the Gn. Muria telepraph

2018年12月31日

UN World Arabic Language Day 国連「世界アラビア語の日」、、というのがあったのは知らなかった。それにしても、この詩。なんか泣ける。

UN (Unesco) World Arabic Language Day on 18th December,, every year.

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ユネスコの「世界アラビア語の日」は、アラビア語が国連公用語になった12月18日です。
アラビア語に尊敬を、そしてアラビア語を母語とする人達に自信を与え、、世界中の人達にマルチリンガルを啓蒙する試みです。
ユネスコのHPはこちら。

https://en.unesco.org/commemorations/worldarabiclanguageday

アラビア語が国連公用語になったのは、1973年のこと。そして、世界アラビア語の日が祝われるようになったのは2012年からです。
なぜか?もちろん、アラブ世界をめぐる激動の時を迎え、悲しい出来事が多くあり、アラブ社会が自信を失ったことと無関係ではないでしょう。ところで、私はぜんぜんこんな日があるとは知りませんでしたが、訪問したアラブイスラーム学院で

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何気なく手にとったパンフレット、、

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そして、かなりインパクトの強い詩、、

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「どうか咎めないでください」
、、どうしてこんなことになるのだろう。例えば難民としてアラブ社会からヨーロッパに移った人達への言葉、、
、、たとえば、アラブをテロリストと安易に結びつける反知性主義の蔓延、、

日本も、まるでジョークのようにテロを語る人達がいますが、かれらが人をどんなに傷つけているのか、かれらの衰えた感受性ではわからないでしょう。そして、アラビア語の聖典をもつムスリムにとっても、アラビア語への偏見はつらいのです。イスラームでは他言語よりもアラビア語の優越性が唱えられているのは、聖典の言語だからです。

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アラビア語の力強さは、話者の力強さに由来しています。わたしはこの言葉の習得にどれほどの年月をかけたことか、それが力を失ってしまっては、冗談ではすまされません。私のアイデンティティにかかわることです。がんばれアラビア語。

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2018年11月08日

Nationalism ? 「自分の国に尽くすこと」、、という概念が生まれて250年ぐらい。まだまだ新しい思想で、カルト。それ以前はそんなもの無かったし、無くても全然困らなかったし、楽しく暮らせてたのだよ。

第49条
出生の届出は、十四日以内(国外で出生があつたときは、三箇月以内)にこれをしなければならない。
第135条
正当な理由がなくて期間内にすべき届出又は申請をしない者は、五万円以下の過料に処する。


私がなぜ日本人なのかというのは戸籍法第49条と135条で、「生まれたら14日以内に日本人にならないと5万円以下の罰金だぞ!」とあるからです。本当は、生まれたばかりの赤ちゃんなのでそんなこと知るわけないのですが、そういうことで日本人になりました。私の意向とか全然訊かれてません(泣くのが意思の表れとは思われてないし、赤ちゃんは泣くのが仕事というぐらい。ふー、生まれてからすぐ仕事かよ)。
だから、日本人云々といわれても、知らないまま日本人になっただけです(ほとんどの人の状況は同じだと思う)、それに両親にしたって、その時に他の選択肢なんて全然なかった。以上、掛け値なしの真実です。おわり。


、、では、あまりに短い。
なので、以下だらだらと「ナショナリズムとアイデンティティ」について考えてみました。

そもそも、ナショナリズムというのは近代の発想です。
なんとなく偶発的に始まったフランス革命に後々の青写真なんてありません。それを見越して周辺各国が干渉してきたことに対して、それまでフランス人は「外交なんて、そんなの王様が勝手にするんでしょ」と無関心だったのが、いきなり「うんにゃ、自分たちでやるしかない」となりました。ところが「自分たち」が千差万別で混乱を極め、戦争の主役のフランス軍は指導者や士官が貴族主体なので戦う気がないし、明白に敵の味方だったりするので連戦連敗。で、絶体絶命。フランス国内に外国軍がなだれ込み。もう既存のフランス軍は使えない!革命政府は「祖国危機宣言」つまり「フランスはもう終わりだ!誰でもいいから戦ってくれ!」呼びかけました。これ応じて市民義勇軍が集まります。やがて、義勇軍による戦闘がはじまり、「初の干渉戦争での勝利」がもたらされました。市民が誰かに命令されたわけでもなく自発的意思で国を救ったのです。これが、現代につづく近代的ナショナリズムの嚆矢とされています。

それからのフランス軍は連戦連勝。フランスへの干渉戦争が逆にフランスからの侵略戦争に様変わり。欧州各地に、新思想であるナショナリズムが輸出されました。カルトみたいなもんで、人々は熱狂しました。


ここまでは、いい。が、問題はここから先。
ナショナリズムを見ていた各国政府は思います、、「なんと!給与を払わなくても軍隊ができるのか」。それまで、軍隊はとてつもない高額給料で兵隊を雇って財政的にヘトヘトでした。兵隊は命と引き換えだから給料を高くふんだくるうえ、情報に通じて負けそうだったらさっさと脱走するのが常。空気に敏感で、貰うだけ貰ったうえで脱走慣れした兵隊が偉い。戦死する兵隊など、ドンクサイの極みだったのです。命あってこそだもん。

それが、金を払わなくても死んでくれる兵隊がいるとは驚き!これを採用しない手はありません。「人間は情熱の対象さえ与えれば、タダで喜んで死んでくれる」というのは史上驚くべき大発見。この発見を早速財政削減のために応用、傭兵や徴発による軍隊をやめて、国民皆兵に乗り出します。とーっても安い給料で死んでもらうためには、情熱を鼓舞する「お国のために死ね!」という教育をしなくてはなりません。そこで政府による義務教育や高等教育が始まります。この「教育から戦場まで」の一貫教育がナショナリズムで、これを支えるためのお題目は常に開発され、手がゆるまる暇もありません。そうして今日まで延々と「タダで喜んで死んでくれる安直なツール」であるナショナリズムが各国政府の財政活動を支えるために活発なわけです。ナショナリズムの先駆けのフランスでは、マルセーユからの義勇隊の歌をそのまま国歌にしてるという念の入れよう。さすが。

いまでは、軍隊以外の多種多様なところでナショナリズムが経済的に使われ、政府のみならず企業における企業戦士にも応用されています。もちろん安い給料で死ぬほど働いてくれるから。

えーっと、最近では何やら東京オリンピックで、ボランティアという名前でタダで必死で働いてくれる人を探しているようです。非常にプリミティブで250年前とほぼ同じ原型をとどめたところが、進歩の無さ復古主義、、えーっと、まあ芸の無いところです。


さて、それで、えーっと、ナショナリズムというのは国家によるやりがい搾取というか、詐欺です。真っ当に考えるとこんなのはありえないです、、利益を得るのは政府ばかりの片利だし。でも、カルトに脳が支配されると、もういけない。カルトから抜け出ることは罪悪だと思い、カルトの外にいる人は売国奴としか思えない。

国民は政府に奉仕するから保護が得られるのだという発想もよく援用されていますが、フランス革命以前、つまり近代ナショナリズムが始まる前はどうだった?つまり封建制では国民はこんなふうに奉仕する必要などありません、そもそも国は王様の個人のもので国民のものではなかったから、愛国など必要ありませんでした。王様がポルシェを持っているから、国民はポルシェを愛せよ、、みたいなかんじ。ただ、むやみに高い税金や国王への奉仕(国への奉仕じゃない)があって、それが保護の代償として働いてました。つまり「納税の義務と政府の保護」。えっと、でもね、今は時代が変わって国は国王の私有財産じゃなくて、主権在民で国民のもの、だから、みんながナショナリズムにまい進してくれないといけないのだよ、、というのが今日的な理論です。

そう?たとえば今の日本は国民のものじゃなくて、日本政府のものです。形式上、政府は国民から信託されてることになってるけど、デファクトで、政府が日本を専有しているといえるでしょう。まあ、どっちにしろ、政府が国民に頼んでいるのは「税金をしっかり払え」で、国王と違いはないです。ありがたいことに、国民にはカネを払うことを要求してますが、カネだけ払えばあとは好きにしていいよ、、で、政府を支持する必要もなく、ナショナリズムに埋没しろとはいってません。思想、信仰の自由があるからです。

そんなこんなで、ナショナリズムのおかげで今の社会があるのだと思う必要はありません、そう思わせるのがナショナリズムのカルト性です。本来ならば高くつくものをタダ同然に手に入れることができるのだから、政府も必死。とはいえ、カルトはシンプル。250年前とあまりかわらず、

1 外国が攻めてくる!
2 だから、みんなで立ち上がろう。お金が云々、仕事が云々という奴は下劣な奴だ
3 (お前らに払うはずだった金で俺たちが潤うのさ、ありがとう)

ふー、、ということで、ナショナリズムに乗せられる必要はないし、そんなカルトに埋没する必要もないし、ましてやナショナリズムを広める必要もアイデンティティにする必要もないです。そうしたがっているのは、政府でありそれで儲けている人だけで、もう、お腹いっぱい。

世の中にはナショナリズムで儲けてないというか、搾取される側なのに、ナショナリズムを声高に叫ぶ人が少なくありません。
えーっと、もうカルト信者なんで、こっちの身に火の粉を振りかけないのなら、ほっとくに限る。カルトで洗脳されている人は、どうせ、何をいっても聞く耳ないですし、、、、


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2018年11月07日

Launguage group ? 日本人を英語で言うとジャパニーズ。日本語を英語でいうとジャパニーズ。おんなじなのは訳がある。つまり、荒っぽく言うと民族とは言語なのさ。

categolizing "language group" is as same action as "skin color group".

主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、
「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、
おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を
乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に
人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。
主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
(創世記11:6−9)


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旧約聖書にある有名なバベルの塔のお話は、結末で人々は別言語に分けられ、別々の場所に暮らし始めた、、という民族の起源とつながります。この話の興味深い点は、言葉が民族の基本であり、言葉が違うため協力できなくなった、、、という点。国籍は18世紀頃民族国家の概念ができてからのもので、長い歴史からみれば新しい概念といえるでしょう。パスポートをもって人々が旅行するもの、ほんの100年程度のできごとです。それ以前はふつうに言語や宗教でおおざっぱに民族がわかれてるだけ。民族を大きなカテゴリーで分けるとき、「xx語族」といういいかたもあるとおり、民族=言語とは切っても切り離せません。

でもって、日本人あるいはJapanease Speaker。ある人が私は「日本語を話す人」、あなたは「インドネシア語を話す人」、そっちの人は「ウルドゥー語を話す人」とカテゴリー分けしたらきりがない。さらに、「いえ、私は表面上ウルドゥー語を話す人だけど、本当はパターン人でパシトゥーンを話す人です、ウルドゥー語は国のきめた公用語です」、と、より細分化されることになります。さらなる、分断化。さらなるメリットの無さ。いやあ、ほんとうに、言葉で持って人にレッテルを張るメリットというのは何?
イスラームは、神の前において平等なひとつの自由な個人であり、共同体や民族や言語による属性の差、つまりカテゴリーを否定することが基本です。レッテル張りはイスラーム的なの?

じゃあ、私たちは客観的に日本語を話すムスリム、、Japanese Speaking Muslimで、なんの属性もない、ただの事実。しかも、日本人というより、国境や人種の壁をとっぱらった感があってよくみえる。でもね、

おなじように肌の色が白い人が集まって、White Skin Muslimと言ったとします。それでもって「我々は今後<白い肌ムスリム>カテゴリーと称します」とか言い出したら、きっとボコボコにされるでしょうね。そこで、「なんで我々はボコボコにされるのだ、、我々の肌の色が白いのは客観的事実だし、ありのままの姿だし、あなただって私の肌の色が白く見えるでしょう?神様が私をそのように作ったのです、しかも国境の壁も民族の違いもとっぱらった民主的な<白い肌ムスリム>じゃないか!」とか言ったら、、

そうですね、それは客観的事実がどうであろうと、<肌の色でカテゴリーを作ること>そのものが許されてないからです


有名な予言者ムハンマドの別れの説教の一部は、

「全人類はアダムとイブの末裔です。アラブ人が非アラブ人(アジャム:非アラビア語話者のこと)に、
非アラブ人がアラブ人に優る
などということはなく、白い者が黒い者に、また黒い者が白い者に優る、などということも
ありません。敬虔さと善行を除けば、誰かが誰かに優る、などということはないのです。
全てのムスリムは全ムスリムの同胞であり、ムスリムが同胞愛を構成することを知りなさい。」


ألقاها الرسول
أيها الناس إن ربكم واحد وإن أباكم واحد كلكم لآدم وآدم من تراب أكرمكم عند الله اتقاكم، وليس لعربي على عجمي فضل إلا بالتقوى – ألا هل بلغت....اللهم فاشهد قالوا نعم – قال فليبلغ الشاهد الغائب

〇 Ajam (عجم) is an Arabic word that refers to someone who's mother tongue is not Arabic.
〇「アラブ人」という概念は人種的存在とは言えない。むしろセム語(アラビア語)という言語を共有する人々としてであったり、聖書に窺える、ある人物を始祖とするという共通概念で規定される。

ということで、言葉によるカテゴリー性(民族性)云々の否定、肌の色云々の否定は、並んで書かれること。だから、むしろ、本当にイスラームがアイデンティティなら、日本人性の否定があっても不思議じゃない。「私はムスリムです。ただそれだけです。日本人であるというアイデンティティはありません、それはハラームです」と、かって私の敬愛する先生が言ってました。

ああ、日本語をはなす人というカテゴリーのおかしさはいっぱいあるけど、ここまでくればもうおなか一杯だよね。たとえば、日本語ができない日本人は何なの?英語と日本語両方を普通にあやつる人は半分だけなの?そして習得の段階にあって、ネイティブがカテゴリーの上位にたち、カタコトしか話せない人は下位となるというカテゴリー内の優劣性。

、、でもって、「日本語を話す人は日本が好きなはず、すくなくとも日本に関心を持つべきだという錯覚」。
フランス領であるアルザス地方は歴史的なフランスとドイツの間の紛争の地。アルザスの住民は一般的にフランス好きで、フランスを愛する(同時にドイツが嫌い)傾向があり、ドーテの作品「最後の授業」でアメル先生は最後に黒板に「フランス万歳」と大きく書きます。。が、アルザス人はドイツ語を話します。ドイツ側からみると、ドイツ語を話すアルザス地方はフランスの異端児で、言語を共有するドイツと一緒になったほうが幸せになるに違いない、、という理論があるから住民の意志を訊かずに「ドイツ語を話す人」カテゴリー分けして自国領にいれたがります。そういうことで、どれだけ戦争が繰り返されたことか。

人は話し言葉でカテゴリー分けされるほど単純ではないし、好き嫌いは一概にいえない。むしろ、その日の気分でアイデンティティがかわれば、好き嫌いも変わるし、人はただの人。ただそれだけです。むしろ、人々が協力して一つの目標に「向かわないように」、言葉を分断化したバベルの塔の話は、人々が言葉の差を乗り越えれば、一致協力できることを暗示しています。



All mankind is from Adam and Eve, an Arab has no superiority over a non-Arab nor a non-Arab has any superiority over an Arab; also a white has no superiority over black nor a black has any superiority over white except by piety (taqwa) and good action. Learn that every Muslim is a brother to every Muslim and that the Muslims constitute one brotherhood. Nothing shall be legitimate to a Muslim which belongs to a fellow Muslim unless it was given freely and willingly. Do not, therefore, do injustice to yourselves

(Reference: See Al-Bukhari, Hadith 1623, 1626, 6361) Sahih of Imam Muslim also refers to this sermon in Hadith number 98. Imam al-Tirmidhi has mentioned this sermon in Hadith nos. 1628, 2046, 2085. Imam Ahmed bin Hanbal has given us the longest and perhaps the most complete version of this sermon in his Masnud, Hadith no. 19774.)


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2018年09月01日

Three medieval monarchs in Japan 信長、秀吉、家康といえば、もう百花繚乱するほどみんなが語りつくしている。が、私も混ぜてもらおう。この世は最終的にはヤンキー的なものの勝利よ。

Nobunaga, Hideyoshi and Ieyasu are three famous medival monarchs to end the civil wars in Japan.

信長、秀吉、家康といえば、どんな人でも「ちょっと俺にもこの3人について言わせろ」というほど知られてるし、語られつくされているし、もう、新しいものなんて全然出てきそうにない話です。それで私が言うことも、きっと、ああ、聴き飽きた話だろう、、と思うことでしょう!「が、ここには新しい話があります」、、ってことは無いです。

信長は尾張の人で、偉いといえば父親のほう。ある意味、偉大なフィリップを父にもったアレキサンダー大王そっくり。でもって、両方とも父親より名が知れ渡っているのも一緒。尾張は地味が肥え百姓も平均以上に豊か、交通の要所ということもあって貨幣経済も発達した先進の地。そういう土地にありがちだけど、兵隊としては弱いです。「尾張の兵は弱い」は全国レベルで良く知られていて、しかも、実際、負け戦も多かった。だから、信長はひたすら戦略で相手を凌駕することに心血を注ぎました。戦略を戦術レベルに落としこんだ例として「徹底的に相手と接近戦をしない」つまり、超長い槍を持たせるところから始まって、鉄砲という弱い兵でも強敵を倒せる方法を採用したこと。戦術レベルで失敗しても、戦略が正しければついには勝利するという現代的価値観をもったのが信長です。第二次大戦中の日本は戦略が間違ってたので、どんなに戦術で頑張っても勝てなかったのと好対照。戦時中の日本は信長の戦略を全く学ばなかったといえるし、それどころか信長、秀吉、家康の3人論が百花繚乱している今ですら、「そっか、戦略を大事にしなければならないのか」と思う人の少なさ。ようするに、物語として論じる分は好きだけど、そこから「学ぶ」ことにおいては関心が無いとしか思えません。

で、秀吉も尾張の人。全然強くないです。秀吉は徹底した「補給戦」論者で、おなじ16世紀から18世紀のヨーロッパ、つまりグスタフやマールバラといった戦争の達人で世界史に出てくるような人達と比べても、頭一つ抜けた頭脳です。そもそも、壊れた石垣を修復するプロジェクトで信長の目にとまり、墨俣城建設で人目をひき、水攻めという大土木工事を得意として、野戦より攻城戦に秀でて、中国大返しという補給戦の大勝利で信長の後継者に納まります。その後は大阪城というか大阪城という名前の「堀」で難攻不落の拠点をつくり、最後は朝鮮出兵という大補給戦に打って出ます。ともかく、土木、築城、補給というだけで日本を統一したのだから大したものです。大軍を動かすには兵器よりも食料が重要。食料を集める方法、食料を運搬する方法、ひとを雇う方法、こういったのが秀吉の真骨頂です。もちろん、明治以降の日本に補給戦の達人は皆無で、それどころか現代社会においても「ひと重視」な風潮などありません。まったく、いったい秀吉の何を世の中の人は語っているのだろう?わからん。

家康は三河の人。ここが重要。三河は尾張とちがって土地が痩せていて、百姓は貧乏です。たいがいみんなお腹を空かせているし、おうような尾張人に比べて、気性も荒く、兵は強い。尾張兵を率いた信長にとって、三河兵は頼もしい味方です。家康も三河人の代表的な性格で、戦略家の信長にはいいように使われっぱなし。本来立場的には上位にあるはずの秀吉にも手がでないのは、家康があんまり考えない頭だったから。おそらく、明治以降の日本にとって親近感が湧くのはこの当時の家康だと思う。「勇猛果敢な家康だし、従う兵もまた鬼のように強かった」というストーリーのほうが、「土木作業と補給に明け暮れた秀吉。従う堺衆や近江衆もまたそろばんに強かった」より偉いとされているのが不思議にいまの日本です。より、ヤンキー化した社会ですね。

でもって、秀吉から家康に時代がかわるのは、秀吉の「中国大返し」のようが劇的なものじゃなくて、秀吉の部下の近江衆(そろばん派)と尾張衆(勇猛果敢派)の反目です。秀吉は自分もそうなので頭が良い人が好きで、バカは嫌い。出自のいかがわしい秀吉に古参の親族郎党など無く出世に応じてかき集めた尾張衆には字が読めないものも少なからずいたのだけど、こういうヤンキー連中は秀吉の死後、ヤンキーやヤンキーを呼ぶのたとえのとおり(?)家康にひっついてしまった。今の世でも、理論的な人を毛嫌いする、「新聞をよまないのがえらい」とする麻生某などがヤンキーを糾合して政権をつくったようなものですね。

今も、昔も、ヤンキー的なものが日本の心情を動かす情緒的な碇になっているようです。だから、これから先、頭がいい!とかより、「強きに弱く、弱きに強い」「頭脳より筋肉」「まず考えない」「強いというのは正義である」というのが社会の主流になるし、それはおかしい気がする、、などと寝ぼけたことをいう理論派は国賊呼ばわりされて大阪夏の陣を迎えるわけです。信長や秀吉より、家康の時代ですね。








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2018年05月03日

How do you handwrite DZS7 ? Dの横棒、Zの斜め線、Sの尻尾、7の横棒、、って普通じゃないの?みんなそうしているものだとばかり思ってたから、「なにこれ?」とかいわれて強烈ショック。

Busy days continues. Do you write as I write for DZS7?

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超忙しい日が続き、ブログの更新も1週間とまったまま、、何故忙しいのかは諸説あって自分でもわかりません。なんで私は忙しいのだろう?まあ、いいや。
近々の音楽理論のテストに備えて猛勉強していたのですが、目ざといジャスティンが私の練習問題に書いているある解答をみて、素朴な疑問

「これ何?なんて書いてあるの」

、、といって、Dを指す。えー?これって、コードでしょう?これって、Dメジャーだから、ノートはDだよね?間違ってるとは思えないのだけど?

「いや、Dにしてはなんか棒が入っているから、不正解かもよ?」

、、え?大文字活字体の手書きのDの縦棒に横棒が入っているのなんて当たり前、というか正規なんじゃないの?わからん、マレーシア語はローマ字表記だから、普通に読めるんじゃないの?それとも、世代格差で若い人には読めないのか(ジャスティンは筆記体が読めなかったし)。

さっそくジャスティンはグーグルでそういう筆記体を検索するけど、Dに横棒の入った筆記体はない。もちろん、これは活字体だもん。「手書きの活字体」だから「筆記体」とはちょっと意味が違うんだよ、、、とか、言ってみるけど、これが「不正解かも?」とか言われたショックは隠しきれない。だって、これはもう何十年も使って、まさかこれが一般的でないとか考えたこともなかった。おそらく筆記体のDの活字体バージョンと思う、だって筆順が筆記体と同じだし、最後の横棒だけ独立しているように見えるけど、あれはDの最後からちゃんと実線でつながれば、Dの筆記体簡易バージョンとなるし。


そう、もともと、私は手書きは常に筆記体だったのだ。思い出した。
手書きを活字体で書くようになったのはかなり後になってからだと思う。


ともあれ、普通のコンピューターにでてくるフォントと自分の書いてるものの違うものを考えたら、DZS7があった。どれも普通に横棒とか斜線とか入れてたけど、それが読めない人がいるとか思いもしなかった。なんで自分がこういうふうな書き方をするようになったか考えたけど、もう30年以上も前からこういう書き方してたから、そもそものはじめなんて思い出せない。でも、日本にいる時はこういう書き方じゃなかったはずだから(学校で習うフォントじゃないし)、きっと外国にでてから身についたものだと思う。

7はフォントでも最初の短い縦棒はないですが、日本人では多くの人が7じゃなくて、7の最初に小さな縦棒を入れてる。日本人はふつうにこれを7だと思ってるけど、これは世界では、「7の最初に短い縦棒が入ってるけど?これは何?」とか言われることもあります。実際、そういわれたこともある。7はフォントどおりの7。だから、気が付かないひとは気が付かないのだ。だから、7の斜線に横棒が入っていても普通だと思っている人には、何がおかしいのかわからない。ちなみに、最初に縦棒が入っている場合は、斜めのところに横棒は入れない。2つも入れることはないから。

これは、日本独自じゃないにしても、日本で通常使われている、変字体。気が付かない人が多いってことは、それだけ「そうだと信じてる」から。私の場合と一緒だね。きっと、これは1と7を区別するために縦棒を追加したのだと思う。人によっては1の頭のカギが異常にでかかったりするし。


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でも、DZS1は、いったいどの国で身についたか全然分からん、、最初がUAEだから、UAEで身についた?2カ国目はエジプトだから?ともかく、アラブ圏で身についたのは間違いないと思う。あっさり身についたものがある一方、考えてみれば身についても不思議じゃないのに、身につかなかったものもある。



それは、4の一筆書き、9の逆筆順、1の頭でっかち、2の底の横棒に丸

良く目にした数字の4の一筆書き体は、、身についてないです。むしろ6とあまりに似すぎて嫌悪している、使う人がいたら4は一筆で書くな!とか心のなかでいつも叫んでた。9の反対書きバージョンも嫌なので身についてないです、あれは小文字のqに似すぎて、どちらも日本語でいえばキューだし、9かqかはっきりしろ!とか、これは心の中じゃなくて、はっきり口に出して言った記憶がある。2の斜めから横線に向かうターンの部分に丸ができてしまうバージョンは、、昔は私もそう書いてた、、けど、今は書かない。何故かは不明。


1の頭でっかち、、1のカギ部分の大きいのは普通にみる。だから、むしろ7との違いを強調するために、7のほうに日本風に最初に縦棒を入れたり、胴体に横棒を入れるようになったのだと思うけど、これはむしろ、そうしてほしい。7には縦棒か横棒は入れて欲しい。で、1はそのまんま。1はえらいけど、7は弱いのか。

いや、無敵の1も日本ではかたなし。
日本の簿記では1にカギが無いことも多い(簿記の数字の書き方だって諸説あるし)!これを銀行小切手とかに手書きで記入してたし、私もコンピューター以前は帳簿つけるのに、この書き方してた。。でも、ローマ字語圏ではIや小文字のlと間違われる可能性が非常に高すぎるので、最初のカギが必須。むしろカギ無しの1も、日本的な変字体といってもいいと思う。カギは本当に必須で、カギ無しの下のような1だと、角の数で数字を表すもともとの意味がなくなってしまうので<数字の起源>という歴史的にも1はカギが必要。


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つまり私のDZS7がちょっと見変なんだけど、日本の「カギなし1」と「最初の縦棒つき7」は同じぐらい変ということ。なんか、ちょっと安心した。

ふーむ、たかが手書きなんだけど、「Dに横棒入れたら不正解かも!」とか言われたらかなわないから、テストとかでは気をつけないと。
そもそも、手書きなんて、、クセ、、でしょ、、

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2018年04月24日

ことばづかいについて、、、「タメ口」「男言葉」というけれど、それは単なる東京方言のことで、さらに若者言葉のことじゃない?普通の人はそういう言葉は使わないと思うけど?たぶん、日本を離れたときに使ってたイメージがそのまま化石化されて残っているんだと思う。私にも身に覚えがある。

たまたま読んだ「雨宮の迷走ニュース」というブログの記事、「言葉遣いが男っぽい」と言われてもなおす気がない女の戯言 」というのを読みました。
まだ若い方なので、いろいろと悩まれているようですが、、それにしても、これは!なんかびっくり。

URLはこちら、、
http://www.amamiyashion.com/entry/2018/04/18/184141

こちらのブログの内容には特にふれませんが、「ことばづかい」で考えさせられることが多いです。私の齢をとったのでしょう、ここででてきた「ことば」が私の知らない世界だったのが新鮮です。若い人のいまどきの言葉は、、ちっともしらなかった。


じつのところ、べつのところでも、「タメ口」のはなしを読んだばかりで、ふーむ。日本を留守にしている間に、なにやら日本語はずいぶん変わったらしい。これは、別にこういったものを読むまでもなく如実に言葉が変わってきているのを知ってます。
北九州の実家に帰ったとき、、使われている方言が違う!私のつかう方言じゃない、、きっと「あの叔父さんの話す方言は年寄りの使う方言だよね、なに言ってるかわからない」とか言われていると思う。今では八幡のほうでも「すごく=ばり」という言葉を使うのですが、私が住んでたときには聞いたこともなかった。兄に聞くと、、「あれは下関かなんかの言葉だと思うけど、今は普通につかうね」とかいわれました。言葉はほんとうに変わるものだけど、、、

ためぐち、、、これって、東京方言です、たぶん。北九州から東京に来たときに東京方言がわからなかったけど、「ためぐち」はそのひとつ、あと身長のことを「たっぱ」というのも東京方言。湘南言葉だった、「じゃん」が東京に進出してきて東京方言の一部になったけど、逆に「xxってさ」とかの「さ」が東京方言ことばから消えようとしています。東京言葉=標準語だと思っている人は多いけど、とんでもない、驚きの方言の巣窟です。

、、、でもって、この「言葉遣いが男っぽい」と言われてもなおす気がない女の戯言」というエントリーは、、、書いた方は神奈川出身の方のようですが、えーっと、これって東京方言だよね?それに若者言葉。でもって、男っぽいというのとは違うと思う。まず、タイトルは「言葉遣いが(東京)方言まるだしの若者ことば」といわれてもなおす気がない女の戯言」じゃないかなあ、周囲の地方出身者にこういう言い方する?って聞いてみたらいいと思う(いまどきは、案外そういうのかもしれないけど)。

(最初の書いたけど、URLブログ内容の中心である「女性の立場が男性と違って弱くて、、みたいなの」はそうだと思うけど、とりあえずここは言葉遣いに集中)

それと、社会人になるとブログ主のいう「男言葉」を会社で20代の若者が使ったら、瞬殺です。「まじでぶん殴ってやりたい」とか会社言ったら、懲戒処分ものかもしれません。男言葉、、と勘違いしているようなのですが、これは何度も繰り返したけれど「方言の若者言葉」で、幼児が幼児言葉を使うように、若者が若者言葉をつかっているだけで、ふつうは大人になると使わなくなるもの。でも、昨今は未成熟な大人が増えてるから若者言葉をつかう大人も多いのかもしれない。

学生がこういう言葉うのはともかく、社会にでたら大人的標準的な話法となります。毎日毎日、1日8時間(か、もっと)会社で標準話法で話していて、会社から帰ったら寝る、、みたいな生活を送ってたらふつうに標準話法が身につく、、というか、それ以外とっさにでてきません。私はこれ以外の話し方はできません、悪い意味で相手によって言葉をかえる、、という人の例があったりしますが、無理、、そんなに何通りも使い分けできない。
こうして、人は「年齢に見合った話し方をする」ということになります。もちろん、方言のアクセントがあったりしますが、話し方は標準的です。

ところが、学生から社会生活(会社勤め)とかしないまま、外国で暮らし始めると学校のときの話し方がそのまんま。もちろん本人は目いっぱい敬語を使ってるつもりなんだけど、全然身についてない。。。。うーむ、、、これは私も身に覚えがある。辛い過去です。
それに、不登校からニートになっていた30代の人を知っているけど、高校生みたいな話し方してた。学生時代から言葉が成長してない。なるほど、、、時がとまってしまう。
このブログ主さんは20代後半なんだけど、日本の学校卒業からすぐに外国に来てしまったせいかもしれないけれど、年齢に見合った話し方をしないらしいです。それともできないのかな?あるいは「年齢に見合った大人の話し方をすれば負け」と思っているのかもしれない、、なんか全然別の言い訳をみつけてきて「じぶんらしさ」ということらしいです。

うーむ。高校生のときにアメリカにホームスティした家族は、何年か前に「私の話す英語は高校生が話すようなことば、、なんだ」とポツリと言ってましたが、そうなんだと思う。私の北九州弁は40年ぐらい前に上京したときまで使っていた言葉で時が止まってる。
幼児ことば、子供ことば、若者ことば、大人のことば、、と<世代の差>でも言葉が違ううえに、わたしみたいに時がとまったような言葉づかいという<時代の差>もある。なかなか、ことばは難しいです。ことばは人の間で揉まれないと成長しないです。大人が幼児語を使ってたらすごい変だと思う(個性とは思えない)、おんなじぐらい大人が10代が使うような言葉をつかってたら、あ、、いたたたた、とか思います。個性とか、自分らしさとか、、あんまり思えない。

大人になって男女間で言葉遣いの差というのはあんまりないと思う(昨今、格差が激しいから一概にはいけないけど)。大人になれば男も女もふつうに「わたし」と自称するし、50歳ぐらいになっても若者言葉つかってたら、さあーどうだろう。それを「じぶんらしさ」というのはかまわないけど、、周囲がきっと「もう大人なんだからそういう若者言葉はやめたら」ぐらいは言ってあげるのが親切なんだとおもうけどなあ。


話ことばではあんまり自分らしさをだしてもね、、、話しことばは、自分のためにあるのではなくて、他人との円滑なコミュニケーションのためにあります。別に話が手っ取り早く通じるなら英語でも、手話でもかまわないですが、相手が手話がわからないのに「じぶんらしさ」をアピールするあまり手話をつかってもしかたない、、、ということ。自分らしさは話し言葉じゃなくて、話す内容で十分アピールできるでしょう。


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2018年04月18日

Little by little but everyday 発展途上国の多くのひとのやり方は「後で、溜まったら、まとめてやったら効率的でしょ」というのがほとんど。「後で」は永遠に来ない。その場でやらないから、いつまでたっても途上国。

Many of the developing country people think " OK, I will do it later when the chores come a full of pending box". Sorry "Later" never comes.

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いままでに何十年も外国で暮らして、しかも、100%が発展途上国と呼ばれる国で暮らしてきました。
、、で、どの国でも普通にやられているのが、「あとでまとめてやる事務処理」

しかも、それぞれの国では「賢い」と自認している人たちが、「おなじ用件ならひとつずつやらずに、ためておいて、まとまったら一気にやる。それが効率的というものでしょ。なんて自分は能率的で頭いいんでしょう、すばらしい」と思っている。

もっとも発展途上国でなくてもそういう考えの人はいると思うけど、、私はそれは間違いだと断言します。発展途上国の事務処理が遅いのは「ためている」せい。それも自分が能率的ですばらしいという信仰のもとでやっているから、下手に指摘すると神学論争になってしまいます。

ふーーー、こういう人たちが「遅い仕事」を生み出しているのだけど、自分が能率的であると信じていれば外からみて早かろうが遅かろうが関係ない。仕事が速いのと能率的であるというのは、一致しないのだから。

間違いのひとつは、、、
「たまらなかったらどうなるか?」、、、同じ仕事をためてからやるというのは信仰のとおり一見よさそうだけど、たまらなかったらどうなるんだ、、溜まるまで待つ、、待つ、待つ、待つ、、というのはあんたの仕事で、私からみると、理不尽に「待たされる、待たされる、待たされる、待たされる」。ばっかもーん!溜まるまで待つんじゃなくて、その場で処理すればおしまいだろう。。

そして「たまるとゾッとする」、、ためてからやろうとして、実際溜まってしまう。すると、箱いっぱいにあふれかえる書類、、みるからにうんざりして、やる気がなくなる。やる気がないから、いいや、また後で時間があるときにやろう、、と思ってしまい、、、、もちろん「後で時間があるとき」など永遠に来ないのだ。
こうして、誰かが大問題化するまで、ひたすら溜まり続けて、溜まり続けて、みるもうんざりして、なかには倉庫にいれてしまったということもあった。

これって、発展途上国あるある、、だよ。だいたいのひとが経験していると思う。
先進国と呼ばれる国だって、人によっては脳みそが発展途上の人がいて、これとおんなじことして、書類を机に積み上げてピラミッドにしている。

もう、うんざり、、、今すぐやらない人は、もう私の前に現れなくても結構、、といいたいけど、これは信仰の問題だからね、、奥が深い、、いや、奥は浅い、根が深いというべきか。。

だから、この写真の意味は?それはね、、毎日少しずつでも練習しないと大会で大変辛い目にあうよ、、という戒め。自分だってね、毎日コツコツやらないと奇跡のどんでん返しなど存在しないのだ、、、とほほ。。


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2018年03月28日

Full Name in Japan 日本人の氏名とは?と聞かれたので、磯野家のご先祖で説明

Now Japanese has only "Family Name" and "First Name". But old days, name are longer.

