中部ジャワは、ジャワ島きっての穀倉地帯。もちろん、ほかの食べ物も多いです、、町を歩いてると歩道の真ん中で頭をぶつけそうになった、、マンゴ。ほんとうに見事な大きさで、おいしそう。誰も持っていかないのか?ちょっと心配になるぐらい。
ジャンブウがいっぱい落ちてて、歩けないよ、、
横の用水路もジャンブウでいっぱい、、
もう、あちこちに果物が普通に生っています。誰も盗っていかないのか、ちょっと心配になるぐらい。
こういう穀倉地帯だと、飢えとは無縁のように感じるのは今だからこそです。
オランダ植民地時代は、強制的に商品作物を作らされて、自分たちが食べるものを作ることが難しかった。おかげで、住民は飢えとの戦い。そもそもオランダというのは世界帝国を作ったにもかかわらず、ヨーロッパの本国は小さくてドイツやフランスに挟まれて時折ひどい戦禍にあった。それで、その本国立ち直りの原動力は、ジャワのような植民地からの搾取でまかなう。本国の復興は、植民地の困窮なくしてありえないです。
もちろん、日本統治下はオランダ時代よりひどい食物奪取。軍隊というのは弱肉強食ヒエラルキーの頂点にあって、武器をもたない住民は迫害されるだけ。「太平洋戦争で南方戦線のほぼすべてで、日本軍は餓死者もだす食料難であった」というのは、よく知られているけれど、弱肉強食ヒエラルキーの頂点が餓死するということは、無抵抗な住民はその前にとっくに餓死で死滅していたということまで知られてません。ちょっと考えると誰でもわかるのだけど、、、ということで太平洋戦争中のインドネシア人は労務者等合わせて400万人亡くなっています。
そんな悲しいことがあるので、自分たちで自分達をおさめる独立というのは悲願。誰かの言いなりになって餓死や衰弱死になるのはほんとうに辛いこと。
いつまでも平和で、果物が豊かに実る国であってほしいものです。
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これ私の電話番号です。遠慮しないで、 ジェパラまだいる場合私に連絡してください。
コメントありがとうございます。FBでもメッセージをいただいたので、そちらでお返事します。
ジュパラはいい街ですよね、、