The Redang Telegraph

2022年10月06日

再び グローバル人材について

「世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立っ
て培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と
協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間。」

上は、文科省のホームページあるグローバル人材の定義、、めざすべきグローバル人材。これから、こういうグローバル人材を育てたいという意思表示。それで、どうやって育てるのか?というのが延々と協議されているのだけどだいたい英語教育に終始している。
さらに、「日本人としてのアイデンティティ」をどう教育するかという部分はほぼ皆無。

だから、文科省は今の子供たちに「主体的で深い学び」で、自分で考えることのできる人を育てる!っていうのが基本なのに、「はい!あなたのアイデンティティは日本人だからね、これもってないと駄目よ」とか言えるはずないでしょ!自分のアイデンティティを文科省から押しつけられて、はい、そうです、、なんていう子供は、ぜんぜん主体的じゃない。ばっかみたい。自分のアイデンティティを自分でみつけるのが、主体的ってもんじゃないですか?まあ、どうせ政治家とか有識者とかいう、なんか頭おかしい人たちが文科省に押しつけたんだろうけど、文科省だってハイハイ言うな!って言いたいです。

グローバル人材の花形ともいうべき、日本のノーベル賞受賞者たちだって、外国の人になっちゃった人だっているぐらい。たぶん、存命中の受賞者のなかで、日本人としてのアイデンティティなんて持っている人ほとんどいないと思う。そもそも、グローバル人材なんていう段階で、国籍とか国境とかいう政治的で仮想現実的なものを入れてくるのが無理があるよね。いまのウクライナをみてロシアがウクライナの領土の自国領土編入とか、あんなことやって、コロコロかわるものにアイデンティティを求めたらえらいことになる。国籍だって、べつに離脱したり取得したり自由自在だし、オリンピック前なんてアスリートの国籍変わりまくり。それでもって、かれらはグローバル人材の代表格にされるんだよ。

グローバル人材に求められるアイデンティティはたぶん「地球市民」のようなものであって、「日本人」じゃない。そもそも、日本人じゃない人は、日本人としてのアイデンティティなんてないし

森鴎外の遺言です
余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス


石見人としての強烈なアイデンティティのあった森鴎外で、墓石にもこの言葉どおりに刻まれてます。
今の人の多くは「石見ってどこ?そんな国どこにあったの」レベルでしょう。奥さんはドイツ人だしグローバル人材といってもいい森鴎外ですが、アイデンティティはさまざまです。


| クアラルンプール ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | Life in Japan 一時帰国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック