the MY Pantai Timur telepraph

2017年02月09日

「和」の文化の大嘘

責任感、から連帯責任の意味を調べ、、、よく使われるこの言葉に行き当たりました。

「まず、和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉


いまや同調圧力の標語のように、<みんなと同じにするように>という意味で使われてます。賢い人の代名詞のような聖徳太子が同調圧力?そんなこと言うのかなあ、、「和」の意味を国語辞典(goo辞書)で調べました。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/237268/meaning/m0u/

1 争いごとがなく穏やかにまとまる。「和解・和合・和平/協和・講和・親和・不和・平和・宥和 (ゆうわ) ・融和」
2 やわらいださま。ゆったりとして角立たない。「和気・和光同塵 (わこうどうじん) /温和・穏和・緩和・清和・柔和」
3 性質の違うものがいっしょにとけ合う。「混和・中和・調和・飽和」
4 声や調子を一つに合わせる。「和韻・和音・和声/唱和」
5 二つ以上の数を合わせたもの。「総和」
6 日本。日本語。「和歌・和裁・和室・和食・和風・和服/英和・漢和」
7 大和 (やまと) 国。「和州」
6と7は地名相当なので外して、1−5をまとめると下のとおり。これについて異を唱える人はいないと思う。

争いがまとまり、ゆったりと和らぐ。多様なものが、ひとつに合流する。いくつもの足し合わせ

つまり、「和」は前提として、争うほどの違う意見、違う見方、違う立場、違うもの、、がないと成り立たない。聖徳太子の言いたかったことは、「多様性を積み上げてひとつの解を得る」ということ。多様なものを、和=足し算、、違う一つ一つを残したまま調和させるということ。1+3の和は4。俺は1だからお前も1になれというのと違う。それだったら1+3=1になってしまう。
俺は1でおまえは3、だから4が和だというのが、本当の「和」。ほら2人の力で大きな解が得られた。これが和の国の和の考え方。この和を以て貴しとしましょう。

なるほど、賢人の誉れの高い聖徳太子らしい卓見だと思います。でも、「和を以って貴しと為す」は彼の独創でなく、論語からの引用です。

じゃあ、昨今よくこのフレーズの解釈とされる、「お前もみんなに従えよ」って何?「和」じゃないの?。それは、「同」。同調圧力の「同」。「和」とは相容れないものです。ほとんど反対の意味。どれぐらい相容れないかというと、

子曰、君子和而不同、小人同而不和。
論語「子路」第十三(二十三)
(子曰わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。)

いまや、小人ばかりの世の中か、解釈まで小人風になってしまいました。多様性など、まだまだ道遠しです、太子様。ここは「和」の国なのに、、いまや「付和雷同、不和随行」の国になってしまった。


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2016年11月21日

SMK in Pekan Pekanの中等学校

Found one SMK in Pekan with 60 years building.

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Pekanで古い中等学校をみつけました。
建てられたのが1950年代。様式は、マレー式。高床式で、ロングハウスになっています。そしてすべて平屋建て。校舎のペンキがコケで非常に雰囲気に溶け込み、校庭の短く刈られた草が清潔感に溢れ、ものすごくいい感じ。

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きっと生徒さん達は、ほかにも新しい校舎の学校はいくらでもあるのに、なんで自分たちばっかりボロッちい学校なんだろう、、と、ぶつくさ言ってるはずです。このあたり、文教地区で、まわりは小学校から高校までほぼ同じ敷地に分散してたっているし、そういったところの校舎は普通に、、、普通です。

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でも、このSMK Ahmadは古びた感じはとっても、、「清潔な遺跡感(ごめん)」が溢れて、趣がありすぎ。文化遺産だよとかいわれると、そうかな?とか思ってしまう。

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マレーシアの学校は、小学校(SK / SJK(C)/SJK(T)と、中学校(SMK / SMJK)があり、次が大学。小中大とわかりやすい順番で、日本みたいに小中高大みたいな高がありません。小学校は6年制、中学は5年制。だから、義務教育だけ受ける人は学校に11年いることになります。でもって、大学に進む人は、中学5年次にプラスして12年目教育とうけます。こうして、大学に行く人はそれまでにあわせて12年教育を受けるわけで、大学入学時は18歳で日本といっしょ。これが公立学校で、私立は別。私立の中学は最初から6年間あるので、12年目教育という特別なクラスはないです。

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なーるほど、SMKのブラスバンド部とか、大きい生徒もいれば小さい生徒もいるなあと思っていたけど、日本の中高一貫教育と思えば道理。東京の留守宅の近くに、都立中等教育学校というのがあるけど、あれですね。

60年前の校舎は、装飾過多。いまどきの建物はそういった装飾的なものを極力排して、ビルっぽい建物か、建物のデザイン自体が凝ってるかで、装飾的なものはあんまりない。手すりの柱とか、いろんなところに少しずつこういう装飾があるのが、本当に懐かしいし、温かみがあるし、現代に通じる良いデザイン。

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だから、Pekanのこの中等学校を立てた人は、この地に教育が根付くことを祈って相当に奮発してこの校舎を建てたのだと思う。平屋(一部が高床式部分がない2階建て)だから、敷地面積はかなりのものがあります。ちなみに学校教育義務化されたのは2003年頃と比較的新しいことを考えたら、60年前の中学はかなりの高等教育感があったと思う。いずれはこの隙間だらけの校舎は建て替えられるのだろうけど、別の目的、別の施設として、いつまでもこの建物を保存してほしいような気がします。あーでも、知ってるSMK建物が古いのはともかく、トイレが8割壊れてるとか言ってたし、結局は建物の外郭だけあってもしかたないか。

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2016年07月02日

Geography for elementary school 小学生の地理

OMG,, How I don't know Japanease Geography.

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以前に買って、やろうやろうとしながらやってなかった日本の地理。しかも、小学生、、小学生、小学生レベル。本当に日本は遠い国で、日本のことなんて覚えてないよ、、といいたい気もするけど、そんなことではいけません。ちゃんと、日本のことを知ろう。少なくとも小学生レベルは、、しかし、小学生レベル高すぎ。本当に日本の小学生はこんな難しいことを覚えているのか?結局昔はやったのだろうけど、忘れてしまったというのが正解だと思う。

それをいうなら、外国の私が知らないのはともかく、日本に住む人だって、けっこう日本地理は怪しいはず。そう思った人は、小学生レベルからやり直しが一番。

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そして、一番最初のページの一番最初の質問でほぼ半分しか正解がなかった。これは地理記号。ちゃんと理解してないとね、地理記号は年々新しいものも増えていくので昔覚えたからといって、今全部言えるとは限らない。

そして日本の範囲。南鳥島と沖の鳥島。名前はおんなじ鳥島でも、場所が全然違うじゃないか。しかも、どこにあるのか太平洋の中で点で示せとか言われたらもう完全にお手上げだよね。東端が南鳥島で南端が沖の鳥島。ちなみに南端?どこ?南大東島かと思ってたけど、全然違うじゃないか。沖の鳥島という名前は知ってたけど、あんなところにあるとは、、、。ちなみに南鳥島の気候は「サバンナ気候」。おお、日本にサバンナがあるとは知らなかった。

そんな活躍する南の小島のおかげで日本と同緯度、同経度となると、ものすごい幅。これみるかぎり、日本てかなり大きい国。住んでたことがあるから多少土地勘のあるアフリカの国って、南だよね、、とか漠然と思っていたのに、スーダン、チャド、マリ、ニジェール、モーリタニアも日本と同緯度だとは思わなかった。それにサウジなんてほとんどまるまる日本と同じ経度です。

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日本の都道府県は全部言える。地図に全部名前をサラサラ入れていく。これは得意だし楽勝。しかし、こんどは都道府県の形だけをランダムに並べて、さあ、全部名前を入れろ!これはしんどかった。海岸線があるところは楽だけど、内陸県は、、はて?最後まで分からなかったのが幾つか残ってしまったけど、、