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日本人の名前について聞かれたので、磯野家のご先祖で説明しました。

磯野藻屑源素太皆(いそのもくずみなもとのすたみな)です。私はてっきり「モズク」だと思って、さすがご先祖様は健康志向が強いなあ、モズクおいしいし、スタミナの源だもんね、、とか思ってましたが、、え?藻屑、、モクズなの?モズクじゃなくて?原作者の書き間違いじゃない?だって、モズクだとスタミナが生きてくるし、、

姓(せい):氏とも本姓とも呼びます。磯野家のご先祖の場合は、「源」ですね。だから「源氏」です。

名字(みょうじ):苗字とも書きます。磯野家の場合は「磯野」です。同じ源氏だと数が多くなりすぎてどの源氏かわからない?とか、本家だけが姓をつかって、本家以外はみな名字で呼ぶということもあります。だから、「源家」と「源氏」の違いは、本家が「源」姓を名乗って、分家は名字で名乗る、たとえば「足利」とかです。名字は適当に地名だったり、役職だったり、いろいろです。源家だと「木曽義仲」「新羅三郎」とかいるけど、源氏だと「足利」「新田」「吉良」「今川」とかがビッグネームです。

諱(いみな):本名です。ですが、昔は本名を呼んだりしてはいけないので、忌み名とも書かれています。「ヴォルデモート卿」みたいなものです。磯野家のご先祖のいみなは「素太皆(すたみな)」。元気があっていいですね。素は精進料理、太は長男をあらわして、皆は、、さあ、みんな?だから、モズクだと素だし、ほんとうにぴったりなんですけど。

字(あざな):あざなが訛って綽名(あだな)とも呼ばれています。本名じゃないけど「みんな、私のこと(もくず)って呼んでね」とみんなに呼んでもらう名前です。気安く呼んでください。

ちなみに、こういう名乗りというのは中国からの輸入です。この間見た映画モンキーキングの例でいくと、悟がつく3義兄弟トリオ。

悟空(ごくう)が諱で、字は行者(ぎょうじゃ)。悟空と呼んでいいのは三蔵法師だけです。
悟浄(ごじょう)が諱で、字は和尚(わしょう)。悟浄と呼んでいいのは三蔵法師だけです。
悟能(ごのう)が諱で、字は八戒(はっかい)。なんで?悟能と呼ばれなくて、誰からも八戒と呼ばれるのは何故だかよくわかりません。三蔵法師が悟能と呼ばずに八戒と呼んだ場合は、三蔵法師が八戒を敬っているということになります。

ふーむ、、奥が深い、、というか、磯野家のご先祖は、モズクにしてください。

ラベル:日本人 氏名
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2018年03月23日

iPad mini 4 ! Yeeh! アイパッドを6年ぶりに購入。アップルのお店でデータを移し替えてもらって、、だけじゃなくて、なぜかフェイスブックの友達申請までついてきた?さすが、マレーシア

Replacing iPad mini today from 1st version to mini 4 after 6 years use.

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私のベッドの半分を常に占めている愛らしい奴、、寝る時はいつも一緒にベッドに入る愛らしい奴、、それが、愛パッドmini。アイパッド無しには生きて行ける気がしない、、かもしれない。

しかーし、この可愛い奴も最近誤作動が多くて困る、、ので、思い切って新しいの買うことにしました。おまえの愛はその程度か?えっと、、、その程度です。ちなみに値段は日本のオンラインで売ってる値段より平均5千円相当高いです。爆買日本のほうが安いのは当然です。こういうのはなんでも日本のほうが安い。

アップルの代理店に行って、購入、、「古い奴のデータとセッティングをそのまま新しいのに移して欲しい」とお願いしました。古い奴は32ギガ、、新しいのは128ギガ、、これが6年の差か?まあいいや、パスワードとかも教えて、データ移し替えの間にお昼ごはん。

もどってきたら、5人ぐらい私のアイパッドの周りにいる、、何か不都合でもあったのか?

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、、覗き込んだら、みんなで私の写真とかフェイスブックとかダウンロードしてた雑誌とか、適当に見て喜んでた、、えーっと、これこれ、、、これが日本なら「個人情報の無断なんとか」で大問題になるんですけど、、、、

で、ひとりから、、「ほーら、あなたのフェイスブックのページ見つけたよ!」といって、自分のスマホの上で私のフェイスブックのページを出して喜んでる、、、えーっと、こういうときに取るべき毅然とした態度とは、

一緒になって喜ぶ

です。いーじゃないか、もう、堅いこというなよ。お店の人も喜んでるんだし、こういうときは、一緒になって喜ぶに限る、笑う門には福来る。つまんないこと言っても、始まんないし(というか、終わんないし)、ゆるーいマレーシアの、そのまた、ゆるーい田舎町に住んでるんだから、一緒になって楽しもう。

で、家に帰って、さっそくアイパッドを使てみる。おお、サクサク動くし、液晶が綺麗、これが6年間の差か!なるほど違うもんだ、、、

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、、、と思ってると、フェイスブックに友達申請が来てた。共通の友達もないし、誰かと思ったら、さっきのアップルのお店の女の子だった、、わははは、なんか、腹の底から笑えて、肩の力も抜けて、すごい体が軽い。なんか、次から次から笑えて、笑いが止まらない。

きっと日本に帰ったらこういう体験ってないんだろうなあ。
(この後、ジョギングしたら過去最高のスピードが計測できた。本気で体が軽くなってる)

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2018年03月17日

Jawi Alphabet List あ、考えたことなかったけどジャウィにも文字順があったんだ。アルファベット順だけど、、こういうのもありなのか!

Jawi alphabet and Arabic alphabet

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アルファベットは、もともと北セム語族のアブジャドが変化したもので、フェニキア文字からギリシャ文字となったところで、今のローマ字風のアルファベットが生まれました。でもって、ジャウィの元になったアラビア文字は北セム語のオリジナルからあんまり変わらず、そのまんまアブジャドで通用。今の語順であるアラビア語アルファベットになったのはそんなに昔じゃないと思う。

なぜって、、アブジャドは「いろはにほへと」、アルファベットは「あいうえお」と思うとわかりやすいと思うけれど、今でもアラビア語で、契約書とか難しい文書で箇条書きするとき項として、、ア)ブ)ジャ)ド)順にすることも普通。これは日本の法律とかの文書で細分化するとき、イ)ロ)ハ)という項目立てにするのと一緒。アブジャドも普通に現在でもつかわれていると思って間違いないです(少なくともイロハ程度には)。というか、私だって時々今でも項目順として使うし、、

、、、ということで、たまたま見かけたジャウィの表。おおおお、、、アラビア文字アルファベットと順が違う。もちろん、アブジャドでもないです。なんというか、、へえ?という感じ。

言葉の形順がアラビア文字アルファベットとしたら、文章として意味があるのがアブジャド(いろはにほへとに意味があるのと一緒)、で、ジャウィは形順プラス音順。たとえば3番目のT音のすぐあとにターマルブータが来てる!アラビア文字だとターマルブータとターマフトゥーハは同じT音で扱われて、ターマルブータは文字としてカウントされないか一番最後におまけでついているのがふつう。でも、ここでは独立した文字としてあつかわれている!へえ。

もちろん、ジャウィ独自の文字も適当に文字の形に合わせてアルファベットに組み込まれているけど、これはそんなもんだと思う。ジャウィ独自の文字というのは、ローマ字アルファベットでいうと、Cとか下にちっちゃなzを加えたセディーユŞみたいなやつで、何個かあります。

同じようなアラビア文字起源のペルシャ文字とかにあるジームの下に点が3個あるやつ。これは逆ピラミッド型に並ぶのに、ジャウィではピラミッド型に3つ点が並んでる、うーむ。どっかで間違えたのか?独創なのか?

最後のほうにある、ヤーに「点が2つ」ある奴と「点無しアリフマクスーラ」が、YaとYelyelと別々に認識されているのも興味深いです。ふーむ、アラビア文字と似たようなものだけど、こうやってアルファベット表として配置されると、ジャウィを考案した人の気持ちがなんとなくわかって面白いです。アラビア文字起源の文字は、ペルシャ文字、ウルドゥー文字、ウイグル文字など30言語余り、世界ではラテン文字、漢字について3番目に使用者の多い文字とのこと、、なるほど。でも、若干ずつ違いがある(セディーユみたいな違い)。

どこにも置きようのない、nyaがポツンと最後にあるのが、ちょっとかわいそう。しかも、ハムザより後だし。

どうでもいいけど、昔、寺院の「マスジド」が英語で「モスク」になった経緯を考えた時、「ジ」音と「ク」音が近い可能性があると思ったけど、、ちょっとまてよ、アルファベットでABCDで、アブジャドでABG(J)Dって、CとGが入れ替わってるじゃないか!これで、マスジドがモスクになった理由が説明できるかなあ。新たな発見。あれ、そもそもCとGって、文字似てない?Cのセディーユが真ん中に付いたって可能性は?

(wikiにあったアブジャドがアルファベットに変化した表)

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2018年02月14日

English in Malaysia 私はマレーシア語ができないという目線での、この国の英語。マレーシアで英語は外国語ではなく、国語。「外国語でない」を10回ぐらい強調したい

Many people asked me why can't you speak Bahasa ?

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最近立て続けにマレーシアの人から「どうして何年も住んでるのにマレーシア語ができないの?」と訊かれました。「マレーシア語は簡単だよ。出稼ぎのネパール人だって、バングラデシュ人だって、ミャンマー人だって、数か月でマレーシア語を覚えるのに」というのが後につづくのは、だいたい皆同じです。

私の答えはいつも、「だって、私の周囲はみんな英語話してるし、英語で問題ないでしょ」

じゃあ、マレーシア語しかできない人との会話はどうするの?さすがに、私はマレーシア語ができないといっても単語単位で知っているマレーシア語もあるから、そこらへんはなんとでもなる。だいたい人が何人かいれば一人ぐらい英語がわかる人がいる。

それでも、山奥で英語がわかる人が一人もいないようなところだったら?ああ、そこまでくると村のモスクのイマームのところに行ってアラビア語で話するから。イマームならまず間違いなくアラビア語はわかるはず。そもそも、マレーシアの小学校は2部制になっていることが多く、ムスリムだと空いた時間は宗教学校に行くのがポピュラーで、そこではアラビア語の授業があります。だから、勉強熱心な子だとある程度アラビア語を話せるようになるし、そうでなくても基本的なアラビア語語彙を知っている人は多い。

昔、ドイツ駐在の日本人で駐在が終わるまで全くドイツ語を覚えなかった人がいて、ドイツ人から「何あいつ」と思われたという話を聞いたことがあります。マレーシアでも似たようなこと?いえ、ドイツで英語は外国語ですが、マレーシアでは英語も国語の一つです。外国語じゃありません。

だから、バイオリンの音楽理論のテストも英語だし、口頭試験も英語だし、カメラの取説も英語しか箱に入ってなかったし、学校でもマレーシア語と英語は必須授業だし、、ともかくなんでもちょっとマシなことをしようと思えば英語しかなかったりする。そういえば会社の決算とかも英語だけだった(サウジではアラビア語が正で、英語は翻訳版として正規のものとは認められなかった)。

それぐらい、マレーシア人にとって英語は重要なこと。マレーシアでマレーシア語しかできないという人がいれば、高等教育は受けられないし、就職のチャンスは激減する。それは何も私が言うまでもなく、マレーシア人自体が骨身に染みてわかっていること。格差社会というか、階層の固定化というか、英語ができるかできないかで、マレーシアでの社会的な身分も変わってしまいます。

だから私は積極的にマレーシア語を勉強する気になれないのか?というと、そうなのだ、、と答えるしかないのでしょうね。実際勉強してないし。何年も住んでいて、それでいいのか?と訊かれたら、「うるさい、これで上手くやってるんだ。おまえに関係ないだろう、余計なお世話だ」と答えること請け合いです。

もっと言いたいことは一杯あるけど、こんなかんじ。なかなか、奥が深い話題です。

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2018年02月01日

Logical Thinking 思考力とは思考する時間をかけて育つ筋肉みたいなもの。ゲームとかが思考「時間」を奪ってる

Logical thinking need time to grow like muscle training. Need "time" for exercise.

