The Redang Telegraph

2018年11月08日

Nationalism ? 「自分の国に尽くすこと」、、という概念が生まれて250年ぐらい。まだまだ新しい思想で、カルト。それ以前はそんなもの無かったし、無くても全然困らなかったし、楽しく暮らせてたのだよ。

第49条
出生の届出は、十四日以内(国外で出生があつたときは、三箇月以内)にこれをしなければならない。
第135条
正当な理由がなくて期間内にすべき届出又は申請をしない者は、五万円以下の過料に処する。


私がなぜ日本人なのかというのは戸籍法第49条と135条で、「生まれたら14日以内に日本人にならないと5万円以下の罰金だぞ!」とあるからです。本当は、生まれたばかりの赤ちゃんなのでそんなこと知るわけないのですが、そういうことで日本人になりました。私の意向とか全然訊かれてません(泣くのが意思の表れとは思われてないし、赤ちゃんは泣くのが仕事というぐらい。ふー、生まれてからすぐ仕事かよ)。
だから、日本人云々といわれても、知らないまま日本人になっただけです(ほとんどの人の状況は同じだと思う)、それに両親にしたって、その時に他の選択肢なんて全然なかった。以上、掛け値なしの真実です。おわり。


、、では、あまりに短い。
なので、以下だらだらと「ナショナリズムとアイデンティティ」について考えてみました。

そもそも、ナショナリズムというのは近代の発想です。
なんとなく偶発的に始まったフランス革命に後々の青写真なんてありません。それを見越して周辺各国が干渉してきたことに対して、それまでフランス人は「外交なんて、そんなの王様が勝手にするんでしょ」と無関心だったのが、いきなり「うんにゃ、自分たちでやるしかない」となりました。ところが「自分たち」が千差万別で混乱を極め、戦争の主役のフランス軍は指導者や士官が貴族主体なので戦う気がないし、明白に敵の味方だったりするので連戦連敗。で、絶体絶命。フランス国内に外国軍がなだれ込み。もう既存のフランス軍は使えない!革命政府は「祖国危機宣言」つまり「フランスはもう終わりだ!誰でもいいから戦ってくれ!」呼びかけました。これ応じて市民義勇軍が集まります。やがて、義勇軍による戦闘がはじまり、「初の干渉戦争での勝利」がもたらされました。市民が誰かに命令されたわけでもなく自発的意思で国を救ったのです。これが、現代につづく近代的ナショナリズムの嚆矢とされています。

それからのフランス軍は連戦連勝。フランスへの干渉戦争が逆にフランスからの侵略戦争に様変わり。欧州各地に、新思想であるナショナリズムが輸出されました。カルトみたいなもんで、人々は熱狂しました。


ここまでは、いい。が、問題はここから先。
ナショナリズムを見ていた各国政府は思います、、「なんと!給与を払わなくても軍隊ができるのか」。それまで、軍隊はとてつもない高額給料で兵隊を雇って財政的にヘトヘトでした。兵隊は命と引き換えだから給料を高くふんだくるうえ、情報に通じて負けそうだったらさっさと脱走するのが常。空気に敏感で、貰うだけ貰ったうえで脱走慣れした兵隊が偉い。戦死する兵隊など、ドンクサイの極みだったのです。命あってこそだもん。

それが、金を払わなくても死んでくれる兵隊がいるとは驚き!これを採用しない手はありません。「人間は情熱の対象さえ与えれば、タダで喜んで死んでくれる」というのは史上驚くべき大発見。この発見を早速財政削減のために応用、傭兵や徴発による軍隊をやめて、国民皆兵に乗り出します。とーっても安い給料で死んでもらうためには、情熱を鼓舞する「お国のために死ね!」という教育をしなくてはなりません。そこで政府による義務教育や高等教育が始まります。この「教育から戦場まで」の一貫教育がナショナリズムで、これを支えるためのお題目は常に開発され、手がゆるまる暇もありません。そうして今日まで延々と「タダで喜んで死んでくれる安直なツール」であるナショナリズムが各国政府の財政活動を支えるために活発なわけです。ナショナリズムの先駆けのフランスでは、マルセーユからの義勇隊の歌をそのまま国歌にしてるという念の入れよう。さすが。

いまでは、軍隊以外の多種多様なところでナショナリズムが経済的に使われ、政府のみならず企業における企業戦士にも応用されています。もちろん安い給料で死ぬほど働いてくれるから。

えーっと、最近では何やら東京オリンピックで、ボランティアという名前でタダで必死で働いてくれる人を探しているようです。非常にプリミティブで250年前とほぼ同じ原型をとどめたところが、進歩の無さ復古主義、、えーっと、まあ芸の無いところです。


さて、それで、えーっと、ナショナリズムというのは国家によるやりがい搾取というか、詐欺です。真っ当に考えるとこんなのはありえないです、、利益を得るのは政府ばかりの片利だし。でも、カルトに脳が支配されると、もういけない。カルトから抜け出ることは罪悪だと思い、カルトの外にいる人は売国奴としか思えない。

国民は政府に奉仕するから保護が得られるのだという発想もよく援用されていますが、フランス革命以前、つまり近代ナショナリズムが始まる前はどうだった?つまり封建制では国民はこんなふうに奉仕する必要などありません、そもそも国は王様の個人のもので国民のものではなかったから、愛国など必要ありませんでした。王様がポルシェを持っているから、国民はポルシェを愛せよ、、みたいなかんじ。ただ、むやみに高い税金や国王への奉仕(国への奉仕じゃない)があって、それが保護の代償として働いてました。つまり「納税の義務と政府の保護」。えっと、でもね、今は時代が変わって国は国王の私有財産じゃなくて、主権在民で国民のもの、だから、みんながナショナリズムにまい進してくれないといけないのだよ、、というのが今日的な理論です。

そう?たとえば今の日本は国民のものじゃなくて、日本政府のものです。形式上、政府は国民から信託されてることになってるけど、デファクトで、政府が日本を専有しているといえるでしょう。まあ、どっちにしろ、政府が国民に頼んでいるのは「税金をしっかり払え」で、国王と違いはないです。ありがたいことに、国民にはカネを払うことを要求してますが、カネだけ払えばあとは好きにしていいよ、、で、政府を支持する必要もなく、ナショナリズムに埋没しろとはいってません。思想、信仰の自由があるからです。

そんなこんなで、ナショナリズムのおかげで今の社会があるのだと思う必要はありません、そう思わせるのがナショナリズムのカルト性です。本来ならば高くつくものをタダ同然に手に入れることができるのだから、政府も必死。とはいえ、カルトはシンプル。250年前とあまりかわらず、

1 外国が攻めてくる!
2 だから、みんなで立ち上がろう。お金が云々、仕事が云々という奴は下劣な奴だ
3 (お前らに払うはずだった金で俺たちが潤うのさ、ありがとう)

ふー、、ということで、ナショナリズムに乗せられる必要はないし、そんなカルトに埋没する必要もないし、ましてやナショナリズムを広める必要もアイデンティティにする必要もないです。そうしたがっているのは、政府でありそれで儲けている人だけで、もう、お腹いっぱい。

世の中にはナショナリズムで儲けてないというか、搾取される側なのに、ナショナリズムを声高に叫ぶ人が少なくありません。
えーっと、もうカルト信者なんで、こっちの身に火の粉を振りかけないのなら、ほっとくに限る。カルトで洗脳されている人は、どうせ、何をいっても聞く耳ないですし、、、、


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