The Redang Telegraph

2017年09月25日

3 milion Japanese Refugee 300万人の日本人が難民だった時

6 milion 660 thousand Japanese left overseas territory when Japan was surrendered.
Japanese Refugee From North East China, 240,000 Japanese refugee died on the path to Japan,, out of total 1,050,000 refugee in the area. 1/4 refugee died.

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1945年の日本の敗戦により外地に残された日本人は軍人軍属が353万人、民間人が300万人だったそうです。軍人軍属はポツダム宣言に復員が明記されているので(戦闘技術をもった人達が外国に留まられては困る)、ソ連占領地域以外はわりと早いうちに日本に戻ったようです。が、300万人の民間人については二の次。

今回の日本滞在で購入した本は多いけど、どうしても読みたかった本は「流れる星は生きている」(藤原てい著)でした。自身の満州からの引き上げを小説にしたもので、下書きは子供たちに宛てた遺書をもとにしています。本人もとうてい生きてはいられないが、3人の子供たちを守るために生きている気持ちが本の全編ににじみ出ています。満州にはどのくらいの民間人がいたのでしょう?

終戦時に満州にいた民間日本人は105万人と言われていますが、ついに帰り着くことなく異国の土となった方は24万人。ほぼ4人に一人は難民として日本を目指す途中で亡くなったわけです。この民間人の犠牲は、東京大空襲、沖縄戦、原爆のどの一つよりも多い犠牲者数で、第二次世界大戦の日本の民間人犠牲事件としては最大のものです。

「(引用)私たちの前に老人が四人ばかり固まって歩いて行った。(中略)「生きて行ける人は先に行ってください、急いで、急いで逃げなさい。老人は捨てて、早く行っておくれ。南無阿弥陀 仏南無阿弥陀仏。。」
といっていた。私たちは呪詛のような恐ろしいその声を後に聞きながら大きくよけて前にでた」

この場面は満州から38度線の手前まで来たところです。著者が宣川の難民キャンプを出発したときは団になってたものの、その後は脱落や道の違い、考えの違い、まるで溶けるように、知らないうちに団は崩壊して、ひとりひとりが南を目指すしかありません。38度線を越えたと思ったものの、その後、どうやら道を間違ってしまったらしくなかなか38度線以南の米軍占領地帯の北端の町、開城が見つからず、目の前に川があって渡れず、著者と家族、同行者たちも精魂尽き果て死ぬばかりとなってました。

「(引用)私はもう一歩も進めない。「崎山さん、先に行ってください」私は割合に冷静な言葉でこういった。川の黒い黒い面を見つめた。一歩前にいた、崎山さんは振り返って私の顔を見ていたが、いきなり平手でぴしゃっと私の頬を叩いた。そしてがつがつ歯をならしながら「死にたけりゃ、私の前で死んで見たらいい。さあ、川に入って見ろ、目の前に開城をひかえて死ぬ馬鹿があるか!」崎山さんはぱらぱら涙を流しながら、私の腕を取った。「さあ川に添って上れば必ず橋がある。」

そしてようやく開城の手前では、

「山は低いがけわしい。山のふもとまで来ると山の至る処が日本人の絶叫で満ちていた。「馬鹿!もうすぐだ」「よし子どうした、頑張れ、やい!」という男の声、男のような女の声で山は鳴りひびいていた。私たちだけではない。他の人も半分気が狂っているに違いない。私は二本の手と二本の足で四つん這いになって山を登っていった。山の頂から声が聞こえる。「開城だ!開城の灯が見える!」「死んじゃ駄目だぞ!ここまで来て死じゃ駄目だぞ!」その声は上から下、下から上とお互いに呼びかわし叫びかえしていた。血の出るように闇をつらぬくその声に私の感覚は呼応した。「死じゃ駄目だぞ!」私は崎山さんに怒鳴った。「死じゃ駄目だぞ!」崎山さんもすぐそばで怒鳴り返した」

この後、著者は気を失うのですが(子供からはお母さんは死んでたと言われた)、アメリカ兵に助けられ難民キャンプに入ります。

「これはひどい、よく歩いたものですね」医師は私を手術台に寝かせて、ピンセットでまず肉の中に入っている石の摘出を始めた。小石をピンセットにはさんでは、金属の容器に捨てるごとにカチンカチンを音がした。だんだん奥の方にピンセットが入っていくと、焼け火箸で刺されるように痛かった。ベッドにしがみついて我慢していたが、ついに痛みのため脳貧血を起こしてしまった。(中略)診療所と私のテントとは百メートルも離れていた。この道を這って毎日通うのであった。正彦も私の後から泣く泣く這ってくる。そのみじめな自分の姿を人に見せるのが恥ずかしかった。診療所ばかりではない。便所にも、水貰いにも、咲子のおむつの洗濯にも行かねばならなかった。」

開城とは?現在の北朝鮮にある地名です。Wikiの開城市の説明によると、、

「南北の境界は北緯38度線上に引かれていたため、この時点では、北緯38度線以南にある開城の中心部は、韓国側の統治圏内だった。1950年に朝鮮戦争が始まると、開城は真っ先に北側の朝鮮人民軍の手に渡った。その後アメリカ軍を中心とした国連軍が応戦したことで一時は開城全域が南側のものとなった時期もあったが、北側にも中華人民共和国から義勇軍が参戦したことで開城は再び北側のものとなり、南北の軍の最前線は開城のすぐ南で膠着した。1953年、板門店での休戦協定締結により、朝鮮戦争は停戦(休戦)となる。それ以来、人々の南北間の往来は絶望的となった。更に、軍事境界線は北緯38度線からややずれていたことから、戦争前は南側の韓国の統治圏内だった開城は、戦争後は北側の朝鮮民主主義人民共和国の統治圏内になった。開城の人々は戦争の際、南に逃れた人もいれば、開城に留まった人もいた。この結果、南北間の離散家族は開城出身者が最も多い。」

著者がたどり着いた時は韓国側の町です。この開城がひとり著者だけでなく、多くの満州からの日本人難民の希望の土地であり、希望の名前でした。開城に着きさえすれば、、という気持ちを考えてください、開城は日本ではないにも関わらずです。

いま、世界中で多くの難民がいます。自国を追われ、行き着いた先からも追われ、行き場所もないまま、死ぬのを待つばかりの人がいます。自分の国に帰ればいいのではないか?というのは、何もわかってない人の無意味な発想です。そうならないからこそ、難民の問題があるといっても過言ではないでしょう。そして、難民の人達にとっては「あそこに行けば、あそこに行きさえすればなんとかなるのではないか」という希望の土地があります。満州からの日本人難民にとって開城だったのと同じく、難民本人にとっては縁もゆかりもない場所です。が、まさしく縁もゆかりもない場所が希望の土地であるということを私たちが正確に理解してないかぎり、「なんで彼らはここに居るのか、なんで彼らはここを目指すのか」という素朴な疑問が排外的な考えに変わるのに時間を要しません。

かって、300万人以上もの日本人が難民となりました。生きて帰り着けなかった人も含めてですが300万人、誰でも周囲を本気で探せば一人ぐらい難民だった人がいてもおかしくないぐらいです。が、自分が難民であったことを公開する人は少数です。難民であったことの恥ずかしさというのは、想像をはるかに超えるもの。

学校や家庭、社会では、この事実をきちんと教えているのかどうか怪しいものですが、悲惨であればあるほど引き揚げ者の口は重く、著者夫妻の間でも難民の記憶は禁句のようになっていたそうです。ならばこそ社会がきちんと伝えない限り、知らされず、それが「そんなことは無かった」になるのも早いです。

日本人にとって難民とは遠い外国の話ではなく、自分たちの父母や祖父母の語られることの少ない事実であることを本気で共感しないかぎり、日本の難民への理解は一歩も前に進まないでしょう。

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2017年08月26日

English Education in Japan 英語の通訳機や翻訳機?できればいいけど、、

まえに書いた「日本人の9割に英語はいらない」という狂ったタイトルの本があるらしい」
http://inlinedive.seesaa.net/article/450191180.html
、、と、その続きの
http://inlinedive.seesaa.net/article/450209393.html
、、のさらに続きです。

最近さらに、9割どころか99%の人は英語がいらない、、という記事を見ました。ところで、誰が1%なんでしょう?1%になる人は決まっているのですか?

同じようなことで、プロサッカーの選手になる人は人口の1%よりさらに低いです。1億2千万国民の1%は百二十万人ですが、プロサッカー選手は2千人もいないんじゃないですか?じゃあ、子供たちにサッカーをやらせる必要がなく、2千人だけでいいという話です。そんなバカな話があってたまるか。

プロ選手はそれだけかもしれませんが、アマや好きでやっている人、サッカーというよりは体を鍛えたい人、体力維持が目的な人、あこがれの選手のコピーがしたい人、いろんな人がいます。数え切れないほといっぱいいる競技人口の中から、職業としてサッカーを選んでもいいと考える人で、さらに技術があったり理論があったり、タイミングやチャンスが合ったりして、プロでやっていける人が、プロになるのです。

英語もそうです。誰が1%になるか分かりません。だいたい1%といってもプロサッカー選手の100倍弱、普通にサッカーを好きでやっている人の100倍から人口の1割だと1000倍が「英語不要論者の」唱える最小英語ができる人の数。全然少なくないじゃないか、そもそも。

だから多くの人が勉強するのだし、別にぺらぺらにならなくても、海外の文化を知りたいとか、音楽の歌詞の意味を知りたい、あるいは英語で上手に歌いたい、、というのもあるでしょう。昨今のJポップスには歌詞の一部が英語になっているのが目立ちますが、やっぱりカラオケでは上手な発音で歌いたいでしょう?
それに英語(外国語と言い換えてもいいけど)を覚えると「日本語情報」のくくりがなくなって、広い視野がもてます。今だって日本語情報にはちっともない社会の重要なことが多くあって、それは英語情報で知るしかないです。たとえば、問題になっているミャンマーのロヒンギャのジェノサイドだって、昔から英語情報ではいっぱいあったのに、日本語情報ではつい最近まで皆無に近かったです。

デジタルデバイドという言葉がありますが、全く同じ英語デバイドができるでしょう。世界中で使われる言語に比べて日本語は地理的には日本、世界的には日本語話者ですが、比較的内容を統制しやすいです。誰かが、日本語ニュースを故意に歪曲しても、他言語との比較がなければそのまま鵜呑みにするしかありません。
捕鯨をめぐる日本の対応も日本語の目から見るのと、外国語の目から見るのとでは大違い。まあ、そこまではありがちです。この手の差は、どこの国でもあるし、珍しいものでもありません。

「外国のものは信用できない。あいつらは嘘つきの身勝手な人間だ」
「日本人なら日本語報道を支持するのが当然だ」


、、と、検証なしに偏見のフィルターをかけてしまうのが大問題なのです。それも、自分で確認したわけでもないのに、誰かが翻訳してそういっているとか、、ばかり。

最近読んだ記事だと9割9分の日本人には英語は関係ないから、無意味な英語の時間をつぶして他の重要なことに振り替えようと言ってました。でも、1%の人には英語が必要なんでしょ?英語を勉強する1%の人の教育と、英語を勉強しない99%の人の教育が同じものではないというのが前提です。これは、社会の階層化につながるでしょ?格差を生んでよい訳がない。いったい誰が「あなたは英語の勉強しなさい」「あなたは英語の勉強やらなくていい」って決めるの?親が?先生が?何かのテストをして?

