我がシュパラ市の開祖(という言い方でいいと思う)である、カリニャマット女王はとっても重要人物。でも、知名度では、三聖女の一人、カルティニさんに遥かに劣ります。カルティニさんの誕生日は、インドネシアの祭日「カルティニの日」でお休みになり、国中で「カルティニさんに続け」というお祭りがあるぐらいです。カルティニさんの伝記は日本語でもあるぐらいです。
で、、、で、ねえ。難しいんだよ、彼女のことを語ろうとすると。ちなみに、国民の祝日になるような人だからいろんな研究者の著書もあるし、我が町には博物館もあるし、記念碑とかうじゃうじゃある。だいたい100年ぐらい前(日本でいうと明治時代)の人なので、写真もあるし、資料に事欠かないです、、、、が、ねえ。いまでは170人弱の「ナショナルヒーロー」という現代風に列聖された人物なので、、、虚像がすごいんだよ。
、、まあいいでしょう。彼女の詳しいことはウエブ上にうじゃっとあるので説明はそっちに任せるとして、彼女はジュパラの領主の姫として生まれ、ジュパラ育ち。結婚して、ジュパラからバイクで5時間ぐらい離れた、、とんでもない山奥に嫁ぎ(もちろん政略結婚なのだけど)、お産のために若くして、、25歳で亡くなっています。まずは、最後の場所、、に行ってきました。お墓です。
中部ジャワ州の東のはずれ、ほとんど東ジャワ州と接するあたりにRembang ルンバン市があります。ここから延々と南下してBloraブロラという町があるのですが、この町に入る手前にお墓があります。私はうっかり見落として延々とブロラの奥まで行ってしまい、住民に教えてもらい引き返した、、ということがありました。わりと目立つお墓なので、なんで見落としたのかわからないぐらい。
ここは、カルティニさんの嫁ぎ先の領主の墓所です。
カルティニさんの実家のジュパラに多い木工細工が、ここにも置いてあります。
アグンの墓所、、マレーシアでアグンといえば国王なのですが、インドネシアでは地方領主もアグンと呼ばれているのですね。
虚実入り混じった、、いや、虚構で構成されたカルティニ像が現在流布されているのは、100%いや200%ぐらい政治の産物で、別にカルティニさんに問題は全くありません。この墓所は、ここは因習と戦い若くして亡くなった一人の女性を悔やみ、彼女の来世の幸せを願う場所です。
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