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昔は「マンガを読むとバカになる」といわれ、今は「ゲームをするとバカになる」と言われることが多いです。ただ、マンガを読んだりゲームをしたりするとバカになるわけではない。でも、どうして、こう言われるのか?何でそうなるのかきちんと大人は説明できないのか?

頭ごなしにマンガがダメ、ゲームがダメ、、じゃあ納得できない。私は誰からも何故マンガがダメでゲームがダメなのか子供の頃きちんと説明を受けたことがなかった気がします。でも、今なら言える、、

思考力というのは「考え」ないと育たない。考える練習をして初めて徐々に育っていくもので筋肉とかと一緒。ところが、マンガやゲームは「考える」時間を奪ってしまう。ちょっとした時間というのは、いろんなことを「考える」練習時間なんだけど、それが、今やゲームをする時間となってしまった。

ランニングの練習をしないで、マラソンに出て良い成績をあげろ!なんて無理。地道な努力があってこそ、きちんと成績がでるのだけど、、、、思考力については思考の練習もしないで、も、いいような風潮がある。

だから、何も考えてない、いろんな短絡的な発想が幅を利かせているけれど、、それは、、本人の為にもならないし、社会の為にもならないし、何のためにもならない。思考力というと、こまかいバーチャル座禅で鍛えるようなもの、、ぐらいに考えてゲームとかマンガとかウエブから遠ざからないと、、時間つぶしが人生を潰してしまう。

今、本当に思考力が失われてきてるなあとつくづく思う。
それは、「マンガがダメ」「ゲームがダメ」とだけいって、じゃあ何がダメなのかきちんと理論的に説明できなかった大人の責任でもあるんだけど。


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2018年01月30日

Expo Malaysia マレーシア博覧会 10年後、20年後のビジョンを国民に見せるのは重要。日本は見させてくれないし

Expo last month @ DM, KL

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先月の独立広場でのエキスポ。先月というとちょっと前なぐらいだけど、2017年とあると随分昔の気がする。
入場無料。ここでは、10年後や20年後、、マレーシアはどうなっているのか、政府は何をしたいのか、、というビジョンを国民に見せるためのエキスポです。

けっこう並んでる、、、

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最初に自分たちの普段の生活、、、

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そして電車に乗って、10年後といった近い未来への旅が始まる、、。もちろん、電車といっても動かなくて、窓がモニターになってマレーシア各地のいろんなことが映し出される、、これは良い感じ。本当に電車に乗っているよう、、

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そして、産業がどう変わっていくのか、、、

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エコロジーはどういうふうに考えていくのか。

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とってもわかり易く説明されている。学校行事で来た生徒さんが多いので、子供たちでもわかるようにわかり易い。もちろん、私にもわかる。みんなすごく楽しそう、、いや、大はしゃぎ。

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エネルギーはどうなっていくのか。自然と再生エネルギーの紹介。残念ながら経済界の意向によってフラフラしている日本では10年後のエネルギー政策なんて紹介できないです。ほんの身近なことが近い将来どうなるのか、どうしていきたいのかということがキチンと(できるできないはともかく)方向性をもって紹介しているのは、非常にうらやましい。

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マレーシアでできているけど、日本ではできてないことは、本当に数年後、10年後の将来をきちんと提示できないということがよくわかった。本当に実現するかは誰だってわからないけれど、近い将来、自分たちはこういう路線を進み、こういうことを実感して享受し、自分たちもそういう方向に進んでいくんだとわかることはとっても重要。よく「見える化」って言われるけど、、日本の近未来について見える化してくれたものなんて、何一つないんじゃない?

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自然と共生して、

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マレーシア最大の産業である農業をすすめていく、、

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最後は巨大アイマックスビジョンでマレーシアの将来を見る、、、クッションがあって寝転んで?と思ったけど、なるほど天井を見るんだから寝転ぶしかない、、子供たちは大喜び、、、

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国民に未来を見せる。これがどれだけ重要なことか、おそらく日本ではわかってないと思う。あるいは、見せるような未来が描けないのか?それとも、、、未来はないのか?うーむ、いろいろと社会の矛盾はあるものの、将来を信じて明るく進もうとするだけでも、マレーシアのほうが偉いなあ、、思う。すくなくとも将来は明るいと思えるもの。

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2018年01月25日

Learning Japan & Kanji 再開、、小学3年生からの白地図で学ぶ「日本と漢字」。むずかしすぎる

Learning Japanese geography and Kanji using school book.

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何年か前に買って来て、少しやったけどそのままほったらかしにしていた小学生用の社会科の白地図。小学3年生から入試対策まで使えると表紙に書いてあったけど大学入試じゃないよね、中学校入試だよね。うーむ、難しい。はっきり言わせてもらおう、このノートは「小学校3年生から年寄りまで使える」です。

現在の産業の中心は自分が小学校生だったときと全然違う。小学校のとき「半導体生産の盛んな都市」とか設問自体ありえなかったし、キウイの産地とか無かったし、トンネルや橋もずいぶん大きいのが増えたし、そもそも市町村名が合併で変わってるし。だから、、むしろ、おとなこそこういう勉強して現状をちゃんと知るべきなんだよ。

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とはいえ、回答はボロボロ。市町村名は、、え?そんなところ知らない?だし、県名なら間違いないだろうと思ってたら、あっさりと間違うし。そもそも、漢字を書かないから漢字の間違いも多い。さすがに大人だからひらがなで回答するのも、、ないだろう。

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東海市なんて知らない、、と思っていたけど、、私のすきなえびせんべいの坂角総本舗の本社と工場があるところだったのですね、、すみません。

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、、、まあいい。最初は盛大に失敗しとくことに限る。これからの巻きなおしが腕の見せ所(たぶん)。がんばらないと、いまのところ小学生に大きく遅れをとってる。



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2018年01月16日

大学入試センターの試験問題作成者って何を考えたのか?ムーミン原作はスウェーデン語だよ!

おどろくべき大学入試センターの問題。ほんとうにムーミンのことを知らない人が適当に問題を作ったということが、ありありとわかる。どうせ子供相手だし、適当でいいや!というレベル。

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問題はアニメーションとノルウェー語をフィンランド語をならべて、どのアニメがどの国かを、言葉とも対比させて答えるというものだけど、、そもそもなんでこれが地理の試験なのか?全然地理と関係ないじゃないか。外国語(北欧語)ならまだわかる?うんにゃ、わからん。

学習指導要綱にある地理Bの目的とは
「現代世界の地理的事象を系統地理的に,現代世界の諸地域を歴史的背景を踏まえて地誌的に考察し,現代世界の地理的認識を養うとともに,地理的な見方や考え方を培い,国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う。」(おいおい、外国人留学生は日本国民としての自覚なんていらないぞ?)

むしろ、代表的な民族衣装とかの絵のほうが地誌的には近いぞ?まあ、それはともかく、

ムーミンは、スウェーデン語を母語とするフィンランド人のトーベヤンセンが母語であるスウェーデン語で書いた物語です。ムーミンとフィンランド語は関係ありません

学習指導要綱的にいうと、なぜフィンランドの公用語が2つあるのか。その使われている地域と歴史的背景を考察すべきじゃないか。なぜムーミンの作者がフィンランドのマイノリティであるスウェーデン語話者なのか?に関連した設問のほうがよーーーっぽど、こんな設問より気が利いてる。

ちなみに水色と青がフィンランドの中のフィンランド語、スウェーデン語の両言語地帯で、紺色がスウェーデン単独語地帯です。つまり、フィンランドの中にはフィンランド語がわからないフィンランド人がいるということ。それでもかまいません、フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語の2つですから。人口の5.4%がスウェーデン語話者ということです。これを1億2千万の日本で比較すると6百40万人ということになりますね。全然少ない割合じゃないです。

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詳しくはSwedish-speaking population of Finland https://en.wikipedia.org/wiki/Swedish-speaking_population_of_Finland
を参照してください。

フィンランド語のムーミンの物語はスウェーデン語の翻訳なので、原書を日本語に翻訳したというのと一緒のレベルです。

ムーミンだからフィンランド。フィンランドだからフィン語。だからアニメの絵とフィンランド語


という地理Bの主旨である「諸地域を歴史的背景を踏まえて地誌的に考察し,現代世界の地理的認識を養う」を全く理解していない、1970年代脳の人が昔懐かしいアニメを持ってきて、

嘘!完全に間違い


の問題をつくったわけです。
あのアニメの絵だけでも相当に誤解を生じる問題でしょう、だってムーミン谷は架空の場所でフィンランドであるとはどこにも書いてありません。だから、アニメーション(制作会社は日本の会社)のムーミン(もちろん日本語を話す)は設問にある「フィンランドに関するアニメーション」にはかすりもしない。これは日本のアニメーションです。一番関係が深いのは日本です。アニメーションで登場人物が話す言語は日本語です。
ついで原作(設問では童話となっているけど?あれを童話と呼ぶのはよほど現代感覚の欠如)と関係が深い言語はスウェーデン語です。

原作の作者の国籍と出版社がフィンランドというだけ(でも設問で原作が問われているのではなく「アニメーション」であると明記されている)。それでもってフィンランドとするのは地誌的にも十分おかしいと思う。だったら「魔女の宅急便」がスウェーデンに関するアニメであってもよかったレベル。

それだけでは「誤解」レベルですが、フィンランド語がついてきたら完全に「間違い」です。世の中には「文学」という分野があって、文学部、文学専攻というコースも多いのですが、この設問は文学部専攻の人たちにも嘆きの涙をくらわしていると思います。

いかに、日本人の学力が落ちてきたか如実にわかる例ですね。調べろよ、大学入試センター試験問題なんだし。しかも、出典の外国語が「旅の指差し会話帳」かよ、、指差し、、レベルね?とほほ、、レベルが低すぎて外国語学部、外国語専攻の人間も泣かしているぞ。「大学とは絵を指差しで外国語をやるところ」。せめて挿絵の人物ぐらい該当地の民族衣装ぐらい着せてやってよ。地理Bとは観光客相手の地理じゃなくて、地誌的な理解を深める学科でしょ?

あまりに広範囲にレベルが低いので、これ以上のつっこみをやるとこちらまで頭がおかしくなってしまう。日本の大学というのは、しょせん、その程度なんだよ。

ついでに言うと、「ちいさなバイキング ビッケ」の作者はスウェーデン人だし、角のあるカブトはバイキングはかぶりません(そもそも金属製カブトだって高価で普通はかぶれなかったのだ)。角のついたカブト伝説は後代の物語でできたらしい、、いままで角のついたバイキングのカブトは見つかってないそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Viking_Age_arms_and_armour

あくまでも本やアニメの世界であって、地誌学的には歴史考証されてないアニメなんてもってきちゃいけないだよ。。。。ヘルメットはバイクのをみてもわかるように「突起がない」ことが重要で(SGマークの基準にもなってる)、戦国武将の派手な脇立てとはちがうんです(あれだって戦闘用に塗った紙でできて槍や刀の打撃の際の引っかかりをなくすようにできているのがほとんど)。

<追記>
、、、にもかかわらず、大学入試センターはこの設問を「問題なし」としてるというニュースを読みました。これまたムーミンの背景の景色がフィンランドっぽいから類推できるだろうと訳のわからないこといっている。背景はどんな場所でもいいけど(ムーミン谷は谷ってぐらいでむしろ山がちで海が広がる)、絵の中心のムーミンはフィンランドにはいないぞ?架空の生き物だもん、だから背景も架空の場所とするのが普通の理解。真ん中の架空のムーミンは無視して、背景だけ見ろって頭おかしすぎ。

もはや、政府も官僚も大学も日本の社会の上から下まで、「間違ってました、すみません」と言えないらしい。どんなくだらない言い訳でも言い張れば良いとされるのが昨今の風潮。私の知ってた日本はどこに行っただろう。もはや、正直で率直なさっぱりした日本など、幻影にすら存在しないようですね。残念。

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2017年12月19日

Expo Negaraku 2017 (5) チョンコというか、マンカラです

conkok is popular game among the world.

