The Redang Telegraph

2019年08月27日

Indonesia Merdeka Day 6 そもそも日本はインドネシアを占領してどうしたかった?いや、占領じゃないんだよ、併合したかったんだよ。独立、そんな気は、毛頭ない。

Japan Denyed Indonesia's independence

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大東亜会議というのが、1943年11月に行われました。Wikiから引用すると、
当時の日本の同盟国や、日本が旧宗主国を放逐したことにより独立とされたアジア諸国の国政最高責任者を招請して行われた。ということです。集まったのは、日本、中華民国(南京)、満州国、フィリピン、ビルマ、タイ、インドの7カ国の代表者。

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なぜ、7か国なんでしょう?
まずは、ベトナム、カンボジア、ラオスといったフランス領インドシナ(仏印)ですが、「旧宗主国を放逐」していません。フランスはヒトラー率いるドイツに負け、南フランスにヴィシー政府というドイツの傀儡フランス政府ができます。が、そのヴィシー政府が仏印をひきつづき植民地化しているから、、つまり、仏印は日本の友好国ドイツの飛び地みたいなものなの。どさくさに乗じて日本軍は仏印に進駐しますが、わかりやすくいえば基地化です。そういうことで、仏印は旧宗主国がそのまま温存され、しかもナチスドイツが先んじて傀儡化しているので、日本は独立も併合もできません。
朝鮮も台湾も代表がでてきません、、これは、すでに日本の一部。日本代表として東条英機がでているので、これでおしまい。

インドネシアもマレーシア(シンガポール含む)も含まれていません。そのとおり、日本はインドネシアにもマレーシアにも、独立させる気は全くありませんでした。出席したフィリピンのラウエル大統領から「どうしてインドネシアのスカルノがいないのか?」と聞かれましたが、ガン無視。大東亜政略指導大綱では、

マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス、は帝国領土と決定し重要資源の供給地として極力これ開発ならびに民心掌握に努む。原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ。当分は軍政を継続す。(てきとうに中略)

といってます。つまり、マレーシアもインドネシアも大東亜会議に呼ぶような、フィリピンやビルマのような「傀儡国」レベルではなく、もはや国ですらなく、日本の一部として併合するということです。そういうことで、原住民の協力や政治参加をすすめていくのは当然な話です。彼らはゆくゆくは日本人になるのですから。同じようなことは、同じ目を先にあじわった台湾や朝鮮半島でもおこなっています。

日本降伏の1945年9月2日以降、日本政府は外交権も剥奪され、国旗掲揚も禁止され、主権もありません。占領されてしまっては、なんにもできません。インドネシア独立への協力どころか、日本が独立してない。これはインドネシア革命の時期にあたります。
1945年8月15日から9月2日まで、、日本政府と現地軍政府はポツダム宣言の受諾により、インドネシア独立への協力は一切ありませんでした。スカルノとハッタと面談することすら拒みました。ただし、数人が個人的にそれまでの経緯から独立宣言の混乱の際、無言の好意を示すことだけはありました。こういうことを加味しても、インドネシア独立への関与はほぼゼロです。

ではそれ以前は?

大東亜会議の面々をみてのとおり。
日本は政策として、さいしょっからインドネシアの独立なんて全く考えてなかった。これが、占領前からの大前提です。当分は軍政を継続す、とありますが、そのうち日本になるので、そうなったら日本から総督が来るのでしょう。ボルネオのブルネイの博物館で日本語の「ミリ県」の証書をみたことがありますが、そのうち県に分割されて日本と同化される、、ということ。

1942年、米軍によるガダルカナル戦争が始まると、インドネシアに駐留していた部隊が続々と引き抜かれてガダルカナルにもっていかれます。部隊だけじゃなくて、食料も。飢餓の島ガダルカナルの食料を賄うべく、インドネシア人の食料も奪って持っていく。そんなことが重なり、インドネシア(主にジャワ島)に駐留していた日本軍第16軍も、8千人たらずまで減ってしまいます。インドネシアでは連合軍の侵攻がはじまってないので、日本軍人も食料も、そしてインドネシア人も労務者や慰安婦として根こそぎもっていかれます。

このままでは、日本軍がいなくなる?そうなったらどうなるのか?ということで、兵補と郷土防衛義勇軍を募集します。兵補はあくまでも日本軍の一員で、主に後方支援業務。同じような業務を朝鮮半島出身兵、台湾出身兵が行っています。部隊の転進にしたがって、ビルマやその他東南アジアに行きました。郷土防衛義勇軍は第16軍の人数が手薄になったので自分たちの地域を自分たちで守らせるために結成されました。場所によっては、兵補になるか労務者になるかという強制的なことが行われたようです。

兵補って名前だけみると、補欠か補充の兵隊という気がしますが、全然そんなことなくて普通に日本兵です。軍人勅諭や戦陣訓も覚えさせられました。軍属扱いというのは制度上のことで、階級をみると、、(カッコ内は日本兵に当てはめた場合)。

一等班長(曹長)
二等班長(軍曹)
三等班長(伍長)
組長(兵長)
上等兵補(上等兵)
一等兵補(一等兵)
二等兵補(二等兵)

日本兵と同じ扱い、、ということになっていますが、給与の未払い、退職金など規定はあっても全く無視され、今に至るまで係争の種となっています。日本がインドネシア独立に寄与した論者も、こういった日本兵だったインドネシア人に同情する人はみかけません。何が寄与だ?

敗戦後の8月20日の第16軍参謀長指示として、兵補にたいして、規定に定めた解除手当(6ヶ月分の俸給)、被服その他全部と民間服2着。食料の10日分の支給、、、などあるのですが、ガン無視です。そもそも解雇通知もでなかった、、、らしい。さすが、ブラック日本。


(つづく)

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