The Redang Telegraph

2019年08月27日

Indonesian Merdeka Day 5 深みにはまっていく「独立」と「革命」。おそらく、この2つの語をどういうふうに解釈するかという「日本的思考」が、インドネシア独立を現代日本人がどう見ているのかという鍵になるかも。

Independence and Revolution

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ためしに、「アメリカ独立」をWikiで検索します。ふつうにアメリカ独立、、ででてきますが、これを英語版にすると「American Revolution」アメリカ革命、、というタイトルになります。アメリカ独立戦争、、、でも同じ。Americal Revolutionary Warというタイトルになります。
前号でも書いたとおり、インドネシア独立、、も、英語もインドネシア語でも、インドネシア革命となります。

どうもこれを見る限り、日本では「革命」は評判が悪いみたいですね、できるだけ「独立」としたいようです。

では、ふつうに日本語で「独立」は「革命」とどう違うのか聞くと、たぶん多くの人は、独立と革命は大違い!という印象を持つとおもいます。たぶん、私が「日本はインドネシアの独立に寄与した論」に感じる違和感はここから来ているのだと思う。なんどか書いているとおり、インドネシアの独立、、あるいは独立宣言は、重要ではあるもののインドネシア革命の一局面でしかありません。インドネシア独立について8月15日の日本敗戦以降、日本政府、日本軍政府(インドネシア占領GHQ)の関与も協力もゼロです。むしろ積極的に独立を抑圧する方に回っています。ただし、こうした政府方針から逸脱した幾人の日本人(前田、吉住、西嶋、三好、その他)が独立宣言にまつわる混乱に、スカルノとハッタに肯定的な動きをしたことは間違いありません。これは、決して低評価してよいものでも無視してよいものではありません。

が、数人の政府方針に背いた軍政府関連者の好意が独立宣言に及ぼした影響は、それほど大きなものではないし、しかもインドネシア独立宣言はインドネシア独立の一瞬でしかなく、さらにインドネシア独立というの自体がインドネシア革命の一局面でしかありません。それではインドネシア革命という舞台でみた場合の、日本(政府か個人か)の関与を見た場合、、最初に述べたとおり、ポツダム宣言を受け入れてますから日本政府の関与はありません、個人(特に残留日本兵)は?あとでまとめて記事にしますが、喧伝するほどのものではありません。調べるほど大河の一滴を感じます。まあ、残留日本兵に対する思い込みが非常に強いひとにとっては、なかなか受け入れられないでしょうか、、、

日本人の関与があるとするなら、一番影響が強かったのは、上に上げた独立宣言にまつわる混乱の中での日本人の好意といえるでしょう。

日本人にみられる「日本はインドネシア独立に寄与した論」は、ほとんどこの一瞬(3日程度)の独立宣言をとりあげ、インドネシア人にみられる「インドネシア革命における日本の関与などない論」は、4年5ヶ月にわたるインドネシア革命(日本語ではインドネシア独立戦争)のことを指しています。ようするに、指している対象が違うのだから、評価が違うのは当然といえるでしょう。
ましては、日本軍占領下の3年ほど、インドネシア人400万を飢えや強制労働などオランダ統治下以上の過酷さで死なせていますので、戦時の反感はあって当然です。

現在のインドネシアの親日感情は戦争や独立とは無関係です。
それをいうなら、原爆も落として日本を火の海にして、日本軍をさんざんに破ったのはアメリカですが、今の日本人はこのときを恨みとして、現在でも反米反英感情をもっているかというと、そうでないのと一緒です。昔の恨みと今の親善とは別物です。

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