Fake news in 1867.
清国や朝鮮は幕府から「八戸の寄稿など、全くのフェイクでありえません」という回答をもらっても、全然信用してません。
そもそも、清国は倭寇、朝鮮は秀吉の朝鮮侵略、、という実害をうけた歴史があって、日本ならやりかねんという潜在的な疑惑をもっていました。
当時の清国最高のインテリジェンスの一人、李鴻章は日本の西洋化をじっと見ていて、八戸事件の3年前に既に、「日本の動きをみると、今はてんでバラバラで、西洋化も途上だけど、ひとたび完成すれば、日本は欧米と並んで清国に押し寄せて戦いを吹っ掛けるに違いない。」ということを言ってます。清国の中では日本脅威論が頭をもたげているところに、この八戸寄稿があって、「やっぱりな」「こうなると思ってた」と疑惑を後押しするようなことになってしまいました。
ちなみに李鴻章が日本に疑惑をもったのが1864年のこと。その20年後に日清戦争の講和条約に引っ張り出された李鴻章としては、「20年前に日本はこういうことをする国だと言っておいたのに、なんの対策も打たないから清国はこうなるんだ」とさぞ無念だったでしょう。
2018年10月26日
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