調布市内でも縄文遺跡や弥生遺跡の宝庫といえるのが野川にそった我が家の周辺。いまは、ぱっとしないけれど、縄文時代の華やかだったころは、すんごい「わー、野川って流行の先端だね。かっこいい!大都会だね!いいよねえ、、」と縄文人が言ってたはず。まあ、過去の栄光です。
我が家があるのが、ざっくりした地図でいうと、調布の南東角で世田谷に食い込んだところで、かつ!狛江とも接しているところ。

、、、だから、成城帝国主義にあっては本来調布市入間町なのに、「成城なんちゃら」と名乗るところ多し。見かけ上の成城が、入間町や狛江東部、それどころか同じ世田谷でも喜多見も浸食して「成城帝国」拡大中。いーじゃないか、調布市入間町でも、狛江市東野川でも、、、。さらに、喜多見は昔、砧村で一緒であったということで容易に成城文化圏に含まれてしまった、、、残念。ちなみに喜多見は江戸の一族。江戸というのは、あの江戸時代の江戸で、もともと江戸氏というのがいたけど太田道灌とかに追われて喜多見に来て、喜多見って苗字にかえちゃったということらしい。よくわからん。
現在は、成城側が河川敷修復中。
調布川は、そのまんま。
散歩道を歩くと、、
とつぜん、調布になる。
なんとわかりやすい、、、そういえば野川の英語表記、、、調布はおじさん臭い、、No Gawa、、
でも、成城はおしゃれに、、というか、普通に Nogawa Riverだよ、、
ここらへんのセンスの差が、世田谷と調布の違いか?
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