これまで、ポツダム宣言と降伏文書を見てきました。もっといえばカイロ宣言もあるのですが、よく読んでもあんまり影響がないのでここでは割愛するのだけど、ともかく日本が負けたということ。それも、「ポツダム宣言を受諾して」「降伏文書に署名した」ことで敗戦。このことは自明の理なんですが、日本の戦後の出発点にも関わらず、きちんと認識していない人の多さ。戦後レジュームの脱却とうたっている現首相だって、ポツダム宣言読んでないというぐらいだし。
さてさて、このシリーズは、不思議なことに広く出回っている 「日本はインドネシアと協力してオランダから独立を勝ち取ったので、インドネシアは親日なのだ」という話を検証してみたいと思ったので書き始めました。この話を素朴に信じている人には、上の絵でショックを受けてもらいましょう。これは、日本の敗戦後、スマランで起きた「5日戦争(日本ではスマラン事件)」を題材とした絵で、戦場となった場所に展示されていました。インドネシア独立派と日本軍の武器引き渡しをめぐる衝突でインドネシア側が300-2000人の戦死者、日本側は200人の被害がありました。インドネシア独立宣言後の最初の大がかりな武力衝突。もう一度言うけど、連合国配下の日本軍が練度で劣るインドネシア独立を掲げる若者を殺しまくっているのです。流れる血、吹き飛ばされて骨が見えている腕。この浮彫は5日戦争の戦場だったところにある記念碑です。
、、、この5日戦争に至るまでの道、、、それは、ポツダム宣言と降伏文書の履行によります。もちろん、それは日本政府の正式な立場なのですが、前回までに繰り返したように、日本は敗戦によって連合国の麾下に入ります。外地においては連合国の出先の指揮下に入り、連合国の命令をきかなければなりません。敗戦によって日本軍は連合国軍の一部になったようなものです。これを破ればポツダム宣言受諾違反ですから、敗戦によって終わった戦闘が、、終わらずに再開する可能性を意味しています。あと何個原爆が落とされてもしかたない、、という感じ。だから、官僚組織である軍隊は、もともと命令至上主義なので頑なにポツダム宣言と降伏文書(と、そのあとの指令第一号)に忠実に守ろうとします。
まず、武装放棄です。武器弾薬は封印して員数確認して連合国に引き渡さなければなりません。インドネシア独立派が日本軍に「オランダとの戦争が控えているから、日本軍がもう武器つかわないなら俺たちに引き渡せ」と言ってきても、
1 武器を連合国に引き渡す以外は、ポツダム宣言違反ですから引き渡せません。
2 しかも、その武器を連合国の一員であるオランダへの戦争に使うというのであれば、論外な連合国への敵対行為
だから従えません。これが日本の公式な立場で、もちろん現在でもこの時の立場を崩していません。この上の2つを破ればそもそも降伏文書という契約というものを、無視してもよいということになります。そんなことありえないですね、無条件降伏ですから。
でも、実際の現地では押し入った人々に倉庫を破られた、、武装放棄だから、インドネシア独立派にも武力で対抗できないし、、という判断だったところもあるし、スマランのように連合国から現地の治安維持(警察行為)を任されているのだからオランダに代わって胡乱な連中は取り締まるべしというのもあります。
、、、まあ、それだけじゃあないんだけど。日本軍によるインドネシア占領下で400万人が抗日闘争、強制労働、飢餓、栄養失調など日本が起因となって亡くなっています。とうぜん、日本憎しは蔓延していて、敗戦前からインドネシア人による抗日闘争がいろいろ起こっている。武器を引き渡してくれないから日本軍を襲った、、だけじゃなくて、もう日本憎し、の、一念です。
まあ、それは次以降の主題になるのだけど、
日本は降伏によって主権をはく奪され、独立国から連合国統治下日本という国になってしまいました。インドネシアどころじゃない、日本が独立してないんだよ。
ともかく日本政府も現地もインドネシア独立に協力する気は、まーーーったくありません。今やオランダ様に敵対するのは、自分の敵でもあるわけです。降伏文書締結後、日本政府がインドネシア独立に協力するのは、どのコンテキストからもありえないです。
まあ、ともかく、そんなことより9月2日の降伏文書締結により、日本政府は外交権もはく奪されてます。下のデザインは商船での「代用国旗」。日の丸掲揚だって禁止されたぐらいだし、日の丸をあげた人が重労働6か月の刑になったりしてます。よその国の独立なんて、どうでもいい状態。みんなつくづく見てください、いっときは、これが「日本国旗代用」だったんだよ。知らない人、おおすぎ。

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