The Redang Telegraph

2025年09月20日

肥前にはいろんな藩があるけど長崎藩はないよ

ある記事にこんなものがありました。

約4000社のグループ会社を持つグローバル企業・三菱の歴史は、1870(明治3)年に長崎藩の海運事業を譲渡されたことから始まる。創業の地・長崎との関係を重視する三菱重工業は、「活気あふれる持続可能なまちづくりを先導する拠点」などのコンセプトを打ち出し、跡地を街の活性化に活用してくれる売却先の公募を始めた。

うーん、書いたライターは旅関係とか書く人のようだけど?それよりともかく校閲のひととかいなかったのか?
「長崎藩」はありません。肥前国には、佐賀藩、小城藩、鹿島藩、島原藩、平戸藩、大村藩の6つの藩がありましたが、、、

長崎は徳川家の直轄領土で、いわゆる天領ですのでいるのは「長崎奉行」です。でもってそこでの統括は本店である「幕府」の方針でやっているのであって、出先の支店というか管理部門である長崎奉行の管轄をこえてます。この文脈だと「幕府」の海運事業でしょうが、それも間違いです。さっそく三菱グループのHPを見に行きました。それぐらいしなくちゃ、、、


幕末期、彌太郎は土佐藩の役人として長崎に赴任、樟脳や鰹節など土佐の特産品を売り、軍艦や武器を購入していました。その後大阪に移ると貿易と海運に辣腕をふるい、藩の活動に大きな役割を果しました。
 しかし明治維新政府は廃藩置県にともない、藩営事業禁止の方針を打ち出します。1870(明治3)年、土佐藩の有力者である後藤象二郎、板垣退助たちは、私商社として九十九 つくも 商会を設立し藩の海運事業を譲渡します。事業に最も精通している彌太郎に経営・監督を一任、これが「三菱」の誕生となりました。


ということで、正しいのは「土佐藩」でした。うーん、それは私も知らなかった、、、。つまり、江戸期はどの藩もいろんな事業やっていて、支店もいっぱいあった。お国のお膝元の政庁を本店とすれば、江戸屋敷を中心とした江戸支店が政治の旗艦支店で、大阪支店である「蔵屋敷」は財務営業の中心。京都支店も重要な政治の中心で幕末の動乱期はここが維新の中心地となりました。各藩それぞれその他いろんなところに支店やら営業所やらアンテナショップやらあったみたいです。長崎支店もそのひとつなんですね、すごいなあ、、、

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