱亜入欧
明治以前の日本は伝統的にこういったルールは中国文化から取り入れていたし、中国は夫婦別姓だから、脱亜入欧で伝統的アジアスタイルはやめよう、、ということ。まあ、この時期に人名のローマ字表記を「名が先、姓が後」というこれまた実際と伝統と無視した脱亜入欧でやったから、いまだもって名前のローマ字読みと日本語読みでちぐはぐが続いている。夫婦同姓とはローマ字で氏名が逆転するのと同じレベルで出来た規則。うーむ。明治維新で失われた日本の文化伝統は数限りない。
でもって、理由は現在的なものだけど、見た目は夫婦別姓という日本古来の伝統を選択性というフィルターにかけて再興するという試みに、「日本の伝統が失われる」という理由で反対している人が多数いる。
こんなルール、、破ると死ぬんかい?
夫婦同姓が伝統?笑わせるなあ、、そもそも姓がないのが伝統なんだよ。日本伝統の総本山的な天皇家の姓を知らんのか?ないもんね。伝統から行くと姓不要論があっても不思議じゃない(笑)。天皇家に続け!姓を返上します!というのがあってもおかしくない(いや、おかしいけど)。
さらに、人名のローマ字表記を姓が先、名が後、という伝統的(でもって今でも普通)のやり方に回帰するという動きがないのが不思議。あんなの、明治維新の欧米従属から生まれたものなのに。まあ対米従属というのが伝統的か、、(泣)
伝統とかいう言葉を振りかざす人に限って、伝統に無知が多いのは、科学を知らない人に限って、科学万能論を振り回すのに似てるわけさ。反知性主義万歳ですね。
ルールの本質を知らない人に限って、ルール万能を唱えやすいということ。
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