それに、通訳機の件。
いまだって、電子辞書とかでしゃべってくれるものは珍しくありません。
、、で、それを会話に使っている人を現実に見たことがあります。おそろしい光景で、電子辞書を持った人は機械を相手に差し出してるんだけど、相手は露骨に嫌がってました。、、というか機械を差し出されている意味が分かってなかったというべきか。コミュニケーションは、お互いの会話で成り立ちます。コミュニケーションは非常に人間くさいものです。生き物の根幹を成しているといってもいいぐらいに。

私はタバコは吸いませんが、「喫煙所でビジネスチャンスが生まれる」という人が少なからずいます。私はお酒は飲みませんが、「飲みにけーしょんだ!」といいう人も後を立ちません。相互理解がしょうもない会話からはじまるのは珍しくないし、適当に酔っ払っているところで通訳機なんて使っても嫌がる人が多いでしょう。

電子通訳や電子翻訳の精度があがるのはうれしいけど、それが誤訳だったら?と思うとうかうか信用できません。お前の会社の電子翻訳のせいで、会社のビジネスチャンスを失った。損害弁償だ!とか言う人だってでてきます(実際それに類似した話は聞いたことがある)。だから、電子通訳や電子翻訳の会社は予防線をはらないといけないし、あーーー、普通に勉強して、普通に分かるようになるほうが近道じゃない?

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2017年08月23日

三浦瑠麗の大嘘 3

三浦氏の東京新聞の記事について多くの人が反論していますが、その反面、氏の発言を支持している人も少なからずいます。私がこの記事について反論を書こうか迷ったのですが、最近の明らかに真実でない発言を厚顔無恥で巻き散らかしている政治家が多い中、よりによって研究者がこれほど(つまり小学生レベル)の間違いを堂々と行い、平然としているのは看過できませんでした。。。史学を学んだものとしての義務さえ感じました。

「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

このたった2行の中で「それ以前は経済的に比較的恵まれ」というのがどれほど間違いであるかと述べました。反論する中で気が付くのですが、ともかく、三浦氏の発言は曖昧すぎます。

1)せいぜい2年ほど:明確さに欠ける。
2)それ以前:それ以前とは具体的にいつの時期か?私はそれ以前の20年間と常識的に仮定していますが、それ以前とは縄文時代のことであると言われても文脈上成り立ちます。

3)比較的恵まれ:何と比較するのか?この時期の50年ほどと比較するのが常識的かもしれませんが、三浦氏が「いや、1943〜1945年と比較して」とあらば論外です。空襲により国土が焦土と化し、日本人310万人が亡くなった大戦とその後の飢餓に比べたら、比較的恵まれているかもしれませんが比較する意味がありません。自然災害や恐慌は人を苦しめるために発生するのではありませんが、戦争は明確に人を殺し苦しめるために発生しますので、比較にならないでしょう。さらに恵まれているの基準はなんでしょうか?「恵まれている」とは感覚的な言葉で、本人がそう思えばどんな状況でも「恵まれている」です。

4)いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる:実名も上げず不明確。誰のことだか想像もつきません。この時代世界的な視野をもった高橋是清などは国賊呼ばわりされ凶弾に倒れています。もし世界的な広い視野を持った人がいたとしたら、そもそも敗戦の惨禍をみることがなかったはずです。
それに「いまより」とありますが、今がそんなに視野の狭いものばかりなのでしょうか?三浦氏の周辺はそうなのでしょうが、ネット時代ですし一般的に今の人の世界的視野は1943年以上に広いと思います。ただし、政治家については何とも言えません。この一文は全く意味不明です。

5)ある種の豊かな国家:なにが「ある種」なのか曖昧で見当がつきません。国体護持の精神的豊かさなことでしょうか?でも、この文は「経済的に比較的恵まれ、(中略)ある種の豊かな国家だ」と経済的とはっきり明記して豊かさを指しています。どこが「豊か」と理解できたのか知りたいところです。
6)そもそも「恵まれ」も「豊かさ」にも基準はありません。この2つほど感覚的な言葉づかいはないでしょう。「比較的恵まれ」「ある種の豊かさ」。浅学で具体的に言えないのを、なんとなく分かったように言い換えるテクニックですが、文字にして何度も見ると、いったい何を言いたいのか不明。もちろん、これは虚言であることは既に述べたとおりです。本人も分かっていっていると思います。

7)と考えてます:なーんだ、ここに書いたのは単なる雑感で資料の上になりたった論理ではないということです。考えるだけなら、どれだけ妄想しようが自由です。しかし、研究者としては失格です。

たった2行なのに、これだけ書いても、まだこの方は持論にしがみつくでしょうね。それは研究者としてよりも、信仰者としてです。ですが、自分の戦前への信仰を他人にさも事実のように開陳するのはやめてほしいものです。研究者もやめて、妄想を信じ信仰者として生きるのであればまだその自由は憲法が保障しています。

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三浦瑠麗の大嘘 2

1923年から1933年までは、関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、昭和三陸沖地震などで、国民の上から下まで経済的に苦しい時代がつづきます。大不況の時代、大倒産の時代ともよばれます。が、まかり間違っても「経済的に比較的恵まれ」た時代と呼ばれることはありません。三浦氏はいったい何をまかり間違ったのか皆目見当がつきません。

もっとも、本人は必ず曖昧な言葉でしか語りませんので、「、、、と考えています」であれば何でもアリです。どんな大不況でも、恐竜を絶滅に追いやった天変地異や氷河期に比べれば、「比較的恵まれた」と言えるでしょうし、どんな状況でも、、「と考えています」なら、事実を違うことだって考える自由はあるわけです。

「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

「それ以前」を1943年以前の20年間のうち10年の経済状態をみてきたわけですが、1931年には満州事変が勃発。戦争には必ず経済的疲弊が伴いますが、多くの人は戦果ばかりに注目して経済に注目する人は多くありません。さらに1931年には犬養首相=高橋蔵相コンビによる金の輸出再禁止となっています。金解禁は当時の日本の経済の話題の中心で、関東大震災、世界恐慌などを経て日本経済はフラフラと千鳥足で政策を一定できません。金の輸出再禁止によって多少は日本の企業を息を吹き返します。とはいえ、財閥に手厚く、庶民は塗炭の苦しみが続くこの犬養=高橋コンビは憎まれ、翌年1932年には昭和史に必ずでてくる五一五事件が発生しています。農民決死隊を含むこのグループは財閥に手厚い犬養首相を暗殺。

1933年は日本の国際連盟脱退の年。国際的な目はますます覆われ、視野を狭められていきます。関東大震災から10年。東京も農村も生活は苦しく、軍靴の音はけたたましく、一部財閥ばかりが金儲けに熱中している時代です。1934年は現代史でも必ず取り上げられる「昭和東北大飢饉」の年。1930年代前半は何度も冷害に襲われ農村は疲弊に疲弊を重ねていたのですが、1934年の凶作は小作農民を直撃。日本史上最後の飢饉となっています。1935年も凶作の影響はつづき、相沢事件にみられるような軍部内部の抗争が激化。この頃から経済が事件として取り上げられることが少なくなりますが、それは政治軍部の諸問題が余りにも大きくなりすぎて、経済など取り上げる余地がなくなったからです。戦争の時代とはいつでもそういうもので、国家予算とかGDPとかを気にしていたら戦争などできません。1936年は二二六事件が起こりましたが、クーデター失敗。金輸出再禁止の高橋蔵相は暗殺され、犬養=高橋の2名とも凶弾に倒れたことになります。この事件も、農村の窮状を救うというのが旗印の一つになっています。今の人にはわからないかもしれませんが、この時代の日本といえば一次産業中心で、ひとは農村とつながりがあるのが普通でした。

総務省統計局のデータです。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm
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1937年は盧溝橋事件から日中戦争に突入した年。このあと延々と中国での日本軍の戦争は続きます。戦争経済?そんなもの誰も気にしなくなっているほど感覚がマヒ。ちなみに、日本軍はアヘンを売りまくることで戦争を継続していきます。

あれだけの戦争をしたのですから相当なお金がかかったはずですが、それを問う声は少ないのは、アヘンが絡んでいて大声では言いにくいから。日本の外貨獲得の旗頭だった生糸が恐慌を境に壊滅。それに代わる産業がない状態です。アヘン経済に日本の「戦時中の国運」を任せていたのは別に秘密でもなんでもなく、国も認めてますから調べればすぐにわかること。
1930年代後半には、日本はついにヘロインとコカインの生産量世界一になりますが、国内消費用ではなく大切な外貨獲得手段。国内向けには覚せい剤が普通に出回りはじめます。

時代は疲弊した日本の農村を再興する代わりに、中国への植民を奨励するようになっています。
1938年以降、もはや戦争につぐ戦争。1939年はノモンハン事件があり、第二次世界大戦が勃発。1941年には日米開戦、緒戦の勝利に沸いたのもつかの間、開戦から6か月後のミッドウェーで日本は負け、さらにその2か月後にはガダルカナルで負け、その後ずっと負け続け。日本の経済?国家予算の9割が軍事予算で、前線はアヘン売り上げに頼った経済と略奪経済。もはや経済など無視。
1930年代後半のGDPは戦争に向けて増大していますが、個人消費は縮小の一途です。このGDPの増大をみて「比較的恵まれた」とするのは間違いです。経済指標は上昇しましたが財閥が儲け、国民は「恵まれた」とはいえないのが実情です。例えば今の中国はGDPで世界2位ですが、貧困は存在し経済成長の恩恵は偏在しています。

想像してみてください。疲弊した農村から出征した一家の稼ぎ手。残る家族は生計の立てようもなく、出征した兵士が戦病死すれば、もう家族には悲劇しか残されていません。これの何が「豊か」さなのでしょう?あるいは中国をはじめ世界中にアヘンを売って中毒者から巻き上げたお金で戦争していたのが「豊か」さなのでしょうか?

三浦氏の発言をもう一度。

「それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています」

それ以前の20年間。最初の10年間は震災、津波、冷害などの天変地異と金融恐慌、世界恐慌などの経済不安な時代で、誰がどう考えても恵まれた時代ではなかったですし、次の10年間は515事件、226事件が起こり、軍事独裁の道をひた走り、経済低迷を軍事力で打破するという暴挙による「戦争の時代」です。国民は戦場で死に、貧困の窮状は捨てられてしまいまい最初の10年よりも辛い状況ですが、これが豊かな国家のすることでしょうか?なるほど豊かな人達はいました。いわゆる戦争推進者で、高級官僚・軍人は血税を、財閥は死の商人として得たカネを、、、、毎日の料亭で使い果たしていましたが、三浦氏の目線はそこにあるのでしょう。

あえて取り上げませんでしたが、「いまよりも世界的な広い視野を持った人」とは戦争推進者ではないでしょうか。「豊かな国家」と言い切れず「ある種の豊かな国家」と言い換えているのは滑稽です。「ある種」が何なのか誰にもわかりません。曖昧な言葉で嘘をつき、逃げ道ばかりを考えたようなこのような三浦氏の発言は、全くの愚論で一顧だに値すべきものはありません。

むしろ、このような人物を持ち上げる時代の流れが、今の日本だということですね。

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2017年08月22日

三浦瑠麗の大嘘 1

いつもながら周回遅れですが、東京新聞に掲載された三浦氏の発言が話題になってるので読んだところ、、唖然とした、、こんなので東京大学の講師が務まるのか?本当に?何か、ウケを狙って滑った漫才ではないのか?さすが東京新聞、、三浦氏の浅学を非難するより実際に本人の口で語らせることで暴露を狙ったのでしょう。たぶん。