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マレーシアではチョンコというのか、、このマンカラは。。。。。この遊びは独楽とはうってかわって女の子用の遊びで、しかも中東にもあったし、パキスタンにもあったから、きっと北アフリカから東南アジアの各地に万遍なくある遊びです。私は遊び方をパキスタンで知り、、女の子からじゃなくてオジサンの「賭けマンカラ」を見て覚えました。まあ、なんでも賭けの対象にするのがオジサンの性なんでしょう。

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世界で広く知られている遊びだけあって、マレー系じゃなくても遊べる。

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このゲームのボード(というか穴のうがった板)はもちろん博物館でも見ることができるけど、あんがい身近にあったりします。これまでみたマレーシア凧、独楽に比べれば、よっぽど生活に密着した遊び。

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ただし、ここでも、携帯電話やゲーム機に押されて衰退しているのは間違いない。まあ、もう、今の世の中、よっぽどのことじゃないと携帯電話に勝てる時間つぶしはありません。

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ちなみに、マレーシアでは床に胡坐をかいて座るのが普通で、これは男女差はありません。むしろ、女の子のほうが多い?私と一緒に働いた事務の女性は、仕事に熱中するとだんだん事務椅子のうえで胡坐をかく癖がありました。まあ、それはそれでいいけど。

超大型のチョンコ?

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おお、そういえば、背景の写真は、国民の歌手スディルマンではないか。東南アジアのマイケルジャクソンです。相当に人気がありました。アジアのNo.1というのが彼の通り名です(あるいは、歌う法律家ともいうけど)。何かと比べられるP. Ramleeとは親子ほどの世代差があるので、昔風の曲が好きか、今風の曲が好きかで違いはあるけど、、、でも亡くなったのは37歳の時。ラムリーの44歳といい、スディルマンの37歳といい、どうして?こう佳人薄命なんだろう。

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Expo Negaraku 2017 (4) ピー・ラムリーとは彼のことだ

I found P.Ramli photo behind top studiam.

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「コマ回し番長」の後ろは、マレーシア音楽の父と呼ばれる、P. Ramleeの写真。
とーーっても甘い声で、甘い音楽をいっぱい作った人で、1929年ペナン生まれで44歳の若さで亡くなっています。多能な人で、映画俳優、歌手、作曲家、プロデューサーなどこなす、、まあ、マレーシアのように芸能が発達してなかったところで1940年代だと、なんでも自分でやらないといけなかったのかもしれません。

私も彼の歌は好きで、特にHujan Di Tengah Hariはぜひ将来バイオリンで挑戦したい曲の一つ。だけど、友達から、Getaran Jiwaのほうが絶対に良いから、、ということで動画を見つけてきたのがこちら。Ed Duetによるカバーでとっても今風のアレンジ。



昔の曲の昔っぽいアレンジがちょっと(それは私)、、という人はぜったいこっちのほうがいいです。

マレーシア音楽の父、、ちなみに、彼と並び称されるSudirman Arshadスディルマンアルシャド「マレーシア国民の歌手」は我がパハン州出身で、彼が学んだ学校はこのクアンタンにあります。日本でも「百万の微笑み」が有名。地元の誇りということで、ここではSudirman Arshadのほうが現代っぽいし人気あったりしますが、私はどっちも好き。

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Expo Negaraku 2017 (3) コマ。凧とくれば次はコマじゃないか、世界中(きっと)。

Spin a top @ Expo Negaraku 2017

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凧揚げとくれば、次に来るのはコマ回しでしょ、これが世界中の常識です(嘘)。
でも、なぜ凧と独楽は相性がいいのだろう。東南アジアと東アジアはみんなこんなもん?よくわかりません。お正月でもないのに、凧と独楽です。

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これは男の子向けの遊びで、今でも盛ん?これもよくわかりませんが、男の子というよりオジサンが目の色を変えて遊んでいるのが目を引きます。なかには、その場をしきる「コマ回し番長」までいます。まあ、マレーシアには賭け独楽もあるみたいだし、、、

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子供たちの多くは、はっきりいってゲーム機で育ってますので、こういうコマ回しは新しい発見というべきもので、けっして子供たちの間でコマ回しがポピュラーということはありません。男の子の室内遊びといえば、ゲーム機。こういう土俵みたいな格闘場で盛り上がるのはオジサン。その構図はものすごく鮮明です。まあ、世界中の傾向でしょう。

日本みたいに児童館で伝統的な遊びをやらせてくれるところとかないし、マレーシアはこういう伝統的な遊びの保存継承には無頓着だし、寂れるのも時間の問題かもしれない。

ちなみにマレーシアの独楽、Gasingの遊び方はこちら。
http://traditionalgamescct.blogspot.my/2013/03/gasing.html

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とはいえ、オジサンだって遊びたい。子供たちだって遊びたい、、なぜだか、このエキスポはマレー系中心のお祭りの場になっていて、華人系とかインド系とかをほとんど見かけません。ここらへんが、マレーシアの辛い現実で、エキスポは今の政府の肝いりでやっているので、今の政府に何かと批判的なひとは「けっ、政府のやつらの自慢展示会だよ、自己満足じゃないか」みたいな感じ。だから、どうしてもマレー系が多くなる。

遊びもマレー系の遊びであって、華人系の遊びの出る幕はここにはないです(もしかしたら日を変えてやってるのかもしれないけど)。なんだかなあ、もっと、ほら、ここはいろんな文化に配慮して、遊びはいろんなものを取り入れるべきでしょ。独楽回しだって、中国のものだってあるのだし、中国独楽だって一緒にやればいいのに。

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Expo Negaraku 2017 (2) 今年のドリアンは最終コーナーをまわったところ

Durian in Expo Negaraku 2017

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Expo会場の広場はコロコロと催し物が代わります。この時はマレーシア産フルーツ祭。

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もちろん、マレーシアといえば果物の王ドリアン。こればっかりですが、数少ないマレーシアの世界に誇るべき農産物のひとつです。

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私もそうとうにマレーシアのドリアンの宣伝をしているので、ドリアンのアンバサダーになってもいいぐらいですが、「彼に近寄るとなんか臭うよ?」とか言われたら嫌です。新鮮な朝摘みドリアンはそんなに臭いません。臭うのは収穫して古くなんて発酵の進んだものです。ドリアンは臭うというイメージは、輸送や保管が悪くて古いドリアンしか知らないからです(たぶん)。

今年は夏成りドリアンが長雨の影響で不作でした。ムサンキングやD24といった高級品種はあんまり出回らず終わったのですが、冬成りドリアンは絶好調で大量産。ちょうど11月や12月ぐらいに最盛期を迎えるのです、、、

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、、、もう、フェースブックとかWhatappでも、友達中、みんなが、誰がドリアンを食べたとか、そんなのであふれかえったのですが、私のブログには一向にドリアン食べ歩き記事がでませんでした、、、

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、、ドリアンが嫌いになったわけでも、冬成りが嫌いなわけでもなく、単に食べそびれてしまった、、としかいいようがない。みんながドリアンで沸き立っているなか、、なんとなく食べなかった、、のですね。何故だかわかりません。なんとなく、そうなった、、だけで理由なんてなんにもないです。

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あんがい、みんながドリアンで沸き立ってしまったので、食べてないのにお腹いっぱい感が溢れてしまったのかもしれません。みんな、なんであんなにドリアンが好きなんだろう。いや、お前もだろうといわれると反論がしにくいのですが、マレーシアはドリアンの国。香川がうどん県なら、マレーシアは「ドリアン王国」と名前を変えてもいいぐらいです。

うーん、やっぱり、食べてないのにお腹いっぱい。でも、これから気を取り直して食べまくるという展開もあるかもしれない。

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2017年12月18日

Expo Negaraku 2017 (1) マレーシアの凧は、今や遊び用には作られてない

Visited Expo Negaraku 2017 twice. This was a month long expo and exhibition on the DM changed a lot.

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マレーシアの首都KLの、そのまた中心のムルディカ広場で行われているのが「私の国」エキスポです。入場無料だし、期間は1か月以上あり、絶対に外してはならない目的地。私は2度行きましたが、広場での催し物は違っていて行く価値あり。

この日はマレーシアの凧がフィーチャリングされてました。ちなみにこのおじさんの持っているのはWau Bulan型の凧です。

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マレーシアの伝統的な凧。これはマレーシア航空のロゴマークになってたり、、

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商店街のアーケードになってたり、、

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マレーシア観光で、この凧を外すとけっこう残念なことになります、、

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、、が、その割に売ってません。観光客がお土産として買っていくようなお店にはあるのですが、実際ビーチで凧揚げとして遊ぶ、、用にはこの型の凧は無いです。西海岸でも、東海岸でも、凧揚げで遊ぶのは、普通の日本で言うところのゲリラカイト。しかも、デザインも今風(カンフーパンダとか)で安価。

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じゃあ、マレーシアの伝統として祭り上げられている、この凧はどこにあるの?

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正直に言うと、博物館では普通に見ることができます。それ以外では、今回のようなエキスポとか、正式なお祭りとか、、、そもそも、庶民が普通にこの凧あげてないです。揚げるのが難しいのか?実は以前、去年バイク仲間がクランタン州の観光キャンペーンに呼ばれて行って(スルタンも来るような重々しいイベント)、凧揚げがスケジュールにあってみんな「あの凧が揚げられる!」と心待ちにしてたのに、実は渡されたのが安っぽいカイトで落胆したそうです。スルタンが来るのに、あの凧じゃないんですか?ありえんだろう。あのスルタン、、今は国王なのに。

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、、というぐらい、ご庶民には縁遠い凧です。民芸品としての価値、歴史的な価値しかない、、凧なんて、凧じゃない!あのなあ!凧というのがガキが汚したり破ったりするけど大騒ぎして楽しむもんだよ!それが、「博物館にございます」、、なんて澄ましてるなんざ、ふざけすぎ。バカにするのもいい加減にしろ!なにが国のシンボルでございます、、だよ?だいたい、そんなんじゃ、凧に申し訳ないだろう。凧は普通に揚げて楽しむもんだよ、、

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マレーシアだって、凧が大切、マレーシアのシンボルというのなら、あの凧を飛ばせ!飾るな!凧は空を舞ってこそなんぼのもの。輸入物の安価なカイトを駆逐して、マレーシアの伝統凧をもっと揚げるようにしてこそ、マレーシアのシンボルというものでしょう。ぜひ、マレーシアの凧を檻から放ってください。

もうひとつ、この凧が普通の遊びに使われていない理由として考えられるのは、以前に紹介したマレーシア弓道の弓がマレーシアの弓でなくて韓国の伽耶弓であることと同じ理由。つまり、マレーシア伝統の凧職人は単価の高い工芸品として凧を作るのに専念して生産量も少なく、手作りで単価が高い。つまりマーケットにほとんど流通していない、、それで安価で遊ぶ用途の凧がなくなった可能性がたかい。じゃあ、安価なビニル製のマレーシア伝統型の凧を大量生産すれば良さそうだけど、新たに工場を作って云々より安価な中国製の洋凧を輸入したほうが楽。。。というわけさ。

さらに学校とかで手作り凧を教える授業とか無いし誰も作れない。こういう、流れは発展途上国にありがちでマレーシアだけの問題ではないと思う。残念ながら。ある意味、日本の伝統が生き残ったのは奇跡みたいなものかもしれない。

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2017年12月08日

「ムーミン谷のひみつ」冨原眞弓 著


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前回の日本への一時帰国の際、飛行機の中で読むため空港のキオスクで買った本。そういう購入経緯なので本の中身なんて、まったく何も期待してなかった。が、おもしろかった。

表題が昔はやった「磯野家のひみつ」みたいなノリなので、そういうものかと思ったら大違い。やっぱり、題は売れるように出版社がかってにつけたのだと思う。あんまり、ひみつ?感はありません。

著者は哲学者ということで、本も哲学的アプローチがされていてしかも、ムーミンシリーズへの愛が感じられるし、おお、こういう本って今まで読んだことない。。。と思う。登場人物と物語の進行がどういうふうに絡んできて、どういうことで、どういう変化がうまれるのかということを上手に説明しています。

文学者とか哲学者とか、いったい何をする人なんだろう、、?とか思っていたけど、なるほど、こういうことを読み解く人なんだね、、確かに必要だよ。むしろ、政府が進める技術系重視政策より、将来を考えると、よほど為になる分野で人材を輩出すべきだとおもう。

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2017年11月30日

琴棋書画 仕事に役に立つことはやりたくない

Playing Havanera from Carmen.