「鶴舞うかたちの、、、」は群馬県。ふと、思い出した。

それで、あとはジグソーパズルのようにあてはめて完成。けっこうしんどかったのはこれだけじゃなくて、都道府県の県庁所在地。いくつか、どうしてもわからん。松の三つ「松江、高松、松山」を間違えてしまった、今後、個人的に「日本三大松」として覚えよう。

でも、、、やっぱり、これは難しい。群馬県の県庁所在地。これを現地で間違えると火花が飛ぶようなパンチが来るかもしれないから注意しなくては。

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2016年04月20日

グローバル人材詐欺

2012年から2014年ぐらいまで盛んに言われていた「グローバル人材」ブームがほぼ収束しました。
いまでも、名前を聞くぐらいはありますが、かってのブームのような勢いはありません。

そのうち、誰かが「あのグローバル人材ブームは何だったのか?」という総括をしてくれると思うので文科省が育成事業に予算をつけたからとか、グローバル人材ビジネスの激しい売り込みがあったからとか、方面の詳しい解説はそちらにまかせて、私なりにブームを考えると、「グローバル人材など日本企業に必要なかった」という一言に尽きます。

「グローバル人材ビジネス」の面白いところは、グローバル人材の定義がなく、勝手にイメージしたグローバル人材像が、それぞれの顧客の痛いところを突くようにカスタマイズされていた点です。サービスは商品のような定型を持っていない利点を生かしたことで、これは以前の「反ゆとり教育ビジネス」と同じ。
顧客は痛いところを突かれるのでパニックになり、よく考えもせずグローバル人材ビジネスの信者となっていきました。

経産省はグローバル人材とは日本に来ている外国人留学生をうまく利用する方法と位置づけているので、日本人をグローバル化することはあまり考えていなかったようです。そういった人たちはそもそもグローバル人材ビジネスで言うところのグローバル人材そのもので、手の加えようも無い気がするのですが、、、

「和魂洋才」

人材についていえば、この100年以上言われている和魂洋才に基づくスキルの国際化だけが現在必要とされるもので、グローバル人材など企業にあっては百害あって一利なし?これが、日本のもとめる国際人のすべてです。

つまり、和魂とは、長時間労働を普通と考え、サービス残業も当然とし、有給休暇をとるたびに罪悪感を覚え、単身赴任があたりまえ、空気をよんで付和雷同し、無報酬で会社に尽くす、、といったものです。素のグローバル人材は、とうぜんこういった和魂が理解できません。休暇がまとまって1ヶ月欲しいとか、残業代は雇用契約上当然もらえるものだとか、有給休暇は労働者の権利だからとか、いいだしたら会社はきっとパニックを起こすことでしょう。外国人留学生をグローバル人材にするというのは、外国人のもつ普遍的な国際性を「そぎ落とし」、和魂を注入するというものに他ありません。

大学で普遍的な教育をうけた新卒を一括雇用し、「大学で受けた教育を洗い流す」再教育を行い、よその会社での経験者の中途採用が一般化せず流動性に乏しく、ましてや外国の大学で教育を受けたり帰国子女だったりすると、拒絶反応を示すのは、「うちの会社は普遍的でなく劣っているので外の世界を知っている俊英からバカにされたくない」劣等感の裏返しなのかもしれません。グローバル人材ビジネスは、この劣等感を突いたものだったのですが、よく考えるとグローバル人材など迷惑にしか思えないのでいらないということでブームが収束したと私は考えます。せいぜい良くてグローバル人材とは中途採用相当ということですね。

多様性が問われている社会なのに、多様性に対する受け皿がほとんど整備されていないのは、多様性に対する劣等感や意味のない差別感がどこかにあるからではないでしょうか。

グローバル人材ブームは、ビジネスの売り込みと、ビジネスを政治的に利用した政府に動転した企業が支えたもので、まじめにグローバル人材をめざした学生にとっては、詐欺まがいのブームであったとしかいいようがありませんが、日本以外の世界はグローバル化を進めているのでその知識は無駄になることはないでしょう。

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2015年11月01日

Violin 身の程知らず

New toy arrived.

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ずっと昔からやりたかったバイオリンを始めました。日本ではある程度の年齢になって、もうバイオリンを一度はやらずに死ねない、、とまではいかなくても、昔からやりたかったという人が始めることも多いようです。でも、マレーシアはどうだろう?
私の町にひとつだけあるバイオリン教室に出かけました。音楽教室は幾つかあるのですが、だいたいが鍵盤系かギター、それに今けっこう人気のウクレレに集中しているようです。マレーシアでのウクレレ人気というのは根強いものがあって、日本ではどうなんだろう。

、、あ、ウクレレはどうでもいいや。バイオリン、、初心者用に安いバイオリンを買って、教本買って、いろいろ買って、手に取ってみると、アドレナリンが噴出します。がんばろう。教室では小さな子供が主流で、私もいきなり受付の人からバイオリンをオーダーするのでサイズを測るといわれたのですが、奥から先生がでてきて、「大人の人は測らなくても、大人用のバイオリンでいいのです」と受付の人に言ってた。それぐらい、まず大人の生徒が少ないのでしょう。

先生は絵にかくとバイオリニストってこういう人なんだろうな、、という指の細い、体も細い、涼しげな若い男性で、あ、、本当に身のこなしも涼しげで、話し方も涼しげで、クールな人とはこういう人なんだろうな。私は暑苦しい人と言われるのでバイオリンはともかく、先生に涼しげな挙措を教わりたいです。

受付で買ったものは、先生がいちいちダメ出しして、ロージンもバイオリンの付属のものは使わずに別に買うように言われたし、肩当も買い直し、やっぱり子供用だったらしい。そして自分から買いなおしたのは譜面台。折りたたみ式のものは高さが足らずに、しかも安定してない。結局これも「指揮者用」だけどいいの?と言われた譜面台を購入。どれも最初に買ったものの差額だけ払えばいいのだけど、各種買い直し(教本も子供用だった)のせいで最初の予算よりかかってしまった。でも、それでも、日本でバイオリン教室に通うのの半額以下ぐらいだと思います。

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最初のレッスンを終えて、ちょっと練習したけど。もう、なんか挫折感が漂っている。
少なくても、いろんなものを購入したののモトを取るぐらいにはがんばりたい。

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2015年07月22日

Japanese in Alphabet ローマ字

Japanese in Alphabet is used for international indication, display or pronunciation purpose.
ローマ字、、日本語の表記の一つで、ひらがな、カタカナ、漢字に続くものです。主に、外国語や日本語がわからない人向けの表記や発音など特殊な状況で使われます。ローマ字ってありますが、もともとは英語表記(米国人ヘップバーンによるヘボン式等)です。ローマ字と言ってってオーソドックスなイタリア語では、J,K,W,X,Yの文字がありませんから。もう、ここでローマとはあんまり関係がなくなります。それぞれの文字に対応する発音も、当然日本語ですから日本語の発音に当てはめられています。

なんで、こんな記事を書くかというと、、少なからずの日本人が「東南アジアの言葉なんて文字をローマ字読みすれば通じるんだ」と言うからです。東南アジアの言葉、たとえばマレーシア語は現在英語を借用していますが、発音は英語とも日本語のアルファベットとかけ離れています。これをローマ字読みしても、まったく通用しないのですが、勘の良い親切な人が「この人は何言っているんだろう」と真剣に聞いてあげてるからなんとか通用しているぐらいなものです。

ローマ字は日本語の表記法のひとつであって、れっきとした日本語で、発音は日本語に対応しています。これをもって外国語に当てはめようなんて無茶無理なのですが、そもそもローマ字とは日本語であるということを知らないのでしかたないです。同じように中国語から借用した漢字が日本語を表すのと同じで、漢字の日本語発音でもって中国人に話しかけても通じないのと同じです。