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つっこみどころが満載すぎ。一行毎につっこんでも仕方ないので、みんながどこに突っ込んでいるかネットでさらっと見たところ<人権を抑圧したのは2年ほどでした>というあたりでした。これに対して人権の抑圧はずっと以前から行われているという反論も目立ちました。でも、私に言わせると別に国家総動員法のあるなしに関わらず、人権は抑圧されつづけたし、今だって人権軽視は根強い人気があります。相模原の保護施設で大変な悲劇を起こした犯人は、自分の行動は政府に認められると本能的に人権軽視の臭いを嗅ぎ取ったぐらいです。だから、三浦氏の発言の人権云々の話で反論しても、しかたない。人権軽視はこの国のお家芸です。

私が突っ込みたいのは、ここ。
「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」

人権抑圧は曖昧な部分も多い(抑圧を明確にするバカもいないので)けれど、経済的ならいくらでも指標もあるし、社会情勢から考察することもできます。そもそも「それ以前」というのは?1943年の前ですが、どれぐらい前のことでしょう?ざっと20年ぐらい前から見ていけばまず間違いないでしょう。まさか、「それ以前というのは平安時代のことです」とか「それ以前というのは縄文時代のことです」とは言わないでしょうが、この三浦氏ははっきり言わないで曖昧なまま話をすすめていき、反論されたときに逃げる余地を作るのが好きなようです。

ざっくり「それ以前」を20年前とした場合、1923年ですね、ここから「それ」こと1943年までを見ていきましょう。まず起点の1923年の9月1日には関東大震災が起こっています。誰もが知っているとおり、「当時の日本銀行の推計で45.7億円の損害が出た。当時の国家予算が15億円、またGNPは150億円であったことを見ても、甚大な被害であることがわかる。」(Wikiの震災手形から引用)
「それ以前」は関東大震災で始まり未曾有の打撃をうけ、この時の震災手形の処理のまずさから昭和金融恐慌が生まれてますが、それはもうちょっと先(とはいっても「それ以前」の1927年)の話。その前の第一次世界大戦で日本では成金が続出。「作れば売れると大量にモノを作った」のが戦争終結で大量在庫と化し大変な不況があり、そこから続けての関東大震災。ちなみに2011年の東北地方太平洋沖地震から6年経った今も経済は変調ですが、首都を直撃した関東大震災の影響は延々と続きます。

1925年はアメリカで排日条項を含む移民法ができました。世界の視野はせばまります。1927年は昭和金融恐慌の年。小学生でも習う銀行倒産、取り付け騒ぎ、、そしてそのまま運命の1929年のウォール街大暴落から端を発した、、世界恐慌。関東大震災から6年、昭和金融恐慌から2年が過ぎたばかりで経済的体力が尽きかけていた日本を襲ったとどめの一撃です。翌年、主要輸出品だった生糸の生産で生計を立てていた多くの農村が世界恐慌のあおりをうけて没落、この翌年1931年は昭和農業恐慌と名づけられた大冷害が襲い、さらにその2年後に昭和三陸津波(1933年)です。食事に事欠き、女児の身売りが続出、小作争議続出。経済的に昭和の苦しい時代の一つの頂点です。

ここまでは、三浦氏のいう「(前略)1943年〜45年のせいぜい2年ほどでした。それ以前は経済的に比較的恵まれ、いまよりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています(後略)」の「それ以前」20年間の最初の10年。誰がどうみても、経済的に比較的恵まれているとは思わないでしょう。関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、昭和三陸津波、これが1923年から1933年の10年間にひしめきあっています。豊かな国家?調べれば3分でわかる嘘を平気で言うのが信じられない。それが東大で講師なら、大学の実力も地に落ちたものです。

金融恐慌では資本家が、農業恐慌では農民が、世界恐慌では万遍なく資本家から農民まですべてを含んで経済的どん底に突き落としました。

そして次の10年。

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2017年07月12日

R&R Ajil, Terengganu 日本でも和式便所は残してほしい

Through Japanease view, the cleanest R&R in Malaysia, that is R&R Ajil.

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日本でのトイレ事情はいわゆる和式トイレが淘汰され、洋式トイレが席捲中。和式トイレは使えないという子供たちのために学校では教育目的で和式トイレが残されているようです。
ここ、マレーシアではいわゆる和式と同じトレイが主流。もちろん、膝が悪い人や体への負担が低いので洋式トイレも随分ポピュラーなのですが、洋式トイレの使い方を知らず、便座の上に上がって和式のように使う人も多く、便座が割れるので止めようというキャンペーンまであります。

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もっとも、和式トイレというけれど、世界的にみるとしゃがむスタイルの便器のほうが、圧倒的多数。いわゆる洋式トイレのほうが少数派。洋式=西洋というけれど、南欧は歴史的にはしゃがむスタイル。伊、南仏、西あたりにはいまでもしゃがむ式が残っているところもあるそうです(見たわけじゃないけど)。

だから、日本の和式トイレは、アジア各地の観光客には重宝されています。こっちのほうが落ち着くという人もおおいのです、、だから、和式トイレは淘汰せず残してあげて欲しい。

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ちなみに、ここはトレンガヌのアジルサービスエリア。現在開通しているE8高速道路では最終のサービスエリアです。それで、この先で高速終了なので多くの人がこのサービスをスキップして目的地まで行くし、トレンガヌから乗ってきた人たちは、高速に入って最初のサービスエリアには特に止まる必要もないと考えているのか、、ともかく利用者が本当に少ないです。

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もっとも最近に開業したサービスエリアだし、使う人も少ないので、このサービスエリアはとってもきれい。用がなくたって、ここに立ち寄ってお茶だけのんで寛ぎます。

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2017年05月25日

日本人の9割に英語はいらない (祥伝社黄金文庫)という狂ったタイトルの本があるらしい 2

たった5行なのでまるまる引用。

「日本人の9割に英語はいらない (祥伝社黄金文庫)」
「英語ができても、バカはバカ!ビジネス英会話など、必要に迫られれば誰だって習得できる!いま日本人に必要なのは、日本という母国を深く知り、日本語でしっかりと自分の考えを伝えられる「日本人力」を身につけることだ。外資系のトップ(マイクロソフト日本法人元社長)だった著者が、自らの体験をもとに「社内公用語化」「小学校での義務化」「TOIEC信仰」等に異を唱え、英語学習に強迫観念を抱く日本社会に猛省を促す警世の書!改訂電子版新登場!」

自分の書いた記事を読み返すと、あれなんか抜けてる。そっか、「日本人の1割には英語が必要」というタイトルのこと。日本人の人口はざっくり1億2千万人として、1割で1200万人。日本最大の都市、東京都の人口が1300万なので、東京都とだいたい似たような人口が英語が必要とされてるわけですね。1割、、10人にひとり。本当に今、英語が不自由なく使える人が10人に1人いるのか?

日本で英語を不自由なく使っている人口、あるいは割合に関する正確なデータというのはみつかりません。あやしいデータで人口の2−3%というのを見つけました。だいたいこんなところかもしれません。だから、本のタイトルどおり、「日本人の1割には英語が必要」というのであれば、全然足りません。強力に英語教育を押し進めて、「英語学習に強迫観念を抱く日本社会に猛省を促す警世の書!」としなければなりません。ちなみに、ここでの猛省とは、まだまだ甘い、英語話者が全然足りないから国民は死ぬ気で英語を勉強しろ、、ということか。なるほど。

「ビジネス英会話など、必要に迫られれば誰だって習得できる」などと根拠のない(しかも、誰もこんなことがカンタンにできるなんて思っても無い)楽観論を巻き散らかす出版社に対しても、猛省をしてほしいところ。

もし、本のタイトルどおりとしたら、英語教育強力推進じゃないか、、何を言ってるんだろう?

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2017年05月24日

「日本人の9割に英語はいらない 」(祥伝社黄金文庫)という狂ったタイトルの本があるらしい 1

日本人の9割に英語はいらない (祥伝社黄金文庫)という本があるらしいです。
私は本書を読んでないので、読めるところ、つまり本のタイトルと帯のキャッチを読んでみました。だから書評ではなくて、タイトル&帯評なので著者は出版社です。何年も前に話題になった本らしいですが、いつも周回遅れの私なので、知ったのは最近。

まあ、タイトルは出版社がつけるのだし、、、と思ったら、案外、著者の主張らしい。ちょっとびっくり。
帯(キンドル版)は下のとおり丸々引用です。、

「英語ができても、バカはバカ!ビジネス英会話など、必要に迫られれば誰だって習得できる!いま日本人に必要なのは、日本という母国を深く知り、日本語でしっかりと自分の考えを伝えられる「日本人力」を身につけることだ。外資系のトップ(マイクロソフト日本法人元社長)だった著者が、自らの体験をもとに「社内公用語化」「小学校での義務化」「TOIEC信仰」等に異を唱え、英語学習に強迫観念を抱く日本社会に猛省を促す警世の書!改訂電子版新登場!」

たった5行なのに、つっこみどころ満載なの1回では書ききれません。簡単に言うと「日本語ができてもバカはバカ!」です。あるいは「英語と日本語ができるバカのほうが、日本語しかできないバカより有利」。

英語圏に住む英語を母語とする人が、ふつうに英語を話してもバカはバカでしょう。なんで日本人が英語を話したらいきなり「賢い」と想定するのか?何か妄想でもあるのでしょう。英語を話せる人を前提として賢いと思うから、バカはバカという言葉がでてくるので、そんなもん、誰が考えたっておかしい。おんなじように、日本語を母語とする人が、日本語を話しても、バカはバカです。いまの総理大臣みてもわかるとおりです。

ああ、それに日本人であれば日本語を話すというのが、もう平成も20年以上過ぎてるのに昭和すぎる。国籍が日本人だって母語が日本語とは限らないし、おなじぐらい日本人でなくても母語が日本語の人はいっぱいいる。日本人で母語が英語の人はバカなのか?いや、そんなことは言ってなくて、「バカな人はバカである」という、「AはAである」というバカみたいな理論。さらにバカには基準が皆無というのが後押ししてますので、たいがいなんでも当てはまります。

東大卒でもバカはバカ、博士号をもってもバカはバカ、一流企業社員でもバカはバカ、社長でもバカはバカ、総理大臣でもバカはバカ、日本人でもバカはバカ、、、人間に関するものだったらすべて当てはめることができるし、ネコでもバカはバカ、動物でも文脈上いけそう。ただ、お米でもバカはバカとか無生物はちょっと厳しい。それぐらいなんでも当てはまるのに、、、アマゾンの書評には「英語が話せてもバカはバカ、、とは、よく言った、まさしくそのとおり」とか、むやみに感激している人も多い。本が読めてもバカはバカの例。何をもってバカというのか?俺様がバカだと思うからバカなのだ!という具合。

ちなみに日本人力?というのも意味不明な言葉ですが、この類の理論として最も早く世に出て高い評価を得て、その後の日本人精神研究の嚆矢となったのが、新渡戸稲造の「武士道」です。5千円札の肖像にまでなりましたが、逆に5千円の肖像になるまで彼を知らなかった人も多いと思います。
、、で、この武士道は英語で書かれ、アメリカで出版され、今では「日本語訳」が書店で手に入れることができますが、新渡戸は熱心なクリスチャンで、アメリカやヨーロッパに留学と生活経験があり、奥様はアメリカ人です。

むしろ、外国語と日本語といった複数の視点があったからこそ、それほどの本を書けたのでしょう。母語と外国語を通じてみると、世界は何倍にも広がり大きく見えるのですが、本のタイトルによると9割はいらない?悲しいなあ狭い視野を勧めて、あげく英語が必要な上流1割と不要な下流9割という格差社会を肯定してしまってはしかたありません。

こんな本が話題になる(なった)のも、時代なんでしょうね。
著者は有名な会社の元社長らしいです。帯にけちをつけなかったのだからこういいましょう「マイクロソフト日本法人元社長でも、バカはバカ」「上から目線の奴でも、バカはバカ」。著名度や経営手腕や財力などは、賢いということの担保にはなりません。バカはバカです。まさしく彼の言うとおり、自らを例示している親切さ。

え?わたし?バカですよ。それがどうした

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2017年05月23日

Practice makes habit 練習は習慣をつくる

Practice makes habit,, PADI mentor told me this word.

