The Redang Telegraph

2019年04月14日

Three Heroins in Jepara (3) Queen Kalinyamat ところでこの女王はどういう人なんでしょうか?というのは知りたいところ。この女王が資料のあらわれるのは、なんとポルトガルの書物です。そして彼女の最後の戦いが、現在のジョグジャカルタのスルタン家創設の遠因となっている。

Who is Ratu Kalinyamat ?

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カリニャマット女王は、ドゥマ王国の開祖 ラーデン・パタハのお孫さんにあたります。このパタハ国王については資料がいっぱいある。マジャパヒト帝国の治める領土の一部、、、ジャワ中部北岸の豪族だったのが勢力を伸ばして1475年に自立しスルタンを名乗ります。ドゥマ王国の誕生。ただ、いちおうはマジャパヒト帝国と対立せず、名目上の宗主とする、、という感じの関係を結びました。。。。首都はドゥマにあって場所はジュパラの隣です。

この女王のお爺さんは1455年生まれ、だから、室町時代の後半、、戦国時代の初めにあたります。このパタハ国王が有名なのは、ジャワ島にイスラームを導入した9人の伝道師と深くかかわりあいがあって、9聖人の中心であるスナンアンペルはパタハ国王の教師。こうして、ジャワ島のイスラーム化にはドゥマ王国とパタハ王が欠かせません。

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で、ドゥマ王国は後継者が息子さんのトレンガナ王。女王の父です。このお父さんはお爺さんほどパッとはしてませんが、まあ2代目。そしてカリニャマットお姫様は、ドゥマ王国の隣の、ジュパラ公国のスルタン・ハドリリンに嫁ぎます。。うーん、ここでやっとジュパラがでてきた。でも、夫婦の間に子はなく、養子を迎えるけれど、夫が死後(あとででるけど政敵に暗殺されたんだよ)、女王に即位します。こうしてカリニャマット女王が誕生。

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カリニャマット女王は生年不詳で、没年もだいたい1575年といわれてます。織田信長とかと同時代の人。1575年といえば日本では長篠の戦いがあった年。カリニャマット女王はなぜ有名なのかというと、ポルトガルの資料に名前が残っているからです。その割に肖像画は一切なし。織田信長だってあるのに、、(、、祖父も父も肖像がある)。

Portuguese historical record "Da Asia" written by De Couto praised Queen Kalinyamat as "Senhora Rainha de Jepara ponderosa e rica"; which means 'the Queen of Jepara', a rich woman and has great power. Her reign marked by her overseas campaigns in the year 1550 and 1574, against Portuguese in Malacca.

ジェパラの女王は大変な金持ちで、実力もあり、1550年と1574年の2度にわたりポルトガル支配下のマラッカに遠征をおこなった。



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遠征前にもポルトガルと争ってますので、なかなか鼻息の荒い女王様だったようです。えーっと遠征ですが、敗退したそうです。

こうして、歴史に名が残るカリニャマット女王ですが、ドゥマ王国はまだ彼女が存命のうちに滅びてます。衰退の原因であるカリニャマット女王の兄のペナンサン王子がドゥマ王国の主権を握った後、弟のスナン・プラワタを暗殺。末妹のカリニャマットはワリソンゴの一人クドゥスに住むスナン・クドゥスに兄弟暗殺の裁判を願いますが聞き入れられず、夫のスルタンハドリリンとともに領地に帰る途中、返り討ちにあってスルタンハドリリンは殺害され、カリニャマット女王はかろうじて生き残ります。ふーー、どっこも王家とか金持ちとか大変だよ、、

兄が暗殺され、夫も暗殺され、、、復讐に燃えたカリニャマット女王は親戚一同に打倒ペナンサン王子を呼びかけ、結果追い詰められたペナンサン王子は殺害された。こうしてドゥマ王国は名実ともに滅びます。世代にして3世代しかつづかなかったわけか。歴史上には、ジャワにイスラームを定着させた王国として名前が残りました。その後のポルトガルへの襲撃を考えると、ジュパラ公国がドゥマ王国を吸収した??

このときペナンサン王子を殺害したのは、カリニャマット女王の親戚の養子のスタウィジャヤ。この人物はその後、新マタラム王国の開祖となります。なんと、、、この新マタラム王国は現代まで続き、インドネシア独立を助け、功績によってジョグジャカルタ自治州として領土を持ち、当主のハメンクブウォノ10世は現在も、ジョグジャカルタ自治州の知事であり、スルタンです。

なんと、女王の復讐戦から、現在のジョグジャカルタのスルタンが生まれたということか、、、なんと、、、なんと、興味深い。

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