郵便物をみてると、パレスチナの里親運動事務局から手紙が来てた、、ふむ?なんだろう?特定PKOに払った分を確定申告すると税金が控除ってやつか?
、、、、と封をあけると、、「、、週刊文春に載った広河隆一氏の件で、、」?
はて?彼は有名な報道写真家だから、その手の週刊誌に写真が載るなんて日常的すぎて、ことさらいう間でもないことなんだけど?
でも、
手紙は何か様子が変。事務局が広河氏を解雇した、、みたいなことが書いてある。へ?そもそも、その運動自体が広河さんが創設者でしょ?よくわからんが、、ともかく、週刊文春に何かが書いてあるらしい、、ので、コンピューターを開いて検索すると、、
わあ、、
セクハラ問題がいろいろあったらしい。うむ、、これは弁解の余地はなさそう。私はべつに広河さんの肩を持つ気は全然ない、本人のバカな行いにかける言葉もない。目をひくのは、彼の「昭和的言い訳」!という強烈なもの。これって、「昭和な業界人」に広く見られた錯覚で、別にカメラマンだけじゃなくて、ライターとか、雑誌編集者とかテレビ業界人とか、そういう種類の人の間ではわりと普遍的にあった。推理小説の「浅見光彦シリーズ」で毎回ルポライターという職種を警察が胡散臭い目でみるのは、その手の人達は胡散臭い非常識人、、というステレオタイプだけど、根拠の無い話じゃない像があったことに起因してます。
私は、広河さんとは、グループでイラクに一緒に行きました。だから知らぬ人というわけじゃないし、なんか複雑。

米軍が特殊爆弾を誤爆して、民間人が大勢亡くなったバクダッドの現場で「私が撮った」写真。私の横で広河さんは同じ写真を「上手に撮って」、週刊誌に掲載されてました。私と肩を並べる位置だったのに、ある人は上手に、あるひとは下手に、、撮るものだと感心したものです。

昭和的うさん臭さは、もう絶滅しました。
昭和のうちに有名になったり、偉くなった人って、ほんとうに時代は変わって平成も終わるのに、まだ昭和を引きずっているというか、昭和な言い訳が通ると思っているのが不思議です。周囲はなんとも言ってやらないのか?それとも周囲も昭和勢で固めているのか?わからんが情けない。
そういえば、昭和な「ITセキュリティ担当」みたいな名前の大臣が、実はコンピューターを触ったことないという笑い話と一緒。
ひたすら、時代は変わっているのだということを拒否して、新しい考えに馴染んでやるものかという強固な意志を持つ。それが、頑固な昭和人の目指すべき姿なのだ、、といわんばかり。絶滅した昭和的うさん臭さが、まだ、この時代でも通用するのだという錯覚。
広河氏の週刊文春でのいいわけほど、醜悪なものはないし、、そういうのを平成の次の世まで持ち込まれたくない。
うーむ、これは、高齢化社会の老害のひとつだし、だけど、老害をどう駆逐するのか対応策はないし、むしろ「老害と共生する新時代」ぐらいなことは平気でいいそうな世の中だしね、、わからん。
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