最近のPADI CDアップデートコースに参加したとき、講師から言われた言葉。
「Practice makes perfectと言うことわざがあるが、それは違う。Practice makes habitで、良いhabitがperfectを生む」、、といわれました。

Practice makes Perfect. この英語のことわざに対応する日本語のことわざとして、慣用的に「習うより慣れろ」があてられてますが、、、違う!英語を直訳すると「練習は完全を作る」。Practiceの訳語は全英和辞典一致して「練習」となっています。つまり、練習を重ねないと立派にはならないこと。「練習」とは?これは文字のとおり、練って習うこと。デジタル大辞林(第三版)には練習の意味として、
技能・芸事などが上達するように同じことを繰り返しならうこと。
つまり、練習は「ならうこと」であり、習うより慣れとは違うだろ?習えよ英語の、この言葉は、繰り返す、練=技能と習=知識の重要さを教えていることわざです。

この英語と日本語のことわざの意図しているところは、違う(頭韻を踏むところは一緒だけど)。が、ことわざとして間違っているのか?とんでもない、習うより慣れよをよく考えると、この言葉の生まれた時代は今とは違うし、漢字の意味も違っている、、、慣れるには「経験する」以外に「馴染む」という意味があり、習慣という言葉は馴染むの方からきている。

習慣の意味、「ある事が繰り返し行われた結果、その事がしきたりになること。しきたり。ならわし。」

習う(意図的に練習する)より、慣れよ(習慣にしてしまえ)!これは!ある意味、Practice makes Perfectより一歩上を行くことかもしれない。

Practice makes habit、、この言葉は英語社会では頻繁に使われ始めました。

日本語にはまだ馴染んでないようです。もったいない。繰り返す練習は習慣を生み、良い習慣は成功を生む。
言葉も、ことわざも、実践も、先にすすまないといけないですね。がんばらないと、、(ふーっ溜息)

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2017年05月18日

嫌英語 - なくても済むものなのか?

嫌英語、、ざっとアマゾンの本のタイトルを見ていくと、、ああ、ため息がでる。

英語化は愚民化ー日本の国力が地に落ちる(集英社新書)
英語の害毒 <バイリンガル化は奴隷への道だ>(新潮新書)
英会話不要論(文春新書)
危うし小学校英語(文春新書)
日本人の9割に英語はいらない(祥伝社黄金文庫)
まだまだ、書ききれないけれど、本当にいっぱい似たような本はある。

タイトル見て、帯の売り文句を見れば内容が大体わかる?残念、、、タイトルは出版社が決めるのであって、著者の意向も、本の内容もあんまり関係ない。「今のご時勢、一般庶民に、このタイトルだったら本が売れる!」と出版社が思ったとおりにつけられます。

だから、本のタイトルを見てわかるのは、出版社が一般庶民をどう思っているのか?どういうご時勢だと思っているかということ。もちろん、売れなくて在庫を抱えたくないので、出版社も時勢を読むのに必死。

そこで、調べたご時勢とは?結局、なんというか、「英語なんて要らない、、と言えば、多くの人が喜ぶ」ということなんでしょうね。英語なんて要らないというか、むしろ積極的に英語は嫌いだという感情的なものを煽りたい意図も感じます。

実際の社会においては、英語はとっても必要なのだけど、「それは必要ではない。実際なくても生活できてるだろう」といえば、気が済む層というのがある。

なくても生活できる、、って、携帯電話なくても生活できるし、エアコンがなくても生活できるし、マイホームを持たなくても生活できるし、高校卒業してなくても生活に問題ないし、自動車を持ってなくても生活できるし、嫁をもたなくても困らないし、子供がいなくてもかまわない、、、社会のほとんどのことは、無くても必要ないと言うことだってできます。ただ、あった場合は「世界が広がるよ」。それに気がつくか気がつかないかの差かなあ。

こんな「英語不要論」なんて超つまらない不要論テンプレどおり、私だってテンプレを使えばなんでも使える。10秒で考えた「自家用車不要論」はこちら。

都会に住む人で「自家用車は不要。自家用車がなくても困らない」という人は増えてきています。これが自動車販売数の伸び悩みにもつながっているぐらいです。
自動車は個人が購入する動産ではもっとも高価なもののひとつで、大変な出費と月賦が家計を圧迫することも多いです。それに維持費、燃料費、車検、駐車場代、自動車税、いろんな出費がかさみます。さらに、化石燃料を使って汚染空気を排出し、電気自動車の場合は電力需要を押し上げる原因になる。また交通事故の可能性が増え、一旦事故が起こればつまづいて転倒した、、などではすまない不測の事態になります。それに、公共交通機関があるし、もし公共交通機関が不満足なら当局の怠慢を責めて拡充してもらうべきで、それがエコと地域社会の存続に重要。高齢化による事故がこれだけ騒がれて、、、、、と、いくら自家用車亡国論を述べても、

それがどうした、自家用車は必要なのだ。必要なものにとってはかけがえがないほど必要なのだ。で、おわりです。瞬間に議論が終わってしまいます。

英語不要論という月並みな言葉の代わりに、自家用車不要論からはじまって、嫁不要論、家族不要論、子供不要論、たいがいのことは同じ文脈に納まります。英語が意味ない?それだったら代数学や方程式だって生活にかかわらないし、シャルルボイルの法則だって不要だし、武家政治が何年に始まったか知らなくても困らないし、モーツアルトの交響曲を知らなくても全然平気。つまり、英語が不要と言っても、方程式が不要と言ってもかまわないし、学校の教科のほぼすべてが同じ文脈で収まる。つまり、英語不要論は反知性主義、反教養主義で、毛沢東の文化大革命と同じなんだけど。そこまで分かっているのかなあ。

つまり、英語不要論は、こういったなんにでも当てはまる「不要論」のテンプレートに<英語>って入れただけの、オリジナリティもなんにもない月並みで手垢のついたような反知性主義。

まあ、それでも本のタイトルにして売ろうというぐらい、英語が一部で嫌われているのだということはよくわかった。しょうもないテンプレをありがたがって、出版社の決めた本のタイトルを鵜呑みにしてしまうほどナイーブな人が居ないことを、祈りたいだけです。

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SJK (C) Pei Chai 6 いよいよ試験会場入り

Now, it's time to have exam

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テストの2週間ぐらい前にジャスティンから「シャツのサイズを音楽教室受付に言って、シャツを受け取っておくように」と言われました。なんのことかわからなかったけど、受付に言ってシャツのサイズを言うと、、そもそも大人用のものはストックが無かった。ま、いっか、と思った。そしてテストの前日、ジャスティンからSNSで「申し訳ない、シャツの在庫も追加発注もできなかったので、明日のテストはどんなシャツでも着ていいから」というメッセージが入ってました。

、、、そっか、ようは、音楽教室の生徒はお揃いのシャツで試験に臨めということだったんだ。

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マレーシアあるある、、といってもいいけど、ともかくマレーシア人は「お揃いのシャツ」が大好き。もう、なんでも、お揃い、お揃い、お揃い、、、。あんまり、マレーシア人と交わってない人は良く分からないと思うけど、このユニフォーム状態は大変なもの、ひとりだけ違うシャツだったら、その心細さはいかほどのものか、、とみんな思っている。

わたしは、全然気にしないけど(というか、お揃いは恥ずかしい)、お揃いをそろえることができなかったことを、大変に申し訳なく思っていてるみたい。いやあ、そんなこといっても、、、全然、気にしてないから。
、、というか、私のマレーシアで入手したTシャツはすべてイベントTシャツ。自分でTシャツを買うことなんて皆無です。しかも、イベントTシャツが増える、増える、イベントTシャツで一杯。もう、要らないと言いたいぐらい。

あ、そうだ、テスト。

そして、テスト。試験場の入り口には名簿が張り出してあったので名前を確認。そして着席。だが、席が違ってたらしい。入口に張り出してあったのは名簿じゃなくて、席次表だったのだ。わああ、現役の小学生に指摘されて、、「すみません」と言ってこそこそと、自分の席を探してしまった。

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机が、、小さい。椅子が、、小さい。さすが、小学校。なんか、いい感じ、、、写真を撮ろうと思ったけど、ここは試験会場。カメラなんて持ち出したら、何言われるかもしれない。しかも、さっきのポスターの「小学校に持ち込み禁止」にカメラがあったじゃないか。

テストは? 大人の意地で、子供たちに負けないスピードで回答していったが、子供たち、、早い。ほんとうに現役の生徒さん達はテスト慣れしている、、、ま、こんな感じで試験をうけて、後は結果を待つだけです。

小学校見学もできたし、、良かった。

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2017年05月17日

SJK (C) Pei Chai 5 いじめ問題

Hentikan Buli !!

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格差社会とも階級社会とも言われるけれど、社会がいろんな基準で2極化していくのは世界中どこも同じ。
そして、それに伴う閉塞感が蔓延するのは、、、これも世界中一緒。こうやって、一部はうっぷんのはけ口として右傾化する、そして、意味もなく、、自分より良さそうな人を見つけて引きずりおろす、あるいは、自分より下に見える人を見つけては踏みつける。

いままで格差が見えなかったものが、インターネットで見えるようになり、比べるようになり、なんで自分は?なんであいつは?という不満が溜まります。その原因を自分自身に探すような健康な精神を持つ人は稀になりました。残念なことです。

雑多な人が集まり、社会訓練が未熟な子供たちにおいては、「いじめ」が顕在化します。日本に限らないことですが、マレーシアも、こういうポスターがあるからには普通にあるのでしょう。

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マレーシア語がからっきしダメな私でも、ティックがついた部分の意味はなんとなくわかります。3年すぎると特にマレーシア語を勉強しなくても看板なんか毎日見てるし、うっすらと覚えるものなんですね、、、、町で暴力行為を見かけたときは、、

1 校長先生や学年主任の先生に言う
2 担任の先生に言う
3 両親に言う
4 警察に通報する

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華語学校だけあって漢字が一杯。漢字の標語はなんとなく意味がわかります。

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いーーーーっぱい、四文字熟語が学校中を埋め尽くしている。子供たちには、平和で楽しい学校生活を送ってほしいです。四文字熟語、、がんばれ。

全然関係ないですが、ユーチューブで街角で暴力をふるっている人がいて、誰も止めようとしない光景が映し出されていました。コメントが、、「中国語だけど、どこだろう?」「マレーシアとかシンガポールじゃないよなあ」「台湾でもないぞ」、、、そして「きっと香港だよ、こんなことがあっても平気なのは香港に決まっている」、、、という声。そっか、おんなじ華人社会でも、香港はそういう目で見られているのか。

わたしも一度だけ「お前は香港人だろう」と言われたことがあります。あれは悪口だったのですね。。。

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SJK (C) Pei Chai 4 正しい生活習慣と誘拐回避

What to eat ?

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アセアン諸国の中で、マレーシアは肥満率が高いです。昨今の高カロリー食の増加は世界各地で子供たちの肥満を増長させ(、、私も)、健康を阻害して、運動への意欲をそいでいます。このような状況は甚だしく良くないです。マレーシアでは、ファーストフードだけじゃなくて、もうあらゆるレストランの食事が高カロリー化して、「ファーストフード云々」では収まりません。辛いことに、ここには外食の伝統があって、肉中心、高カロリー、そして高い塩分、、、いっこも体に良くない、、、!