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トリニティのグレード試験で実技はカルメンのハバネラをやりたい。。と言ったところ、、

先生「ハバネラ?難しいよ、上手く弾ければ相当な高得点ものだけど、たいがいみんな失敗している」
私「難しいけどやりたい」
先生「課題はどれも難しいし、歯ごたえ抜群。よりによって一番難しいのを選ばなくてもいいんじゃない」
私「うんにゃ、この曲でテストをうけたい」

別に私はバイオリンで身を立てるつもりはないです。だから、難しいと言われても弾きたい曲を弾いて、みごと豪快に失敗してみせましょう。落ちたらかなり凹むけど、テストに合格するだけの目的で練習する気はない。弾きたい曲を一所懸命に練習して、上手くいかなければそれはそれで本望。でも、上手く弾きたいのはもちろん。

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よく考えるけど、このバイオリンを毎日飽きもせず練習している時間を、仕事に役立つ勉強とか、資格の勉強とか、お金儲けの勉強とかに充てたら相当なものになってたと思う。バイオリンはちっとも上達しないうえに、仕事に全く役に立たない。でも、、これまで知らなかったことがわかってきたし、なんか始める前と後とでは、ものごとの感じ方がだいぶ違う気がする。

正直、、仕事の役にたつとか、、お金儲けができるとか、、ということは、あんまり、やりたくない。というか、興味がないなあ。

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2017年11月23日

Kim's assassination after 暗殺事件のその後

News articles says,,,

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もう、世界は忘れてしまっているだろうけど、マレーシアでおこった金正男氏暗殺事件。亡くなった本人にとっても、マレーシアにとっても、実行犯に仕立てられた可哀相な女性たちの誰にとっても不幸な事件です。

最近、また実行犯の女性の現場検証があったみたいだけど、騙されて実行犯にさせられた、、というのは、騙されて自爆テロの実行犯にさせられた人々と同じくとてつもなく悲劇だと思う。かわいそうだし、残念だし、せめて生きてるんだしこの実行犯に恩赦が与えられるのを望みたいです。

、、、でもって、こうやって罪のない人達を不幸にすることを画策した人には地獄を与えたい。自分はのうのうとして、ひとを不幸にすることが許される世の中であってはならないと思います。
ふー、、世界中で戦争はちっとも無くならないし、民族や国同士のいがみ合いは増えるばかり。まったく、誰もかれもが欲に目がくらんで、大切なことを忘れ去っているのが現代の特徴なんでしょう。

何十年も前の話、、インターネット技術が広まると、お互いが理解しあう世の中になるんじゃないかと、漠然と考えてたけど、方向はまるで逆。いがみ合いが増えるばかり。まったく、なんでこんなことになったのか?もちろん、「知の軽視」です。反知性がこれだけはびこると、もはやなんとも言いようがない。

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2017年11月14日

Introduction for BUDO? 武道のすすめ、、か?

I read an article of Introduction for Budo. But, too,, what can I say, old concept too old dated. Budo must be hilighted in new aspect in this modern age...not idea of 100 years ago.

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武道のすすめ、、という文を書いたのは元中央教育審議会会長という人です。内容は、、なんかつっこみどころ満載すぎて、どこから突っ込んでいいことやら。こういう武道のように「伝統がある」といえば、聞こえはいいけど、わかりやすく「古臭いもの」をやるということが現代的にどういう意味があるのかということを広く安易な言葉で知らしめるのが教育なのに全然伝えてない。
武道は一般的なスポーツと違って、こういういいところがあるのだよ!というのもあるはずだけど、それが全然書かれてないということは、ちょっと信じられない。ちゃんとやっている人なら、それぞれのアクティビティのもつ良い所はきちんと説明できるはずなのに、、残念にもほどがある。

いきなり最初から、「立派な人になりなさい」。まず、何をもって立派というのか?世のため人のためといいつつ、武器を売り戦争をしかけてる「立派な」と言われる人も多いものです。
でもって、仏教の教えを持ってきて、、。まあ、いいけど、教育の初っ端に宗教をいきなりぶつけてくるなんだけど、内容もすごい。人間として生まれるのは難しいけど(?)、生まれたからには立派な人になりましょう。おお、いきなり何かと物議のある六道輪廻ですね。この説を持ってくると、先祖は何かに生まれ変わっているから(すでに先祖の霊に似たものは無くなっている)、ご先祖様が見守っているとかはないよ、、ってやつですね。まあ、いいでしょう。

そもそも、世のため人のためになる人になりなさいという常識的なことを言うために、わざわざ六道輪廻説を持ってくる必要があるのだろうか?しかも仏教徒限定の理論だし。なるほど、最近の教育はなんかネジが外れているといわれてるけど、ついに現場を見てしまった気分。

その次の人間は試練と闘う運命、、云々というのは、もういい。いちいちつっこんだら収拾がつかなくなる。「人間は試練と闘う運命」というのは大仰で悲観主義なあんたの運命論であって、いちいちつまらん運命論なんてもってくるな。「人間は楽しむために生きている」という主張のほうがよっぽど世の中を明るくするよ。

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つっこむ前に予め言っておくと、私の親族に学校の必修武道科目で受傷して寝たきりになった子がいます。まるで定番のようですが学校側はなんの責任もとりません。こういう話は良く聞くでしょう、ありふれているかもしれません。でもね、子供も家族にとっても「ありふれた話」で済ますわけにはいかない、本当に人生そのものの大問題なのです。怪我の危険が予測できる「武道を学校教育に必修にする」ついては敵意丸出しです。
武道そのものを否定するつもりはない(実際私は学校のクラブ活動でやってた)、けれど絶対に選択制あるいは課外クラブ活動にするべきだと思っています。

武道はいろいろなことを教えてくれます。。。と書いている?内容を読むと別に武道じゃなくても構わないじゃないか。
1)体を鍛えるなら、普通にジョギングしたほうがいい。体力をつけるなら水泳がいい。歩く走るは人間の動作の基本で体の動く限りやらないといけない動作です。武道にくらべて怪我も少ないうえ生活に役に立つし正しく行えば体幹から鍛えることができる。
2)精神を鍛える?ところで精神てなにものですか?いろいろと調べたけど、「精神」をきちんと説明できているところはありません。例えば忍耐力、例えば挑戦、こういった言葉で言い換えが可能です。もし、言い換えが不可能であれば、実際のところそれが何であるか、説明できないし、さらにそれを鍛えるなんて無理でしょう。武道であれば精神が鍛えられるということはありません。武道をしていない世界中の多くの人はこれが鍛えられることがないということかな。

「精神的に強いランナー7つの特徴」という記事があり、長中距離ランナーがいかに精神的に鍛えられるかということが書かれています。べつに、精神というものがあっても、武道じゃなければ鍛えることができるわけじゃない。
http://sekatyu.blog.jp/archives/26092710.html

3)心を強靭にしてくれます?ああ、エジプトのカイロで3年ほどエジプト人に混じって生活すれば、別にそれだけで心は強靭になります。特に運動なんてする必要もないです。格闘技?へん!カイロの生活は「実戦」だよ、お遊びの練習とかとはわけが違う。いきなり大家に追い出されるとか普通すぎる。もう毎日実戦でへとへと、、毎日闘って、闘って、闘って、そらあもう、、武道?なんじゃそりゃ、、というレベルでより高度な実際レベルの「心の強靭さ」を身に着けることは確約です。

以下は略。べつにどのスポーツでも、スポーツでなくても身に着けられるのもばかり列記して、いったい武道でなければいけないことなんて何一つ書いてない。私が書くならただ一つ、「痛みを知ることができる」。武道も含めた格闘技は相手に直接的な痛みを与える行為です。これは他のスポーツにはありません。痛みを感じることで、相手の痛みもわかるし、肉体的な痛みを通じて精神的な痛みも想像できるようになり、痛みを思いやる心が育つことかな。でも、武道に限定しません。

別に武道が好きな人は続ければいいし、はじめたい人はともかくやってみればいい。ただ、必須という名の強制は止めて欲しい。

武道のすすめというのであれば、「自発的に武道をやりたい人は応援するし、武道をやらない人にも尊敬の心を忘れない、これが武道の教えです」ぐらい言えばよかったのに。

ただそれだけのこと。学校武道必修みたいなバカげたことを考えるのは、本当は武道なんてやったことない人なんじゃないかな。

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Japanease BUDO demonstration 日本から武道のミッションがやってきた

Japanease traditional martial arts mission has arrived.

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シャーアラムのパナソニックスポーツコンプレックスであった日本からの武道ミッションを見に行きました。もしかしたら、アブダビかサウジにいるときに同様なミッションが来たような記憶もあるけど、残念、覚えてないです。ああ、やっぱりブログとかに書いてればよかった、、記憶力が本当に悪いのが悔やまれる。

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シャーアラムには似たような体育館が幾つもあって、場所を間違ったりして到着したのはデモンストレーションの開始時間。あんなに迷うとは思わなかった。うーん、今回はバイクに荷物を載せているのでセキュリティのいないところには駐輪したくないのだけど、、ということを道路整理の方に言ったら、、じゃあ、、、ということで、入り口隣の警察車両の隣。

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確かに、これは安全でしょうね。しかも、反対側は大使館の車、、安全度マックスで、VIP扱い!ありがとう。スーパーバイクが普通のバイクと違うのは、微妙にいろいろ配慮してくれるところです。本当に助かります。

そして、ジムに入ると、、おや、みんな整列して偉い人がスピーチしているところ、、やっぱり、お相撲さんは目立つ、、

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スピーチ席のある正面2階に案内されたのですが満席。するとボランティアの方が椅子をだしてくれて座ることができました、、ヘルメットも持っているので座れると楽。なんだか、ここまではVIPもかくや?という扱い。これはたまたまなのか?それとも日本流だと普通にこうなるのか?最近、、日本のことがわからないのでよくわからないけど、そっか!これが噂の「おもてなし」!

