、、いや、そんなんじゃなくて、府中市の西部、西府にある武蔵府中熊野神社古墳にいってきました。ともかく、府中はそこらへんに古墳があって、私の住んでいる白糸台には「白糸台古墳群」というのがあって、古墳のないところに住んでいる人からみたら、呆れるほど古墳だらけです。
ここは、府中崖線という国分寺崖線の南、多摩川にそって走る崖線があって、そのハケ上にずらっと古墳がならんでいる。
武蔵府中、、って、なんてことない東京都府中市のことですが、ややこしいことに府中というのは昔の国衙があったところはみんな府中なので、日本のあちこちに府中という地名があります。「甲斐の国の府中」略して、甲府というのもあるけど、広島にはおんなじ府中市があって、ああめんどくさい。まあいいや。府中市は真ん中に「分倍河原」という場所があって、ここから西はJR南武線文化圏、ここから東は京王線文化圏というふうに2つの文化圏にわかれていて、分倍河原の友人にいわせると、西部と東部はいつも喧嘩しているとのことです。線が違うから交流がない?というところか?
わたしも、実のところ、おなじ市民なのに、分倍河原から西の府中は魑魅魍魎が住んでいるのではないかと思っていたのです。しかし、そんな分断は許さない!分断社会は親の仇!ということで西の西府に訪問。ここの最大の観光名所が古墳なのです。
西府は、JR南武線にある日突如として生まれた新しい駅で、今でもとーってもきれいな駅舎。きれいな駅前。ごめんなさい、魑魅魍魎は私のすんでいる方かもしれないです。
この熊野神社古墳は、古墳時代の最末期に生まれた古墳の粋をあつめた「上円下方墳」です。当時の最新技術で作られており、蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳も、もし土があれば上円下方墳ではなかったか?と言われています。なにせ、古墳時代の末期ということで、現存している上円下方墳は全国でも4か所だけということ。このあとすぐ古墳が作られなくなったそうですから。
その4か所でも、熊野神社古墳は最大で最古。この形式の代表格です(まあ、全部で4個だけど)。
古墳博物館があった。ここの博物館では学芸員実習の受け入れやってくれないのかなあ。
現在は石室は埋め戻されていますが、レプリカ玄室が建てられて、玄室体験ができます。
いいですね。博物館もとってもきれい。
修復された古墳もきれい。古墳祭りというのも定期的にあるみたい。
剥いだ地層が飾っている。うんうん、この展示方法は博物館展示論で習いました。
古墳はこのあと作られなくなり、上円下方墳は4つでおわり???いえいえ、私は知ってます。
八王子の大正天皇と皇后の多摩御陵も、昭和天皇と皇后の武蔵野御陵も、「上円下方墳」です。古墳はいまでも作られているし、、いや、新墳というべきか?多摩地区へのオマージュか?上円下方墳が天皇皇后合わせて4つ、八王子にあります。
〇