だから、子供たちへの健康指導は最も必要なところ、それに正しい生活習慣も。結局、肥満といっても生活習慣病だからね、、

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正しい生活への道のり、、、子供たちだけじゃなくて、大人も必要。特に、私。

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生活習慣に気をつけるだけじゃなくて、もっと気を付けるもの、、それは誘拐。児童誘拐は、もう世界中で蔓延しているし、なんだって最近はこんなにお金目当て、臓器目当て(子供の臓器移植は多い)、、、が、多いのだろう。特に中国で深刻化している、老後の面倒を見てもらうための子供誘拐。社会保障がしっかりしてないので、老後を養ってもらう子供の存在は、老後の保障。社会保障のない世界では、子供だけが頼り。

へんな人について行ってはいけません。。。というか、
この絵、、露骨にユダヤ人に見えるのですが、、、なんかまずいかも。どうしてユダヤ人がマレーシアの子供を誘拐する?なんか、悪者=ユダヤ人という固定概念でもあるのかなあ。ちなみに、誘拐犯は普通のそこらへんにいる人と一緒の身なりです。

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ともかく、生活習慣に気を付けて、しかも、誘惑からも遠ざかること。

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待合がわりの、この食堂もほぼ一杯。
ジャスティン先生もいるではないか。。。

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2017年05月16日

SJK (C) Pei Chai 3 学校活動

Activities in the school

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華語の学校とはいえ、児童は華人しかいないわけではありません。むしろ最近はインターナショナル系(つまり英語学校)より、華語学校のほうが人気が高いです。英語はマレーシアの公用語で、小学校から英語のクラスはあるし、生活でも英語は欠かせないし、英語は自然と身に付く(?)気がするけど、就職に有利なのは圧倒的に華語。それも、口語で福建語とかじゃなくて、ちゃんとした北京語が読み書きができるとマレーシアの生活で幅が広がります。なんせ、これから一帯一路の時代だもんね。

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マレーシア語は?えーっと、ともかく学校では必ず学ぶけど、上手くできない人もいる。よく、日本人で「マレーシア語は簡単だよ」とかいい加減なことを言っている人をみかけるけど、マレーシア語の発音とか、かなり難しい、、のに。なんであんな適当なことを言っているかというと、マレーシアではマレーシア語を母語としない人がたくさんいて、マレーシア語をカタコトで言っている人も多いので、みんな「いい加減なブロークン文法で発音も意味不明の一歩手前」でも、聞き取ってくれることに慣れている、、から聞いてもらえる、、というべきだと思う。マレーシア人やさしいから。(、と思う)

ともかく、就職に便利で将来性もある華語!中国が「One Belt, One Road」政策を強力に推し進めるのはわかっているし、それはマレーシアの国益にもなるから、これからも、もっと華語が必要になってくるでしょう。町にはふつーにマレー系の顔立ちだけど、華語がネイティブな人もみかける。こういった小学校から華語学校に通っている人が多くなっているからでしょう、それにもっとこれからも多くなると思う。

おっと、試験を受けに待合室に来る人が増えたなあ、、、いったん待合室にもどって、、

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張り紙を見ていきます。学校活動は、太鼓部が有名みたい、、

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中国楽器置き場、、という標識も発見、、

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それとバトミントン部。マレーシアの国技ですね、この学校グループの大会で優勝したらしいです。

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だから、記念もモニュメントも多数。

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まだまだ、小学校めぐりは続けたい、、時間はあるし、、

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SJK(C) Pei Chai 2 学校にもってきちゃいけないもの

Not allowed to bring these items to the school.

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小学校といえば、やっぱり持ってきちゃいけないものとか、いろいろ規則があるようです。大学のキャンパスではこんなの見たことないから、やっぱり小学校なのかなあ、、
カメラ、ビデオ、携帯、スマホ、音楽デバイス、ゲーム機はもちこみ禁止。まあ、なんとなくわかる気がします。

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だからって、学校にある公衆電話。本当に動くのだろうか?おんなじものを博物館で見かけた気がする。

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そして、刃物、工具(なんでダメなのか?)、釘、ネジ、そして、サイコロ、チップ、トランプ、DVD、雑誌類、、まあ、これもわかる気がする。工具は授業と関係ないし、学校に備え付けのがあると思う。トランプがダメかあ、まあ、日本でもダメな気がする。雑誌がダメだから、マンガもダメだと思うけど、日本だったら一番最初に「マンガ禁止」って来そう。

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え?マジック持ち込み禁止!うーん、きっとシンナー系とかあるからかなあ。同じように修正液も禁止。わざわざ、修正液(液体タイプ)、、ってあるから、テープ式のものはOKかな。しかし、不思議なのがシャーペン禁止。鉛筆一本槍、、ということか。ここには書いてないけど、ボールペンはグレーゾーン。

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シャープペンシルが禁止なのは、私が小学校のときと同じです。もしかしたら、日本でも、いまでもダメなのかもしれない。理由はよくわからないけど、まあ、鉛筆があればいいか、、というもの。

、、もちろん、サングラス、お化粧用品、おしゃれ用装身具、、等々

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それに、タバコ、毒物(ただの薬はいいらしい)、チューインガム、アルコール(写真はなまなましいなあ、こんなもんもってくる小学生は嫌だなあ)、そして、小学生らしく「おもちゃ」。おもちゃ、、は、かわいい。

なるほど、、いまどきのマレーシアの小学校の持ち込み禁止品は、これかあ、すこし勉強になりました。
小学生には、シャーペンをプレゼントするのは、ちょっと考えものということか。

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SJK(C) Pei Chai @ Kuantan 小学校訪問 

Visited Elementary School in Kuantan as Music Theory Exam.

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海外生活は長いし、いろんな国に住みましたが、、、、
そういえば、私は地元の小学校というものに行ったことがありません。あ、いや日本人学校はあるけど、それ以外の小学校です。大学はいろんなチャンスがあるので、むしろ「よく行く」ほうだし、つい先月だって行ってきました。でも、小学校というのは、以前に行った記憶がありません。本当にレアな体験だし、海外生活長い人でも、子供とかの関係がないかぎり、ほとんど行ったことがある人はいないんじゃないかと思う。

わたしのブログの記事は4千2百あまりですが、非常に貴重で、「非常に地味」な小学校訪問の記事。
行ったのは、SJK (C) Pei Chaiです。SJKは小学校、カッコの中のCは華語学校を表してます。そして、学校名はPei Chai 培才と漢字で書きます。培う才能ですね。そういう学校法人グループがあるみたいです。

Trinity Grade Examの音楽理論の試験会場ということで、朝早くに出発。お休みの日なので児童はいませんが、ジャスティンから「駐車場ないよ」と聞いてたので場所確保のためにも、早目に会場に到着。

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あんまり早すぎて、控室になっている食堂にもほとんど人影がないし、あってもみんな自習してる。これからテストだもんね、がんばれ。って、他人事じゃない。でも、私はテストを受けに来たということで、筆記用具と受験票しか持ってきてない、、、自習、、、できない。

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暇つぶしのためにも、学校見学に行きます。。テスト開始までには戻って来るから、、、

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2017年04月06日

虫の”声”が聞こえる日本人 2

経産省のクールジャパンにある、「虫の”声”が聞こえる日本人」をどう改善するか?

素のままでは、再読に耐えられない間違いだらけの文章です、が、虫の声を愛でる習慣を否定することはありません。虫の鳴き声で癒されたり、季節を感じたりする感性はあると思いますし、それを海外に印象つけたいとするのは悪い試みではありません。

問題は、、「どうだ!日本人はすごいんだ。おまえらとは違うんだ」という文面。ケンカを売って印象を悪くするなど下策すぎ。それだけじゃなくて、虫の声が聞こえる?、ふん、で、それがどうした?で終わり。虫の声を聞いて、、どうしたいの?どう思うの?というのが全くない。上に「虫の鳴き声で癒される」「季節を感じる」と書いたけど、ひとこともそんな話はでてきません。虫の声が聞こえたら、えらいの?得するの?すごいの?意味がわかるの?虫と会話できるの?

もう一度、経産省の文面を書き出します。

(引用はじめ)日本語には自然に対する形容詞や擬態語・擬音語が多数存在し、日本人の自然観を表す豊かな言語表現を生み出している。これは世界でも類を見ないほど母音を多く使う言語である日本語を話すことで、自然界の音を、まるで言語を聞くかのように処理する脳構造になっているからだ。たとえば「虫の音」を音楽や機械音、雑音などと同じように右脳で聴く外国人に対し、日本語話者は左脳で聞く。音ではなく「声」としてとらえる独特の脳構造が、自然の変化に耳を傾けさせ、豊かな表現につながった。(引用おわり)

まず、「世界で類をみない」、、これは止めましょう。そのあとに続く言葉は、世界のことを調べたわけでもないのに思い込みで書いているだけで、根拠がないだけでなく、「いや、私の言語のほうが母音も多いし、」という反論をくらうだけで、相手を不快にさせてどうする。マーケティングの基礎もできてないんだと宣伝しているようなもの。

だから、世界では、、とか、日本では、、とか比較するのはなし。わざとらしく疑似科学をもってきても無理。間違った理論のうえに、「虫の声を聞く」情緒を言いたいわけだから、ここは情緒に的を絞ってつまんないこと言い出さないこと。

書くべきは、「今の日本人がどのように虫の音を愛しているか」ということに尽きます。絶滅した風習や、大昔のできごとなど、今の日本に投資したい人を振り向かせることはできません。逆に「クールジャパンに日本人が虫の声が聞こえる書いてあったけど、来てみたらそんなのどこにもなかった。」と言われるだけです。嘘つき呼ばわりされるかもしれません。

だから、具体的に日本人が虫の声を、いつ聞いているのか、どこで聞いているのか、どうやって聞いているのか、どうして虫の声を聞いているとわかるのか、そもそも虫の声が好きなのか?(声が聞こえるというだけで、それが愛されているとか、好まれているとか一行も書いてない。声が聞こえるが、気味が悪いと思われているという可能性だってある。それでいいの?)が書いてないといけません。べつに箇条書きにする必要はありません。

具体的な虫の声をきくプロジェクトやイベントがあればそれを最初に紹介して、こういうふうに聞いているのだ、そして最終的に「虫の声が好きなのだ」、、という情緒に集約されなければ意味がないでしょう。いくつかのイベントがあれば、検索して訪問できるようにすれば、具体性は増すし、「じゃあ、ちょっと虫の声をきいてみようか」というふうにもつながるでしょう。

どこの広告代理店を使ったかしらないけど、こんなマーケティングのイロハもしらないようなところに、どうせ税金をジャブジャブはらってるのだろうし、迂回融資というか賄賂ですね。まったく、国民をバカにしている。そして文面で外国人をバカにしている。百害あって一利なし。

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2017年04月05日

虫の“声”が聞こえる日本人

いま話題の「世界が驚くニッポン」、、ああ、頭の悪さ全開、いや全壊。経産省ってこんなに頭が悪いのかって世界に教えるようなもの、黙ってたら賢いと思われてたのに。オリジナルはこちら、、以下当該箇所全文(色変換は私がしました。英文は恥ずかしいので省きました)
http://www.meti.go.jp/press/2016/03/20170308001/20170308001-1.pdf

(引用はじめ)
虫の“声”が聞こえる日本人

童謡・唱歌「虫のこえ」
あれ松虫が 鳴いている
チンチロチンチロ チンチロリン
あれ鈴虫も 鳴きだした
リンリンリンリン リインリン
秋の夜長を 鳴き通す
ああ おもしろい 虫のこえ

日本語には自然に対する形容詞や擬態語・擬音語が多数存在し、日本人の自然観を表す豊かな言語表現を生み出している。これは世界でも類を見ないほど母音を多く使う言語である日本語を話すことで、自然界の音を、まるで言語を聞くかのように処理する脳構造になっているからだ。たとえば「虫の音」を音楽や機械音、雑音などと同じように右脳で聴く外国人に対し、日本語話者は左脳で聞く。音ではなく「声」としてとらえる独特の脳構造が、自然の変化に耳を傾けさせ、豊かな表現につながった。
(引用おわり)

つっこみどころ満載すぎる。もう、どこからつっこんでいいのかわからないぐらい。
タイトルに呼応する、この文の言いたいことのひとつは最後のほうにあってまとめると「音ではなく声でとらえる日本人」。ちなみに、虫の「声」として強調されているのだけど、チンチロチンチロ チンチロリンとは?声なのか?音なのか?文章の最初に「擬音語」と書いてあるけど、その一例として虫の声となっている。

手元のデジタル大辞泉によると「声」とは(該当するところだけ)、
1 人や動物が発声器官を使って出す音。のどから口を通ってでる音。
3 虫が、羽や足をこすり合わせて出す音
8 音声学で、生態の振動を伴った呼気。有声音

つまり、虫の声も、虫の音も一緒だということ
うーん、外国では虫の音は「音楽」に聞こえるって書いてある。それは日本では虫の音は「虫が羽や足をこすり合わせて出す音」よりすばらしく芸術的に聞こえる。外国のほうが、すごいんじゃない?

