Islamic Center Japan was the most important place specially in 1980s and 1990s. Truely it name represents itself.
日本のモスクの歴史性からいくと、神戸モスクや旧東京モスクがあるでしょう。しかし、日本のイスラームにおける歴史的重要性において世田谷区大原(下北沢)にあるイスラミックセンタージャパンの右にでるものはありません。
旧東京モスクは1980年代半ばに消防法にひっかかって継続できなくなり、閉鎖。その後15年ほど、すったもんだ、すったもんだ、すったもんだ、あって、強烈なすったもんだの末に今の東京ジャーミィができました。まあいい、すったもんだを書くだけで3日ぐらいかかるはず、だって15年分だもん。そして、インドネシア人しか入れないとうわさされていたインドネシア大使館付属モスクも、さっぱり開いてるのか閉まっているのかわからない。さらに、今はアラブイスラーム学院と知られているモスクだって、新宿の初台(小田急線だと参宮橋)でひらくまで、すったもんだ、、、、
1980年代は、東日本のモスクはほぼ全滅状態でした、、ただ、一か所を除いて。
(注:当社比)
イスラミックセンタージャパン。この名はもっとよく知られてもよいはず。このゴタゴタつづきの時代で、全日本のイスラームをけん引していたのはまぎれもなく、イスラミックセンターでした。この時代にイスラームに関心のあった人、ムスリムになった人で、イスラミックセンタージャパンと関りをもたなかった人はほぼ皆無だと思います。私もセンター(みんな略称してセンターって呼んでた)発行の小冊子シリーズはすべて持ってました。この小冊子の「礼拝」で礼拝を覚えました。日本語のイスラーム関係の書物は本当に少なかったのですが、当時のセンターの出版物は群を抜いてました。
それから、時代はかわり、各地にモスクができ、東京ジャーミィもでき、日本各地にムスリムの団体ができ、活発な動きが始まると、なぜかセンターの名を聞くチャンスは減るばかり、、最近では、、はて?誰もセンターに行った人の話すら聞かない?
あ!なんと、あの狭かった井の頭通りが拡張されて、センターの駐車場が全部無くなってる!それに、ミナーモスクがない。そもそも、バイクを置くスペースすらない。びっくり仰天とはこのこと。
ここには、声優の大山のぶ代さんが真っ赤なアルファロメオでアラビア語教室に来られたところ。当時は外車が珍しかったし、駐車場のアルファロメオをみて、「この車、すげー、誰の?」とかいったものです。それが、アルファロメオがあった駐車場もなければ、アラビア語教室もなく、モスクもなく、、、それに、大山さんも亡くなってるし、昔日の感とはこのこと。戸は閉まったまま錆びてる。
しかーし、わずかな手掛かりが、、、窓に貼ってあった。YUAI学院?
FBで教えていただきました。建物は井の頭通りの拡張工事のため縮小を余儀なくされたけれど、その際に買い取られた土地のお金で東京ジャーミィの隣で「YUAI学院」を運営されているということです。たしかに!イスラミックセンタージャパンのFBページをみると、YUAI学院での活動がいっぱい。そっか、大山のぶ代さんが通ったアラビア語教室は場所がかわっただけど、そのまま開催されているということですね。
ふーー、、ひと安心。
時代がかわり、土地区画は変われどセンターの活動は続けられ、東京ジャーミィとYUAI学院に。そして、センターを中心に活動していたムスリムたちの多くは大塚モスクに活動拠点を移してらっしゃるようです。どちらも活発なのは、センターのDNAか。アルハムドリッラ。
まあ、センターと東京ジャーミィは場所も徒歩圏内で近いし、同じ井の頭通りに面してるし、あんまり違和感はないのかもしれない。
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2018年11月18日
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