
カルティニさんは国家英雄で、「インドネシアのお母さん」で、彼女の誕生日は国民の祝日「カルティニの日」です。
だけどね、国家英雄の女性は、いっぱりいるんだよ?例えばオランダによって投獄された活動家、ラスナサイドさん Hj. Rangkayo Rasuna Said

反オランダの不屈の女戦士、Cut Nyak Dhienさん

女権の拡大につとめたマリアさん Maria Walanda Maramis は去年のグーグルのドードルにも採用されました、、、、

にも、かかわらず?

こちら、、国家英雄のデウィさんです。Raden Dewi Sartika。彼女はスンダの領主の娘さん。詳しく言うと西ジャワ州バンドン郊外のチチャレンカ(読みは怪しい)の生まれ。生年は1884年。さて、ジャワの領主の娘さんであるカルティニさんと生まれた階層はほぼ一緒。誕生日は1879年とデウィさんとは5つちがい。でも、まあ、だいたい一緒ということ。そして、デウィさんにつく功績は「オランダ統治下で初めて女学校を作った人」!えええええ!その功績はカルティニさんじゃ、ないの!と驚いてしまった。さらに、無冠のカルティニさんとは違って、あとでオランダのオラニエナッソ勲章ももらっています。
そう、、、カルティニさんとデウィさんの違いは、、、えーっと、カルティニさんは「若くして世を去った」こと。こういう、若い情熱あふれ気概に満ちた女性が25歳で志半ばで亡くなる、、、というのは、世の紅涙を誘う、、すごいインパクトがあります。カルティニさんの二人の妹さんたちもそうおもったとおり、「お姉さんの若すぎる死を無駄にしてはならない」。
私的には、カルティニさんというより、妹さん2人を加えた3人で国家英雄になればよかったのに、、と思うぐらい。お姉ちゃんが亡くなったあとの妹さん二人の猛進ぶりというのは特筆すべきなのに。どっちかというと、こっちのほうがすごいかも?と思うぐらい。まあいいでしょう、どっちにしろ国家英雄なんて政治の産物に彼女たちは似合いません。ああそういえば、カルティニさんの国家英雄認定は1965年、デウィさんは1966年。
若くして亡くなったカルティニさんが、インドネシアのお母さん候補の理由になるには、ちょっと弱い。62歳で亡くなったデウィさんのほうが年の分だけ実績があるんだよ、、、で、考えられるのは、、?
国家英雄とかカルティニの日とかを決めたのはスハルト大統領。ジャワ島はざっくり、東半分(スラバヤとかジョグジャカルタとかあるほう)が、<ジャワ人>、西半分(ジャカルタとかバンドンとかあるほう)が<スンダ人>です。でもって、カルティニさんはジャワ人、デウィさんはスンダ人。。。。そして、、スハルト大統領はジャワ人です。
うーむ、、、、ここらへんか、、、なあ。政治はよくわからん、、
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