だから、音ではなく声というのは、まったく意味をなしません。便宜上、生き物の出す音のことを声と言っているのがわかります。辞典で音と声の意味ぐらい調べとけよ。しかし、なんとか意味を見つけてあげましょう。声ではなく言語って言いたいの?

まるで言語を聞くかのように処理する脳構造になっている

脳の右半球と左半球の差異についてのまじめな研究は多いですが、いわゆる右脳左脳論はトンデモ科学扱いされています。政府のお役所がこれ見よがしに自慢するようなものに使うには不適当だと思うのですが?さらに言語を聞くかのように処理?チンチロチンチロ チンチロリンのどこが言語?だから、その処理がトンデモ科学扱いだって、それに言語には意味が必要ですが、チンチロチンチロ チンチロリンの意味を教えて欲しい。

つっこみどころは、ほぼすべての記述に当てはまるので、書き出すと止まらない。たとえば、虫の美声の筆頭として上げられるのはカンタンですが、カンタンには和名がありません。中国の地名、邯鄲(カンタン)から来た言葉で、中国では天鈴という名です。天の鈴のようにいい声、、というのが中国的解釈なのですが、これがどうして外国では虫の音は機械音や雑音?虫の声を愛ずるのは昨今、中国をはじめ東南アジアでブーム再来なのですが、日本では虫の声を聞くのに積極的には思えません。

母音数でいうと日本語は世界のなかでも少ないほうだし、表意文字に頼った音声なので聞き取りにくくてもある程度意味はとれるけれど、表音文字だと音がすべて。日本人が英語が苦手と言われるのは、音を聞き取りづらいからだし、いい加減に発音していると相手は聞き取ってくれない。つまり、音については日本人は苦手な部類でしょう。ああ、それに言語に母音が多いと自然の音が言語に聞こえるというのは、スピリチュアルなチャネリングですね。宇宙人の声だって聞こえるそうです。


外国での美しい虫の声については、
イギリスの文豪ディケンズの「炉辺のコオロギ」でも、読んでみてください。

「虫の音が”音楽”が聞こえる外国人」のほうが、10倍かっこいい気がするんだけど、この経産省のクールジャパンって自虐なの?クールジャパン、、って、お寒いニッポンだったんだね。

(どうでもいいけど、犬が鳴くという代わりにワンワンといって済まそうというのは、むしろ幼児性でそんなに自慢することか?擬音語は文明の遅れたところに多いそうだけど)

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2017年03月14日

Malaysia's Ritual in YouTube マレーシアと北朝鮮




マレーシアで北朝鮮の金正男さんが暗殺されました。
そして、その直後からマレーシアと北朝鮮の関係が極度に悪化。考えるとあたりまえで、マレーシアとすれば自国の空港でこんなことをやられるなんて甘く見られて、面目丸つぶれなわけです。大使の召還とかが相次いで起こり、両国関係はかなり険悪なムードですが、、、、

怒った北朝鮮の首領が、マレーシアに原爆ミサイルを飛ばすのではないか?というデマがもっともらしく流れたり、戦争になるのではないかという人もいます。

で、ここにきて、Raja Bomohによる、北朝鮮退散の祈祷が行われて、これがけっこう人気(?)を呼び、いろんなところでYouTubeの再生やらスチール写真がSNSを駆け巡ってます。マングローブの林をバックに海岸に足首まで入り、海のかなたの北朝鮮に竹筒の口を向けて、水を飛ばし、たいへん真面目なようす。

くわしい記事は下からどうぞ。

Raja Bomoh conducts beach ritual to 'protect' Malaysia from North Korea
http://www.straitstimes.com/asia/se-asia/raja-bomoh-conducts-beach-ritual-to-protect-malaysia-from-north-korea

どこまで本気なのか、どこまで受け狙いなのか、全く私にはわかりませんが、北朝鮮についてマレーシアの人がナーバスになっているのは間違いありません。

お祈りで戦争が防げるなら、私だってなんぼでもします。

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2017年02月09日

「和」の文化の大嘘

責任感、から連帯責任の意味を調べ、、、よく使われるこの言葉に行き当たりました。

「まず、和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉


いまや同調圧力の標語のように、<みんなと同じにするように>という意味で使われてます。賢い人の代名詞のような聖徳太子が同調圧力?そんなこと言うのかなあ、、「和」の意味を国語辞典(goo辞書)で調べました。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/237268/meaning/m0u/

1 争いごとがなく穏やかにまとまる。「和解・和合・和平/協和・講和・親和・不和・平和・宥和 (ゆうわ) ・融和」
2 やわらいださま。ゆったりとして角立たない。「和気・和光同塵 (わこうどうじん) /温和・穏和・緩和・清和・柔和」
3 性質の違うものがいっしょにとけ合う。「混和・中和・調和・飽和」
4 声や調子を一つに合わせる。「和韻・和音・和声/唱和」
5 二つ以上の数を合わせたもの。「総和」
6 日本。日本語。「和歌・和裁・和室・和食・和風・和服/英和・漢和」
7 大和 (やまと) 国。「和州」
6と7は地名相当なので外して、1−5をまとめると下のとおり。これについて異を唱える人はいないと思う。

争いがまとまり、ゆったりと和らぐ。多様なものが、ひとつに合流する。いくつもの足し合わせ

つまり、「和」は前提として、争うほどの違う意見、違う見方、違う立場、違うもの、、がないと成り立たない。聖徳太子の言いたかったことは、「多様性を積み上げてひとつの解を得る」ということ。多様なものを、和=足し算、、違う一つ一つを残したまま調和させるということ。1+3の和は4。俺は1だからお前も1になれというのと違う。それだったら1+3=1になってしまう。
俺は1でおまえは3、だから4が和だというのが、本当の「和」。ほら2人の力で大きな解が得られた。これが和の国の和の考え方。この和を以て貴しとしましょう。

なるほど、賢人の誉れの高い聖徳太子らしい卓見だと思います。でも、「和を以って貴しと為す」は彼の独創でなく、論語からの引用です。

じゃあ、昨今よくこのフレーズの解釈とされる、「お前もみんなに従えよ」って何?「和」じゃないの?。それは、「同」。同調圧力の「同」。「和」とは相容れないものです。ほとんど反対の意味。どれぐらい相容れないかというと、

子曰、君子和而不同、小人同而不和。
論語「子路」第十三(二十三)
(子曰わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。)

いまや、小人ばかりの世の中か、解釈まで小人風になってしまいました。多様性など、まだまだ道遠しです、太子様。ここは「和」の国なのに、、いまや「付和雷同、不和随行」の国になってしまった。


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2017年01月31日

Destruction and Creation : American Trump トランプ後のアメリカ

American President Trump may be enrolled as a Destroyer.

ずいぶん世間を騒がせ、いまも騒がせ続けているアメリカの大統領トランプ。
この人が大統領選にでて様々なつまらないことを言い続け、そのまんま大統領になり、そのままつまらないことを言い続けているのを見て、、、ふーむ。なるほど、、ムスリム的に是とするところは無いです。トランプの諸政策に「反対」の立場です。

今後4年間アメリカ人は、どんな政治指向を持とうとも、真剣に考えないと大変なことが我が身に降りかかることがあると学ぶだろうし、もはや他人任せにしておけないと必死になるでしょう。一般の人の「政治離れ」「無関心」なんてない。私はそもそもトランプは最初の任期さえ全うできないだろうと思っています。

破壊と創造

破壊への期待。ヒンズー教のシバ神は最高神の一人で、破壊をつかさどっています。ふつう、破壊は避けるものとして考えられてますが、実際のところ「破壊がないと創造につながらない」という考えがあって、破壊は次への前提として不可欠という見方が世界中あります。ギリシャ神話の不死鳥の、老いた我が身を焼き滅ぼしてから幼鳥となって再生するという考え方も同じです。

日本も式年遷宮に見られる「常若(とこわか)」の考え。老朽化を衰えとし、20年毎にすべての建物を放棄して新しい精神を求めるという発想も、この系譜なのかもしれません。

老いた発想は破壊を拒絶しますが、長い目でみると破壊せず続いたほうが消滅にむかうことも多いようです。俗にいう「ジリ貧」。第二次世界大戦があって、軍国主義がそのまま温存された日本と、負けて焦土から立ち直った日本とでは、戦後の発展が相当に違うものになっていたでしょう。

アメリカの大統領ねえ。なってしまったものは、なってしまったもの。使い道を考えないと、、
今のアメリカ大統領の使命は、ある意味、破壊を担当する者なのかもしれないです。短期的には相当な不利益もあり、大勢の悲嘆がありそうですが、随分長い目をみれば「ああ、あれが再生の始まりだったんだね」という時も来るかもしれません。

私の関心は、トランプ後のアメリカ

すぐに来ると思う。トランプの混乱が終わった時に、トランプ以前に戻したいという世界覇権復古主義を完全に破壊しておいて欲しい。トランプ後に来るのは、古い間違いをもう一度繰り返したい復古主義者じゃなく、混乱を教訓に新しい社会を作る人たちであってほしいです。

トランプ後のアメリカ

私は学部時代は史学部でしたので、時代をつくるのは何かというのに非常に興味があります。形而上学的な予定調和の最初の一撃を見ているよう。あんた、そんな他人事でいいの?といわれそうだけど。

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2016年11月28日

Japanease Cemetery in KT 2 トレンガヌ日本人墓地

Visit the cemetery itself.

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トレンガヌの日本人墓地は、ウエブ上でもいくつか記事があります。しかし、、荒れようというか、時間とはすごいもので場所や墓石などは一緒でも、実際にはいくつか時間の経過による変化があります。

まず、この墓地は戦時中まで日系人コミュニティには知られていましたが、敗戦によって管理する人もいなくなり、そのうち所在すらよくわからなくなっていましたが1990年代に入り再発見されました。こうして、墓地は整備され、立派な石碑も立てられたのですが、、、

まず入口。門扉がありません。
10年ぐらいまえの写真ですと赤く錆止めが露出した門扉とその横の通用門が確認できます。一昨年前の写真でも、緑に塗られた比較的手入れの行き届いた門扉があるようですが、、、今は門扉は跡形もありません。壊れて敷地内に放置されている、、とかじゃなくて、もうどこにも門扉も見つからないし、それを支えていたはずの門柱側ブラケットもきれいにありません。もしかすると木の裏に置かれてるのかも?