ローマ字で発音して通用するのは日本語だけです。が、わかっていない人に説明するのは困難を極めます。アルファベットで世界中おんなじもんだという妄想に凝り固まっているからです。おそるべき素人というものでしょう。

いまの政治でも、おそるべき素人が無茶無理を通そうとしていますが、このような蒙昧はもはや信仰と化しているので聞く耳など持ちません。しかも、この素人が専門家を毛嫌いすることこの上なく、もはや手の付けようがないのですが、、、さて、どういう方法が良いものやら。

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2012年09月29日

明日はゼミ

卒業して初めてゼミに戻ります。
なんだろう、へんなかんじ。
卒業したら大人しくしたほうがいいのかな。


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2012年09月16日

間違った授業をやってはいけない 5

TOSSの授業として推薦されHPにリンクされている
「胡椒を使って大航海時代を授業する」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ohmichu/sub5-1.htm
から引用して、ほんの短い文章の中にどれだけ間違いが含まれているか見てきました。これまでのところから実際の授業は進むのですが、お腹一杯なので引用はこの辺でやめておきます。

どうしてこのような間違いが起こったか?
どの段階でもいえることですが、理由は明確です。「誰も内容をチェックしていない」からです。

まず、胡椒が肉の保存を行うからという俗説がいまだに大手をふってまかり通っています。実際のところ、誰一人として胡椒漬け肉を食べたことも、見たことも、聞いたこともないのに(もちろん存在しないから)、「胡椒で肉を保存する」と何故伝えるのか?正直なところ世界史などどうでもいいと思っているからです。この中学の授業ばかりでなく、高校・大学でも同じような話がまかり通っていることでしょう。世間では、歴史教育が間違っているうんぬん、、と、言う人がいますが、彼らだって「自分が思った歴史を広めたい」というだけで、内容の正誤など気にしているふうには見えません。

もっと言うと、誰かが言ったこと、書いたことを反論してはならないとでもいう奇妙な倫理観が蔓延しているからともいえます。論理的な反論に対して「あいつは何を怒っているのか?」と言われたことがありますが、理論の指摘と怒りは別物で、べつにちっとも怒らなくても反論ぐらいできるのですが(ステレオタイプ的ではありますが)日本人は感情的であるとしかいえません。間違いの指摘をすると、「相手を傷つける」とか「人をどきまぎさせてはいけない」とか「えらそう」とか、いろいろ言われますが、これはみんな感情に由来するもので論理に対して(ここでは教科書や授業内容)、どのように間違いだらけであるか、、というのは「感情的になる」「怒る」など無くてもできる簡単なことです。

こうして、人のミスを指摘するのは遠慮しようというようなつまらない文化か、なにかの宗教みたいなものでお互いが牽制しあって、失敗がいつまでも繰り返されるということになるのでしょう。TOSSにあっては法則化という無謬の聖典があって法則化されたものを批判するということが許されないような雰囲気があるのでしょう。いくらこのような間違いがあってもです。つまらないことです。

そして、内容を検証しなさすぎること。これは私がこれまで日本の致命傷と呼んでいることですが、振り込め詐欺も同根です。内容を検証せずに信じやすい。そして間違いを指摘しても、信仰の一部になっているので変えることができない(つまらないプライドがじゃまする、、ということもある)。

ここで私がいくら、「大航海時代の胡椒入手は肉の保存ではありません。あなたは胡椒肉を食べたことがありますか?」と書いても無駄でしょう。基本、みんなは世界史などどうでもいいし、教科書や授業で胡椒は肉の保存用とかいてあるのでそのとおり覚えなければいけないと思い込んでいるからです。

だれも食べたことが無く、見たことも無く、聞いたことも無く、歴史上に存在したこともない「胡椒による肉の長期保存」。さらに、肉は生活にそれほど関係がなかったにもかかわらず「肉食中心のヨーロッパ社会では」と勝手に妄想して、「肉の保存が人々の生死にかかわる重大問題だったのです」と、いったい胡椒以前の人々はどうやって暮らしていたのか?という疑問すらもたずに児童生徒に教えていく一部の教師達。おどろくばかりです。

ここでは「胡椒を使って大航海時代を授業する」を使いましたが、TOSSのモデル授業は結構驚きの連続で、「源氏の政治が長続きした理由を検討する」(http://www1.vipa.ne.jp/~m-seto/gennjito.htm)も強烈にいかしてます。

(引用開始)1167年 平清盛が大臣となる。1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる。発問 何年ですか。「18年です。」(引用おわり)

おいおい、源頼朝が鎌倉幕府をつくった1192年(権力をもったのはそれ以前ですが、通常「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えさせられる)から、実朝が暗殺されるまでが27年間。たった9年の違いでそんなに威張って?長続きした!というもんでもなかろう。その後、平家の一門北条氏に権力が移るから、鎌倉幕府は最初の27年間が源氏の政治で、残りの141年が平氏の政治というべきなのです。が、まーーったく考慮していない。<源氏の政治>じゃなくて、<鎌倉時代>だったらまだましなのに。

(引用はじめ)指示 この中で平氏の政治が長続きしなかった理由だと思うものに×をつけなさい。一族が高い官位を独占し,高い位についた,朝廷の政治を思うままに動かし始めたに×をつけた生徒が多かった。(引用おわり)

平家の一族が跋扈したのはよく言われることです。それに対して源氏は「一族間で皆殺しが多くて、一族の数が極端に少なかった」。です。平家は幽霊になったって家族揃って琵琶法師のリサイタルを聴きに行くほど家族や一族仲良かったのですが、源氏は同族どころか親子兄弟での殺し合いが伝統です。なんで木曽義仲が木曽にいたのか?(正解:一族の殺し合いの所為で逃げ回らざるを得なかったから)。頼朝も兄弟の義経も範頼も殺す。最後の実朝は甥に殺されて、結局一族根絶やしになって源氏が滅んでしまったのです。平家のように一族が政府の要職を占めるだとか、地頭になるだとか、そんな仲良しさなんて微塵もない。

まあいい。これぐらいにしてないと、、、、
このTOSSのモデルはすごい。すごすぎる。世界に通用しない人を作るのに十分ですね。


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2012年09月13日

間違った授業をやってはいけない 4

「胡椒を使って大航海時代を授業する」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ohmichu/sub5-1.htm

TOSSの教義には関心ないと前回書きましたが、良く考えるとこの授業モデルを仲間内の教師サークルで推薦して、それがTOSSのHPにリンクされて、HP自体は一億ヒットもあったというのに誰も間違いを指摘せずそのままである、、どんだけ教師仲間の無知か批判禁止の統制ぶりなのか不思議です。

(引用はじめ)発問3 スペインやポルトガルの商人たちは、わざわざ危険なアフリカ周りのコースで香辛料を運ぼうとしたのはなぜですか。指示3 ノートに自分の考えを書きなさい。時間は3分です。3分後、挙手で発表させる。 説明4 当時地中海を支配していたのはイタリアの商人たちでした。彼らはアジアの産物である香辛料や絹織物を、イスラム商人を通してヨーロッパに輸入し大きな利益を上げていました。
 そこで、スペインやポルトガルの人たちはイタリアの商人を通さずにアジアと直接貿易をしようと考えたのです。その結果、次々と新しい航路が開かれていくのです。次のように板書する。板書2 1492年 コロンプス、西インド諸島を発見 1498年 バスコダ・ガマ、インドに到着 1519年 マゼラン、世界一周に出発(引用おわり)


まず、前回の復習で陸路で交易というのはありえず、インド>パキスタン>イラン>トルコ>地中海という陸路は間にどれだけ山脈がありどれだけ砂漠があるかわかってない発想ですし、インドから地中海の間はペルシャ湾を通る海路で、あとはチグリスかユーフラテスを遡上してわずかな距離を陸路を経て地中海に向うという方法が古代文明の発祥メソポタミアの時代から知られているルートです。胡椒はもっと言うとインドより今のインドネシアのほうが産地なのですが、まあ、そこはいいとして(香辛料の「アジアの産物」は止めて欲しい。唐辛子はアメリカ産だし、絹織物はもういいって)、ここはイスラム商人の経済圏なのは確かです。

