小学生による、独立記念日のパレード。延々と2時間ぐらいつづくもので、昼下がりからはじまって日没までつづきました。
付き添いの学校の先生は給水ステーション。つきっきりで水をみんなに配ってます。
カーニバルの出し物は、もう、ジュパラのすべて。これだけみれば、ジュパラのすべてをみたも同然。地元輩出の歴史的偉人、伝説、農産物、漁業、交通、環境問題、スポーツ、文化、衣装、ありとあらゆるジュパラがあります。それで、項目別にクローズアップ。まずは、ジュパラの三大聖女。三女神といってもいいぐらいだけど、すべて地元の誇る、実在の歴史的偉人です。
やっぱり、序列があるんだよ。だから、序列を崩すわけにはいかないので、とりあえずセオリーどおりで、まずはカルティニさん。
どこでも誰でも見分けることができる。服装コードは、黒の上っ張りで白の民族服、額を完全に上げて、後ろ頭で髷、、というのが基本。これを変えるのはあり得ません。だから、どの小学校でもカルティニ役はこういう感じ。カルティニさんは過去2度映画化されて、これは2017年版。伝記を映画化しました、、、って感じで、本読んでれば内容はすぐわかる。でも、生き生きしてるんだよ。

ともあれ、三聖女の筆頭だから、すぐわかる、、しかーし、そのあとのカリニャマット女王とシーマ女王の区別を瞬間でつける人はそういない。
まずは次席のカリニャマット女王。
騎乗のことも多いです、、ジュパラには馬がいっぱいいるから、騎乗には不自由しない。
こちらが、演劇の中での女王。こんな感じ、、肩が服でおおわれて、のど輪のような装身具(これはマレーシアでもあったけど権威を表す)。髪は上に結い上げます。

長かったヒンズー系マジャパヒト王国のジャワ島支配も終盤、マジャパヒト王の息子の一人がドゥマで自立し、ジャワ島最初の正式なイスラム王国のはじまりとなります。開祖ラーデンパタハ王の孫娘のケンチャナ姫は、ドゥマから自立したジュパラ公国のスルタンハドリリンに嫁ぎます。これが日本では室町時代のこと。ほら、ポルトガル商館とかが東南アジアを席巻して、日本にも種子島銃をもたらしたころ。彼女は死後カリニャマット女王と呼ばれます。
だから、カリニャマット女王はムスリムだから派手な恰好はしても、肌はだしません。たぶん。ちなみにこの女王がまだ姫だった時代、実家のドゥマ王国は最盛期を迎え、武将のファタフッラーは、西ジャワを制圧。ジャカルタを建設しました。それにちなんで、ジャカルタの中央には、ファタフッラーの名がついた博物館もあります。えーと、ファタヒラとかへんな名前に代わってるけど。
でもって、シーマ女王。三番目なのは可哀想、、生きてるうちはおそらく3人のなかで一番の権力者だったはず。そして一番お金持ちだったはず。他の2人とは格が違うんだよ、、いまじゃ三番目だけど。
北岸中央ジャワに最初にできたカリンガ王国で、最盛期を迎えたときの女王です。無明の地にヒンズー教をもたらし、ヒンズー教の規範で人々を導き、たいそう規律がとれていたということです。時代的には日本の飛鳥時代。つまり聖徳太子と同時代ぐらいの人で、シーマ女王とカリニャマット女王の間はざっくり千年ぐらいの差があります。見た目が似てても、時代の信仰も大違い。

パレードでの特徴は、、、肩がでてること。
ちょっと寒そうだけど、しかたない。ヒンズー系はそこそこ露出のある彫刻しか残ってないんだよ、、
高々と結った髪も特徴、、だけど、パレードの途中でほつれるとこうなる。
そして、肩を隠されると、もうどっちがどっちの女王かわからない、、
こうして、次から次に、、延々と三聖女はつづくのでした。
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