通用門、、、、通用門だって気が付かなかったぐらいですが、バイク前輪奥の門扉のあった門柱と塀のあいだに細い門柱と隙間があるのですが、これが通用門の跡です。隣の茂った木が通用門を完全にふさいでいます。ただし、通用門の「門扉」自体はかなり昔から無くなっていたようです。

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そして、敷地内。草が綺麗に刈り取られているように見えますが、これは草を牛が食べた跡。マレーシアでは一般にきれいに刈りそろえられた敷地に見えるところはだいたい牛が放し飼いされています。

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しかし、すごいのは木。大木で、周囲にある仏教徒墓地、クリスチャン墓地にはない大木がなぜか日本人墓地には何本もあります。きちんと手入れする人がいなかった、、というのと、ヤギの放牧はなかったんだという証です。通用門を覆っている木は見てのとおり、奥にも大木が何本も。赤い花の裏に墓石があるのですが、見えません。

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大木の位置はお墓の位置と呼応しているので、お墓を立てた後に苗木をお墓の傍に植える、、、そして、それが何十年もたって、もはやお墓を覆ってしまって、お墓が見えなくなるぐらいの木に育ってしまった、、ということでしょう。

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10年ぐらい前の写真ですとお墓は墓石の有無にかかわらず、きちんと見えてたのですが、いまや大木のおかげで墓が隠れてしまってよく見えない。それに以前に敷石で整備された通路にあたる部分も、もはやどこがどこやら枯れ木や枯れ葉、それに大木のおかげでお墓の数を数えるのも大変。これで牛が居なかったら荒れ果ててすごいことになってたかも。ある意味門扉がないのは牛が自由に入ってくるためによかったのかもしれません。

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お墓については、名前が確認できるもの、確認できないもの、いろいろありますが、マレーシアの他の日本人墓地に多い、からゆきさんのお墓は見当たらないようです。もっとも、お墓が木で見えないというのもあるからよくわかりません。からゆきさんについてはまた別に記事にする予定ですが、敷地面積のわりに空いているところが多い日本人墓地でした。今では遺体は日本に搬送となるケースばかりでしょうから、この敷地が今後埋まることはほとんどないでしょうね。

ラベル:マレーシア
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Japanese Cemetery in KT 1 トレンガヌ日本人墓地 谷豊さん

There is Japanese Cemetery in Kuala Terengganu. Having nearly 100 years history.

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非常に立派な看板の石碑がある、トレンガヌの日本人墓地。おそらく、マレーシアの全日本人墓地でも、これほど立派な看板があるところはないと思います。

マレーシア日本人会資料にあったドゥングン日本人墓地も、ここKT日本人墓地に移葬されているようですが、全部で九つほどのお墓がありました。一つの墓石に数名の名が刻まれているものもあり、また墓石が散逸しているものもあるので、実際に埋葬されている人数的にはもっと多い、おそらく倍ぐらいはあるものと思います。

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なぜ、ここだけこんなに立派な?
もちろん、有名なハリマオこと谷豊さん由縁の墓地だからです。

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ずいぶん以前になにかの雑誌の記事を書いた時に調べたので覚えているのですが、谷さん自身はシンガポールでマラリアの為に亡くなっているのでこの墓地には埋葬されていません。ただ、谷さんのご家族の墓が2基ありました、こちらも立派な石碑同様新調されています。おそらく1995年のことだと思います。

ちなみに、ハリマオ=日本側の謀略馬賊、、というのは谷さんの死後直後に新聞に大きく発表されたもので、つまり「日本側は多数のエージェントを英領に囲っている」というプロパガンダで、対戦相手に動揺や疑心暗鬼を与える、、というのが目的です。実際の谷さんのやったこととは基本的に関係がありません。

谷さんは、近隣の愚連隊と一緒に家畜泥棒や各種のトラブルを起こし地元警察からは追われ、トレンガヌ日本人コミュニティの証言でも悪評高い鼻つまみ者でした。真剣に日本とマレーシアの友好に寄与しようとする人たち、たとえばこの地に住む大手企業の関係者にとっても大変迷惑な存在であったようです。貧しい人たちを襲って財産を強奪したのですから石碑にあるような「豊はマレー半島を愛し、ここに住む貧しい人々を愛した」というのは、少なくとも後段は残念ながら美化された嘘でしかありません(彼は日本語があまりできなかったので当地で生きるしかないという意味ではマレーを愛していたといえるでしょう)。

軍が谷さんを英軍のかく乱にあたらせようとしたのですが、普通のきちんとした生活ができないグレて社会からはみだした一団に、軍隊の望むような規律ある行動や目標遂行努力などありえず、統率すらおぼつかなく、たまたま最初の「橋を無傷で確保する」以外には何も成果はありません。むしろ、軍関係者の証言として、谷さんの一団は侵攻スピードの速い日本軍についていけず、軍の後ろを追いつくのにも一苦労だったそうです。
なんの役にも立たなかった谷さんの動きは、結局、軍がそうしたかったように死後にねつ造された「謀略プロパガンダ」としての役目を果たしました。いまでもこのプロパガンダを信じている人の多さは驚くほどです。

随分昔に亡くなった方ですから難しいことは言いたくありませんが、1995年に建てられた石碑は戦中の日本のプロパガンダそのもののようです。もっとトレンガヌの地に足がついたような表現もあったのではないかと思うと残念。

谷さんははっきりしない時期ですが、イスラームに帰依しました。神様の御慈悲が彼の上にありますように。


(ちなみに、谷さん関係のWikipediaの記事はどの項目もあまり正確には思えないです。たとえば、徴兵検査不合格については、私の理解では身長が足りなかったこと、付随して日本語がうまくできなかったこと、があげられたと思いますが、Wikiでは「天皇を現人神として絶対視する当時の日本軍の思想と相いれず、そのため不合格となる」とあります。徴兵検査は身体検査規則で思想など入る余地はありません。あるいは思想的に相いれなければ当時は逮捕投獄ものです)

その2につづく

ラベル:マレーシア
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2016年11月21日

SMK in Pekan Pekanの中等学校

Found one SMK in Pekan with 60 years building.

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Pekanで古い中等学校をみつけました。
建てられたのが1950年代。様式は、マレー式。高床式で、ロングハウスになっています。そしてすべて平屋建て。校舎のペンキがコケで非常に雰囲気に溶け込み、校庭の短く刈られた草が清潔感に溢れ、ものすごくいい感じ。

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きっと生徒さん達は、ほかにも新しい校舎の学校はいくらでもあるのに、なんで自分たちばっかりボロッちい学校なんだろう、、と、ぶつくさ言ってるはずです。このあたり、文教地区で、まわりは小学校から高校までほぼ同じ敷地に分散してたっているし、そういったところの校舎は普通に、、、普通です。

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でも、このSMK Ahmadは古びた感じはとっても、、「清潔な遺跡感(ごめん)」が溢れて、趣がありすぎ。文化遺産だよとかいわれると、そうかな?とか思ってしまう。

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マレーシアの学校は、小学校(SK / SJK(C)/SJK(T)と、中学校(SMK / SMJK)があり、次が大学。小中大とわかりやすい順番で、日本みたいに小中高大みたいな高がありません。小学校は6年制、中学は5年制。だから、義務教育だけ受ける人は学校に11年いることになります。でもって、大学に進む人は、中学5年次にプラスして12年目教育とうけます。こうして、大学に行く人はそれまでにあわせて12年教育を受けるわけで、大学入学時は18歳で日本といっしょ。これが公立学校で、私立は別。私立の中学は最初から6年間あるので、12年目教育という特別なクラスはないです。

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なーるほど、SMKのブラスバンド部とか、大きい生徒もいれば小さい生徒もいるなあと思っていたけど、日本の中高一貫教育と思えば道理。東京の留守宅の近くに、都立中等教育学校というのがあるけど、あれですね。

60年前の校舎は、装飾過多。いまどきの建物はそういった装飾的なものを極力排して、ビルっぽい建物か、建物のデザイン自体が凝ってるかで、装飾的なものはあんまりない。手すりの柱とか、いろんなところに少しずつこういう装飾があるのが、本当に懐かしいし、温かみがあるし、現代に通じる良いデザイン。

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だから、Pekanのこの中等学校を立てた人は、この地に教育が根付くことを祈って相当に奮発してこの校舎を建てたのだと思う。平屋(一部が高床式部分がない2階建て)だから、敷地面積はかなりのものがあります。ちなみに学校教育義務化されたのは2003年頃と比較的新しいことを考えたら、60年前の中学はかなりの高等教育感があったと思う。いずれはこの隙間だらけの校舎は建て替えられるのだろうけど、別の目的、別の施設として、いつまでもこの建物を保存してほしいような気がします。あーでも、知ってるSMK建物が古いのはともかく、トイレが8割壊れてるとか言ってたし、結局は建物の外郭だけあってもしかたないか。

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2016年10月05日

Economy & War 戦争をするということ

I deeply thought of war and economy.

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サウジでの朝ごはん。フールを食べながら新聞を読むと真っ先に飛び込んできた Cut の文字と%。
えええ?サウジ閣僚とシュアラのメンバーの報酬カットらしいです。理由はいろいろとあると思いますが、周囲の人に「どうしてサウジの経済は調子が悪いの?」と聞くと返事は、、

戦争


まだ私がサウジに住んでた時からイエメンとの国境で問題があったのですが、昨年から本格的なイエメン内戦に発展。旧北イエメン地域を支援するグループ+イラン、旧南イエメン地域を支援するグループ+サウジ他、旧南イエメンの中央部を抑えているアルカイダ。都市ごとに占領しているIS。という大きく分けて4グループが分かれて戦争をしています。シリア内戦に隠れて報道にあまりでてこないイエメン内戦。
サウジはこの内戦にどっぷりはまりこみ、オイル価格の不調もあって、もはや戦時経済。

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一旦戦争がはじまると、どんな大国でも国力を傾けなければなりませんし、相手も同じですので今時の戦争はすぐに決着がつくわけにはいきません。結局はどちらが勝った、負けた、というのは出てこない、非常に微妙な状態が続き、もうへとへとになるまで続き、しかもやめられません。イラク紛争、アフガニスタン紛争を見れば、いったい何年かかっているのか?しかも、どう終わるのか?誰もわからない通りです。

日本が戦争できる国??日本にそんなカネが余っているとは知らなかった。
日本のひとは戦時経済というのを知っているのだろうか?今の状態で戦争に突入すれば、瞬間に日本は強烈なインフレになり、あっという声をあげる暇もなく貧乏になってしまうのだが、、人々がそれに耐えられるとはとうてい思えない。わかってるのかなあ。

2016年08月19日

Landing plan to Kuantan クアンタンは戦場だった

Japanese army once planned to land at Kuantan

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私の住む町、Kuantan。マレーシアの東海岸の首邑です。
太平洋戦争が始まるとき、いわゆるマレー作戦の上陸地点として検討されていました。

結局は日本軍はタイのソンクラーとコタバルの両方から上陸したのですが、コタバル上陸の目的は空港制圧にありました。コタバルについては、このブログでも、上陸地点のPantai Sabakまで行ってきたレポートを書きました。Pantai Sabakはコタバルか?と聞かれると難しい質問ですが、行政区分上はコタバルかもしれませんが、現在のコタバル市街とは全然別物(例を挙げると、奥多摩は東京か?と聞かれたまあ東京の一部ではあるけど、いわゆるイメージする東京とはちょっと違うようなもの)。

クアンタン上陸については、日本軍というより英軍(特に英海軍)が「日本軍はシンガポール攻略のためマレー半島に上陸してくるとすれば、それはクアンタンだろう」と予想していたようです。

