The Redang Telegraph

2019年02月14日

Public Bath 旧神代村、、、のこと。銭湯はもうあんまり見かけないけど、たまたま近くで見つけたので、神代村を思い出してしまった。

Traditional Public Bath in a town.

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スーパー銭湯は、けっこうあちこちでみかけるけど、スーパーじゃない、普通の銭湯はあんまり見かけません。
私に限らず何十年も前の学生なら、わりと一般的にお世話になってたはず、、ですが、三鷹の新川湯はかなり昔に廃業してしまったし、もうこのあたりにはないのか?と思っていたけど、トランクルームのある柴崎の駅の近くで昔ながらの銭湯を発見。

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神代湯です。調布市は1955年に調布町と神代町が合併してできた市で、私の住んでる町もこのあたり調布西部はかっての神代町(1952年まで神代村)があったところ。なので、地名や建物名にも、いろいろと神代xxxという名が残ってます。

旧神代村は、旧石器時代の遺跡も、縄文時代の遺跡(うちのすぐ裏)、弥生時代の遺跡もある、、が、それ以降はぱっとしない。深大寺のあるところは栄えたけど、うちのちかくは無理だねえ。調布のなかでも、野川流域というのは古代の人口密度が高かった。我が家の周囲は特に縄文時代に極めて発展してたみたいです。今はたいして発展してないけど、地域の過去の栄光って縄文時代のことか、、、。まあいい、栄光の縄文時代の名残で、古墳時代になっても祖先のお墓?がある、、ということで、それぞれに散っていった人達も死んだらうちの近くに埋葬していたようです。

調布は、租庸調(税金)の調を布で納めていたというところから名づけられて、当時は調布と書いて「たづくり」と読ませてたらしい。
調布には、布田、染地、、といういかにも布づくりの産地らしい名前とか、隣接した砧とか、渡来人がこのあたりでせっせと布を織っていたのを感じるし、さらに「多摩川にさらすてづくりさらさらに何ぞこの児のここだ愛(かな)しき」という万葉集の歌もある。

銭湯を見たついでに、私のすむ町まで調べてしまった、、、なんと暇な、、

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