The Redang Telegraph

2018年10月26日

Fake news in 1867(1) 八戸事件、、という「フェイクニュース」が長きにわたって日本外交を揺るがせた重要な、しかし、知名度はいまひとつな事件があった。最終的に、フェイクニュースが成就されてしまい、フェイクではなくなったのがミソ。

Fake News issued from occupied Hong Kong in 1862. It made a lot of trouble for 3 countries, China, Korea and Japan.

八戸事件、、という幕末から明治の日本外交、特に中国、朝鮮、日本という3か国の外交関係をゆさぶる事件がありました。
一般的にはフェイクニュースで政府を揺るがせた案件として知られているけど、、知らない人は全く知らないと思う。しかも、フェイクというだけあって、事件の呼び名すら「はちのへじけん」なのか「やとじけん」あるいは「やべじけん」なのか正式な呼び名すら確定していないというありさまです。

ざっくり説明はWikiに任せます。Wikiこそがフェイクニュースの発信源とまでいわれるほど信ぴょう性には疑問を持つべきなのでしょうが、まあ、いいや、、めんどくさいし。(以下カッコ内がコピペです)。

「(引用はじめ)同治5年12月12日(グレゴリオ暦では1867年1月17日)、清国の広州(広東省)で発行されていた『中外新聞』という華字新聞に、イギリス領香港に在住する八戸順叔という日本人が「征韓論」めいた記事を寄稿した。日本(江戸幕府)は軍備を西洋化し、朝鮮を征討しようとしているとする記事である。清国の外交を担当する総理各国事務衙門(以下、総理衙門)は、外国人が開港場で発行する新聞の内容を上海の南洋通商大臣、天津の北洋通商大臣および各税務司に毎月報告させて情報源としており、この記事もただちに弁理五口通商事務大臣に届けられ、総理衙門へも報告された。総税務司ロバート・ハートからも詳細が報告されている。

これらの情報を受け、翌同治6年2月15日(1867年3月20日)、総理衙門主宰の恭親王が同治帝に、記事の内容とともに、礼部を通じて朝鮮に密咨を送り、実情を調査させるべき旨を密奏として上呈した。この上奏は直ちに裁可され、当時たまたま来清中だった朝鮮の冬至使に、さっそく礼部からの咨文が託された。この冬至使は翌月に朝鮮に帰国し、「征韓論」を伝える密咨が、朝鮮政府に届けられたのである。

該当記事の内容は、
日本は軍制を改革して、新型兵器・軍艦を購入・製造し、現在すでに火輪兵船(蒸気軍艦)80隻を所有している。また12歳から22歳までの優秀な若者14名を選抜してロンドンに派遣した。留学生らは西洋風の髪型にそろえてヨーロッパ式の軍服を着用し、英語にも精通している。また、江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を上海に派遣して火輪兵船を建造し、すでに帰国している。幕府は、国中の260名の諸侯を江戸に結集して、朝鮮を征討しようとしている。日本が朝鮮を征討しようとするのは、朝鮮が5年に1度実施していた朝貢をやめ、久しく廃止しているからだ。
というものであったという。次節で述べるように、この記事の内容のほとんどは誤情報から成り立っており、いたずらに外交摩擦を生じさせかねない文章となっている。田保橋潔が『近代日鮮関係の研究』で「朝鮮に関する部分は全然無根で、何故に彼がかかる流言を放ったか、理解するに苦しむものがある」と述べている通り、「八戸順叔」という人物がなぜこのような妄説を新聞に寄稿したのか、目的は全く不明である。(引用おわり)」

この八戸が寄稿した記事は、いまのところ1次資料としてはみつかっていません。一番最初の情報にさかのぼっても、弁理五口通商事務大臣(五口通商大臣)から総理各国事務衙門(清王朝の外務省)に届けられた報告が一番古い確実なものだそうです。ちなみに、五口通商大臣とは、南京条約で開港された5港(広州・福州・アモイ・寧波・上海)での対外通商と外交事務を担当する外務省の下部組織です。つまり、八戸寄稿は、清朝政府の公式なルートで採取され、上奏されたということで、てきとうにねつ造されたものでなくて、実際になんらかの記事として存在していたのは間違いありません。ゆうずうが利かない清朝末期の役人が公式政府トップまで報告する文書を偽造する理由なんてなにもないからです。

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