Wikiのマレー作戦には、マレー半島には上陸可能な地点がコタバルぐらいしか無かったと書いていますが、これは間違いで、上陸可能な海岸はいくつもあります。そのため、東海岸に英軍は、イギリス領インド帝国軍(英印軍) 第3軍団(Indian III Corps) - 第9師団第8旅団(コタバル)、第9師団第22旅団(クアンタン)、オーストラリア軍 第8師団(Australian 8th Division) - 第22旅団(メルシン)、第27旅団(クルアン)が駐留していました。

Wiki(マレー沖海戦)によると、

「午後10時30分、フィリップス提督は作戦中止とシンガポール基地に戻り戦力再編を行うことを伝達した。12月10日午前1時、Z部隊はパリサー参謀長より日本軍がクアンタンに上陸したとの入電があり、フィリップス提督はシンガポールの帰路中に日本軍輸送船団を砲撃することを決意する。だがクアンタン日本軍上陸は誤報であり、Z部隊はかえって日本軍空襲圏内にとどまることになった」

「一方でZ部隊は朝になってから日本軍のコタバル上陸を知らされ、針路をコタバルに向けた。日の出は午前7時57分(現地時間0627)、まもなくZ部隊はレーダーで4つの反応を探知して接近したが、貨物船であった。午前8時15分、Z部隊はスーパーマリン・ウォーラス偵察機を発艦させてクアンタン方面を偵察したが、同方面は平穏で日本軍は存在しなかった」

マレー沖で戦った軍艦も、心配になったか?クアンタンまで戻ってきています。コタバル上陸の連絡があった後も、クアンタンに日本軍がいないかわざわざ見に来てます。クアンタンといっても、現在のクアンタン市内ではなく、上陸地点はクアンタンから南にペカンに向かった30キロほどの地点ではないかと思います。

なぜなら、この海岸のすぐ近くに空港があったからです。これは現在のクアンタン空港とは全然別の場所です。海岸からの近さは、コタバルと空港の距離ぐらい。空港から目の前に海が見える距離です。

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ここは、非常に長いなだらかな砂浜がつづき、現在はクアンタン市民の憩いの場。

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砂浜の長さからいけば、コタバルのPantai Sabakより長いと思います。

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この海岸のペカン側には、以前にモトクロス大会があった公園もあります。

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たまたま、日本軍がここに上陸しなかったのですが、上陸すればこの穏やかな場所は悲惨な場所となっていたでしょう。恐ろしいことです。

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ソンクラーから上陸した主力は、マレー半島と西海岸に抜けて、アロースター、ペナン、イポを通って南下していきましたが、コタバルから上陸した支隊は、東海岸のこのクアンタンやメルシンを通って南下していきました。クアンタンにはトーチカをはじめ戦争遺跡がいくつも残っています。

8月の敗戦の日に合わせて、いろんな記事や番組が作られます。
戦争で一番悲惨な目にあったのは、そこに住んでいた人たちです。これは絶対に忘れてはならない視点だし、日本軍は明確な加害者であったことは間違いありません。しかも、中立国タイに対する遠慮からマレーシアに不都合な条件をいろいろと押し付けたことも忘れてはならないと思います。

2016年08月10日

Julião Nakaura 中浦ジュリアン

Julião Nakaura was a member of Japanease Christian Mission to visit Rome in 1582.

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私の曽祖父と祖父が住んでいたのは、長崎市西海市崎戸です。かって大きな炭鉱があり、ご先祖はこの崎戸炭鉱で働いていたようです。同じような、端島が軍艦島という有名な名前とともに世界遺産になったのと違って、残念、、この崎戸炭鉱は世界遺産となりませんでした。明治時代だってやってたし(というかご先祖はここに明治時代にいたんだし)、どこが違うのか!あっちも、こっちも、そんなに違わないのに、見た目がちがうっていうだけか?

ちょっとの違い残念、、というのは崎戸炭鉱だけじゃなくておんなじ西海市で炭鉱からそう遠くない中浦の生んだ有名人、天正遣欧少年使節の中浦ジュリアンもそうです。使節の人々は困難な旅の末、ローマ法王グレゴリアス13世に謁見します。が、ジュリアンは当日高熱で謁見に参加できず、のこり3人で謁見終了。

ジュリアンは必死でローマ法王に会いたがります。わかります。そりゃそうでしょう、ここまで来てローマ法王に会えないとはすごく残念なはず。Wikiによるとその後、ジュリアンをかわいそうに思った貴人の計らいでローマ法王と非公式に会ったそうです、、が、やっぱり公式謁見にでたかったでしょうね。

日本に帰った後、しばらくしてキリスト教が禁教となり、地下活動していたジュリアンは小倉で捕まえられ、殉教してしまいます。最後の言葉は、「わたしはローマに赴いた中浦ジュリアン神父である」ということだそうです。あれ、ペトロ岐部も同じような最後の言葉だったと思う。人は誰しも、最後は人生の一番苦しい成果を心の支えにするものかもしれません。

いちど西海市に行って見たいものです。

2016年07月02日

Geography for elementary school 小学生の地理

OMG,, How I don't know Japanease Geography.

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以前に買って、やろうやろうとしながらやってなかった日本の地理。しかも、小学生、、小学生、小学生レベル。本当に日本は遠い国で、日本のことなんて覚えてないよ、、といいたい気もするけど、そんなことではいけません。ちゃんと、日本のことを知ろう。少なくとも小学生レベルは、、しかし、小学生レベル高すぎ。本当に日本の小学生はこんな難しいことを覚えているのか?結局昔はやったのだろうけど、忘れてしまったというのが正解だと思う。

それをいうなら、外国の私が知らないのはともかく、日本に住む人だって、けっこう日本地理は怪しいはず。そう思った人は、小学生レベルからやり直しが一番。

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そして、一番最初のページの一番最初の質問でほぼ半分しか正解がなかった。これは地理記号。ちゃんと理解してないとね、地理記号は年々新しいものも増えていくので昔覚えたからといって、今全部言えるとは限らない。

そして日本の範囲。南鳥島と沖の鳥島。名前はおんなじ鳥島でも、場所が全然違うじゃないか。しかも、どこにあるのか太平洋の中で点で示せとか言われたらもう完全にお手上げだよね。東端が南鳥島で南端が沖の鳥島。ちなみに南端?どこ?南大東島かと思ってたけど、全然違うじゃないか。沖の鳥島という名前は知ってたけど、あんなところにあるとは、、、。ちなみに南鳥島の気候は「サバンナ気候」。おお、日本にサバンナがあるとは知らなかった。

そんな活躍する南の小島のおかげで日本と同緯度、同経度となると、ものすごい幅。これみるかぎり、日本てかなり大きい国。住んでたことがあるから多少土地勘のあるアフリカの国って、南だよね、、とか漠然と思っていたのに、スーダン、チャド、マリ、ニジェール、モーリタニアも日本と同緯度だとは思わなかった。それにサウジなんてほとんどまるまる日本と同じ経度です。

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日本の都道府県は全部言える。地図に全部名前をサラサラ入れていく。これは得意だし楽勝。しかし、こんどは都道府県の形だけをランダムに並べて、さあ、全部名前を入れろ!これはしんどかった。海岸線があるところは楽だけど、内陸県は、、はて?最後まで分からなかったのが幾つか残ってしまったけど、、

「鶴舞うかたちの、、、」は群馬県。ふと、思い出した。

それで、あとはジグソーパズルのようにあてはめて完成。けっこうしんどかったのはこれだけじゃなくて、都道府県の県庁所在地。いくつか、どうしてもわからん。松の三つ「松江、高松、松山」を間違えてしまった、今後、個人的に「日本三大松」として覚えよう。

でも、、、やっぱり、これは難しい。群馬県の県庁所在地。これを現地で間違えると火花が飛ぶようなパンチが来るかもしれないから注意しなくては。

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2016年06月03日

Barak in Hiroshima 広島でのオバマ大統領

Barak visited Hiroshima. Thank you, Barak.

オバマ大統領については、毀誉褒貶、いろいろあると思います。政治家というのはだいたいそういうものだし、まさしくそれが政治家。
、、、で、オバマ大統領が広島に来て、式典を行い、演説を行ったこと。これは、私的なところの全くない完全無欠な公式行事で、立派な演説を行ったことはとても評価したいです。

人によっては、謝罪がないとか、通り一遍みたいなことを思ったり、大したことない、もうじき退陣する大統領だから影響力がない、、とか思うらしい。でも、そんなことはない。これで彼につづく大統領がどれだけ広島に来やすくなったことか。

最初の一歩はいつだって小さいです。歩幅にして30センチぐらい。なので自分でない誰かが「おお!素晴らしい一歩」とか「人類にとって偉大な一歩」なんてことは言わないです。ふつうは、それがどうした?ぐらいな反応。とはいえ、千里の道も一歩から。この後につづく千里の道を期待したいですね。

ケネディやルーズベルトといった、大統領の椅子に近いエスタブリッシュメントとは大違い、アフリカ系初で、ハワイ州初で、そのほか大統領になるにはとんでもなく遠い所から始めたひとだから、そうとうな努力家であるのは間違いないし、その努力家であったり誠実であったりするところは、むしろ大統領を去ってから発揮できるのではないだろうか?彼は大統領から退くとはいえ、今は54歳。かってのカーター大統領並みに「あのひとは大統領を辞めてからが本番だった」というのがあればいいですね。

2016年05月23日

長崎県西海市崎戸町蠣浦郷

正確には、、長崎県西彼杵郡崎戸村蛎浦郷です。
この住所は私の曽祖父と祖父が明治時代に住んでいた、、と戸籍に残っています。

なぜ?なぜ?
曽祖父、高祖父、5代前も佐賀県神埼市城原というところに生まれています。転居の自由のなかった江戸時代のことですから先祖代々この場所だったのでしょう。高祖父の時代に戸籍制度ができたので、高祖父の父(文政生まれ!!)である5代前から戸籍に名前が載ってますが、曽祖父母は長男(祖父)をつれて、今の長崎県西彼杵郡崎戸村蛎浦郷に引越し。そして、どれぐらい蛎浦に住んでいたかわかりませんが、その後に今の北九州市八幡東区に移り住み、父の代は八幡生まれです。きっと製鉄所ができたので来たのでしょう。ほとんど疑問の余地はありませんし、それ以外の理由は思いつきません。

ところが、なぜか、曽祖父は住みなれた神埼から西彼杵郡崎戸村蛎浦郷に引っ越し?

今日、はじめて西彼杵郡崎戸村蛎浦郷を検索しました。番地もあるのでかなり正確な場所が一発ででてきます。そうしてでてきたのが、、蛎浦島

崎戸炭鉱

まさしく、炭鉱のあった場所そのものでした。うーーん、曽祖父はいったいなんで炭鉱なんかに?時代は明治のはじめか半ば、、わからん。炭鉱が盛んになったのは、むしろご先祖が炭鉱を離れた後のことです。炭鉱の非常に初期の頃に住んでたというわけです。

ブログで見つけました。「廃墟賛歌」というブログです。
http://haikyo.crap.jp/s/279.html

ブログをみると、曽祖父の時代じゃなくて、昭和当時の炭鉱は「1に高島、2に端島(軍艦島)、3に崎戸の鬼が島」と劣悪な環境で恐れられたということです。わからん。ひいおじいさん、わからんです。その後、八幡に移ってからは親戚から話をいろいろ聞いているのですが、長崎時代がわからないです。

いつかチャンスがあれば、蛎浦島に行ってみたいです。
最近は、廃墟ブームというのがあって、曽祖父のいた崎戸炭鉱も廃墟ブームの地になっているそうです。軍艦島が世界遺産であれば、崎戸炭鉱も世界遺産だったらよかったのに。