(引用部分)「そこで、スペインやポルトガルの人たちはイタリアの商人を通さずにアジアと直接貿易をしようと考えたのです」

これは正確じゃない。イタリア商人がそんな「大きな利益」を上げている商売にわざわざ新参者を受け入れるはずがない。スペインやポルトガルの人たちはイタリア商人の猛反発を受けて、しかたなく、、というのが正解です。この授業の範囲外なのですがどうしてスペインやポルトガルの人たちが貿易を始めようと思いついたのか?ということがわかってないと、「イタリア商人から買えばいいじゃないか」「イスラム商人から買えばいいじゃないか」で終わってしまいます。

時代ははるかさかのぼって、日露戦争のときロシアはバルチック艦隊をヨーロッパのバルト海からはるか喜望峰を越えて、地球を半周して日本近海まで回ってきました。そうとうな苦しい航海で、苦しさの理由は日英同盟を理由にイギリスが徹底的にバルチック艦隊に意地悪したからです。イギリスの息がかかった港に寄航させない、石炭を売らないように手をまわす、などなど。つまり海路は港の整備なくして成り立たず、、ということです。地中海から中央アジアまでイタリア商人(といってもジェノバ、ベニスの仲たがいなど一枚岩じゃない)が頑張っていたのは港の整備がきちんとできていたから。

結局、スペインやポルトガルは自前で港湾を整備しないといけないことになったけど、むしろ残されたルートのほうが少なくて消去法的に喜望峰回りになったわけです。ただし、このルートもイスラム商人がわりと開発していてスペインやポルトガルは彼らの手を借りて喜望峰周りを開拓しました。イスラム商人は儲けがあれば、手を組むあいてはイタリア人だろうがポルトガル人だろうがそれほど関係なかったからです。

アフリカ回りは消去法で決まったのですが、「スペインやポルトガルの商人たちは、わざわざ危険なアフリカ周りのコースで香辛料を運ぼうとしたのはなぜですか」って、航海は当時の常識だからこの「わざわざ危険な」は「アフリカ周り」にかかってきているのですが、アフリカに行く=危険というのがいかにも昭和的無知さを彷彿させてくれます。それだったら、インド>パキスタン>イラン>トルコという陸路が安全か?という疑問も残る。この中学教師は書いてないけどパキスタンとイランの間には「アフガニスタン」という山岳小国があるぐらいで、この一帯は昔も今も相変わらず大変なところです。それとアフリカ周りの海路を考えたら、私だったら絶対海路のほうがいいな。


その5につづく
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2012年09月12日

間違った授業をやってはいけない 3

あまりにもひどい、授業。

「胡椒を使って大航海時代を授業する」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ohmichu/sub5-1.htm

この記事はTOSSという団体のHPにリンクされ、法則化中学社会編の追試として滋賀MLの推薦となっています。、、と書くと、普通の人にはなんのことかわからないと思いますし、私のこの記事を見るまでTOSSという団体のことを知りませんでした。教師の団体で学校のテクニックを教えあおうという主旨らしいですが、いまやカルトのたまり場のようです。TOSSがどんな団体で、どんな教祖がいて、どんな教義を持つのか興味はないです。カルトでも社会的に問題なく善行を勧めていれば私は結構だと思います。

しかし、どんな団体でも構わないのですが、嘘を授業で教えるのはまずいです。これまでこの授業が間違いだらけであることを書きましたが、間違いを訂正して子供達には正しいことを教えて欲しいです。

(引用はじめ)「問1香辛料を料理に使うと、どんな点がいいでしょうか。指示1ノートに自分の考えを書きなさい。1分後、列指名し、発表させる。その後、次のように説明する。説明2 一つ目は肉が腐りにくい点、つまり保存が可能である点です。もう一つは、肉の臭みを消す点です。肉食中心のヨーロッパ社会では、肉の保存が人々の生死にかかわる重大問題だったのです。」(引用おわり)

たった数行ですが、ほぼ間違いであることは最初の記事に書いたとおりです。そして、その次、、、

(引用はじめ)「発問2 香辛料をアジアからヨーロッパに運ぶにはA・Bどちらのコースが安全でしょうか。指示2A・Bのどちらかを選び、そうかんがえた理由をかきなさい。
A スペインやポルトガル←地中海←トルコ←イラン←パキスタン←インド(陸ルート)
B  スペインやポルトガル←大西洋←喜望峰←アラビア海←インド (海ルート)地図帳でルートを確認させる。A・Bのどちらを選んだかを挙手で人数確認し、少ない人数のほうから理由を発表させる。
説明3 この時代、外洋で航海することは大変危険だったのです。 波も荒く、船は難破することも多かったのです。それにもかかわらず、スペインやポルトガル人はBコースつまりアフリカ周りで香辛料を運ぼうとしたのです。 」(引用おわり)


古来より交易はよほど内陸が目的地か海路が無い場合を除いて、ほとんど海路で行われています。昔もてはやされたシルクロードも、今や「海のシルクロード」のほうが主流であったという見解です。貨物の輸送は圧倒的に海路のほうが有利で、寝てる間も船は進みますし、料理で立ち止まる必要もなく、台所ごと船にのって食材も乗せているので陸上のように宿営地を作ったり料理に苦労することもないです。それに何より大量にものが運べます。陸上で畜力輸送する何倍も何十倍も積載量がありますから単価あたりの輸送コストを低減することができます。だから陸路というオプションは最初からなく、「どの航路を使うか」がポイントとなるはずなのです。

アラビアだの中東だのというと、すぐラクダのキャラバンを思い出す人もいますが、あれは補助輸送であって、主力は海路です。ラクダのキャラバンを思い出すぐらいなら、なぜシンドバッドを思い出さないのだろう。交易商人のシンドバッドの物語は小学生でも知っているはずです。香辛料を求めたシンドバッドが陸路ラクダでインドに向う話ではなかったはずです。

例えば、現在のクエートの国章はこちら。同じくカタールも以前のUAEの国章も同じモチーフです。わざわざ砂漠を横切るより、海路を使うというのが伝統で、国土もバハレーン地方(いまのバハレーンだけでなく、サウジ東部州、カタールも含む一帯の名)は「海」という意味ですし、それぞれアルジャジーラ(島)と自国を呼んだりします。サウジだってアルジャジーラって自国のことを呼ぶのです。

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UAEの4年前までの国章。国章というのはどこの国でもパスポートの表紙にする最も国家として威厳のあるデザインです。アラブ湾岸諸国の意気込みが伝わってきます。

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下はカタールの国章です。

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日本だって、イギリスだって世界中貨物の輸送は海路が主力です。紀伊国屋文左衛門が紀州のみかんを陸路はこんだわけでもなく、皇太子がオックスフォードに留学して研究したのはイングランドの運河と輸送です。イギリスはわざわざ内陸部に運河を掘ってまで輸送を船に頼りました。

外洋は荒れて?いや、湾岸部は荒れるけれど外洋はそれほど荒れない。それは風の性質や波の性質といって理科で学ぶはず。だから難破は外洋より沿岸のほうが多いのですけど、、。あとは賊の害ですが、山賊にテクニックも何もいりません。誰でもなれるのですが、海賊は操船テクニックが必要で自前の船など資本が必要です。誰でもなれるものでもないうえ、海は広くてどこに交易船が通っているかわからず、山賊に襲われるより海賊に襲われる可能性のほうがずっと低いのです。

古代エジプトでは物資の輸送のため、紅海とナイル川を繋ぎインド洋から直接地中海にはいる運河を建設しました。歴史上何回か修復されましたが、いまでは埋没しています。でも、それぐらい海路というのは重要だったわけです。