最初は弓道、、でかい、、日本の弓でかすぎ。こんなにでかくて本当に戦場で扱えたというのがびっくり。昔の人はどうやって使ったのだろう?最近アーチェリーの興味があるから、目を皿のようにしてみてます。

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最近なにかと噂の銃剣道、、「突き」ばかり。調べると「突き」しか有効打法はないそうです。中学の武道に取り入れられる?それは無いでしょう!だって剣道だって突きは中学では禁止。理由は怪我の可能性が高いから。だから、身体の育成を目的として導入したのが怪我の可能性が高い、、じゃあ本末転倒でしょう?そもそも武道をしなくても、身体や精神の育成は図れます。

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こちらは、少林寺拳法。てっきり天下一武道会かとおもったよ。

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なんせ、開会がお昼の2時からという遅い時間なので、その日のうちにクアンタンに帰らないといけない私にとって、最後まで見る時間はありません。弓道、銃剣道、合気道、少林寺拳法、柳生新陰流、空手道をみたところで、帰路につきます。

雨ばかり、、ずーっと雨。もう体がびしょびしょで根を上げたいんだけど、あげたところで、どうなるもんでもないので、走りとおし。休息をいれながら家まで5時間かかった、、

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武道のデモンストレーションは面白かったです。ああいう本物をちゃんと見れるチャンスというのは滅多にあるものじゃないし、しかもショーケースでエッセンスを次々に見れたし、さらに演じているのが段位の超高い人たちばかりというのも見どころ。おじいちゃん、おばあちゃんが多かったけど(そういうお前はなんだ?)、パリッとしていいなあ、品格というのを感じます。

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2017年10月30日

「自分が苦しいときは相手も苦しい」という大嘘

戦時中のいろんな標語や報道は、終戦後、、真相がわかって「だまされた」というものばかり。
敗戦の前日も米軍に損害を与えて大戦果、、らしいですが、そんなものはないです。大本営の捏造です。

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、、で、戦争が終わってみんな戦時用語の嘘に気がついた、、かと思えばそうでもなく、なかなか生き残った言葉もあります。代表格は、、こちら、、

自分が苦しいときは相手も苦しい

別に戦時用語というわけではありませんが、戦争末期この言葉はもはや合言葉や挨拶のように人口に膾炙したものです。日本では爆弾が降り注ぎ空襲で亡くなる人も多く、家族が戦地で亡くなったり、食料にも事欠き、大変苦しい時を工場で配られる覚せい剤(このころは合法)でしのぎ、「自分たちが苦しいときは相手も苦しいのだから、ここで苦しさに耐えて頑張ればかならず先に相手が折れる」という信念でのりきろうとしました。

が、一転、、、戦争がおわり、進駐軍が豊富な物資をもって日本にやってきたとき、、人々は「物量に負けた」と思い込みたがりました。そしてだんだんアメリカ国内の戦時事情がわかってくると、、

相手はちっとも苦しくなかった

ことがわかってきました。もちろん、アメリカだって戦地に行った家族、戦時中経済など大変なことも多々あったのですが、日本の内地であったような死ぬか生きるかという苦しさはありません。

そもそも、「自分が苦しい」と「相手も苦しい」には関連がなくて理論的ではないのですが、日常生活やスポーツなど肌実感としては確かにそう理解できることもあるため、つい戦時においても簡単に納得してしまったのです。「物量に負けた」という言い方の裏には「相手は苦しくなかったんだ」という意味さえ感じられますが、じゃあ、敗戦を境にこの言葉が使われなくなったか?というとそんなことはありません。

生活での肌実感がこの言葉は正しいというお墨付きを与えています。
でも、相手が苦しいということを本当に知って言ってるのですか?

「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」

むしろ、こっちの孫子の言葉のほうが、よっぽど理論的なのですが、、、人は理論では動かずということですね。最近はまた「自分が苦しいときは相手も苦しい(から頑張ろう)」的思考が増えつつありように思えます。そうじゃない、自分の強みで相手の弱みを制し、自分の弱みを相手の強みから守ったほうが勝ちなのです。そのためには、自分の強弱を冷静に分析して、相手の情報を多く集めなくちゃいけない、、あ、孫子のことばそのままか。

「自分が苦しいとき、相手はちっとも苦しくなかった」

といえば、どうします?これが大戦末期の実情でした。これじゃあ、頑張り気もおきませんから、まあ、情報管制で相手がちっとも苦しくないということを国民に知らせないようにしなくてはならないですね。

肌感覚で騙される、、、なかなか人は合理的にはできてない、、というのが現れる大嘘です。

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2017年10月18日

kempan keselamatan kebakaran 2 本物のヘリにしか見えないよ

I thought it was a real chopper, not a car.

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火災安全キャンペーンの正面にあったヘリコプター。
入口のところだから、遠くからでも見えたのだけど、、「へえ!どうやってヘリを運んだのだろう」と驚き!そして、近づくと、、なんか違う、「ああ、ヘリのモックアップか、でもどうやって運んだんだろう」。違和感は、あまりにもヘリの底が地面に近いこと。本物のヘリは車高(ヘリ高?)が高くてシートに座るには、よじ登るという感じだもん、こんなに車高が低いことはないです。

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で、車高に目が行ってよく見ると、タイヤが太い?うーむ、どうみてもヘリのタイヤじゃないよね。しかも、タイヤが4本ある?なんで?前輪が2本あるのは、、まあわかるけど、後輪は中央に1個じゃないと舵が切れないよ?不思議なヘリ、、というか、ヘリの模型だなあ、、、と思ってたら、、、

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なんと、運転席のハンドルが自動車と一緒の丸ハンドル。え!ってよく見たら、自動車じゃないか!本物の自動車じゃないか!なんとハイエースに本物のヘリのプロペラや外装をくっつけて、どうみてもヘリにしか見えない外見に仕上がっている、、なんか、超おどろき。確かに、、よく考えると、本物のシーキングみたいなヘリはもっと大きいし、こんなんじゃないだろうけど、、まさか本物の自動車とは思わなかった。すごいよね、これだと、、

「どうやってヘリを運んだのだろう」という答えは、部品を適当にとってトレーラーで運んで、会場内は自走なんだよ、、、ということですね。自走するヘリ、、、という発想はなかったです。それに、とっても良くできていて、まんまと騙された。(運転席のドアが開いてなかったらわかんなかったかも)。すっごい、なんか、本当にこれを作り上げた人って、こういう改造が好きで好きで、細部まで愛がこもっているのがよくわかる。

ありがとう、いいもの見せてもらいました。

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2017年10月17日

kempan keselamatan kebakaran 1 火災安全キャンペーンで日本の自転車発見!

Fire & Safety Campaign @ Kuantan. I found Japanese bicycles.

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うちのすぐ近くで行われている「火災安全キャンペーン」。消防車とかイベントカーとかいろんな車両があつまって、わりと広い敷地で行われている、大掛かりな規模のキャンペーンです。どうやら全国規模の催し物を今年は持ち回りでパハン州でやることになった、、といった風情。

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展示している消防車両も先端的で、予備車両展示になりがちなこの手のキャンペーンにしては、ちょっとびっくりな感もある。ところで、目を引いたのは自転車。

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歴史的自転車、、なのか、町内の簡易消防自転車なのか、、?赤いバケツが可愛らしい。

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でも、目をひいたのはそこじゃなくて、これ!何やら見覚えのあるマーク。こんなのが製造元のマーク?郵便局のマークにしか見えないんだけど、、、

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、、、で、サドルの下をみると、、日本の郵便局じゃないか、、おや、びっくり。石川県の松波郵便局をおもわずGoogoleで検索までしてしまったよ。能登半島の北端で警察の管轄は珠洲市らしいですが住所は鳳珠郡になるのですね。ついでに珠洲市まで調べてしまった、、、本州で最も人口の少ない市らしいです。

おーい!鳳珠郡のみんなー、元気にしてる?私はマレーシアで元気です!(自転車の声)

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どうやら、日本の政府援助で中古自転車の無償供与が昔あったようです。今でも海保装備の中古のものとかの供与を定期的にしているけど、そのはしりかなあ。こっちは大阪ですね、、

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まさか、こんなところでかって日本の野山を越えて走っていた自転車を見かけるとは思わなかった。郵便物を入れてたハンドル前の袋のサポートなんかも、そのまま。

しかも、日本の郵便局の塗装がそのままマレーシア消防局の塗装として使えているし、老後をマレーシアで過ごすのは昨今の流行だけじゃなくて昔からあったのですね。

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可愛らしい赤いバケツ。今だったら消火器にしてほしいところかも、ま、今だったら自転車で駆けつけるよりバイクで駆けつけるか、、、。火災対策はスピードが勝負だしね。でも、なんか味のある自転車でその場を立ち去りがたいです。


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2017年10月14日

苦労したからえらいわけじゃない

Film photo is taken at Dubai or Muscut in 2000. I don't remember the location. Before digital camera come.

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ミレニアム2000年の写真の整理中。水中写真は、、今の判断レベルでいくと「なぜこんなもんが残ってるんだ」と写真の存在すら不思議なぐらい変な写真ばっかり。サカナの尻尾だけ、、とか。揺れる体でファインダーなんて見なくて勘で撮るけれど、シャッターを押すのと写真が取れるのの間に時差があって、その間にサカナが泳いで、、けっきょくわずかに残った尻尾の先だけ写真に残っているということ。

、、、しかも、まだそんなのはいいほうで、24枚のフィルムで尻尾の先すら写ってない青い写真が半分。ぶれぶれで何がなにやら分からない写真が残りの半分。そして奇跡の1枚が動いてない魚。それすら17年の歳月で色がとんで、もはやなんだか?というレベル。ふーー、苦労語りをしてしまった。

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だからって、いまどきのデジタルカメラから水中撮影に写った人に対して、「ふふふ、フィルムの24枚目が終わったあとに、すばらしい大物が出現するというジンクスがあるんだよ」、、とか言ってもしかたないです。本当にデジタルカメラはすばらしい、おかげでサカナの尻尾だけというのも無くなったし、色あせないし、奇跡だよ、、。あんなフィルムカメラの苦労なんてするもんじゃない(フィルムにお金がかかって、現像にお金がかかって、保管に場所とるし)と思う。

でも、人によっては、「苦労してからが一人前」とかいう、苦労教の布教師みたいな人がいて、苦労してない人をみると猛烈に腹が立って、ぜったいあいつに苦労させてやる!という情熱に駆られます。私はあんなに苦労したのに、苦労してない人が許せない、、的なやつ。

俺は残業するのに、なんであいつは定時で帰るんだ?帰るときは、何か手伝いましょうか?とか言うのが常識だろう!ふざけすぎ、あいつにも何かいいつけて付き合い残業させてやる。。。というような奴です。こんな人は淘汰されてほしいけど、自分が常識だと思っているから、、淘汰されないよね。頭がいたい。

苦労は必要ない人には全然必要ないんで、無理に苦労させてあげることはやめましょう。
苦労しなくても人は一人前になります。というか、生まれてからずーっと人はちゃんと一人前だよ。

ラベル:苦労しない
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苦労は買ってでも?いや、売る気も買う気もない。

I was living in Cairo begining of 1990's for 3-4 years.

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私がカイロに住み始めたのは1991年らしい。もう遠い記憶でわざわざ昔書いた履歴書を引っ張り出してきて年を確認。私にとって2度目の海外生活です。3年か4年ぐらい住んでたけど、楽しかった。楽しかった、、というか、楽しい記憶しか残ってないけど、苦労したような気もする。不思議なもので楽しい思い出しか残ってないんだね。

当時はインターネットはおろか、ファックスだって高嶺の花(特にエジプトは持ち込み禁止だった)。ふつうに生活してたら何の記憶も残らなかったかもしれないけど、山ほど写真をとってたから「ああ、これは、あれだ」とか思い出します。もし当時ブログをつけてたらどんなこと書いてたんだろう、、ちょっと気になります。上の写真は、私が住んでたムハンディシーンの家の前。スーダン通りにミニバスがいっぱい止まっているところ。アルドリワーといって鉄道の踏み切りがあったのですが、今はどうなってるんだろう。

役に立つことはあんがい苦労として認識してないです、むしろ後から思い出すと楽しかった!マラソンとかでも30キロあたりから急に苦しくなるんだけど、あれを苦労と思ってたら二度とマラソンなんてできない。

若いときの苦労は買ってでもしろ?買うような自立した苦労はマラソンと一緒で苦労といわず楽しみです(マラソンだって出場料払うし)。これが後々経験として生きてくるし、役に立つこともある(当社比)。でも、押し売りされて嫌々させられる本物の「苦労」は、するな!といいたい。もちろん苦労したがる人もいるけど、私は苦労なんてまっぴらごめん。苦労なんて役にたたないし(当社比)。もし同じ言葉を私が言うなら、

「苦労は自分の金で買え、決して押し付けられるな」

「海外生活は楽しいだけじゃなくて苦労も多い。苦労を知らないのはまだ分かってない証拠」とかいう人には、はっきり言いましょう。そう?じゃあ、あんただけ苦労してれば?わたしは苦労なんて全く関心ないです。苦労自慢も苦労の押し売りはやめてね。人生、たのしんだもん勝ち。

ラベル:苦労しない
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