インドネシアにはアラビア語由来の語彙が少ないのですが、このクドゥス市は数少ない(というかほとんど唯一?)のアラビア語ダイレクトで県の名です。アラビア語の意味は、クドゥス=聖なる、、ということで英語でいうパレスチナの首都エルサレムも地元アラビア語ではQudusクドゥスと呼ばれます。とーってもイスラーム色の強い町、、とガイドブックにでてました。まあ、そういうことですか。
場所は我がジュパラからそう遠くはないのですが、ムリア山を挟んだ真反対側。なので、クドゥスに行くにはムリア山を半周しなければならない、、とほほ。

延々とムリア山を横手に見ながら走る、、ちなみに、モンスーンの影響か?ムリア山に雲がかからない日は滅多にないです。いつも、どんよりしている、、
クドゥスに到着してからが長い。クドゥスは大きな都市(バイオリン教室があるぐらい)で、観光地のメナラに行くのが大変、、なうえに、近くに行くと、ものすごい観光客。メナラじゃなくて、膨大な観光客や観光バスに驚く。車を止めるところがないどころか、観光地に近づくこともできない、、メナラからかなり外れたところで車を止めることになりました。
とぼとぼ歩くけど、参道になっているので両側はお土産屋さん、、、
近づくと、さらに人波。まあいい、あんまり人波のないところで写真をとって、
メナラの前は、写真の順番待ち、、、メナラには明朝の陶器が装飾ではめ込まれている、、
ここは、正式にはアルアクサーモスクと言います。なんと!クドゥスにふさわしい名前のモスク。
モスクそのものは何度か建て直しされて、現在は銀色のムガール式モスクとなっています。が、外周やゲート、それにこのメナラは日本でいう室町時代の建立のまま、、1549年に建てられました。日本でいうとこの年、ザビエルが日本に上陸。日本にキリスト教伝来の年です。
マジャパヒト様式の赤レンガ。ジャワヒンズー様式どころか、それ以前のジャワ精霊崇拝時代の様式も残しているという、ジャワの歴史のような建物です。モスクコンプレックスになっていて、いろいろな建物が敷地内にあります。
モスクの中、、、、観光客の善男善女がここでお祈り。インドネシア全体でも指折りの古刹です。
でもって、モスクの中に扉がある、、
たぶん、昔はここが扉だったのだろうけど、改築でモスクが大きくなったので、扉がモスクの内側に取り込まれてしまったものと思います。それに、ジャワの精霊崇拝では、扉というのが重要視されていたということですから、改築があっても扉が取り壊せない心情的なものがあったのかもしれません。
ともかく、(ジュパラの田舎暮らしに慣れたので)すごい人波に圧倒されてあんまり見て回る気力が起きませんでした、、
今度、もういちど行って、端から端まで見て回りたいものです。
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