その4につづく
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本かマンガか

私は本もマンガも好きです。
ですが、マンガが本の代替になることは絶対ないでしょう。

子供のうちは大きな差はありませんが、そのうち電子メールを書く、社会に出れば企画書も作らなければいけないし、報告書も書かなくてはならないし、文字ばかりの社会となります。若い人達のメールでまるでツイッターのように短文で、きちんとした長文がかけてないものを時々見ます。やはり、作文は借文だと昔の人がいったとおり、文章をキチンと読んで使ってみる練習を繰り返さないとどうしようもないですね。

そして、論文を書くこと。
「私は一生に一度も論文を書かないから、関係ない」

、、というのは、未来を見通す能力の無い人の言い草です。将来、どういう羽目になって、論文を書かなくてはいけないことになる誰にもわかりません(それは私のケース)。もし、論文を書くとなると、ぼーーーだいな先行研究を読んで、それを引用したり参考したりしないといけないのですが、活字をきちんと、しかも早く読めて正しく理解するという能力がなければ覚束ないです。活字離れでは効率的な読書ができません。

論文を書かなくてはならないときに、書けないのでは、みすみす将来を自力で潰すオウンゴールみたいなものです。

将来、何があるかわからないし、きちんと活字に親しむのは自己責任というやつでしょうか。さらに昨今は外国語とも付き合わなければいけない。例えば英文のメールや読書、英文文献を読んで引用するということができなければ、あとで辛いことにもなりかねません。

まず、活字に親しむこと。別に高邁な文学作品やこ難しい論文を読めというわけでもないです、Hな小説だって立派な読書です(しかも慣れるとHなシーンを高速で探せるようになるし?検索機能のアップにもつながる)。手近なところから、活字に親しもう。

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間違った授業をやってはいけない 2

あまりにひどいので取り上げた、

「胡椒を使って大航海時代を授業する」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ohmichu/sub5-1.htm

前回は授業の核となる部分が徹頭徹尾間違いであると書きましたが、別に核となる部分だけではなく、すべてで問題が見受けられます。中学の先生というのは、この程度なのか?それとも生徒にはてきとうに教えていれば十分だと思っているのか?まったく不思議です。

(引用はじめ)「「今日はあるものを持ってきました。」と言って、胡椒のビン1個を取り出す。「もう一つ持ってきています。」と言って、七味唐辛子の入ったビンを取り出す。「今日は、胡椒や唐辛子の勉強をします。」という。 説明1 「胡椒」や「唐辛子」を「香辛料」といいますが、これらはアジアの特産物であり、15世紀になると西ヨーロッパでは、絹織物とともに大変もてはやされました。これらは貴重品で、一般の人人は手に入れることが難しかったのです。と言って、以下のように板書する。板書1 香辛料・絹織物」(引用おわり)

じつは、長々と間違っているところの解説を書いていたのですが、間違って消してしまいました。馬鹿らしくてもう一度最初から書く気になれないので、箇条書きにします。

1 胡椒はともかく七味唐辛子の瓶は授業に一切でてこない。何故、わざわざ持ってきたのか不思議
2 七味唐辛子は薬研掘とも言い、江戸時代に手近な内容を組みわせたもの。入手し易さの加減により季節や場所によって七味の内容のバラエティがいろいろある。が、大航海時代的なものはない。唐辛子だけだったら、むしろ一味唐辛子でよかったのに。青海苔とかが香辛料かという突っ込みもされずにすむ。
3  さらに「これらはアジアの特産物であり、」とあるが、<唐辛子は中南米の特産物>です。なんでこんなにわかりやすいミスするのかなあ。地理で習って、勉強好きな中学生でも知っているよ。
4 唐辛子はコロンブスのアメリカ到着によりたまたま知られ、べつだん唐辛子を求めに航海にでたわけではない。もっとも、広まったのはブラジルのポルトガル人によってである。
5 「15世紀になると西ヨーロッパでは、絹織物とともに大変もてはやされました」とあるが、唐辛子はヨーロッパの風土に合ってたのであっという間にヨーロッパで自給できるまでになった。種を持ち帰って、植えて、芽がでて、水をかければ実がなる。わざわざ、航海することもない。
6 絹織物??なんでまた絹織物がここに?絹が珍重されたのはローマ帝国の時代。15世紀の大航海時代から千年も前のことだ。6世紀にはビザンチン帝国領内で養蚕が始まり、9世紀には地中海南岸、スペインと養蚕が盛んになった。これが大航海時代の6百年前の話だ。しかも大航海時代初期はスペインとポルトガルの活躍した時代で、この授業もその頃の話だけど、絹織物はスペインで自給できていた。
7 「これらは貴重品で、一般の人は手に入れることが難しかったのです」とあるが、胡椒はともかく唐辛子は一般の人でも入手が簡単だった。だから、貧乏人は胡椒の代用で唐辛子を多用し、それが両者の混同の原因となった。それが今でも英語でペッパーと両方とも呼ぶのは混乱の名残。
8 「板書1 香辛料・絹織物」と黒板に書くのか?香辛料といっても唐辛子は違うし、絹織物もヨーロッパで自給できていた。大航海までして持ってくるようなものではない。珍しい奢侈品があれば交易の対象となるのは今も昔も一緒。品質の良い絹織物を中国から持ち帰ることもあるが、それはこの授業のタイトルにある「胡椒をつうじて、、」という新航路発見へのパッションにはつながらない。

実は、なぜこんな頓珍漢な話がでてくるか、多少心当たりがある。それは、ロールプレーイングゲームで「大航海時代」というソフトがあり、かなりヒットしている。それには、ちゃーんと絹織物が重要品目としてでてくるのだ。だが、ゲームはしょせんゲーム。ゲームの中身にたより、自分で調べることをしないと、こんなかんじで、間違ったことを生徒に教えるようになる。

3につづく  
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大学院卒業

数日前に日本から、はるばるサウジまで大学院から連絡がありました。
「おめでとうございます。修士論文が合格です。あとで卒業証明書を送付します」

はあーー、もう、言葉もでなかった。下が、入学を申し込むときの心境

「新入生になること」2010年2月17日
http://inlinedive.seesaa.net/article/141418426.html

そして、最初の授業をうけて、

「新学期、新入生!」2010年4月
http://inlinedive.seesaa.net/article/145556561.html

(内容を引用すると)「で、どっちかというと授業開始にあたって、気落ちしたことは事実です。本当に今からでもやめて、授業料を取り戻したくなりました。もちろん、授業内容やカリキュラムはわかってました。でも、親身になって考えてなかったです。こんな辛い思いをするために借金して授業料を払ったのかと思うと、悲しいです。
結局、「絶対に先を見ない」で、うつむいて足元だけみて、とりあえず一歩づつ足を前に出すしかないです。
本当は胸張って、まっすぐ正面を見たいけど、全然!!!
そんなことしてたら、つまづいてひっくり返るか、あまりの見通しの暗さに愕然とするかどっちかです(或いは、どっちとも)。」


そして、1ヶ月たつと

「ああ、もう崖から滑り落ちちゃったよ」2010年5月
http://inlinedive.seesaa.net/article/150131131.html

(またもや引用すると)「がけっぷちを歩くような勉強だったのですが、連休の後から授業についていくのはしんどい。はっきりいって、崖っぷちを、もはや歩いていません。
体は既に崖の外。崖っぷちにぶら下がっているというのが、表現としては適切です。もうぶら下がるだけの体力(知力)しかないので、ぶら下がったまま進むことも、、、ちょっと無理。」


ほんとうに授業についていくのが大変だったです。もう、世の中には頭のいい人という種族がいて、自分は完全にどんなにがんばっても頭がよくなることは無いと思いました。おなじ5月には、

「挫折感120%」2010年5月
http://inlinedive.seesaa.net/article/151207912.html

(またまた引用)「経済学にある「重回帰分析」がぜんぜんわからんです。世の中、頑張ればなんとかなると思っていたし、死ぬほど頑張れば、多少なりともなんとかなるもんだと思ってましたが、「重回帰分析」はわからん。ひっくるめて、線形モデルはわからんけれど、最小二乗法まではなんとかわからんわけでもない(が、薄明かりぐらい)、でも、重回帰分析は、死ぬほどやってもわからん。
ものすごい挫折感で、昨日はやけ食いしてしまいました。今日は、もう、どうでもいい。明日になれば、もう一回見直す気力ができるかも。」


そのまま、状況はいっこうに変わらず、徹夜してテストに備えるとか、寝る暇がないとか、そんなグチばっかり。右カラムの「教育学部」カテゴリーには、もうダメだ、とか、寝てはいけない、とか、自分の馬鹿さ加減とか、そんなグチばっかり100記事ぐらい残ってます。日が経つと、すこしはましになったか?など、ありえない。毎回苦しんだ。そして2年経って、修士論文を書くときも

「幻聴」2012年3月
http://inlinedive.seesaa.net/article/257030585.html

(引用)「棚に増えていく先行研究をどれだけ消化しているか、あやしい(積んでるだけ?)、、という状況下において、「もう、あかん!これ以上は自分の能力をこえてる!」という能力の限界と提出期限という切羽詰ったところで、「もう、どうにでもしてくれ!」と提出してしまう。
、、という、行為が、限定された合理性どころか、ほとんど合理性など持ち合わせてない私にとって、常態である。、、「だから、あんたはあんたらしく、目をつぶってエイや!で今度も、これからの人生も生きていくんや、慣れんことに無理したらあかん。あんたは、エイや!でちょうどええんや、、頭使ったらあかん」
、、ああ、幻聴まで聞こえてきた。今日は、大地震からちょうど1年目で、いろいろな行事も行われているようだけど、新聞を読む時間もなくて悲しい。
提出まで、あと10日。印刷もして提出なのに、まだ本文を書いてるよ。。。」


はじめたころ、自分が卒業できるとは考えてなかった。それどころか、いつ中退したら授業料の何パーセントが戻ってくるか事務局に問い合わせたことまである。難しかった、そして最後まで難しかった。
この2年間ずーーっと、

結局、「絶対に先を見ない」で、うつむいて足元だけみて、とりあえず一歩づつ足を前に出すしかないです。本当は胸張って、まっすぐ正面を見たいけど、全然!

くじけても、それでも、頑張ると卒業できるのですね。自分に良く頑張ったねと言いたい。真っ暗闇のトンネルを抜ける日など、絶対にないと思っていたのに。結局、「一歩づつ」。これだけ。

卒業が決まって、事務所のみんなにふるまったチョコはこれ。

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泣いたかって、もちろん大泣きだよ。

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2012年09月10日

間違った授業をしてはいけない

胡椒について検索したところ、ある中学教師のブログに出会いました。
とうてい考えられない誤認俗説解説です。ふつうは、ブログで人が何をいようが自由だと思いますが、子供達への授業のモデルが間違っているのはまずいです。ただし、もともとの出所は文部省認定の教科書が下敷きになっているはずですから、そちらもチェックが必要だと思いますが、、

中学歴史です。
「胡椒を使って大航海時代を授業する」
(URLは各自検索してみてください)

最初からつこみどころ満載ですが、まずは核心からいきましょう。
香辛料を料理に使う利点の解説。1点目は肉の保存効果、2点目は肉の消臭効果、そしてまとめとして、肉食中心のヨーロッパ社会では、肉の保存が人々の生死にかかわる重大問題だったとしています

大航海時代に人々が胡椒を求めたのは事実です。しかし、その理由は胡椒の薬効にありました。胡椒が同量の金で取引されたほど高価なものであったというのはどの解説でも見つかります。胡椒が薬であり、死病と恐れられたペストの特効薬とされていたので、なけなしの財は傾けてでも愛する家族を死から守るために胡椒を手に入れようとしたのは不思議なことではありません。いまでも難病の治療のため、多くのひとが財産をすべて手放しても高価な治療を行っています。

それほど高価な胡椒が、なんで肉の保存に?これもまた突っ込みどころが満載なので箇条書きすると、

<肉が腐りにくい、保存が可能>
1)肉の保存は大昔から塩漬け(ハム等)、燻製(ベーコン等)の技術が確立しており、その他に蜜漬、砂糖漬け、発酵保存など、いろいろな保存の形態があった。べつに胡椒がなくてもいっこうにかまわない。
2)そもそも胡椒には長期保存成分は無いに等しい。塩漬けみたいに「胡椒漬け肉」なるものを食べたひとはいない。だいたいそんなものはこの世に存在しないから。塩漬けや燻製の風味を添える程度で胡椒が使われているものはあるが、それは本当に薬味としていれてあるだけ。
3)胡椒は金と同量程度で取引された、、というから胡椒を惜しげもなく使う「胡椒漬け肉(?)」は「金と同じぐらい価値のある肉」で、そんなもん誰が食べるのだろう、誰が作るのだろう。胡椒が安価に手にはいる現在でも胡椒漬け肉なるものはないです。
●結論 肉が腐りにくいったって、刺身のワサビ程度のもので何ヶ月もの間保存できるようなものじゃない。しかも、現代にすらない胡椒漬けなる技法は、当然中世もなかった。中世よりもっと昔の古代から伝わる塩漬け(ハムやコーンビーフなど)は、いまでもポピュラー。

<肉の臭みを消す>
1)この分野では昔っから「ニンニク」という王者がいて、古代からニンニクにかなう奴はほとんどいなかった。なんで、ニンニクで間に合うのに、胡椒が?
2)だいたい、胡椒が腐りかかった肉の臭みを消すという俗説があってだなあ(なんかあまりのバカバカしさに力が入らなくなってきている)、同量の金と取引するほど高価な胡椒を、何が悲しくて腐りかけた安い肉にかけないといけないのだ。臭いがするような肉しか買えない貧乏人には、とうぜん胡椒なんて買える訳がない。じゃあ肉にかける人はいなかったか?いや、いるにはいた。いわゆる王侯貴族が目一杯見栄をはる豪華なパーティに、胡椒をふんだんにかけた料理をだした。が、臭いがするようなけち臭い肉なんか見栄の張り合いで使うわけがなく、「新鮮な肉」に胡椒をかけた。ちょっと考えればわかりそうなもんだが。
3)もっと言うと、中世ヨーロッパの庶民は肉の臭みなどあまり気にしなかった。
●臭くなったような肉を食べる貧乏人に胡椒など手にはいらない。料理用に胡椒を手にいれるお金があれば、とうぜん新鮮でぜんぜん臭みがない肉を手に入れたほうが遥かに安くつく。そこらへんの雑草転じてハーブ!というものがあってだなあ、みんなハーブで結構満足していたんだ。

<肉食中心のヨーロッパ社会では、肉の保存が人々の生死にかかわる重大問題だった>
1)一言で言うと、中世のヨーロッパで、庶民は滅多なことでは肉など口にするチャンスはなかった。穀物中心で副菜が野菜。これが平均的な庶民の生活で、たまに脂身が手に入れば目一杯水で薄めて野菜をいれたスープ、シチュー、ポタージュの類にするのが普通。中世ご庶民はせっかくの脂身を外に出すことなど考えられず、副菜は鍋料理ばっかりだった。
2)ご庶民は、肉とはあまり縁がなかったのでその存在が生死になど全くかかわらなかった。ご庶民でなければ?肉がなければ野菜を食べていればよろしい。野菜だってけっこう高値。
3)ましては、肉の保存方法は、、上のほうに説明したとおり
●結論:もはやなんといっていいものやら。何が悲しくて肉ばっかり喰わにゃあ生きられないのだ。

中世には教会の影響がつよく、斎戒(肉食はおろかチーズもミルクもダメ)の日が山ほどあり、これには王侯貴族も従っていた。だから、肉を食べないと生死にかかわるような事態はそもそもありえないのだけど。



その2につづく 
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2012年06月25日

精神主義と物質主義

「西洋のホテルに飛び込めば、まず日本の帳場格子に相当すべきオフィスに行く。一晩幾円の部屋で、一人、浴場付き、何々とこの方の望むような部屋を注文すればそれで済む。番頭がじろじろ人の服装や人相を見たり、甚だしきにいたっては知人の紹介がなければ泊めないと言うとか、弊衣破帽の客で多額の茶代も出しそうにないのは端っこの汚い部屋に通すというような不都合は断じてない。(中略)日本の旅館では、なんだか親類か知人の家にでも泊まりこむように、最初から金銭の事など問題にしていないという風を装っている。茶代という一種の贈り物を払うと、その返礼に、手ぬぐいはまだ良しとして土地の名産と称する大きな漬物樽や菓子箱を出発の間際に客にくれる。主人や番頭が出てきて、真の温情も友愛もない紋切形の挨拶というものを述べる。」これは、西洋の<物質主義>と日本の<精神主義>の一つの例となっています。

「象牙の塔より出て」の「霊より肉へ、肉より霊へ」という章の一節です。白村はこの後、日本の師弟関係を述べて、日本の精神主義が形骸化した因習となっていること、西洋の物質主義は、ビジネスとして成り立った上で精神的に昇華する可能性を秘めていることを語っています。無能な師に対して学生が師であるというだけで服従し文字通り「七尺下がって師の影ふまず」という精神主義に対して、無能な教師に払う金などないという学校ビジネスで、学校を一歩でれば師弟が友人関係のようである米国の学校の<物質主義>に白村は限りなく快感を覚えています。私も同感です。

戦前の日本の精神主義とは「説明のつかない、何かを犠牲にしたうえでの非論理的非合理的なもの」を言い表し、現在の日本人が精神主義ときいて思い浮かべるスピリチヤルな<精神>とはだいぶん違うようです。
つまり、「そんなのは理屈ではない、そうといったらそういうものだ」(つまり師であれば無条件に服従するといったもの)というのを総称して<精神主義>といっていたのかもしれません。そして物質主義とは、ビジネスとして成り立つ合理的なものを指しているようです。それでは、、、戦争に負けるわけだ。

今の世は、「ビジネスモデルとして、、」だの「持続可能な、、」だの、戦前であれば<物質主義>と呼んでいたものが、あたりまえになっています。これもまた現代の日本人が思い浮かべる<物質主義>とは多いに違っている点ですね。

つまり、戦前と現代では「精神主義」と「物質主義」の定義が全然違うということで、それをわからずに同じように考えると、まるっきり違うことになるわけです。

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象牙の塔

ばんざーい。厨川白村の「象牙の塔を出て」が郵便でとどきました。
今回の一時帰国休暇中に入手することは出来ないかと思いましたが、アマゾン、、GJです。古本屋めぐりなど、やったことないのでアマゾンがなければ到底入手することは出来なかったと思います。

日本の大学のことを「象牙の塔」と言うのは、この白村の著作が定着させたといわれています。
戦前の著作(、、というか大正時代だけど)らしく旧仮名遣いですが、私は小学校の頃から父の蔵書を読んで旧仮名遣いに慣れているので、全然平気です。

ざーーっと目を通すと、うーん、大正教養人らしくロマンあふれた文体!
帰りの飛行機のお供にぴったり。

中国語圏では白村の評価が今でもすごく高いのに、日本では忘れられた人扱いされているのは残念。ちなみに、アマゾン中古本扱いも、あまりに安価でかわいそうなぐらい。

「いつも、ふらふらであり、ぐらぐらであり、ひょろひょろである。誰かがもし現代の日本人を評して、この、ふらふらであり、ぐらぐらであることを指摘したときに、私たちには果たしてそれを否定する資格があるだろうか、心細いことだと思う。近頃の日本は特にこのぐらぐら、ひょろひょろがひどい、、」

「今の日本」という節ですが、今とは1920年のことです。
なーんにも、かわらないです。昔は良かったなどという懐古趣味の人には、「うんにゃ、昔から、ふらふらで、ひょろひょろだったんだよ」って言いたいです。

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2012年06月17日

厨川白村著「象牙の塔を出て」

厨川白村の著書「象牙の塔を出て」(1920)は、戦前青年に大きな影響を与えた本です。今では、あたりまえのようなことを書かれている、、とWikiでは書かれています。

が、いまでは当たりまえのようなこと?
いやいや、全然、端倪すべき切り口の鋭さは今なお全く色あせないと言い直すべきでしょう。
あれを、今ではあたりまえというのが、まず、不勉強の表れです。

山田風太郎著「戦中派不戦日記」をジェッダ日本人学校の日本人会用の図書館からお借りしました。前からあったと思うのですが、今はきれいに整理されていて、本が手にとりやすくなっていて、ふっと目にとまりページをめくると、

「日本人が宣伝活動に拙だった評した人があるが、思想のない者が何を宣伝するのであろうか。宣伝しようにも宣伝する思想がないではないか」という言葉を山田が「象牙の塔を出て」の一説として昭和20年7月28日の日記に引用しています。まさしく現在的で、しかも<宣伝すべき思想がない>とはっきり言い切っている人は現在でもごく少数しかわかってないことではないでしょうか。

その他にも、白村の言葉には奥に潜む意味がいろいろあるように思えます。約100年前の本!しかし、まだまだ時代の先端の部分がある素晴らしい本であるということと、その意味を現実社会は100年間置き去りにして進歩が無かったという両方で一度は読んでみる価値がありそうです。


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2012年06月11日

死刑廃止

大阪のミナミで、「自殺する根性はないが、人殺しはできる」人とも思われないモノが、無差別殺人をおこしたというニュースを聞いて頭から湯気がたつほど腹が立ちました。

人殺しをして死刑になろうなどという発想は、死刑制度があるから起こるのであって、(残虐な刑罰を禁止している現状からみて)死よりもつらい終身刑を死刑に代わって新たに設けたほうがいいと思います。

いままでに同様な犯罪者が何人かいましたが、死刑など温情すぎる。


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2012年03月21日

泪がでてしまった、、

なんだかわからないけど、泪がでてしまった。
全く、何の説明も、前後も、全くなし。
たったこれだけの4分。

http://www.youtube.com/watch?v=GFZxdwNfcD4&feature=fvwrel



最後のクレジットのPANTENEのPVだろうか?
おそるべし、
たった、4分で泣かせるとは


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2012年03月18日

論文を提出します

一昨日から修論の製本をお願いしています。
もう、燃え尽きです。2-3日は抜け殻でしょう。
この日がくると嬉しいかと思ってたけど、ぜんぜん。

むしろ、ダメが出されたら書き直して再提出だけど、その気力が残ってないことが災いして、
もう、ふて腐れて燃え尽きている状態。

ともかく、寝たい。
ともかく、寝たい。
論文疲れで、論文太りで、、

クタクタ。



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2012年03月11日

幻聴

論文のテーマが「ゴミ箱モデル」でよかった。

棚に増えていく先行研究をどれだけ消化しているか、あやしい(積んでるだけ?)、、という状況下において、「もう、あかん!これ以上は自分の能力をこえてる!」という能力の限界と提出期限という切羽詰ったところで、「もう、どうにでもしてくれ!」と提出してしまう。
、、という、行為が、限定された合理性どころか、ほとんど合理性など持ち合わせてない私にとって、常態である。、、


「だから、あんたはあんたらしく、目をつぶってエイや!で今度も、これからの人生も生きていくんや、慣れんことに無理したらあかん。あんたは、エイや!でちょうどええんや、、頭使ったらあかん」


、、ああ、幻聴まで聞こえてきた。今日は、大地震からちょうど1年目で、いろいろな行事も行われているようだけど、新聞を読む時間もなくて悲しい。

提出まで、あと10日。印刷もして提出なのに、まだ本文を書いてるよ。。。

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2012年03月07日

ミンツバーグといえば、、

ミンツバーグ先生といえば、マギル大学の教授です。最近全然会ってませんが、、、以前も会ったことがないです。でも、なんだか良く知ってるぐらい本を読んでます。


で、ミッツマングローブという人がいるのを知らず、頭の中で適当に、ミンツバーグと呼び変えていました。へえ、そんな名前の人がいるんだ。へえーーー?奥が深い。




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2012年03月04日

アラブのIBM?

あまりにも、つまらない話。

世の中には、「アラブのIBM」といってアラブのいい加減さの例えがあります。
これは、私が始めてアラビアに来た30年前にはすでに、使い古されていたので、初出は40-50年ぐらい前だと思う。

内容は、あまりにもつまらないので割愛するけど、どうしても調べたい人は適当に検索すると、「われこそは、アラブ通なり!」という、勘違い連中が、わが意を得たりと解説しています。

もっともつまらにところは、こんな何十年も前の話が、、少なくともコンピューターといえばIBMしかなかったような骨董品のような大昔の話がまだまだ大手を振っているという点。

ビジネスにおいて、40年も昔の話が通用すると思っている人は、よっぽど頭が悪いのでしょうが、この「アラブのIBM」も、まーーったく、現状を知ることなく、表層だけを軽薄にしかみていない頭のわるい人が、40年も前の話を知ったかぶりで延々とくりかえす。

IBMの製品も、、、、もはや、耳にしないです。アップルなら聞くけど、、IBMですか?何作ってるんだろう?若い人でコンピューターでIBMといえば、知らない人だっているぐらいなのに、そんなのに例えているようでは、もはや落ち目も甚だしいです。さすが、少子高齢化社会で、昔の話が通用するのは、この日本ならではです。

もし、「アラブのIBM」とか言って喜んでいる年寄りには、「類は友を呼ぶ」という言葉を教えてください。そーだねー、レベルに応じた人には、レベルの応じた人が集まります。もし、自分のまわりにどんな人がいるか、、って考えたら、自分もそのレベルなんだと理解してください。


自分の周りの人が、ここいらの一般だ。なーんて、思われた日には迷惑千万。
あなたにふさわしいレベルなだけです。


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2012年02月26日

ふー、、論文つかれ

もう、論文は疲れる。
ぜんぜん、進まないうえに、ゼミに参加するたび、自分の力の無さを感じる。

ふーーー、

こういうときは!
ダンキンドーナツでコーヒーを飲んで、元気になろう。



ただし、ダンキンのコーヒーは「ホット」が美味しいです。しかも、ストレートなブラック。
なんにもフレバーなしの、直球で勝負!

って、私だったらCMを作るのに。
アイスより、ホットだよ。ダンキンなら。


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唐名

唐名というと、日本のお役人の役職名の中国式の呼び方です。
水戸中納言のことを、水戸黄門というのが唐名です。

こーゆーのは、昔のことだろう、、と、ずっと思ってましたが、、

「首相」というのは、「内閣総理大臣」の唐名である。、、と聞いて、びっくり。

そっか、今でも「首相」とか「外相」とかは唐名で生き残ってんだね。

「拾遺」というのは、「侍従」の唐名です。
だから、「宇治拾遺」は、宇治の侍従って意味かもね。一般的には民間伝説を「採集」したって言われてるけど。

私も、自分で唐名を名乗りたい。
なんか、おもしろいのないかなあ、「紅海」とか?
あ、いまの体型だと、それじゃ、しこな!


どすこい!


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2012年02月22日

あ!カレンダーが壊れてる

論文を書き上げるには、あとわずかの日しか残ってない。
あと、、なんにち。

、、、と、昨日まで思っていたけど、
今日、とてつもないことに気がついた、

2月は29日までじゃないか!
このカレンダー、壊れてる!、、絶句。

無意識に30日で計算していた。
1日損したというべきか、、それとも閏年で1日もうけたというべきか


まるで、小学生以下。
うかつといえば、うかつすぎて、むしろネタじゃないか?と思われるレベル。
うーーーん。なんと言っていいか、わからん。



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2012年02月21日

ジャック・ウェルチと私

ジャック・ウェルチといえば元ジェネラルエレクトリックの会長さんで、経営の巨人。経営学の教科書で彼の名前はどこにでもでてくる。

そーんな有名人と私には、人知れない関係があったのだ。

それは、昨日ジェッダに行って本屋さんで小難しい本を探していたとき、、、
ふと、目にとまった本。

jw
jw posted by (C)abu naoki

おおおお!のけぞりそうに驚いた。
写真だとはっきりしないし、ライトの当たり方で違って見えるけど、

この、

ネクタイ

私のとおんなじ!
びっくりたまげた。
経営の巨人、、ジャック、、あんた、安いネクタイしてるんだね。
なんだか、うれしいよ。


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2012年02月16日

論文で机の上は超大変なことに

生まれてから、こんなに本を読んだこと無いです。
次から次から、本を読んでは捨て、読んでは捨て、(捨ててないけど)、
論文を書くのに関係がありそうな場所を、においと勘で探し出し、えいや!

ページを開けると、そこは、なーんと探していた記述が載っているページであった。。。

。。。。ら、いいなあ。うんにゃ、現実はそれどころか、一旦探せたページも、二度と見つからないというのまである。いや、そもそもどの本だったか忘れてしまったというのもある。付箋も一杯あって、どれがどの付箋だかわからなくなって、意味ない。

本やら、プリントアウトしたので机の上はえらいことになっている。
みんな、こんなもんだろうか?
それとも、私の管理能力が足りないからこんなことになるのだろうか。
恐ろしいことに、同じ本を2冊買ってしまったというのまである。

もはや、混沌、カオス理論の机の上

研究は、「ゴミ箱モデル」、、もう、今では何をしても、なんでもゴミ箱モデルで説明つけようとする。空がぼんやりしているのも、蚊がぶんぶんうるさいのも、机の上がきたないのも、みんなゴミ箱モデルで片端から説明して、終わったら、こんな本を全部ゴミ箱につっこみたい。


きたない机の上は大嫌い。

がんばれ、選択機会(変換すると、いっつも洗濯機械ってでてくる。ゴミ箱に対になっているのか?)がくるのは来週ぐらい。みごと、ごみ箱を空にしてみせよう。

あと、原典でもともとの英文の論文読みなさい、、っていうのは、訳でいーじゃないか、、!
どーせ、そんなにかわりはしないんだし、私の頭では全然OKなんだよ。翻訳で勘弁してください。

どの翻訳がどの原典だか、探すのも結構つらい。しかも、おんなじよーーなことを何べんもぐだぐだいろんな本に書いている先生って、どの本を引用元にすると正解なのか、、おいおいそれじゃないって言われたら寝込んでしまいそう。


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2012年01月25日

ドロップボックス

クラウド内に文書を置いておける、ドロップボックスに一昨日アカウントを作りました。
早速使い始めてます。

何年も前から話題になってたようです。
ぜんぜん知らなかったけど、なんかすごい。
ちょっと、すごいです。

もはや、自分のPC内にデータを置いてなくても、いい時代なのですね。
いまさら、、と、言われそうですが。

スマートフォンもまだ、アイパッドもまだ、いろいろ「まだ」のものも多い。世間で騒がれてるけど、いらないや!というものも多い。でも、基本、新し物好きなので、使ってみたい気がしないわけでもない。けど、暇がない。

動画ソフトも、買ったけど、まだ使ってない。いまにきっと、ダウンロードしたけど全然使ってないアプリケーションがPCの中に山のように積もって、、、という羽目になりそうです。


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2011年12月15日

今日は論文の日

PCに向うと、つい、ネットに入ってしまう。

ので、

これから、LANの接続を落とす。
死ぬ気で頑張る。
posted by NAOKI at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする